日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

専守防衛の最先端

2018年07月29日 | Weblog

専守防衛の最先端

敵がミサイルを発射する。その進行先を電波によって発射した地点近郊に逆戻りさせて爆発する。
撃った方は自分のミサイルによって自爆現象が起こる。

これぞ専守防衛の最先端である。

強烈な電波障害を発生させて。弾道の逆転をはかる。

こんな兵器の開発こそ我が国の 防衛戦略の一端であって欲しい

視聴回数100万回を超す

2018年07月29日 | Weblog
注目しているのは女性尺八奏者、辻本好美さん。

国際的に活躍する人だから100万回の視聴はあり得るのかもしれないが、

この数字はとてつもない数字である。

僕もうチューブに作品を載せているが1年かけて、100台がオチで1000回以上の

視聴回数をとるのは難しい。

そういう中で190万回も2,3年で稼ぐのだから、よほど彼女の作品が人気を得ているか、

人を魅了しているか、ということであろう。回数競争では点で話にならない。

NHKが力を入れているのもよくわかる。

考えて見ると現代はやりの西洋音楽を和楽器で勝負したところ、聴く人が新しい和楽器の魅力

を発見したのかもしれない。

やっと日が当たって飛び出す彼女の前途に栄光あれ。

オーム教団死刑執行について思う

2018年07月28日 | Weblog
これでオーム死刑囚は全員処刑された。13名の執行書サインした上川法務大臣は立派だと思う。

といっても着実に大臣の職を果たした似すぎない。大臣によってはサインしない人も居たが

大臣の職務放棄ではないか。逃げる大臣は卑怯である。

憎んでも憎みきれないのが首謀者麻原である。こいつのために若くて有能な人材が

殺人マシーンに利用された悔しさは悔やみきれないだろう。

ハルマゲドンやポアなど訳のわからない言葉を使っては信者をたぶらかして彼らを殺人鬼に

仕立て上げ、捜査が入ると、秘密部屋に逃げ込む。言葉では表現できないような

卑劣きわまりない人格の持ち主に、ついて行った若者も、同類だったのであろうか。

理解できないのは、こんな殺人集団に信仰と称して入信してくる人が居ると言うことだ。

殺人指導者をあがめるという理屈はどういうところから生まれるのか。

健全な常識の持ち主からすると理解を超えている。

変な宗教は人生を狂わせるから気をつけなくてはいけない。

こういう邪教に対して仏教界が何故 糾弾をしなかったのか。

だから信仰離れが起きるのではないか。




暑かった

2018年07月26日 | Weblog
インドで一番熱い経験をしたのはナーランダ遺跡であった。

気温計は42°を指していた。ペットボトルから水をいっぱい飲むとそれが直ちに皮膚から汗となって吹き出した。

半袖で露出した腕からは汗粒が吹き出してくる。

この時ほど木陰が頼もしい存在であると思ったことはなかった

このクソ暑いのにどうしてインド人は長袖を着ているのか

となかば軽蔑したような思いでいたがそれがいかに非現実的なことがよくわかった。

現地の人が長袖を着るにはちゃんと正当な理由があるのだ、

日本の気候に慣れひさしんだ人だったら多分半袖だという気持ちになるだろうがそれはそうではなかった。

野蛮だなあと思ったインド人が急に頭越しに自分よりも、偉く

く思えた。

今年の夏は41点1度が最高みたいであるがこの間に熱中症で何百人もの人が亡くなっている。

日本もこの調子だと今年の夏に、42°を体感するかもしれない。


7月豪雨

2018年07月23日 | Weblog
7月豪雨。被災者はお気の毒で見ていられない。その上にこの暑さ。天は一体どこまで痛みつけるのか。

酷暑のなか、多くのボランチアが駆けつけている。35度の暑さのしたで黙々と泥かきをしている

尊いというより拝みたくなる光景だ。多くの人が篤志でやってくる。

困っている人をほおっておけない。うつくしい人間愛だ。僕は

体こそ傍観しているが心では被災者にもボランチアにもその心情に、いつも共感している。

この世は美しい..人の心は甘美である。

2018年07月22日 | Weblog


この世は美しい..人の心は甘美である。釈迦の言葉より

一体何が美しいのか。どれが美しいのか

人の心は甘美である。これはどのへんのことをさして言ってるのか。

言葉尻はわかっても、真実の中身はわからない。

理解が出来てないから、そですね、とはいえない。

もちろん、こと場だけをとりあげて理解しようとするから難しいのであって文脈の流れから

読み取ることは出来るのかもしれないが。、、、仏典は難しい

暑さが堪える

2018年07月19日 | Weblog
今年が特別暑いのか、それともこれがこの季節の暑さなのか、何せ暑すぎる。

冷房をかけて、今まで演奏したコンサートの録画を楽しんだ。あの世へ行くときに持って行け

るものは、思い出だけであると誰かが言っていたが、そうだとすれば作品一つひとつのおもい

でが持って行けるかもしれない。今まで作った作品こそが大きなお土産になる。

暑さのせいでこんなことを考えるのかな。

dNSサーバが使用できません

2018年07月19日 | Weblog
dNSサーバが使用できません。ということでずっとインターネットにつながらなかった。

無欠勤を目標にしていたのでがっかりする。インターネットにつながらないから、ブログには

つながらない。

つなぐ順序を変えた見たらつながったので、隙間を狙って掲載した。これは臨時の処置で

次の瞬間もうつながらないかもしれない。

電気ものによわいのでほんとに困る。

勇気有る発言5-61

2018年07月11日 | Weblog
勇気有る発言

昭和天皇に戦争責任あり、と発言した長崎の市長を右翼がピストルで狙撃した。
幸いにも、弾は心臓に命中せず、肺を突き破ったが、出血程度ですんだ。致命傷とはならず、重傷ですんだ。ラッキーである。犯人は右翼団体に所属する40歳の男である。犯行を決行してから、市内のホテルにいるところを逮捕された。

市長はいう。
自分も戦争に参加した経験からして、そしてまた、友人が戦争によって悲惨な最期を遂げたのを知っている人間として、今時の戦争の責任は、当時の最高権力者であったところの昭和天皇にあると思う。
私は自分の信念を披瀝したまでだ。だからどうしようというつもりはないが、私のこの意見に反対だからと言って、脅迫や暴力を背景にして、主張を曲げたり、取り消したりするように要求されても、信念や主張を曲げようとは思わない。
ピストルで撃たれて重傷を負ったが、幸いにも、弾丸はそれて、致命傷にはならずにすんだ。撃たれた瞬間を思い返してみると、神から与えられた人間の使命、困っている人や、苦しんでいる人に、どのくらいのことができたかなあと反省し、神の教えに背いたことに許しを求める祈りがわき起こってきた。
喜んで死ねるかな、密かに考えたこともあったが、今回の事件に関し、助かった私を支えて下さった皆さんに心から感謝したい。

右翼の言い分
殺されたくなかったら菊のタブーをを破るなよ。わしらは真実、天皇は神聖にして犯すべからず、と信じているし、そうすることによって生活の道も成り立っているんじゃ。言論の自由じゃ、民主主義じゃ、そんなことごちゃごちゃいうやつには鉄槌くわせるのは、わしらの考えでは当然じゃ。それも天皇様が死ぬか生きるかという重大な岐路に立って病と戦っておられるというときにじゃ。
わしらにしたら、こうすることが当然じゃからピストルで撃ったまでで、何のやましいこともしていない。自分の信念に忠実に従っただけの話して、筋道がとおっとる。単純と言われようと、なんと言われようと、そんなこと関係はないよ。

一般世論
民主主義の世の中で、暴力によって反対意見を封殺するとは言語道断。
これは市長一人に対する挑戦というよりは、民主主義社会、言論の自由に対する重大な挑戦である。市長の1日も早い回復を願うと同時に、二度とこのようなことが行われないよう、厳重に処罰してほしい。
それにしても、市長のあの発言は勇気のいる発言で称賛に値する。
幸いにして、命は助かり、一カ月ほどの入院で元通りに回復できるというのは喜ばしいことだ。
こういう論調の意見が国内はもとより世界から寄せられた。

私の意見
5.15事件も、血盟団事件も、2,26事件も、今回の長崎市長狙撃事件も、その他このような同種の事件は、防ぎようがないから発生するのである。
なぜか。?
甲といえば乙だという正反対のことを唱える人がいて、自分の主張を通すためには、反対の立場にある人を脅迫によって、あるいは暴力で傷をつけることや、その人そのものを殺すことによって主張や信念を曲げさせたり、撤回させたりする狂信者がこの世にいるからだ。
 こういう連中に、言葉は通じない。民主主義とは何か、政治とは何か、という議論をしても所詮はかみ合わないからむなしい。言葉の限界を超える以前に彼は暴力という実力行使に訴えるから、話にならない。そんな話にならない連中を念頭において発言をしないと、今回のように不幸な出来事に遭遇することになる。
かといって、いつもこういうことに、ひっかかって、臆病になっていても政治家はつまらない。歯切れは多少悪くなっても、旗幟はあいまいの方がよい。信念を一つ一つ口に出すと賛成、反対が渦巻くから口には出さずに、行為で示した方がよいと思う   

TVニュースと言えば

2018年07月10日 | Weblog
何も考えないでそれが当たり前のように受け流していたが、

TVニュースと言えば、事故、事件、催芽などマイナス感情の者がほとんどである。

ニュースしか見ないので、画面からプラス感情を取り入れることはほとんどない。

毎日毎日マイナス感情ばかり取り入れていていいんだろうか。

しかしニュースと言えばマイナス感情を伴う報道しかない。

心の底から温まるようなニュースって滅多にない。事件や事故の報道のない日はハッピイな日

であるにもかかわらず、物足りない感じがする。どういうメカニズムこうなるのか???

わからない。

天災とは言いたくないが

2018年07月08日 | Weblog

天災というのもお気の毒で、慰めの言葉もない。

科学の進歩によって、昔の人の手の施しようがなかった部分も

救いの手とはなってはいるが、今回の大雨ではまだまだ救いの手

の届かない所が多い。

水没した家、車、田んぼや畑。被害は甚大である。

どのようにして再建していくのであろうか。自分に置き換えてみると

ただ呆然と立ち尽くすだけで、前へ進む気力も、実力も、意欲も失せている 。
今すぐには立ち上がれない。一面水ばかりで所々に、屋根が散見

される様子を見ると、気が萎えて立ち上がれない。

水面を見ては途方に暮れている。

天を恨むしかない。

7名死刑

2018年07月06日 | Weblog
恣意的に他人の命を奪った者は自分の命で償いをするのは当然である。

7名の死刑が行われたが、当然の責任をとったまでの話だ。何の感慨もない。

平和な市民生活に甚大な被害を与えたのだから当然の報いだ。信賞必罰がなくなれば

治安は保たれない。大勢の市民が悲惨な目に遭う。それが許されるのか。

死刑廃止を叫ぶ弁護士も居るが、被害者感情をどのようにとられているのか。真の意味の人権

が理解できているのだろうか。

人食いオオカミが現れたらどう始末をつけるのか。対策は駆除しかないはず。

野獣のような人間には駆除以外に取り除く方法はない。

ここで言っておきたいのは、死刑と無期刑の違いである。死刑は命を奪われる

無期刑は生きていくことを保証される。死ぬか、生きているか。両者には天地の差がある

無期と言っても模範囚にでも成れば10年あまりで仮釈放される可能性もある。それは被害者

や遺族にとって残念な思いを倍増させるだけだ。それが社会正義の観点から許されるのか。

かって死刑になった極悪人は出所してからまた殺人をした。

なぜ最初に死刑にしてやらなかったのか。本人も3人の人を殺さずにすんだのに。

いかなる理由があろうとも恣意殺人は許されない。これはぜったに譲ることの出来ない鉄則だ

人間社会でこれを守ることが出来ない人間は、どんどん処分すべし。慈悲や情け無用。

それ以前の問題だ。

作曲家猪俣公章

2018年07月05日 | Weblog
猪俣さんの本を図書館から借りてきて読んだ。

共通する思いはあるが、生き方が全く違う。

飲む打つ買うの中で、うたなかったそうだが、そのほかは生き方が豪快だ。

飲めないし買えないところは正反対だ。金がない。才能がない。根性がない。

僕からするとあれじゃ体が持たないと尾っぽを舞いて逃げる。

常々彼は頭の良い人だなと思っていたが、開成高校出身と聞いて納得できた。

人さんのことだからとやかく言うつもりはないが、あれじゃ自分で自分の命をちじめて

居るようなものだと思った。享年55
歳。僕は体をいたわりすぎて元気に生きている

サッカー

2018年07月04日 | Weblog
素人で門外漢ではあるが、見場はわるいけど、時間稼ぎに回ったのは良かった。

なぜなら何があってもこの試合には勝たなければ次に進めないからである。

監督の選択は立派だと思った。

ぶざまな試合の模様を見て観客がブーイングするのもよくわかる。

確かに監督に批判も出た。それを乗り越えて点を稼いだ監督の選んだ戦法には敬意を表する。

狙い通りベルギー戦にすすんだが、悪魔のどんでん返しをくらって敗退することになった。

それでも個人的には悔しさを乗り越えて、これで良かったと納得した。

いじめ

2018年07月03日 | Weblog
昨年5月に自殺した兵庫県多可町の小学5年の女子児童=当時(10)=は、いじめに苦しんでいることに、いくつかのサインを出していた。第三者委員会は、女児が「いびつな社会関係」の女子グループで仲間外れや蹴られるなど継続的な心身の嫌がらせを受けていたにもかかわらず、学校はSOSを見逃し、積極的な関与ができなかったと問題視。自殺の予見は難しかったとしながら、組織的な対応の重要性を強調した。(神戸新聞NEXT)

思うに学校も第三者委員会も生徒の自殺とは切り離された存在である。学校の過ちを調査し追求したところで一体何の意味があるのだろうか。

これほどばかげたやくたたずのそしきがまっこと必要か。原因を調べて何をするというのだ

何が出来るというのだ。今までは要するに教育現場はしっかりしろ強いて言えば責任者がわるいその程度の結論しか出ていない。一般論としてこれ以外の言い様はないだろう。

自殺した生徒は死にたくなかったのだ。全力で救わねばならない。それはいじめをつぶすことだ。つぶすことが学校で出来るのか。現実は不可能だろう。とすれば別なことを考えないとしかたがないのではないか。どうしてそこへ重点が移っていかないのか。何十人もの自殺生徒を出してまだ気がつかないで訳のわからない第三者委員会を盾にしている。
いじめは本能の一部だから決してなくなることはないことを銘記すべきである