日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

交通事故死

2018年12月30日 | Weblog
交通事故死

新聞報道によると、2018年12月27日現在で事故による死者は3476人。だそうな。

1970年が過去最高で16065人

 80年代には再び増加、96年に1万人を下回り、現在は3476人にまで減少した。

1970年代の死者は日清戦争による死者13309人を上回っていた

まさに交通戦争である。

自動車の性能が向上し、同時に道路事情も改善されて今の数字まで減った。

やれば出来るのだ。

これが全自動運転に成ってどのくらい事故死がなくなるだろうか、

AIを使って事故の絶滅を期待したい。

出会い系サイト9-17

2018年12月28日 | Weblog
近頃の出会い系サイトにはどんなことが書かれているのかと思って、無料サイトをのぞき見した。
出会い系サイトは詐欺集団の塊だと聞いていたので、如何に罠にはまらないか、細心の注意を

払わなければならない。書かれたお誘い文書の文言は一字一句、ソノ裏に何が隠されているのか、

読み解きながら独りよがりの注意点を書いた表を作り、記録しておいた。

帰着するところ、要は若さを武器にして女は自分の体をいかに高く売りつけるかというのが一つのポイントである。これは当たり前の話であるが、業者はそこにつけ込む。

客を装って何十人かの20代前半の女性にちょっかいをかけてみた。まあそれはそれは巧みな言葉で男心をひきつけるような文言が並べてあることか。本人が書いたのか、業者の作文か。

初めからよほど疑ってかからないと、罠にはまってしまう。

母体数は大きいからやりとりした人数はしれているが、結論的にいうと相場はホ別2と書いて

ある。日常語に翻訳すると、ホテル代は別で2万払って欲しいと言うことだ。それにおまけをつけた連中も居る。

曰くこの二万円は初回のみでその後は2~3000円でいいよとか、無料でいいよと書いてある。これも男をつる文言だろう。そんなこといった覚えはないとしらを切ることが裏面にある

ここの文言はよく見かけるから、通り相場なのだろう。

なかなかおいしい話をくっつけてトンボつりならぬ男つりをやっている。

そういえば子供の頃にやったあそびの1つ。トンボつりのトンボの代わりに女性が出てきて、

棒にくくりつけた糸の役割はサイトの業者がやっている。

男は糸にくくりつけたトンボをぐるぐる回して雄を呼ぶ雌トンボに、吸い寄せられているのだろう

男、女、業者それぞれが入り乱れて、知恵合戦をやっている。なかなか面白い。

出会い系サイトは大人の知恵比べ、ゲームと考えると子供たちが良くやっているゲームと

基本構造は似たようなものである。以上のような、まえ知識をもって。

そこのにーちゃん。一回やってみな。ぉもろいぜ。ただし間違っても詐欺には引っかかるなよ。

自己分析と評価

2018年12月27日 | Weblog
自己分析と評価

視聴回数が400を超えたものが74曲の中に 12曲ある。
1,演歌系 曲名 視聴回数
1,玄海男船      1731
2,岸和田だんじり祭    605
3,越前竹人形    509
4,金沢旅情     503
5,白浜の宿    460
6,雨の長崎         446
2, 歌謡曲系
1,恋衣   1038
2,ワットアルン   645
3,滋賀のさざ波    566
4,春の妖精    521
3,宗教曲
1,聖徳太子讃歌 (動画)  741
     2,延命十句観音経   411
評価
1,演歌系 
王道・本流演歌は日本人の心情にぴったりなんだろう。
 聴衆も作者の僕も心情は心に染みついた演歌なのだろう
自然なことだと思う。クラシック系の僕が言うのも変だが、、、。

2,歌謡曲系 
近頃滅多に耳にしない作品つまり新曲で、編曲の妙味や英語詩、ヂュエットの美しさが受けたのだろう

3,宗教曲系
 受けるはずがないと思っていたから意外だった。プロの声楽家の声の響きの美しさや、
合唱団の動画だったから受けたのかもしれない.歌は聴覚だけでなく視覚も大切だ。

結論 日本人の心情には演歌が似合う。これからも演歌を作ろう


悲しい話だ

2018年12月27日 | Weblog
悲しい話だ。

最近火事が起きると、必ずと言って良いほど、焼死者がでる。

身障者だから逃げられなかったと言うこともあるだろうが、

日頃からそれなりの対策をしておくことが出来なかったのだろうか

特に目立つのは高齢者である。

、何か対策はとれないものだろうか、

たとえば炊事場の防火対策、暖房器具の安全なものを使う。火の周りには可燃物を置かない

などちょっとした気配りで、難をのがれられないものだろうか。

近頃マスコミで火事報道がされるときは、焼死者は居ないか、そんな先回りをすることもある

アメリカの大統領のやり方

2018年12月25日 | Weblog
僕みたいな人間からみても、アメリカの大統領のやり方はおかしい。

あれほど政権の高官の入れ替えは尋常ではない。僕の常識からは完全にはずれている。

だから悪いというわけではないのだが、今日の株の急落はおそらく世界の大半の人がアメリカ

の指導力に不安を感じている証拠ではないか。

急落でソンをした人はおこっているだろうな、、、、

アンコールワットのデバターは5-57

2018年12月25日 | Weblog
アンコールワットのデバターは、背丈が1メーターくらいの女神像である。
実在の女官がモデルだったらしい。

女は彫像として残った。男は彫像としては何もの
こらなかった。彫刻師である職人たちはたくましく生きて、あっさり去っていった。

回廊や楼門の壁などに、残されたのはおびただしい数のデバター像である。
ガイドブックにはプノンバケンと書いてあるが現地の人はプノンバカイという。ぼく
にはそう聞こえた。

アンコールワットの前の道をバイタクで五分も走れば道の左側に小高い丘が現れる。
それがこの地方の3聖山の 1つ、プノンバカイなのである。

夕日がきれいだという評判で、大勢の人がこの丘に上って、遥かかなたに沈む夕日の
美しさを見ようと待ち構えているのだ。

ところがこの日は、あいにく、雲がかかり美しいはずのサンセットはついに、見えず
仕舞だった。丘の上は宮殿か寺院の跡らしく、石造りの遺構が残っていた。

さあ帰ろう。僕はこれを見納めとばかりに遺構を1周して帰り道に着いた。なんと
言っても今日見学した中ではアンコールワットは圧巻であった。女神であるデバター
の数が多いこと。

数ある中には見るデバターあり触るデバターあり祈るものありで
ちょうこくに詳しくない僕にとっては所詮女にしか見えない。女なら見るより触る方
がいいに決まっている。何とかが顔を出し始める。

女性を見るというのであれば、ます顔である。それからボデー・ラインや色の白さな
どに目を向けるだろう。ところが触るとなれば、まず男は(女でもよい)女の体のど
こをさわるか。

それは多分乳房が焦点になろう。なぜであろうか。乳房すべての命を
はぐくむ母性の象徴だからである。

三体のデバターの合計、六つのオッパイは黒光りしている。誰かが、先鞭を付けその
後をみんなで、なぞっているのである。

どこの国でも男ならやっぱり触るところは同じか。僕はそう思った。あたりをさっと見渡したが誰もいない。これを幸いに僕もしっかり触った。

熱帯の太陽に間接的に、てらされてほの温かい。しかし直射日光でないのでやはり石
の冷たさは、残る。

ところが不思議なことに彫像であるにもかかわらずこの女神の、乳房が人の肌の、よ
うに温かく感じられる。変だなあと思っていたらデバターの顔が、真理の顔と二重写
しになっている。

ええっ? ぼくは驚いて、しっかり気を入れて見つめると間違いなく真理の顔だ。真
理の微笑が、そのまま目の前にある。

そして、僕の右手は柔らかい乳房を愛撫している。彼女はじっと、ぼくのなすがまま
に身をゆだねているし、息遣いが伝わってくる。乳房に、触れた手には脈拍が伝わっ
てくる。確かに、人肌のぬくもりである。僕はしばらく目をつぶって彼女の体の感触
を味わった。

人の声がしたので、はっとして、現実世界から遠のいていた意識を取り戻して目を開
けてみると、真理はもうそこにはいなかった。 一重の像が二重になりまた一重に
なった。

じっと見つめていると、真理の体は飛天のようにデバターから離れていった。そしてそこに残ったのは紛れもなくアンコールワットの数あるデバターの姿だけだった。

でも、触れている乳房は、生温かい。 おお これはこれは。
僕はやっと正気に戻った。アンコールワットのデバターは彼女そのものだったので
ある。



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マニラ空港にて9-56

2018年12月24日 | Weblog
     マニラ空港にて          

(1) 
トランジットのために、はじめてフイリッピンの土地に踏んだ。空港内には土産品の免税店があるが、何もほしいものはない。
 トイレには行っても行かなくても良いという感じだったが、念のためと思って行ったら満員だったからロビー内を1周してから再びに行った。今度はすいていて、職員とおぼしい青年が2人いた。
 用を足して手洗いに行くと青年が手招きして、蛇口をひねってくれた。なかなか親切な所もあるものだと思い、ありがとうと言って出ようとしたら、呼び止められて、マネーと言われた。1瞬何の事やら分からず、キョトンとしていたらマネーと催促された。やっと意味が飲み込めた。私は蛇口をひねるだけで料金を取るなんて、せこ過ぎると思いながらも財布を取り出した。しかも2人がかりで、と言うよりは1人が蛇口をひねり、もう1人が金を受け取るシステムになっているような感じがした。苦々しく思いながらも私は財布から金を取り出した。運悪くバーツはない。日本円でしかも1000円札しかない。それを渋々彼に渡した。
ュ    
(2)
どう考えてもペテンである。トイレを出てからむかむかした。こんな輩が空港職員か。こういうインチキをしていると誰も来なくなるぞ。私は心の中で叫んだがそれは犬の遠吠えにも似て、怒り狂う感情の吐露には程遠い。この場に居るとむかむかするので足早に立ち去ることにした。金持ちケンカせずか。腹立ちが収まりかけると苦笑いとなった
         

(3)
あんな汚らしいベッドでわずか200バーツで身を売っている娘に倍の400バーツ上げてもちっとも惜しくはないが、善意と見せかけて、金を要求する雲助まがいの奴らに強制的に金を巻き上げられるのはどうしても納得できない。いや何よりも腹立たしい。私は真剣に怒った。この空港の雲助よ。お前たちがしていることの意味をよく考えてみよ。お前たちの貧しい行いが1層我が身を貧しくすることになるということに気がついていないのか。心ない一握りの人間がする行為でもその国全体のイメージをどれほど悪くしているか。早い話が私はフイリッピンにこようとは思わない。まずくることはないだろう。私は一人ごち ヤた。腹の虫が収まらない私は、ある日、友達に話してみた。
         

(4)
 「こんなことはよくある話じゃないか。お前の気がたるんで居た証拠だよ。貧しいとこんなことでもして金を巻き上げるものなんだよ。つまり日本人は日本の感覚でものを計り考えるが広い世界にはいろいろの価値観があってね。例えば金持ちから金をもらうことは当然だと考えて居る奴はいくらもいるさ。

たとえその手段が良かろうと悪かろうとそんなことは問題じゃなくて。良い奴も居るが悪い奴も居る。それが人間社会というもので、どこだって同じだよ。わずか1000円で良い経験をしたじゃないか。これは授業料だよ。要はお前の注意力が足りなかっただけのことさ。

例えわずかな労力でも私はあんたの為に水道の蛇口をひねって上げたではないか。これは立派なサービスだ。その代価として金を要求してもなんらおかしいことはない。いやならそう言えばいいじゃないか。俺たちは当然の事をして金を要求して受け取ったまでのことだ。

多分彼らはそう言うだろう。身勝手な理屈ではあるが、彼らの言い分はこんなところだろう。」 ・
         
(5)
友人の見方はそれなりに理解できない訳はないが釈然としない。頭では解っていても感情がついて行かないのだ。それにしてもだ。日本だけが通用するルールではなくて人類に共通して通用する普遍の法則がある筈である。

私は特別日本人を意識して日本人のルールにしがみついている訳ではないのだが。私に言わせれば日本人は金持ちだから吹っかけたっていいとか金持ちから巻き上げてやれというのは納得がいかないてんである。金銭の授受というのはそれ相応の理由があある時になされるものであるからだ。

そしてそれにはそれにふさわしい物やサービスがあったときに金銭は支払われるというのが1番自然ではないか。どんな理屈があろうとも私は今回の件には納得しない。

何故なら彼らのしたことには私を納得させるだけの根拠が無いからだ。要するに私はフィリピンには行かない、行きたくない。それだけだ。


いろいろ思うところはことはあるが、私はやはりフイリッピンに行こうとは思わない。
思い出すと今でもむしゃくしゃするから。
                  完

  キリングフイールド 5-65

2018年12月23日 | Weblog
         
             キリングフイールド
         

 カンボジャの首都、プノンペン市内にある国立競技場のそばを、バイクタクシーで通り抜け、しばらく走ると人通りはまばらになり、田舎道にでた。

田舎道は舗装がされて無く、昨日降った雨のためにどろんこにぬかっていた。バイクの後ろ座席に跨り、でこぼこ道を十分ばかり走ると、道の両側に家が有り、家の前には店が出ていた。

店といっても小屋に商品が並べてある程度で、都会の店の感覚ではこれが店かと思ってしまう。市街を抜けて村につくのには一五分くらいかかった。その間、対向する車もなく走ったから危険は感じなかった。 

T字を左に回り、ものの五分も走らないうちに門の前についた。それは門というよりは鉄柵といったほうがふさわしい。鉄の棒を組み合わせてつくった柵の前には門番兼入場者記録係がいて、僕は窓口に置かれているノートに自分のことを記帳して2ドル払った。 

目の前に有る建物は四方ががガラス張りになっていてそのガラスを通して頭蓋骨がこちらを向いている。

縦横同じくらいの長さ、たぶん7、8メーター高さが10メーターくらいの建物は中が幾層にも分かれていて、各層ごとに髑髏が四方八方に目をむいている。

僕は生まれて初めての経験でじっと見つめることも、面と向かい合うこともできなかった。それは数が多いからではなく、このようにして死んでいった同胞(僕の心の中では世界のあらゆる所に住む、いま生きている人を国が違うということで線引きはしない)の無念の悲しみの大きさに、身のすくむ想いがしたのである。

僕はいまにも落ちそうな涙を堪えながら、声もなく後ろ手にしてその御堂をぐるりと回った。しばらくたたずんでいると、韓国人らしい一団がどやどやと入ってきた。

威勢良く入ってきた彼らも急に言葉を失い、黙って御堂の回りを歩いていたが、そのうちの一人が机の前においてあった花火のような線香に火をつけて供えた。

それを見た僕は我に返り、同じく線香を供え賽銭箱とおぼしき箱に500リエル札一枚をこそっといれた。僕はその場に立ったままでお経を唱えた。仏教国カンボジャの同胞のために。いや、為に祈ったのではない。祈らないではいられない衝動に駆られてお経を唱えたのだ。
 

内戦だから仕方がないというのは大雑把すぎる。確かに戦争だから殺しあう事があっても不思議ではない。しかしそれは戦闘員においての話である。無差別に(ポルポトの場合は知識人とそうでない人をより分けてインテリ層を中心に虐殺したという)殺してどんな正当性を主張できるのか。

正確な数字は分からないが、全人口が八百万人とか九百万人とか言われる中で、百万人単位という数字は大きすぎる。
しかもそれが知識層中心に殺されたとなると戦後復興の力は大きく削がれる事になる。



 戦争によって荒廃した国土を立て直すとき、頭脳が最も必要であるのに、その部分が消えてなくなっているとすると、カンボジャは何を頼りに元の国力の回復を図るのか、他人事ながら気になった。
 
世界の歴史をひもといてみるとき、歴史とは戦争の歴史でもある。戦争の為にどれほど多くの人が命を失ったことか。
 
二十一世紀も近くなり人類はやっとそのことに気づき始めているか、それでも地域紛争は絶えない。ボスニヤでも民族対立から多くの人が犠牲になり死んでいった。アフリカでも事情は同じことで、今なお死と直面した大量の難民が大きな問題となっている。
 
そして人々が武器を手にして戦う場合は必ず犠牲者が出る。人類がこうした蛮行を続けている限り悲劇は後を絶たない。それぞれに言い分があり対立する現実は分からないではないが、それを乗り越えないと弱者はいつも犠牲になる。そんなことを漠然と考えていた。
 ところがちょっと待て。今そんな悠長な事を考えている場合ではない。
 
僕の足下には虐殺の犠牲となった人が着ていたと思われる衣服が、半ば腐りかけて土からのぞいている。恐らくこの服の下には遺骨が埋まっているはずだ。

つまり僕は墓の上に立っているのだ。踏まないようにどちらかに避けなければならないのだ。こう思ったとき急に抑えがたい憤りに全身が包まれてしまった。
 
殺せ。罪のない人を死に追いやった奴は殺せ。それが人が生きて行く上での、世の中のルールである。罪のない人を殺したものが責任を問われる事なく、のうのうと生きている社会は無法社会である。

無法社会には正義もなければ人権もない。それは人類が営々と積み重ねて来た血の滴る努力、人類が目指して来た方向に逆行する。歴史の針を逆に進める事、それは人類の進歩に対する挑戦である。

殺せ。この地上から抹殺する以外には放置できない。そしてそれが恨みを呑んで死んで行った人の恨みを晴らす方法でもある。異民族ならまだしも、よくもまあ同国人を何百万人も殺したものだ。

僕は全身がかたくなり、心臓がドキドキ早打ちしているのに気づいた。そして覗いている犠牲者
の衣服を避けながらそこへ、へたり込んでお経を唱えた。
 
今の僕は何が出来る訳でもない。あなた達の無念を晴らす事も出来なければ、身に覚えのないことで命を失った不条理にたいして何をしてあげられる事も出来ないが、ただ一つ祈ることだけは出来る。

罪なく地獄の苦しみを味わったあなた達の魂の苦しみを解き放つ事を神や仏に祈り、そのお力で魂を極楽へ誘ってもらうことによってどうか安らかに眠り給え、

僕は心のなかでそう叫んだ。
 
カンボジャ。それは日本からは遥かかなたの遠い国である。距離もさることながら、日本人にとっては関心のない国である。歴史的にもたいしたつながりも無ければ、現在経済交流が盛んでもない。

なじみの薄いのも当たり前だ。日本人に知名度が有るのはアンコールワットの遺跡くらいのものである。しかしだ。いまキリングフイールドの現場に立ってみて僕が思うには、1996年7月にこの地上に生きているかどうか、それが問題なのであって、国の別は問題では無い。

カンボジャ人であろうと、日本人であろうと皆同胞なのである。そう思うから余計に心に引っ掛かってくる。僕はこの地上に存在する命は共生、とも生きで無くてはならぬという哲学を持っている。
そしてこの哲学は神が人間に与えた最大の哲学だと確信しているので、神の御意に反した事をした人間は生存は許されないと思う。そういう観点からこの虐殺は許すことが出来ないのである。

 先程から振り出した雨は、小雨から本降りに変わった。御堂で雨宿りしながら、僕はカンボジャの国土復興よりは、犠牲になった人々に心奪われていた。というよりはここにある、しゃれこうべから放たれるパワーによって圧倒されていた。

二度と有ってはならないことだ。僕は何回も何回も呪文のようにそう唱えた。かくして僕のカンボジャの旅は晴れることが無かった。

アジアを方々回ってみて、それなりに得たものは多かったがこのような場面に遭遇する事は無かった。のどかな風景の田舎、活気あふれる都市を見て歩くのもよい。

しかしこの場所のように人類の悲惨な現場を直視する旅は歴史や人間を考えるという点では自分を肥やすためにはよいのでは無かろうか。

僕は心底そう思った。かくてカンボジャの旅は終わったが、僕の心にはいつもキリングフイールドが横たわっている。

かくてカンボジャの旅は晴れることのない旅だった。














アンコールワットノデバター 削除すること

2018年12月23日 | Weblog
アンコールワットのデバターは、背丈が1メーターくらいの女神像である。
実在の女官がモデルだったらしい。

女は彫像として残った。男は彫像としては何もの
こらなかった。彫刻師である職人たちはたくましく生きて、あっさり去っていった。

回廊や楼門の壁などに、残されたのはおびただしい数のデバター像である。
ガイドブックにはプノンバケンと書いてあるが現地の人はプノンバカイという。ぼく
にはそう聞こえた。

アンコールワットの前の道をバイタクで五分も走れば道の左側に小高い丘が現れる。
それがこの地方の3聖山の 1つ、プノンバカイなのである。

夕日がきれいだという評判で、大勢の人がこの丘に上って、遥かかなたに沈む夕日の
美しさを見ようと待ち構えているのだ。

ところがこの日は、あいにく、雲がかかり美しいはずのサンセットはついに、見えず
仕舞だった。丘の上は宮殿か寺院の跡らしく、石造りの遺構が残っていた。

さあ帰ろう。僕はこれを見納めとばかりに遺構を1周して帰り道に着いた。なんと
言っても今日見学した中ではアンコールワットは圧巻であった。女神であるデバター
の数が多いこと。

数ある中には見るデバターあり触るデバターあり祈るものありで
ちょうこくに詳しくない僕にとっては所詮女にしか見えない。女なら見るより触る方
がいいに決まっている。何とかが顔を出し始める。

女性を見るというのであれば、ます顔である。それからボデー・ラインや色の白さな
どに目を向けるだろう。ところが触るとなれば、まず男は(女でもよい)女の体のど
こをさわるか。

それは多分乳房が焦点になろう。なぜであろうか。乳房すべての命を
はぐくむ母性の象徴だからである。

三体のデバターの合計、六つのオッパイは黒光りしている。誰かが、先鞭を付けその
後をみんなで、なぞっているのである。

どこの国でも男ならやっぱり触るところは同じか。僕はそう思った。あたりをさっと見渡したが誰もいない。これを幸いに僕もしっかり触った。

熱帯の太陽に間接的に、てらされてほの温かい。しかし直射日光でないのでやはり石
の冷たさは、残る。

ところが不思議なことに彫像であるにもかかわらずこの女神の、乳房が人の肌の、よ
うに温かく感じられる。変だなあと思っていたらデバターの顔が、真理の顔と二重写
しになっている。

ええっ? ぼくは驚いて、しっかり気を入れて見つめると間違いなく真理の顔だ。真
理の微笑が、そのまま目の前にある。

そして、僕の右手は柔らかい乳房を愛撫している。彼女はじっと、ぼくのなすがまま
に身をゆだねているし、息遣いが伝わってくる。乳房に、触れた手には脈拍が伝わっ
てくる。確かに、人肌のぬくもりである。僕はしばらく目をつぶって彼女の体の感触
を味わった。

人の声がしたので、はっとして、現実世界から遠のいていた意識を取り戻して目を開
けてみると、真理はもうそこにはいなかった。 一重の像が二重になりまた一重に
なった。

じっと見つめていると、真理の体は飛天のようにデバターから離れていった。そしてそこに残ったのは紛れもなくアンコールワットの数あるデバターの姿だけだった。

でも、触れている乳房は、生温かい。 おお これはこれは。
僕はやっと正気に戻った。アンコールワットのデバターは真理子そのものだったので
ある。



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ゴーカン

2018年12月22日 | Weblog
ゴーカン

何事もなく、初めて海外旅行する女の子、2人をスリウオン通りのマノーラホテルに送り届けて、ほっとした。

昨夜の徹夜に加えて、今日はツアーコンダクター、ガイドをした。めったに出来ない経験だから積極的にかって出た。

それにしてもよく歩いたものぞ。30度を越す熱さの中で17000歩近くも歩いた

ので、さすがに疲れた。やっとの思いでゲストハウスにたどり着くと、

今朝がた出会った学生の質問ぜめにあった。

「おじさん、あの2人の女の子は何ですか。」

「ああ、あの子たちか。あれは俺の彼女だよ。」

「ウソ、おじさんは惚れているかも知れないが、2人は冷めていたよ。」

「そんなことどうして判る?」

「痩せた方の女が俺に流し目をしたよ」

「お前、しょってるな」

という会話から始まって、今朝方のゴーカンの話になった。ウソかまことか、そんな

ことどうでもよい。ゴーカンなどという穏やかでない言葉を男が使うとは穏やかでない。

男がゴーカンされたというからには、相手はきっと男に違いないと僕は思ったが、

念のため今朝がたの話に話題をむけた。

「お前、本当に男にゴーカンされたのか。俺もあちこち旅するが、男が

男にゴーカンされたという話は聞いたことがない。女がゴーカンされたという話はよく聞くがね。」

「いやいや、女にやられました。何人もの女にです。」

「それ本当?。そいつは面白い。」

蛙が蛇を飲み込んだ類いの話で面白い。僕は膝を乗り出した。

「実はベトナムと中国の国境の辺地で暗闇からいきなり手が出て来て、小屋に引

きずり込まれました。 灯火でみると30歳前後の女が6人ばかり居て、そのうちの

2人が俺を捕まえて裸にして、上に乗って来たのです。助けてと言ったがどうにも

ならず、2人まではこなしたが後の4人はとてもこなし切れなかった。」

「そりゃ面白い。金を払わなければならないのにタダとはお前ついているじゃないか。そんな話なら俺も1口乗りたいところだ。」

「おじさん、そこが違うんですよ。女どもはいうには、お前は私たち女を抱いたのだ

から金を払えというのです。押しかけ女房的に1方的に仕掛けておいて金を払えはないですよ。

これはゴーカンされたも同じですよ。確かに2人に対しては金を払ってもいいけ

れど連続で乗って来た女達には金なんかはらえませんし、払う必要はない。」

「それはそうだ。要するに相手の女達は君の体がほしかったのではなくて、金が

目的だったんだよ。何もしないで金を奪うと強盗になるから申し訳程度に女体を

すりよせて来たというのが真相ではないか。つまり強制買春をさせられたというこ

とだ。めったに出来ない経験をしたじゃないか。俺もお前のまねをしてみたいよ」

「それなら教えましょうか」

「何を」

「女の値段です」

「ホー、面白いね。教えてくれ」

「香港から入って中国、ラオス、ベトナム、カンボジャ、タイと回って来て日付と値段

表をきっちり作って来たから、それを見ながら教えます」

「そいつはありがたい。コピーできんのか」

「やめてくださいよ。そこまではしたくない。」

「判った。じゃ言ってくれ。ところでどこの女が一番よかったか」

「カンボジャですよ。70通りを北の方へ行ったら100メーターほど道の両側に

置屋があるんです。」

「へー、それは壮観だ。それで、」

「大体外人プライスは5$です。皆擦れてないからかわいいですよ。」

「そりゃそうだろうよ。日本は1960年代になり経済成長路線を突っ走るようになる

と韓国台湾と団体で海外旅行をしたものさ。僕みたいに1人でバックパッカーみ

たいなことは日本の男はやらないよ。僕はある目的があるから1人歩きしている

がこれでも結構孤独に耐えているんだよ。」

「1人旅か。実はこいつを先に帰して、後はそれ行けどんどんでマレー半島を下り

ます。お陰で4回生というのに就職はおろか卒業も難しい。こうなったらやけくそで、アジアの女を徹底的にやってやる。」

[そうか。それは自分で決めることだが面白い。人生は寄り道した方が味があって

面白い。早い話、君のような体験をした日本人はそんなに多くないはずだ。」

「ところでおじさん、バンコックの夜の部を教えてくれませんか。」

「せっかくの申し出だが、今日はガイドをして疲れているんだ、俺は。」

「そんなこと言わないで、お互いに男じゃないですか。弱音を吐いたら男がすたりますよ。」「

おだてられてるのかけなされているのかわからんけれど、ついて来い。」

ということで話は決まってバンコックの夜の部を案内することになった。宿に

帰ったら 門限ぎりぎりの時刻。今日は体も心もくたくたになった。

本当はそうなんだけど、強気を出して、今日は充実した1日、と日記には書いておこう。

若いということは本当によいことだ。羨ましい。つくづくそう思う。

確かに体は年齢とともに老化するが精神の若さはいくらでも若く保てる。

だからバックパッカーが出来るのだ。

旅に出ると普段見落としがちなものや事に案外気がつくし、また解放感も

手伝って大きく羽ばたける。それによって日常生活ではとても経験出来ないよう

な面白い事にも出会うし、いやなことにも出会うが、まったくいろいろなことがあって、やっぱり旅はいい。




夏の高野山

2018年12月21日 | Weblog
高野の町は西の大門から、東の奥の院まで歩いても、距離的にはしれている。こんな快適な日は木の香りのする山道を歩くのは、それだけで幸せである。

金剛峰寺の前の広い駐車場には今日も沢山の観光バスが停まっている。ということは大勢の観光客が全国津々浦々からこの山に登ってきた事の証拠である。

最初に書いたように真夏の暑さをもろに受ける都会や町などに住んでいる人が、観光を兼ねて、避暑に来るには高野山は、もってこいの場所である。

それはそれで良いのだけれど、せっかくここまで来たのなら、お大師さん(の生き方や、教え)を知ってほしいと思った。

昭和30年代以来、バブルがはじけるつい10年前まで、高度経済成長を支え、それに己を没頭させて、今定年を迎えつつある世代は、会社を退職すると、生き甲斐を見失う事が多いようだが、経済成長を突っ走る事にのみが人生ではないことにようやく、気付き始めている。

特に平成時代になって、経済的な不況が続き、将来の生活に不安がつきまとう時代になると、今まで自分たちのやってきた事が、果たして自分や家族を幸せにしたのかどうか、考えざるを得ない。今定年組は漠然とではあるが、そのような疑問を持っている。

 高野山は確かに、夏は涼しい。涼を求めるのもいいが、それだけだと下界に下ると、
人生は何も変わらないのではないか。単なる一時しのぎの時間を過ごしたにすぎない。


ここにこうして登ってきたのも何かのご縁によるものだと思いたいし、よい機会だ。
一生一度しかない人生だ。生きていて良かったと実感出来る人生を過ごしたいものだ。

それにはやはり自分の問題として、生き方を考える必要がある。経済不況にぶっつかって、漠然とではあるが、今までの生き方に疑問を持つ今が、チャンスである。

もう一度今ここで己の人生を見つめ直して、生き方なり、価値観なりを再点検してみたらどうだろう。お大師さんの教えについて考えるのに、一番ふさわしいのはやはりここ、高野山だ。

高野山は確かに、夏は涼しい。涼を求めるのもいいが、それだけだと下界に下ると、
またあくせくした日常生活に巻き込まれる。一時の快適さを味わうだけに終わってしまうではないか。人生は何も変わらないのではないか。また同じフレーズが頭を駆けめぐった。

余計なお節介だという声も聞こえそうだが、僕はこういうことを考えながら、杉の木立でひるなお暗い奧の院の参道を一人で歩いて行った。

余り多くの事を考えても、お大師さんの言われる実践が伴わなくなる。それでは意味がない。せっかくここまで来たのだから1つや2つは役立つことを学んで帰らなくては、
今回ぼくがお大師さんから学んだことは、
1,こだわるな
2,まず行動せよ。実践するから何かが判る訳で頭で考えていると本当の意味が分からない。物事の理解に限界がある。
3,生かされて生きているのだという事実
のほかに般若心経の’空’と言うことに付いて、もう少し勉強したかった。「空」はいつも意味がこんがらがって訳が分からなくなるのだ。「スカッと腹に収まるような理解をしたいので誰か教えてくれませんか。」そんな呼びかけをしたかった。

 夏に冬のことをいうのも変な話だが、冬の高野山の寒さは関西では格別のようである。寒いときには零下10度まで下がることだって珍しくはない。その中で人は修行する。

己の精神を見つめ、磨くのだ。恐らく生きる意味を問い直すことを経験するだろう。か言ってそれを自分がやるとなると僕は遠慮する。

そういう形で人生を見つめ直さなくともそれなりに生きていけるからだ。だがお大師さんは電気もない、ガスもない、灯油もない1200年も昔にここを住処とし、道場を開かれたのだ。修行の道場、精神を磨く場、だったのが今は観光と避暑の格好の地となっている。

これでいいのか。我々庶民はこのくらいのことしか出来ないのだ。だから僕はお大師さんを拝む対象にしているのだ。

こんな巨人と並べ比べようなんて、どだい無理な話である。距離は100億光年だけれど、智慧だけは借りたいものだと、虫のいいことを考えながら木洩れ日も少ない、夕暮れの奧の院の参道をバス停に向かって引き返した。

ネパール5-51

2018年12月20日 | Weblog
               ネパール行き  

 ネパール行きの目的は確たるものがなかった。

無目的ではなかったが、さりとて、なにかを目指して、というものは何もない。

確かにヒマラヤの山を見たいとは思ったが、行ったのが九月で、まだ雨季であるから、期待はしてなかった。

ただインドと比べると天国だという話はよく聞くので、それならば、という思いぐらいである



実際にカトマンヅに来てみて、確かにインドとは違う。だいいち、人情がネパールの方が日本人に近いような気がする。

インドで味わった、あのいやな思いがなく、ネパールの人とは気を許して付き合える。それにインドの、あの暑さはなく、風は限りなくさわやかで、やさしい。

やはりお釈迦様が生まれなさった国である。ルンビニは時間がなくて行く事は出来なかったけれども、ネパールはさわやかで、親切な人が多いような気がした。

インドでいやな思いをした時には、貧しいから人を騙したり、脅したり、嘘を平気でついたりするんだろうと思って、ある程度は仕方がないと自分なりに解釈をして、納得していたが、

ネパールへ来てみて、必ずしもそうではないということが分かった。

貧しさの点から言えばネパールの方が上であるから、インド以上のことがあっても良い筈だ。
しかしわずか1週間の滞在だったが、北東インドで味わった、あの不愉快さはたったの1回もなかった。

こんなによい人の集まった国でありながら、貧しいというのは何が原因しているのだろうか。
 
知恵がないのか、技術がないのか、教育がないのか、いろいろあろうけれども、自分なりの結論は工業国でないからだということであった。

農業や観光収入では、いつまでたっても豊かにならない。そんな事は百も承知はしていても、現実には何かが足りなかったり、社会がそこまで成熟していない上に、宗教上の禁忌などが重なって社会の発展のテンポを、遅々たるものにしているのだろう。 
 
やはり時間が必要という事なのだ。

仕方がない。大それた事を考えないで、自分の甲羅の大きさにあわせて、何か出来ることがあったらさせてもらおう。

僕がネパールへ来て考えたことはこの程度の事であった。

医学部の友人5-60

2018年12月19日 | Weblog
医学部の友人

医学部へ行った友人の会話がおもしろい。

一人は今目の前で苦しんでいる人を助けるために医者になるという。

もう一人は俺は目の前の患者を救うよりは、研究に没頭して千万人単位の人の病気を治したり、病気にかからないようなワクチンなどを開発するという。

「今目の前で苦しんで居る人を救うのが大切じゃないか。君の言うように何千万という人を病気から救うのは大切なことだが、それは理想であって生涯、研究だけで終わったら病人に対する貢献はほとんどないぜ。それより目の前の患者を救う方が充実感がありお役に立つことじゃないか」


「君の説には一理あるが、そんな医者ばかりだったら、医学の進歩は遅々たるもので、結果的には大勢の患者がくるしむことになりはしないか。医学の道といえどもお互いの方向は違うよね。」

僕だけ学部が違うので口出しはしなかった。

というのは二人の言い分はどちらも大切で片一方に賛成することは出来ない。

こうして僕はひとりぼっちにされた。それにしても医学部の奴らは考えることが違うね

そのときこそはじめてわかる。

2018年12月18日 | Weblog
そのときこそはじめてわかる。

闇の中に、そこだけ光が当たって、

千手観音は立っておられる。

だが、合掌の手から、微笑みはこぼれ、天空に流れて、

仮仏はただ、高く、天下の人々の世界を見下ろす。


本当かしら?本当かしら?どこまでいっても、本当かしら?

哀れよ。哀れよ。    どこまでいっても人間

慈悲と、猜疑の勝負 。観音様を泣いておられる。

だが、パッセンジャーは、パッセンジャー。皆、エトランゼ

そのときこそ はじめてわかるぞ。

その時、それは、黄泉の国への旅立ち、

結果を出すことが大切だ

2018年12月16日 | Weblog
結果を出すことが大切だ

物事というのは結果を出して初めて、成就するものである。

そのためには、まず考える。それを完成させるための
行動計画を練る。其の行動計画に基づいて実行する。
そして結果を出す。

考えることと、それを実行して結果を出すと言うことは、頭の作業では出来ない。
行動に移すことが大切だが、行動すれば、かならず所期の結果が得られるとは限らない。

だから考えることに始まって実行し、目的を果たすと言うことには、いくつもの山や谷がある。

それをうまくパスして、ようやく所期の目的に達するのだ。

こういうことを考えると、他人のことを批判することは 必ずしも、図星をつているとは限らない。

僕が評論家の言動に、賛成できないのはこの点にある。