日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ゼロサム 私見小野小町o

2022年10月05日 | Weblog


61 ゼロサム (私見小野小町)


(1)

「可もなく、不可もなく生きた人の人生も、私のように、脚光を浴

びて、華々しく、舞い上がった人生も、総合計すれば、みんな同じ

です。つまり、人生はゼロサムなのです。こちらの世界から眺める

と、すごくよく、そのことが分かりますよ」

「なるほどね。人生ってそう言うものですか。あなたほどの美貌と

才能の持ち主が、そう思われているとは思いませんでした。僕は自

分の人生を振り返ってみると、ゼロサムだという結論達していたの

ですが、あなたもそうだったのですか」

人生と言うのは案外公平に作られてものだと、僕は意をつよくした。


花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる

ながめせしまに。 百人一首

有名な小野小町の詠んだ歌である。



小野小町。巷間では、日本3大美女のうわさが高い超美人。また

古今集や百人一首にその名をとどめている有名な歌人で、六歌仙の

一人。宮中に仕え浮き名を流したとある。

平安前期の女性ながら、その詳細は不明であるという。

人生の絶頂期を過ぎて、下り坂にさしかかった心境を見事に描き出

した、この歌人に私の心はとらえられて、凋落の身を嘆いた、得もい

えぬ詠嘆の情に酔いしれて、私はある日、彼女の出身地であるとい

われる、京都は山科区にある随心院を訪ねた。



京阪電車を三条駅で降りて、地下鉄に乗りかえ、小野駅で降りた。

生まれて初めて訪ねる土地だから、方向が皆目分からない。

後で地図で調べてみると、地下鉄は三条駅を出て、しばらくは東向

いて走るが、蹴上を過ぎるころから、大きく右折し南下して、その

行き先は、醍醐寺の方向を目指し、近くには奈良街道も走っている。



小野駅で、下車して随心院を目指すのだが、方向が分からず、プラ

ットホームに立ち止まって、地図を見ながら、後ろから来た女性に

声を掛けた。

この人は、車内で何回も目が合った女性だった。

彼女も一人で今から、随心院に行くので、同行しましょうという。


絶世の美人の誉れが高い、小野小町に比べて、こういっちゃ彼女に

失礼だが、その容姿は、月とすっぽんで、比べ物にならない。

色は黒いし、顔には生活臭が漂い、所帯やつれが出ている。

髪は、パーマが当たってはいるものの、形くずれを起こしかかって

いるし、お化粧も、肌荒れのためか、しわをうまく隠していない。

どうみても30後半から、40代の中年女性だ。だが、目の光は鋭

く、そのオーラは、神秘な雰囲気を漂わせている。それは、どこと

なく霊媒師のようなものを感じさせた。

彼女に声をかる以前、地下鉄の中で目があったときにも、目の中に

何か神秘なものを含んでいたが、話の内容もまた、常識では解せぬ

ところがあった。



「あなたは車内で、私を何回も見つめていたでしょう。」

いきなり、彼女はびっくりするようなことを言った。

「はあ?。そうでしたっけね。特に意識していたわけではありませ

んが、」

よく覚えているな、この人は、と思った。確かに何回か彼女と目を

あわせたが、それは特別な意味は何もなかった。ただの中年女性で、

これといって目立つところなど何もない、そこらそんじょの主婦。

どこにでもいる家庭の主婦といった感じで、特別注目する様なこと

は何もなかった。

「私は、あなたが今から随心院を訪ねることを知っていました。」

「へえ。どうして。そんなことが分かるのですか。あなたとはいま

初めて出会い、言葉も交わしたことがないのに。」

「いいえ、私にはわかるのです。あなたが小野小町を訪ねることを。

私は知っていました。

だから、プラットホームで、あなたがあたしに声をかけたとき、来

たなーという感じがしました。」

彼女がこう話したときに、僕は彼女がどこか別な世界からやって来

て偶然、僕と出会い、会話を交わしているのだという気がした。

「そうですか。私にはあなたの言うことが理解できないこともある

が、、、、。まあいいや。ご存知なら案内してください。あなたは今か

ら随心院を訪ねる予定なのですね。」

「そうです。いいですとも。参りましょう。私もあまり詳しくは無

いのですが。」

彼女とつれだって、大きな道を横断して、左に折れ、右に折れして、

随心院まで歩いた。ものの10分もからなかったように思う。

彼女との出会いは、降って湧いたような話だった。まさか、小町の

化身のような人が、私を誘ってくれるとは、思っても見なかったが、

会話によると、あたかも私が、小野小町を訪ねることを知って待ち

受けていたかのようである。

(2)

随心院は京都山科区にある真言宗善通寺派のお寺で、本尊は、如意

輪観音である。門跡寺院だが、これは江戸時代に九条、二条の宮家

が入山され、再興されたことに由来する。

ここ院内は、小野小町の居住跡のあったところといわれている。

またこの付近一帯は小野一族の土地であったらしい。

院内には小町に関係のある、化粧の井戸や五輪塔のような小町塚。

文塚。それに、深草少将が百夜通いしたときに、渡されたというカ

ヤの実が植えられたと伝えられる、大きな1本のカヤの木が残って

いる。

総門を入ると、右手に梅園があり、そこは、別料金になっている。

それを見過ごして、長屋門から庫裏まではさくさく音のする砂利路

がある。ほんのわずかな距離だが、さくさくに合わせて、気持ちが

シャキシャキして軽くなる。その砂利道を踏み分けて、庫裏に行き、

400円の拝観料を二人分払って、靴を脱いで上がり、建物の中に

入った。


それから書院、奥書院、本堂へとわたり、本尊に軽く会釈をして、

手を合わせた。

今日は小野小町を目的にして来ているので、いつものお寺参りのよ

うに、願い事をしたり、お礼参りはしなかった。

書院も本堂もサッと通ったくらいで、記憶にとどめたり、メモをと

ったりしたものは何もなかった。

薬医門を出て左折し、化粧の井戸の案内立て看板を見て、化粧の井

戸を訪ねた。 ここは小町の住居跡と伝えられている。

化粧の井戸へ向かって、階段があり、石段を降りていくと、底の見えた浅い井戸がある。

そこへ行くまでは無言だった彼女が、井戸へ降りていく途中の石段で、

急に口を開いた。

「小町がささやいた声が聞こえた」という。



「何があろうとも、人の生涯というものは、一生を通してみると、

プラスマイナスがあり、それを合計すると、みな平等に、ゼロにな

ります。

華やかな青春時代の私の活躍も、過ぎてみれば、一陣の風。

そして、華やかなことが、大きければ大きいほど、それ以上の悲哀が

その裏側に付きまとう。私の生涯を振り返ってみると、多くの貴公

子に取り囲まれて、有頂天の時は、我が身の美しさと才能に、我な

がらほれぼれとしていたものです。」



彼女の声のトーンは先ほどと変わっている。地声がひっくり返って、

若い女の甲高い声がビンビン響いてくる。

「あなた。それ誰に言っているの。もしかして、僕にですか。それ

ともひとりごとを、つぶやいているのですか。」

彼女のにわかの変化に、僕は怪訝な顔をした。

「あなたが、今日ここへ来ることを私は知っていて、待っていた。

随心院の小町を訪ねたいと、あなたが思った瞬間私にそれが映った

のです。だから、今日ここへ来ることを待ち構えて、心の思いのた

けを話そうと思っていたのです。」


(3)

彼女は所帯やつれの女から、小野小町に変身している。

「えっ?それじゃあ、小町になり変わって、あなたが僕に話しかけ

ているのですね。あなたが喋っているのは、あなたの思いや気持ち

ではなくて、小町の思っていること、しゃべりたいことを、あなた

の口を借りて喋っているのですね。なんか変な気持ちがするが、、、、」

「いいえ。変でもなければ、不思議でもありません。今は姿かたち

をなくした身だけど、あの時代に輝いていた私の魂は、何の影響を

受けることなく、したがって何の変化もなく、もとの形です。



私の出自や生涯については、詳らかにしていない部分が多く、その

分、時代や地方によっては、さまざまに語られていますし、また作

家も好き勝手に、自分の想像によって、私を書いてくれます。私の

事実と違うところもたくさん見つけますが、それをいちいち訂正し

てもらっても、どうなるものではないから、お好きなように想像し

て書いてくださって結構です。しかし私には自分のことだから、真

実というものがありますよ。よくご存知の百人一首に読まれた

<花の色は、うつりにけりな いたずらに、わが身世にふるながめ

せしまに>

これは、古今集に載っています。読み人知らず、ではなくて、れっ

きとした私の作品です。」

「なるほど、あなたには、小町が乗りうつっているのですね。いや

小町さんそのものですね。わかりました。今後、あなたがおっしゃ

ることは、小野小町のことと心得て耳を傾けます。

じゃあ私の方からも、お尋ねしても良いですか。日本の3大美女の

一人と謳われている、あなたは本当に美人だったのですね。」



「これは難しいお尋ねです。女は誰でも自分は美人だと、心の中で

思うものですよ。だいたい、一般論として美人論はあるのでしょう

が、これは主観の問題です。たとえば、顔一つをとってみても、お

たふくのような下ぶくれの、笑みを浮かべた、丸顔を美人だと思う

人もいれば、瓜実顔の細面のとりすましたような女性を美人だと、

言う人もいる。こればかりは主観が大きく作用するので一概に超美

人と言うのはどうかと思います。

とはいえ、世間からそのように、美人だと、思われることは、嫌な

こと、迷惑なことである筈がありません。ただただ、素直に嬉しい

ことです。世間特に殿方に美人だと、認められていたせいか、多く

の貴公子から想いを寄せられました。私としてはまんざらでもなく、

多くの方々とお付き合いもしました。

中でも、伏見の深草少将さまには、ことのほか、御執心賜りまして、

ある約束をいたしました。伝説となっている、百夜通のことでござ

います。明日1日で、思いが届くという段になって、すなわち99

日目に、死ぬことによってその話は、悲劇の幕がおりるという物語

になっていますが、真実は少し違います。少将さまは、男ぶりもい

いし、教養もある立派な殿方でした。そんな方から、絶大な思いを

寄せられて、憎う思うはずもありません。

百日も、私のもとへ通ってこなくては、熱意が足りないなんて思う

ほど、私は傲慢ではありません。ましてや熱い思いを素知らぬ顔を

して、素通りする、させるほどの木石でもありません。50日を超

えたころには、その誠意に、私の心もとろけました。そして、幾た

びか、逢瀬を重ねて楽しみました。もちろん男女の色恋というのは、

人に知られないように、隠せば隠すほど、情熱的になろうというも

のです。私たちは幾たびも、燃えあがったことでした。

この頃の気持ちを詠んだ歌があるのです。それは

< 思ひつつ ぬればや ひとのみえつらん 夢としりせば

さめざらましを>

あえて注釈をすれば、あの人を思いながら寝るので、夢にみえたの

であろうか。このままずっと夢を見続けていたいものを、なんとい

としい事よという素直な思いです。またそのときの気持ちは次のよ

うなものでもありました。

<秋の夜も 名にみなりけり あふといへば 事ぞともなく あ

けぬるものを>

逢瀬の楽しさはあっという間で、いくら時間があっても足りないも

のですが、人生もこれと同じで、花と言われる楽しい時間はいくら

あっても足りない気がします。あっという間でした。

いくら歌才があるといわれても、心の底に潜む思いを素直に歌い上

げることは、火が出るほど、気恥ずかしいものです。自分の気持ち

を恋しい殿方のおもいに沿った形に言い表す事は。

少将さまは男子の約束は、貫いて見せると、それはそれはご自身の

意志の強さをおみせになり、私もそれを、ただならぬご決意と受け

止めておりました。ところが、九十日を過ぎた頃から体をこわされ

て、百夜通いも病のために達成できなくなりました。

私の方としては、そこまでしなくてもと、幾度となくお伝えしたの

ですが、途中で約束を違えるのは、男の恥と申されますので、私の

出番は、なかったのです。

物語では、九十九日目に、夢を達成することなく、この世を去られ

たことになっていますが、実は、九十日を過ぎた頃から、病が篤く

なり、立ち居振る舞いもままならない状態でございました。無理を

なさらないように、と申し上げてはいたのです。が、病は篤くなる

一方で、全復されるまでには、それから3年もかかりました。



さしもの情熱も月日の流れに流されたと見えて、いつの間にか縁は

遠くなり、紅い糸が切れてしまいました。その後の消息ですが、詳

らかなことは、私の手元には届いておりません。たぶん出家でもさ

れたのではないでしょうか。その後のことは、ようとしてわかりませ

ん。ただ思い出すのは、幾夜かの逢瀬の楽しい思い出だけですよ。」

「そうでしたか。よく、恋の甘酒を味わっておかれたことだ。明日

のことが知れない人の身には、只今のことが、大切かと存じます。

燃えあがって、恋の花を咲かせる瞬間ほど美しいものは、この世に

はありますまい。僕などはこの恋の蜜をすっただけでも、この世に

生まれてきた価値が在るものだとおもいますよ。

そして恋などと言うものは、当人同士しかわからないもので、外野席

は文字通りカヤのそとです。

外野は自分勝手に想像をめぐらし、おもしろおかしく、また悲劇の

主人公をいとも簡単に作り上げてしまいます。だから僕は才女のあ

なたに本当のことを聞きたいのです」

「なるほどね。私は世間で言うところの美人だったんでしょう。多

くの殿方から、お誘いをうけました。こんな私のことを、よく思っ

てくださるなんて考えただけでも、うれしい話じゃありませんか。

気があるか、ないか、好みであるか、ないか、そんなこと超越して、

私は好意を寄せてくださった殿方には、それなりに丁寧に、応対し

たのです。それは私の気持ちだから、私自身にしかわからないこと

かもしれないが、その真心の応対が誤解されて、浮き名を流す多情

な女との評判が生まれたのでしょう。

またある時は、余り多くの人に言い寄られるので、どの方ともおつ

きあいを遠慮したことが在りました。そうしたら世間でなんと噂さ

れたと思いますか。あれは女ではない。女の顔をしているが、きっ

と身体のどこかに欠陥があるのだろうといわれたのです。

全ての方々に気を悪くされないように、こちらが振る舞えば、こう

いう噂が立つのですね。

彼女は男嫌いだという噂ならまだしも、身体の欠陥まで想像されて

まことしやかに語られるのは、じつに悔しいことです。

世間の人々は私を外見だけで判断してました。世間というものはそ

んなものですかね。」

こういう話をしていると、僕は小野小町が完全に姿形をとってこの

世に存在して、そして僕は今彼女と対座してリアルタイムで会話を

交わしていると言う気になっていた。



思えば彼女が在世したのは、仁明天皇の時代だから、9世紀の中頃

である。今から1200年余り昔の事である。その時間を超えて、

こうして心の中で、会話を交わすことは、常識ではあり得ないこと

だ。しかし僕の耳には彼女の話し声が聞こえ、こうして会話をして

いるのだ。人間世界には不思議なことがあるものだ。僕は一人つぶ

やいた。


(4)

「ところで、小町さん。あなたは後世の人々によっていろいろな形

に仕立て上げられていますね。絶世の美人に始まって、女流歌人、

美女の代名詞として使われる00小町。小町から待つと言うことに

ひっかけて遊女、それに巫女や比丘尼。さらには薬師如来様や観音

菩薩様の化身のように思われて、薬師信仰や観音信仰と結びついて

いますね。」

「いやはや、美人である、歌才がある、ということは恐ろしいこと

ですね。世間でどんな物語が作られ、それがどんな風に流布伝承さ

れていくか。そして時代や地域によってどのように変化していくの

こういう流れは誰にも、とめられません。

小野小町というイメージが、時代や地域をふわふわと、さまよい歩

くのですよ。こういうイメージによって、ずいぶんありがたい想い

をして、得をしたようにも思いますが、同時に実際と、あまりにも

かけ離れた誤解によって、口には出せないほど、傷ついたこともあ

りました。今静かに、それらを思い返して、総合計してみると、冒

頭に申したとおり、ゼロサムになり、ゼロサムになるよ

うに、作られているのですね。それは私一人だけではなくて、この

世に生まれてくる全ての人に、公平に与えられている宿命なのです。

私は魂の世界にやってきて、ここから現世を見つめ直すと、特にそ

のように思います。」

「そうでしたか。よく恋の花を味わっておかれたことだ。

明日のことが知れない、人の身には、今日現在、只今のことが、い

ちばん大切かと存じます。

お互いに燃えあがって、恋の花を咲かせる瞬間ほど美しいものは、

この世には存在しません。そして、あなたは恋の美味酒に酔いしれ

たわけだから、お二人とも、この恋には悔いはないでしょう。この

世に人として生まれ、あなたのように、美貌や才能に恵まれて素晴

らしい恋に陥るなんて。この世に生まれてきたすべて人々があなた

のように恵まれた境遇に生きるということは、おそらく少ないと思

います。」

「そこなんです。人生というのは。美人だから、高貴の生まれだか

ら、金持ちや名門の令嬢だから、素晴らしい恋や人生の幸せが、約

束されている、あるいは保証されている、と言うわけでは決してあ

りません。青春時代にどのような素晴らしい人生を送ろうとも、花

の時代が過ぎ去って中年になれば、人生の悲哀の身がうっとうしく

なります。ましてや老残をさらす身には、世間の冷たい風が、直接

吹いて来ます。そして、人生は恋の賛歌を歌っている花の時代は短

くて、そのあとには、長い冬の荒涼とした時代と寂寥感が続きます。


私の人生を振り返ってみて、喜びの時代と、悲しみの時代を合計し

てみると、ゼロになります。世間では、人生はゼロサム、と言うら

しいが、まさしく人の一生は、ゼロサムですよ。

可もなく、不可もなく生きた人の人生も、私のように、脚光を浴び

て、華々しく、舞い上がった人生も、総合計すれば、みんな同じで

す。つまり、人生はゼロサムなのです。」

「そうですか。何もかもよくご存じの経験者である、あなたが言わ

れるのだから、たぶん間違いはないでしょうね。しかしながら、人

と言うのは、あなたのように、脚光を浴びて、華々しく、活躍する

ことを夢見るのですよ。」

「それは気持ちとしてわかります。しかし、姿かたちを失って、こ

の世界にやってきて、現実の世界を見てみると、私は、自分が下し

た結論は間違っていないと思います。

近頃つらつら考えるのですが、神様は、人が思うように人間に差を

つけて、世に送り出されたとは、思えないのです。」

(5)

僕はっとして、我に返った。

底の見える「化粧の井戸」にたまった水面には、所帯やつれした中

年女性が姿を映したまま、しゃがみ込んでいる。

最初は彼女の口から言葉が出ていたように思っていた。また事実、

彼女の声に間違いなかった。ところが途中から彼女の姿はフエード

アウトして、いつのまにやら、僕の視界からは消えていた。

しかし奇妙なことに、話し声だけは聞こえている。うまく表現でき

ないが、彼女の体内に収まっていた小町が、彼女の身体から抜け出

して、フエードインして透明人間になり、彼女をおってけぼりにし

て僕と夢中になって会話をかわしていたのだろう。僕は目よりも耳

の方に集中していたから、小町の姿は例えそれが現身であろうが、

魂だけの透明体であろうが、問題ではなかった。

要するに、僕は彼女の語る真相のみが知りたくて、追い求めていた

のだった。

井戸にしゃがみ込んでいた女は急に立ち上がったが、足下ががたが

たとふらついた。彼女はちょっとめまいがしただけといって再びし

ゃがみ込んだ。

僕は彼女をそのままそこに座らせておいて、今まで交わした会話を

頭の中でもう一度繰り返してみた。

なるほどそう言う話だったのか。

一人合点したが、世間には老いさらばえた絶世の美人の、老残の姿を

小野小町老衰像(補陀洛寺)卒塔婆小町座像(随心院)として残っ

ている。

最盛期の美女の姿をたくさん残してくれればいいのに。

この老婆の小町を見ると若き日の水もしたたる美女の姿を思い起

こすことは出来ないだろう。むしろこれらの像はなかった方が良か

ったのではないか。いやそうではない。冒頭に書いた彼女の最も有

名な歌

<花の色は移りにけりな、、、、>の中にすでに盛りを過ぎて

老境へ向かう彼女の心境が読み込まれている。いやこの歌だけでは

ない。絶世の美女と老醜。この対比が人の生涯を物語るようで、何

ともいえない気持ちになった。


女の生涯を考えてみると、つぼみや花の命は短くて、時の経過と共

に衰えていく容姿を引き戻す、すべはない。

人生の約束事を非情だ、と思わずにはいられない気持ちになった。

彼女は続けて歌う。

<面影の変わらで 年のつもれかし よしや命に限りありとも>

<哀れなり我が身の果てや浅みどり つひには野辺の霞とおもへ

ば>

<九重の花の都に住みはせで はかなや我は三重にかくるる>

<我死なば 焼くな埋めるな 野にさらせ 痩せた犬の腹こやせ

蝶よ花よともてはやされて、そのときの瑞々しい気持ちを詠んだ美

女歌人も、年老いて老人になると、若い日との落差が大きいだけに、

夢も希望もなくなって抜け殻人生になってしまうのだとしみじみ

と哀れを感じた。

そして同時に生涯逃れられない「生老病死」の四苦の教えが目の前

に、大きくクローズアップされた。

随心院は今日も大勢の人で、にぎわっている。

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