日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

9-22延命10句観音経

2018年11月29日 | Weblog
延命 10句観音経

純然たるお経ではなくて、聖典そのものである。

白隠禅師が延命の二文字を加える。

文字通り10句42文字から成り立っているが、メロでをつける場合これだけではおさまらかったので、大慈大悲観世音、帰命頂礼観世音を付け加えた。

これを大阪労働会館、700人入りで披露した。演奏は声楽家、ピアニストともに音楽大学の先生である。

観世音南無仏に始まって、帰命頂礼観世音でおわるこの聖典を3回繰り返した。
同じものを3回も繰り返してどうなるものかと、思ったが、声楽家は歌唱法をかえて歌った。

聴衆はこの漢語の聖典にどんな反応を示すのか、興味津々だった。

歌が終わって、ピアノ伴奏の後奏の最低音を弾いて終わったが、5秒ほどシーンと静まりかえって、その後に爆発的な万雷の拍手が起きた。

僕は初めて、心にひびいた感動というのは、こういう深いもので、歌が終わると同時に拍手する感動とは深度が違うと思った。
後にも先にもこんな経験は初めてである。

お経と思える聖典の歌唱によって、今までわからなかった感動のあり場所を初めて教えてもらった。

たぶん意味がわからなかっただろうに、よくぞこの歌を最後まで聴いてくださったと、会場内の人々に感謝の気持ちでいっぱいである。

聖徳太子讃歌

2018年11月29日 | Weblog
聖徳太子讃歌

構成は組曲で、演奏は男性ボーカリストを取り囲んで、女性コーラス メンバー40名を配置した。
そのほかに四天王寺学園の高校生と中学生コーラス部員 参加で総数は450人になった。
楽器はピアノだが、舞台壇上にはこべないので、カラオケ録音をしてそれを使った。

そもそも聖徳太子讃歌を作ろうと思ったのは、四天王寺第105世管長猊下のお声がかかったからだ。
天下の四天王寺で5000人を前に、楽曲披露出来たのは猊下と一山のお許しがあってのことである。

こんな大きな舞台で詞も曲も自分の好きなように作り、それを指揮して発表出来るというのは誠にありがたい話である。

管長猊下と私は同窓の先輩後輩の関係で特に親しくしていただいた
からこんなご縁が舞い込んだと今でも感謝している。

猊下は聖徳太子をお太子さんと言われ尊敬されていた。私もまた太子の和の精神を心にかけて尊敬していた。

そしてこの作品によって太子尊崇の気持ちが共感できて、とても満足なイベントだった。ただ素直にありがたいの一言につきる。













玄海男船

2018年11月28日 | Weblog

玄海男船。

2年間山田耕筰先生の下で作曲を勉強したので、作る曲はどうしてもクラシック調になる。

山田先生といえばクラシック音楽の大御所だが、先生は常に美しいものを求められていたから、ジャンルは自由である。こだわりがない。

日本作曲家協会の設立されたのは、古賀政男先生だが、演歌を中心としたこの団体にも山田先生は会員になっておられた。

先生の演歌は美空ひばり用のもので、先生は声楽家にこだわらず歌の上手な人があれば、

その人に合うジャンルの歌も作曲された。

先生はひばりの才能を天才的だと認めておられた。
(風が泣いてる)は彼女のために作曲された作品だと聞いている。

翻って僕も王道演歌を書いてみた 。YouTube に70曲あまりのせているが、視聴回数がダントツ一番である。

日本人の心には演歌という血が流れているとつくづく思う。

日本人好みのメロラインの歌いやすい歌を、僕はこれを王道演歌と称しているが、今後も作ろうと思っている。




越前竹人形

2018年11月27日 | Weblog
越前竹人形

現地といえば福井県あわらの郷だろうが、僕は福井地方を全然知らない。
北陸は足をふみいれたことがないので芦原の里は全く知らない。

ただ水上勉先生の小説だけは何回も読んだ。そして感銘を受けた。
それは絞り込むと純愛という至宝の魂の物語である。

ポイントをここに絞って作品を作りだそうと思った。
そしてその背景には倉田百三の出家とその弟子の第4幕壱番に出てくる唯円とかえでの純愛場面がある。。

越前竹人形に出てくるキスケと玉枝の物語とに共通点がある
貧しさゆえに身を売る女性を熱愛する男の物語はそれを
詞と曲で僕が表現したかった一曲である。

人間の悲劇的な状況の中でも、至高の愛を交わす男女の純愛はそれだけでも感動ものである。
詞の一番二番の間にセリフを入れた。めったにしないことだが、そうでもしなければ純愛の美しさに手が届かないように思ったからだ。

伴奏はピアノ一本であるが、もっと楽器を増やしてオーケストラで演奏をすれば、思いは聴衆に届くのではないか。

機会があればオーケストラ用に編曲したいものである。




付記  これから1週間ほど作曲の舞台裏を書きます。何を目的にこんな作品を作るのか
ご理解していただくと、作品に込められた作曲意図をより深く理解してもらえると思うからです。っわたしの場合、作品をとうして何かを感じてもらう、または理解しもらうという心の叫びがあるからです。

金色堂追想

2018年11月27日 | Weblog
金色堂追想

駅 から 北へ歩くと20分から30分かかる。

自転車に乗らずに歩いた。できるだけだけ当時の様子に近い代態様が望ましいと思ったから。
御所跡は今は水田

小高い丘にのぼると柳御所のあたリが一望できた。同じ血を分ける兄弟であリながら、

又平家追討では兄頼朝の為に多大の貢献をしながら、最後はここ奥州で殺されるとは何という運命の皮肉か。
人間は一歩間違えれば死に至る。
すベて恐ろしい運命を持ってる。そんなことを考えながら眺めるともなく眺めていた。

歴史の流れらら見てみると確かに頼朝のほうが先見性がある。

後白河や取り巻きの貴族なんて信用はできないし、義経のやっていることは貴族政治に従属した考え方である。
確かに頼朝第一の家来梶原との確執もあるようだが、それは歴史の流れについての判断の理解の仕方によるというよりは、感情的な対立のほうが大きいと思う。

義経の言い分もわからいではないが彼の考え方は歴史の新しいページを開くものではなくて、従来の貴族政治の下での政治体制の維持、すなわち現体制の維持が根底にある。

頼朝は違う。貴族政治から脱却して新しい武家政治を打ちたてようとしている。ここのところが両者の決定的な違いである。

人間には感情と理性があり、両者のバランスが必要である。

情の面においては義経に涙を寄せる人は多いことだろうが、歴史的にみるとやはり頼朝の決断の方が正しいようにおもえる。

いずれにせよ決定的な対立となり生死を分けたことは歴史上の出来事とはいえ
いつの時代においても日本人の涙を絞ることであろう。

まるで小説で悲劇のヒロインを描いたかのような義経の悲劇である。

ひょっとしたらこのストーリーは神が書いて、役割を演じたのが頼朝であり義経であり、その中心となった平家なのかもしれない。


覆堂は何百年かに移動するみたいである。僕が見たのは杉木立の方へちょっと段になっていた。

名所であるから連休とも重なって全国から大勢の観光客が来ていた。

とくに有名な金色同意は我も我もと押しかけるのでラッシュアワーの満員電車のように肩が触れやって堂内見物をするのが難しい状態であった。

そこで私はいったん金色堂の、入り口のそばにたたずんでいた。人の切れ目を待っていた。しかし人は切れ目なく続いて出たり入ったりしている。

少なくなることはあっても人が途切れるということがないので、私はあきらめ、堂内に入った。金色道内は管理人とおぼしき人がいてブースの中に坐っていた。

私はぼんやり須弥壇の方を眺めていたが、突然人波が途絶えた。

堂内には私を除いて誰もいない。そのとき私は体がまるで雷にでも打たれたかのようにジーンと音がして頭の髪の毛が逆立った。そこには誰もいない。管理人さえもいない。

存在するのは藤原3代のミイラと私しかいない。ぞぞっとという身ぶるいと
髪の毛が逆立ったのかわからない。恐怖にも似た不思議な体験である。

いったい何が起こったというのであろうか。強いてこじつけをするならば1000年余りの時を経て、この藤原三代の誰かの魂と、私の魂が感応現象を起こしたということではあるまいか。

そうとでも考えなければ私にはなぜそこいう現象が起きたのか説明がつかなかった。

確かに肉体は7、80年もたてばこの世から姿を消すが、魂は果して体の消滅とともに消滅するものであるのだろうか。その答えは誰も知らない。

気がついたときには再び大勢の人が身の回りにがやがや立ちさわいでいた。
夢のような不思議体験であった。

そのあとで何か変化が起こったかというとそれは何もない。





















88歳認知症運転者

2018年11月26日 | Weblog
88歳認知症運転者

認知症のために、閏間を運転するという怖いことをしらんから出来たのだろう。

小学生の児童が車に巻き込まれた。もちろん死亡事故である。

責任を問われた男は、88歳で認知症を患っていたらしい。

今自分が何処を走っているかも認知せず走っていたらしい。

被害者の父親は悔しさともっていきようのない怒りで、心中を察するに余りある。

大体88歳にもなって運転する感覚が僕には理解が出来ない。

おまけに認知症と来ている。周りの人も何とか出来なかったのか?

こんな車が走っていると思うと、恐ろしさが先だつ。

本人が車に乗る事情のあることは十分納得できるけど、事故を起こす確

率からすると80過ぎたら、余程のことが無い限り、免許返納が当然だと思う。

大家族制の崩壊

2018年11月25日 | Weblog
大家族制の崩壊

第一次産業の崩壊が大家族制の崩壊をもたらした原因である。
三世代同居はできなくなってきた。
地方では第1次産業(農業、林業、漁業など)が成り立たなくなった
従来の農業のあり方では生活が出来なくなってきたた。
少子高齢化や農業人口の減少特に主たる農業の担い手が高齢化してしまっている。

林業は50年ほどたてば伐採すべきだが、外国産の材木輸入によって売れなくなり
放置されたままである。

漁業は資源が減少しているし、地域で生活維持もままならない以上
後継者がいない、あるいは少ない、のは当然のことである

これらによるデメリットは昔から伝えられてた子孫への継承ができないということにある。
極端なことを言えば、野山は荒れ放題。一旦原野に戻るとサイド土地利用を考えた場合、とてつもない労力がいる。誰も振り向かない

日本が農業国から工業国に変貌したから仕様がない。ほかにも要因は考えられるが、結論的には大家族制は崩壊ないし崩壊しつつある
ことは事実である。気になることだ

おばあちゃん

2018年11月24日 | Weblog
おばあちゃん

おばあちゃんは僕が小学5年生の時に他界した。

おじいさんは僕が生まれる前に,父方母方どちらもなくなっていたので、おじいさんの味は知らない。

子供の頃おばあちゃんと二人で寝ていたから、よくしょんべたれをした。

父や母に見つかると怒られるが、おばあちゃんは怒りもせず、後始末をしてくれた。

今僕はおばあちゃんが死んだ年齢よりも、遙かに長生きして、孫の面倒を見る立場にある。

幸いなことに僕のような、しょんべたれは一人も居ない。

おばあちゃんは今頃何処に居るのだろうか。天国か地獄か。

毎日冥福を願ってお経を唱えているが、、、、

何が幸いするやら

2018年11月22日 | Weblog
何が幸いするやら

エスカレーターを駆け上ってフオームに着いた途端、電車は発車した。

畜生!!これで乗り換えに30分待たなきゃいけない。

いらいらして隣のホームを見ると、快速が5分遅れていると表示されている。

快速に乗ると、先ほど逃がした普通電車よりは早く着く。計算だと待たず

してバスに間に合う。

案の定バスの時間に間に合った。快速電車が5分遅れたために。

気がせいていたから、これは嬉しかった。

5分遅れたために僕は計画通りに行動できた。今日は幸いだった

これが逆で、到着が5分遅れたために、新幹線に乗り遅れたとなったら

胃の中が、怒りで真っ赤になっていたことだろう。

人生何がどう展開 するか分からない。

お釈迦様 へ

2018年11月21日 | Weblog
お釈迦様 へ

貴方はわたしに人生の生き方を教えてくれました。

わたしは貴方の知恵をかりて大過なくここまでやって来れました。

私は人生の何たるか、いまだに分かりかねています。

これから私はどこへ行くのか分かりませんが、今まで生きて来た事のお礼をしたいと思います。

ほんのささやかな気持ちですが、貴方から受けた御恩にたいし陰徳を積ませていただきたく思います。
私は今年貴方のおられた土地を巡り歩いて貴方を偲び貴方を心から称えたいと思います。

お釈迦さまはこの世を支配する原理の第一発見者だと申されました。

発見されたというからにはその原則をだれかが作ったのでしょうよ。

おそらく作った人を文字で表現するとなれば、神様あるいは絶対者ということになりましょう。

宇宙の現原則を創造された方、それを発見された方、いずれも超偉大な方で、

私は心から尊敬し崇め奉り、私のこの現世での生活が幸せなものになることを心から望みます

そのために、神の教え、お釈迦様の教えを最大限に身に着けてお諭に沿って生きたく存じます

神様、お釈迦様ありがとうございます。感謝です。この言葉しかありません

警官もよくやってくれるな

2018年11月20日 | Weblog
警官もよくやってくれるな 2-8

芦屋署の 慰労会での出来事

副所長を乗せて定員オーバー 2名

女性の股ぐらに手を突っ込んで身長比べをしたという。

手を突っ込んだ段階で明らかにセクハラ。常識があれば誰でも解る。

警察官も人の子か。と苦笑するか、許せんと眉をつり上げるか。

さあさ、どちらにするか?

学芸員はがん

2018年11月19日 | Weblog
学芸員はがん

山本幸三地方創生担当相(衆院福岡10区)は16日、大津市での講演後、

観光やインバウンド(訪日外国人)による地方創生に関する質疑で、

「一番のがんは文化学芸員だ。観光マインドが全く無く、一掃しないとだめ」と妄言。

学芸員と観光ガイド職員の区別も、つかない馬鹿大臣。

東大出とは驚いた。偏差値の高い未熟大人。よくあるパターンで世間の笑い者

偏差値が高いのはよいが、大人としての常識を身に着けていないというのは未熟大人としか言いようがない。

東大出にはこういうパターンの人が時たまいるが、人間としてバランスが取れないのは滑稽だ。

首にしたいのはお前だよ

前言を撤回し謝罪するのは、恥ずかしくナイかね


大臣がそんな低レベルの人物か。とっとと自分の首を切れ。

安倍内閣は箍がゆるんどるのか、不適任大臣が多すぎる。

だてらに

2018年11月19日 | Weblog
だてらに


今では死語になったが、昔は女だてらに言う形でよく使われていた。

女だてらに車を運転してとか、タバコを吸うとか、お酒を飲むとか、

まるでそれが1種の悪であるかのように使われていた。

女性が車を運転して、お酒を飲んで、タバコを吸って、何が悪い。

今では当然のことだ。女らしさは欲しいが、女だてらに、は欲しくない。


覚えられない

2018年11月17日 | Weblog

覚えられない

どうも近頃覚えることができなくなってきた。

すでに記憶されたものを言葉となって口から出て来ない。

これは大変もどかしいことだ。ついに面倒臭くなって、あれ、これ、それを連発する。

あれは頭の中では特定のものを指しているが、言葉にはならないのだ

60代まではこんな事はなかった。何ら不便を感じなかった。

思った事を代名詞で代用する事は稀だった。

日常使わないこともあるが、学生時代にはルモンドも読めたのに、今では

英字新聞を読むのに単語の意味を忘れているので読みづらい。

今ではルモンドは完全に異国の新聞になった。

年齢のせいばかりであるが、確かに努力することを怠り、精読する前に

読み飛ばして読んでいる。

やはり自戒が必要であると、自分に言い聞かせた。

9-23忘れられない恩師

2018年11月16日 | Weblog
忘れられない恩師

65年昔の担任の先生を思いだした。

先生は高校2年の時の僕の担任である。

家が貧しくて月謝が収められないので、ある日担任の先生に、

退学届を出した。

「お前は勉強ができるから,いけるところまで休め。

長欠と言うことにしておく」先生はそう言われた。

学校には月一回位しか行けなかったが、試験はできた方で

学年の中位の成績は取れた。それでやっと高校を卒業できた。

だから大学受験の資格を得ることができた。

最終学歴は大学卒となった。

思うに先生の計らいがなかったら、大卒の資格は取れていなかった。

あの温かい配慮があったからこそ、と思うと、今でも先生に足を向けて眠れない。

不幸なことに先生は交通事故にやられて命を落とされたと言う話を聞いた。

悔しいというか、残念というか、頑張って大卒の資格を得た僕の姿を

先生に見ていただいてほしかった。、恩返しするまでもなく、

この世を去られたこと。まことに残念に思う。師の恩は決して忘れられない