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日本共産党兵庫県委員会で働いています。

ビキニ被災70年 核兵器をめぐる世界情勢の変化② 「人類の安全保障」問う

2024-01-27 07:06:08 | 平和・憲法・歴史問題について
ビキニ被災70年 核兵器をめぐる世界情勢の変化② 「人類の安全保障」問う

日本原水協代表理事 高草木博さん

2007年初頭には、米国の大統領補佐官や国防長官、国務長官などの経験者の「核兵器のない世界」と題する論評が新聞に掲載され、高まる世論の中で大統領選挙では、イラク反戦と「核兵器のない世界」を掲げたオバマ大統領が登場しました。

NYで大行進
10年5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、核兵器廃絶の高まる期待の中で開かれました。開会前日にはニューヨークで、米国と世界の市民が「核兵器廃絶条約の交渉を、ただちに」の横幕を掲げて大行進を行い、署名の提出を行いました。この行動は、原水協が被爆者と共に提唱して実現したものです。
会議では、核保有国からの強い抵抗がありました。しかし、圧倒的多数の国の政府と世論、市民社会の行動の前に、重要な前進もありました。
核兵器禁止条約へと動いた国々は、最終文書に核兵器禁止条約または、廃絶条約の課題を文言として入れることを提案しました。一部の核保有国が反対し、最後の最後に妥協案として、パン・ギムン国連事務総長(当時)の5項目提案の一つとして「核兵器禁止条約」に言及しました。
最終日、合意された文書は、行動計画の冒頭に、「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」ことを掲げ、その具体的ステップとして、それを「創り、維持する枠組を確立する特別の努力」を約束しました。
「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果を引き起こす」として、すべての国が国際人道法を含む国際法の順守を約束し、また、「核兵器条約の交渉」や「相互に強化しあう個別の枠組」についての「合意」を促したのもこの文書です。



核兵器禁止条約の採択が決まった歓喜の中で握手を交わす被爆者=2017年7月7日、ニューヨーク(池田晋撮影)

二つの動きが
17年7月、核兵器禁止条約が採択されるまでには、なお二つの重要な国際政治の動きがありました。一つは、スイスの発案で開始された「核兵器の人道上の影響に関する声明」です。
国際政治は核兵器の問題をこれまで「国家の安全保障」の問題として扱ってきたが、それは市民社会の運動がいうように、「人類と世界の安全保障」の問題なのではないかと問いかけ、人類の生存のために核兵器を禁止することをNPTや国連総会の会議のたびに共同声明にし、核兵器禁止・廃絶のコンセンサスを築き上げてきました。
もう一つは、オーストリア、メキシコ、ノルウェーの3カ国が始めた「多国間核軍縮交渉を前進させる」という表題の国連決議です。2012年以降毎年提案され、賛成を増やしていきました。それは、核兵器禁止の問題を、一国でも反対があれば合意が阻まれるNPT再検討会議やジュネーブ軍縮会議の場から、多数決をルールとする国連総会の場に移し、総会のルールで決定する斬新な発議でした。
15年春、NPT再検討会議で、わずかに米英カナダの3カ国の反対で、合意が阻まれると、これらの国は秋、国連総会で「核兵器禁止の法的拘束刀を持つ文書を交渉する国連会議」の開催を提案。投票参加国の3分の2を大きく超える123カ国の賛成で17年開催が決定されました。
米国は決議に驚愕(きょうがく)し、交渉会議をボイコットするよう露骨な圧力を加えましたが、賛成した国々には、こうした圧力に屈することなく、17年7月7日、核兵器禁止条約を採択したのです。
(おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年1月26日付掲載


17年7月、核兵器禁止条約が採択されるまでには、なお二つの重要な国際政治の動きがありました。一つは、スイスの発案で開始された「核兵器の人道上の影響に関する声明」。
もう一つは、オーストリア、メキシコ、ノルウェーの3カ国が始めた「多国間核軍縮交渉を前進させる」という表題の国連決議。

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