日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

メロディーとリズム

2018年03月31日 | Weblog

メロディーとリズム

大雑把に分けると人体に及ぼす影響は肉体と精神に分けられる。

リズムは肉体にメロディーは精神に働きかける。宝踊りの伴う曲はリズムをはっきりと切るし

逆に強烈なリズムには肉体が反応して手足はパタパタ動く。

一方メロディーの緩急強弱によって精神の鎮静や昂りをもたらされる。

このような人体に影響を及ぼす音楽はとまでは言わないが、

生活になくてはならないものの一つである


27倍の競争率

2018年03月30日 | Weblog
宝塚歌劇団入学の合格発表があった。27倍つまり27人に1人が合格するというすごい倍率を

くぐり抜けた合格者は喜びで大声を上げてうれし泣きしていた。

これからみっちり歌や踊りのレッスンを受けることになる。おめでとうさん。

何十年間に卒業生にご縁があり二人に歌をうたってもらった。歌だけを問題にするならば

大阪音楽大学の声楽科で学んだ人の方が歌は上手だった。

餅は餅屋かな!!????。

ブログを書くように決めたら

2018年03月29日 | Weblog

毎日ブログを書くように決めたら,あっという間に一日が過ぎる.


ブログが完成したと思うと、もう次のブロックが待っている。

家へ帰ってと思っていたら、いつのまにか忘れてた。

克明に1日を追えば、1日の速さはぼーっとしている時間とは、スピードが違う。

時間というベルトに乗っかって、このスピードで死に向かって突っ走っているのである。

ブログを書くようになって、時間の早さが実感できるようになった。

恥ずかしい話

2018年03月27日 | Weblog
この年になって、初めてものを見る目が2つあることに気がついた。

1つは眼球、もう一つは眼球に写っているものを意識、認識する目。

いわゆる目に映っているものがすべてを見ているわけじゃない。

写っているもののいくつかを認識しているに過ぎない。


それは脳の働きだろうが、写っているものを認識する目といっても良いのではないか。

日常生活でよく経験することである。

ご馳走

2018年03月26日 | Weblog
ご馳走

ご馳走とは山海の珍味を食べることだけではない。

おいしいか、まずいかは、個人の主観による。

お呼ばれで、昼の食事に懐石を食べる高級和食店へ連れて行ってもらったことがある。


季節の彩りに会わせて、料理が出てくる。そばには和服姿のお給仕係が

控えていて、慣れない僕は自分の食べるのをじっと見ていられている様で

それが気になって、おいしさを味わうことが半分くらいだった。

家庭でろくな料理しか食べてないが、内心これじゃその方がまだましだと思った。

僕にとってご馳走とは何だろうと考えたが、

そのときの体調に合わせて

食べたいものを、好きなものを、満足するまで食べること。

これこそが僕のご馳走の定義である。

味噌汁にお漬け物、焼きたてのめざし。

土光さんのマネじゃないが、これこそ食べ飽きないご馳走だという結論になった。

だまされつづけた

2018年03月25日 | Weblog
トランプは今までの大統領と違って一風変わっていて全面賛成ではないが、おもしろい。

見てる分には結構おもしろい役を演じてくれる。それは今までの大統領とは違って予測不可能

なことを実行するからだ。これを相手にする大將は大回りの役を演じなくてはならない。

決裂ということはすぐ戦争に結びつくのではないかと危惧する。

今まで北朝鮮が使っていた手はおそらく通用しまい。とすると全面的に箍をはめられて

どういう手を使うのだろうか。

見ものである。

どういう手法を使うのだろうか。おそらくアッといわせる策をだしてくる様な気がする。

5月といわず4月でもいい。はやくどういう結末を迎えるのか知りたい。

桜花

2018年03月24日 | Weblog
今年の冬は例年に比べて寒いように感じた。

今日は彼岸の中日の翌日。ぐっと暖かく成った。

桜のつぼみはアッという間に花になった。これから10日間くらいに満開するだろう。

ぱっと咲いて、ぱっと散る。白の中に薄紅色を漂わせて、その淡泊な姿は花の命の潔さ持って

いる。

今年も花見はできるだろうが、花の持つはかなさと、潔さを思うとき、我が命の問題に突き当

たる。4月に入れば、春の宵、値千金が実感できそうだ。

余計なこと

2018年03月23日 | Weblog
森友学園問題で内閣が揺れているときに、しなくても良いことをして、雲隠れするような

議員が2人も出てきた。そうでなくても内閣が揺れているのに、余計なことをして安倍内閣に

パンチを食らわせた形になった。

あんなことを教育委員会に持ち込んだりして、何の意味があるのだろうか。周りの空気が全然

読めてない。

鬼の首でも取った気持ちでいたのだろうが、見る人から見ると、馬鹿丸出しだ。

いかに前川氏を威圧する、または嫌がらせをするとしても、教育委員会を使って政治が入り込

むと結果はどうなるかぐらいは計算できないのだろうか

この程度の人物が政治家になれるというのは、何か間違っては居ないだろうか。

教育問題で気炎を吐くとすれば、さしずめいじめ問題だろう。

そのものずばりの教育介入と、とらえかねられない微妙な問題を提起して1週間も雲隠れ。

弁明とは、ほど遠い言い訳をして、質問にも答え様とはしない態度は

それ自体が己の無知をさらけ出しているようなものだ。魔の3回生か。 幼稚だね。

マスコミもばからしさに追求もしないようだ。

六十歳定年

2018年03月22日 | Weblog
六十歳定年

今は少し伸びて65才になっているようだが、定年後は何もすることがない。
健康なうちは暇を持て余すよりは、仕事をして働いている方が健康にも良い

小人閑居して不善を為すと言う。退屈と言うことはろくなことがない。

何かすることがあれば、しかもその仕事は社会的につながった仕事である場合は、意欲が出てきて健康維持に役立つ。

また毎日出勤するのはちょっと体にこたえるだから、週に2、3回程度で良い労働だと思う。 人生やりたいこともあるだろう。

個人差がはあるから一概には言えないけれど、やはり暇を持て余すよりは、社会参加をしている方が、健康維持には良いように思う。

暇であるということは耐えられない部分がある
もちろんこのことについては個人の事情が大きく作用する。

趣味とか、生きがいとか、健康とか、の事情は人それぞれによって異なる

だから一概には言えないが、一般論で言えば、定年後も健康維持のために働くというのが、望ましい老後の生き方である 。

薔薇の花に心をこめて6-7

2018年03月20日 | Weblog
{いのち}

瀬戸内寂聴さんの作品を読んでいたら,2/3ぐらいよんだところで、大木敦夫さんが登場した。

大木さんといえば、広島県出身の詩人で「バラの花に心を込めて」の作詞者である。
「バラの花に心を込めて」に曲をつけたのが山田耕筰先生だ。

僕が知っている、山田歌曲700余りの中で、最も品格が高く、美しいメロディーがついた

作品だ。「魂の法悦」という先生の主張に沿ったものだ。

バラの花は山田先生の好きな花。

有名な山田メロディーというのは、赤とんぼ、この道、からたちの花、松島音頭、ペチカ、砂山、などが一般的によく知られているが、僕は最高傑作といえば、大木さんの

「薔薇の花に心を込めて」が最も美しい曲だと思う。

先生御自身も、最も美しい曲だと、おっしゃっている。

一体何が美しいのか。対旋律の響きの美しさと、楽器の音色の使い分けだ。

これは自然そのものである。人工のものはすぐ壊れるが、自然そのものは滅多なことでは、壊れたり消滅したりはしない。

加えて音色が最もふさわしいものが選ばれている。ピアノと弦楽器のアンサンブルの

絶妙さは、これ以上のものはないと、僕は絶賛する。

ピアノだけ、弦楽器だけ、ではこの曲の持つ妙味は出ない。

この「薔薇の花に心を込めて」は実は神様に捧げられるために、作曲されたということを小耳に挟んだ。

道理で。なるほど。僕は納得した

YouTube ででも紹介したい作品である。

歌っているのは山田真梨子さん。すなわち奥さんである。

皆さんどうぞ聞いてみてください。

僕は寝る前に、啄木の「初恋」と「芭蕉布」と「バラの花に心を込めて」をセットにして聞くことにしている。気分が一番いやせる時である。

美空ひばりは天才6-8

2018年03月19日 | Weblog
美空ひばりの特集

BS朝日で美空ひばり特集をやっていた。
彼女は僕より年下で、流行歌を歌う女性。当時の感覚では不良少女だと思っていた。昭和20年代はまだそんな風潮であった。

ひばりは天才歌手だね、といわれたのは山田耕筰先生だった。

聞くところによると歌のジャンルを問わず、どんな歌でもすぐものにしてしまう特別はな才能があったらしい。

昨夜は東京交響楽団をバックに、プッチイニーのオペラ・トスカの中から歌っていたが 声楽家以上のうまさで歌いこなしていた。 彼女は声楽家と呼ばれる先生について勉強したわけではない。けれども自己流でうまく歌いこなした。

彼女の歌はそのどれもが、心から歌う歌であったから、オペラをどうこうする話ではない。天から授かった天性の歌姫なのである。心にしみる歌を歌うのは
声で歌う以上に心で歌うからだろうと思う。

山田先生の作品をアレンジした小林亜星さんはかってこういった。
詞から文学性が消えて貧弱になると、叙情性のあるメロデイはなくなっていくと言っていたが、現在の歌事情を見ると、この指摘は当たっている。
貧弱な詞に貧弱なメロデイがついて、歌離れ現象が起こっている。
当然の現象だ。 彼が指摘するように作詞から改めないと歌事情はおそらく変わらないのではないか。


昨夜BS朝日で美空ひばりの特集をやっていた。感心したのはひばりよりも彼女について解説した小林安亜星さんの頭の確かさである。確かもう85か86のはずだ。しかしよどみなく的確な言葉が出てきたのには、さすが彼は若いと感嘆した。
彼のように頭の衰えを知らずに生きたいものだ。

昨日の続き

2018年03月18日 | Weblog
文科省から財務省へ話は移っていった。結果はどうなのか、財務省と政府は国民を欺いた。

国民は物言わないが、冷静の物事を見ている。それが証拠に内閣の支持率の急落をみれば一目瞭然だ。

とぼけているけど、財務省だけでことが進んだとは思えない。内々に話は政府の方に
行っていたと思うのが健全な常識だ。勘ぐりではなくて、大人であれば、その辺のことは察しがつく。

政府は財務省に依って行政がゆがめられたといっているが、表面的にはそうだろうが、政府の暗黙の承知なしに文章を、こんなにも大胆な書き換え削除を行うほど、役人に腹が据わって居るとはとうてい思えない。

前川氏の言うとおりだ。政治が行政に干渉しているのだ。

時と場合にも依るが、こういうことで3権分立の立場が崩されている。看過できない。

前川氏の人格攻撃をし排除しようとした官房長官はことがここまで進んだ現状を見て、土下座

してわびるか。顔を洗って出直せ。

10-41逆に反感を買っている

2018年03月17日 | Weblog
c 逆に反感を買っている

読売がスクープした前川前次官の出会い系バー通いの話ですが、前川前次官は「女性の貧困の実態を知るために行った」と釈明しています。
通常なら信じられない話ですが、ここに来て「前川前次官が、素性を明かさず無償で低所得者の支援活動をしていた!」という情報が入ってきました。
前川前次官が支援を行っていたボランティア団体の女性の証言によると、前川前次官が「僕も貧困の話に興味を持って、バーとかに行ったりしてるんだよ。」と読売が記事を出す前に、生活保護を受けていた女性に話していたとのこと。
さらに「前川さんを知っている者からすれば、前川さんの言う通りだよね、という感じで受け取りました」と証言しています。
これで「女性の貧困の実態を知るために行った」という前川前次官の釈明に信憑性が出てきました。 以上 インターネットより引用

読売がスキャンダルとして報道したことは事実だが、その店で彼が何をしていたかまでは、報道していない。 思わせぶりの記事である。
彼が自己享楽のためにその手の店に通ったのか、それとも別に目的があって通っていたのか。それは本人しかわからない。

それを官房長官であろう者が、さもスキャンダルでもありそうな形で発表し、彼のイメージを悪くしたのは許せない。完全に嫌がらせをした、その一部がこの発言である。政権に都合の悪い方向から発言したのか 。勘繰りたくなる。

こういう背景があって文科省は彼が行った講演のレポートを録音物を含めて提出するように求めた。腹積もりでは政府にとってよからぬ人物の言動をちえっくしたかったのであろうが、誰が聞いてもこれは求めすぎ、つまり過剰要求である。第一に教育現場を尊重すべきだ。上から目線で、講演の詳細を知らせよとは、局長という立場にある人のすることか。
教育現場に介入したことは紛れもない事実だ。担当局長は謝罪すべきだ。速やかに前言を取り消せ。
加計問題、森友問題、みな政府が噛んでいるじゃないか。
前川氏が政府に都合の悪いことを発言したとしても、それが事実であれば、
謙虚に耳を傾けるべきじゃないのか。人格の非難にすり替えて少しでも抵抗感を和らげるという戦法は見破られて、逆に国民の反感を買ったのではないか.
愚かしい話だ。

北の桜守り

2018年03月16日 | Weblog
久しぶりに涙の出る映画を見た。そして考えた。

人はこの世に生まれ落ちると同時に最低1つの物語を背負わされる。

その物語が華厳の教え通りに明るさに満ち楽しいものなのか、あるいは

惨憺たる悲愁に満ちたものか、それは途中で暗転するのか、しないのか、誰にもわからない。

ということは不可知なるが故に、神の領域だと思いたい。

だがそれが果たして神の領域のことかもわからない。

現在の状態や、状況はわかるが、一寸先のことはわからない。

過ぎ去った過去のことは、それはそれでわからなくなる。

ということは確かなものは現在しかないと言うことなのか

弁護士

2018年03月14日 | Weblog
弁護士は悪いやつの弁護をするのはやむを得ないが、お前それでも人間か、

といたくなるような弁護をするやつが居る。

よく考えてみると、自分の正義感や、普遍の正義に依って動いているわけではない。

彼らとて飯の種として、時として不本意なことを言わないとおまんまの食い上げになる。

それはそうとして、個人対企業の争い事になると個人としては費用の面から企業の論理に

押し切られることがある。交通事故の被害者であるにもかかわらず、保険会社に雇われた

弁護士は被害者がどんな悲惨な目に遭おうとも、素知らぬ顔を企業の論理で押し切ろうとす

る。

時と場合にも依るが、世間から尊敬されているほど立派な仕事でもなさそうだ。

悪知恵の働くやつにかかると、法律を武器にして悪辣なことを平気でやる。

こういう事案を見ていると、貴様それでも人間かと叫びたくなる。

とかくこの世は法律、法律というが、その前に健全な常識というものがあるではないか。

その部分が欠落しているなら、間違っても先生などとは呼びたくない人種だ。