日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

虐待

2011年08月31日 | Weblog
虐待

あれほど社会的にも問題になり、取り上げられても虐待は後を絶たない。
自分の思うとおりにならないからって、虐待を幼子に加えて良いものか。
虐待を加えるような親は、子供をもつ能力や資格や値打ちがないのだ。
だのに子供を作る。子供は作ればよいと言うものではない。子供は社会的存在として両親に養育や教育を委任されていると言う認識が必要である。子供手当のことを考えれば直ぐ判る。
我が子供だから虐待やいじめをしてもかまわないなんて、とんでもない間違った考えで、生まれ出た子供は社会全体で命を守り、養育・教育権を遵守して、日本国民の一員として社会の構成メンバーにするのが国家の責務だ。

今回また7才の子供が虐待死させられた。学校がそれを案じて児童相談所に通報したのに、結果的には児童相談所の怠慢で助けることが出来なかった。
担当責任者がTV会見で落ち度を認めたが、命の大切さにタイする感覚がまるで抜け落ちている。虐待から子供を守り命を救うことによって始めて、給料に見合う仕事をしたと言うことになる。今回のケースでは問答無用で懲戒処分があって当然だろう。それは公務員は身分が保障されているからクビにはならないという事にはならない。重大な過失の場合結果的には子供を見殺しにしたのだから、懲戒免職に値する。 市長は事実関係を詳しく調べて云々といっているが、こういう無責任は許されない事を、百罰一戒で示さないと、また悲劇が起こる。
熊本に始めて赤ちゃんポストが出来て、本来なら闇に葬られて、日の目を見ることのない命を救う施設を作ると言う哲学に心から尊敬の念を抱いた。
人間はいろいろな事情を抱えていて、腹の中に宿る生命をこの世に生み出せない場合がある。たいては簡単に中絶という恐ろしい殺人で命を処分しているが
本来的には医学上の理由であれば仕方がないと思うが、その他の理由、極端な場合は女か男かによって中絶することがあるという。こういう事は命の尊厳にタイする反逆だと思うので絶対反対である。生命に対するカルーイ思いは許してはならない。
そこで思うのだが、赤ちゃんポストが出来たときに、時の総理阿部氏は設置に反対した。と言うことは命を殺せと言うことになる。何と命の尊厳にタイする哲学のない人物がこの国のリーダーなんだと残念に思ったことがある。彼は反対の理由を述べていたが、彼の理屈は命の重さまでは届いていなかった。
「命の重さは地球よりも重い」と言って超法規的な措置をとった人もいたが、
単なる言い訳ではなくて、名実共に命を大切にする国にしなくてはならない。

本当の原発発電原価」を公表しない

2011年08月30日 | Weblog
本当の原発発電原価」を公表しない

経産省・電力業界の「詐術」
塩谷喜雄 Shioya Yoshio 科学ジャーナリスト
この国では、「安定した復興」とは元の黙阿弥のことを指すらしい。政治家たちの錯乱ぶりに隠れて、原発と電力の地域独占は何の検証も経ずに、今まで通りそっくり継続される気配が濃厚である。

こういう事は国民が絶対に許してはならないことである。速く電力会社を新しく作り直してほしい。
おそらく体質を改めるという理屈が出てこようが、これでは時間がかかりすぎる。改革ではなくて革命的スピードの変革だ。

福島の事故が打ち砕いた原発安全神話に代わって、経済産業省と電力会社が流布するのはもっぱら原発「安価」神話だ。
正確な原価も知らさないで、何が「安価」だ。安価である根拠を示せ。
25年経ってもチエルノブイリは始末が付いていない。原発が発電した量を当面の被害額、復興に要する費用、それに廃炉にするためにかかる費用など計算していくらコストアップになるのか、国民の前に示せ。

 火力や水力に比べ原発の発電原価が断然安いという、架空の、妄想に近い数字が幅を利かせている。
評価も監視も放棄した新聞・テレビは、今度も懲りずに虚構の安価神話をただ丸呑みして、確かな事実であるかのように伝え、社会を欺き続けている。
マスコミが報じる事が考えの基本になるから、マスコミにはこのような重要事項は自ら検証して経過や結果を報告してほしい。国民の理解はマスコミの流す情報が基本になるから。 早速だが原発のコストをしっかり計算して教えてほしい。将来発生するであろう費用も条件によりどのように変わるのかなど教えてほしい。

日本経済が沈没するとすれば、その原因は原発停止による電力不足や料金高騰などではなく、行政と業界が一体となった利権と強欲体質の温存が主因であろう。
その通り。行政官僚制度の改革は目下の急務だ。高度成長期ならまだしも低成長期の今こそやるべき事だ。民主党も理念じゃなくて実行してほしい

新エネルギー

2011年08月29日 | Weblog
新エネルギー

現在原発は54基あって内休止しているのは40碁だそうな。
今年の夏の電力は40基が止まっていても何とか、節電によって乗り切れた。
日本は54碁のうち、40基をとめても何とかしのぎ切れたと言う壮大な実験をやった。いずれこの事の検証をして、各セクッションごとに必要電力を積算して、より正確な電力をはじき出して、それをどういう手段で発電するかと言うところに問題は煮詰まっていくだろう。
原子力は発電コストが1番安いと言うことになっているが、その原価は正確に出さないと本当に安いのかどうか判らない。
今回の事故の処理費、さらには燃やした燃料の後処理費などあらかじめ見積もられて、原価の中に組みこまれていたのだろうか。

原発導入のきっかけはオイルショックだったと思う。もし産油国が売り惜しみをしたときはどうするか。足元を見て高値を吹きかけて来たとき、それで産業が成り立つのか。こういう問題に対処するために、出来るだけ自前のエネルギーとして原子力の利用を考えたのはある意味で当然のことであった。
事故さえ起こさなければ問題なく原子力発電は認められていたが、東電の体質と、保安院のバカさ加減で安全神話をでっち上げ、その上にあぐらをかいて事故を防げなかった。責任者や担当者は今回の事故は人災だという。それは皆が認めるところだ。

原子力は現在の科学技術ではコントロール仕切れていない。ブレーキのきかない車に乗って走っているようなものだ。これは将来も続くだろう。とすれば原子力の代わりになるもの、人の力でコントロール出来るもの、自然エネルギーを求めざるを得ない。風力や太陽光に発電の源を求めざるを得ないということになる。
現実には今稼働している原子炉を安全に稼働させながら、古いものから廃炉にして、今ある原子炉の安全性を高めるつつ、その比重をシゼンエネルギーに置き換えて行くのが現実的であろう。卒原発への道が現実的に取り得る最良の道だと思う。ただし発電後の後処理をうまく処理しないと再び事故が起こる。動かして問題有り、止めて問題有り。実にやっかいな問題を抱えこんでしまったのが、現状である。 それを防ぐのはまさしく日本の科学技術であり運転面にはあらゆる安全装置を幾重にも働かせながら、原発を卒業してい行かなければ、子々孫々に害が及ぶようなことがあってはならない。そうは思うが、こんなひどい目にあっても電力会社の責任者はまだヤラセを考えているという。彼らは国賊だ。亡国の輩だ。










童謡がきえた7-30

2011年08月28日 | Weblog
童謡がきえた

近頃の童謡は、どこでどんな作品が放送されているのだろうか。
NHKの子供歌番組や、みんなの歌を聴いている限り、日本から童謡が消えたとしか思えない。
高齢者になっても幼い頃に歌った童謡の数々。
例えば「雨降り小槻さん」「夕焼け小焼け」 「お馬の親子は、、」春が来た」
紅葉」 たき火」などいくらでも歌として出てくる。
もう少し年長になると「赤トンボ」 「椰子の実」「オ、ソレミヨ」など 世界名曲などが心の中に焼き付いている。

時代背景が違うと言っても、心情が大きく変わるものではない。では何故現代ではかってのような、心に残り何時までも口ずさまれる名曲が生まれないのか。
近頃は良い詞とそれにふさわしいレベルの曲が人前に出てこない。
何故だろうか。需要がないから作らないのであろうか。名曲は需給関係で生まれるものではない。

人の口にのぼらないのは、格調の高い、芸術性の高い、作品を分別できる音楽プロヂュサーがいなくなったのである。言い換えれば歌プロヂュサーの質が低下したのである。極論すれば音楽の芸術性の判らない人間が歌の選別を行うからである。選別の基準は現代風で、何か新しい要素が在るか無いかで判別されているようである。曲を聴いていると、これが童謡として歌われて良いのか、幾世代にわたって歌い次がれる値打ちのある歌か、とあきれるほど質の低いものがある。

先日在る音楽家と話をしていたら、小学校や中学校で習う歌も昔の良い歌が消えている。例えばかってよく歌った「村祭り」が無くなっていたので、何故かと聞くと、村の鎮守が無くなったからだという。
人間の心の故郷に祭りは在るじゃないか。それが消え失せた鎮守神様を連想させるものなら、故郷を思うとき、必ず連想するものじゃないか。
それが鎮守の森が消え失せたからと言って、思い出す縁となる鎮守の神様まで消え失せたら、一体何が残るというのだ。歌というものは想い出につながり、憧れにつながり、夢につながるものであることを、考えるとき、結論は音楽芸術と人の心との関わりをよく理解できる人間が、少なくなったか、それとも質の低下かによると思う。多分両方だろう。音楽プロヂュウサーにアドバイスするとすれば
哲学を勉強せよと言うことになろうか。

旅と読書

2011年08月27日 | Weblog
旅と読書

旅行中に本を読むのは勿体ない時間の使い方だ。宿には行って何もすることがない場合はいざ知らず、移動中は外の景色が走馬燈のように変わるので、それをじっくり見ない手はない。車窓から移りゆく景色をセットで作ろうと思えばどれほど金がかかるか、知れたものじゃないし。作れないものだってある。

旅は移り変わる風景と、それに触発される諸々の想念を書き留めてじっくり味わうことが旅の醍醐味だ。手中で退屈紛れに読書をするなんて、勿体ない旅の利用法だ。読書を望むなら、図書館でも良いし、旅先の旅館でも良い。

茶の湯に思う

2011年08月26日 | Weblog
茶の湯に思う

千利休は簡素を旨とした茶道 を大成した。
と言うが、茶をたしなめるようになるまでにはどのくらいの金がかかるか。
そしてその金が宗家とやらへ吸い上げられる師範制度。

結果的に見れば、茶のたてかたを使っての企業である。その企業の社長が長者番付に載る。それもとびっきりの。

みていていらいらしないか。 なにが簡素か、わびちゃか。

利休よ。汝の自殺は 当然の報いかもしれんぞ。子々孫々に茶にかんするノウハウを残し、それで金儲けさせて.それもとびっきりの長者にさせて。
マザー・テレサをみよ。爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ。

義理人情の世界

2011年08月25日 | Weblog
義理人情の世界

やくざの大親分の力によって誰も解決出来なかった問題を解決して貰った恩義というのは、彼にとっては芸能生命を生き延びさせる大きな力であった。
一般論としてやくざに頼んで解決して貰うと言うことは、時代に逆行しているが、人間の現実には、そう言うことでもしなければ、どうしても解決しない場合がある。

写真も眞筆の手紙も府警がいっているように、確かに存在しただろうが、会見の場で、彼はそれはないと断言した 。苦しい嘘だったろうが、まあそんなことになるだろうと大人だったら裏を読む。、

人間にはいくつもの困りごとがある。金に困るとか、自力では解決出来ない問題とか、程度の差はあれ、日常生活で経験することである。
社会的に大きな影響のある仕事を、すればするほど、問題のスケールも大きい。

島田の場合自分の公の立場を守るか、それとも義理人情を重んずるか、悩みは大きかったはずだ。

自分では出来ない力や立場のある人間に頼んでもどうにもならない、ましてや金の力に頼っても解決出来ないとなると、最後の手段として、暴力を背景とした力に頼らざるを得ない。 それは御法度である。
よく分かる。しかし困ったときに助けて貰った恩義というのは、忘れては人情が廃る。
ずいぶんと悩ましいことだが、芸能界というところところは、ある程度仕方がないのじゃないか。何らかの権力と結びつくのは。ああ、悩ましい。

猫またの話7-31

2011年08月24日 | Weblog
猫またの話

夜になると、産卵期の鮎は浅瀬に集まって産卵行動を繰り返す。 それを鮎かけ針で ひっかっけると面白いほどかかってくる。
この時期は資源保護の立場から、禁漁期間がある。その期間中は人は漁が出来ないから川に忍び込み、監視人の目をうまく盗んで、鮎掛けをすれば5kgや10kgは一晩で取れる。
釣り好きな僕はこの禁漁期間によく、盗人掛けに行ったものだ。
5mほどの竹棹に鮎掛け針を20cmほどの間隔を置いて十個ほど結んで、群れて産卵している鮎の群れに放り込むと、二,三匹はかかってくる。その感触がたまらないので夜中、それも雨の降る夜にたびたび出かけた。

盗人掛けに行くわけだから、勿論独りでいく。見つかれば罰金を食らうので、危ないときは道具はもちろんのこと、釣った魚まで投げ捨てて逃げる身構えは何時も用意している。釣り場の川から自宅までは4kmほど有り、歩いて帰るには一時間半ほどかかる。

そんなある夜中いつものように、竹棹と魚を入れた籠をもって街を通り抜け山越えにさしかかった。山は掘り割りになっていて道幅は狭い 。
雨はしょぼしょぼ降っていて、漆黒の闇の中を黙々と帰り道を歩いていた。

先ほどから、何か後ろを付けてくる気配がする。暗闇の中だからその気配が何であるか判らない。が、人間ではないらしい。雨降り道を人間が通れば、足音がするものである。どうも気配では、狐か狸か。4つ足の動物である。気味が悪いので早足で歩くと、向うも足早になる。何とも不気味な事である。二十分も歩いて掘り割りの頂上に達したとき、後ろから付いてきた動物は背中に飛びついた。
それまで後を付けてくる気配を感じていたから、恐怖心は頂点に達し大きな声を出してしまった。背中に飛びついたものの、その動物はかみつかない。しかし気味が悪いことおびただしい。やっと灯りにたどり着いて、振り返るとそれは犬だった。当時飼っていたメリーであった。なーんだ。メリーか。つきものがメリーと判ってからは、怖じ気は吹っ飛んだ。逆に勇気百倍の気がした。

眠れないままに、徒然草をよんで、猫又の話の項に話が及んだとき、僕は60年ほど昔の遠い記憶を呼び戻した。今思いだしても怖くてぞっとする話だけど、懐かしい。










インド巡礼 

2011年08月23日 | Weblog
インド巡礼          2007-05-16 18:53:18

ここまで生きてきた。よたよたとしながら人生旅をして今日(63歳)まで生きてきた。
 月並みだが、それはそれはいろんなことがあった。山あり、谷ありが人生だとは頭では分かっていても、目の前で生起する日常の出来事に一喜一憂しながらここまでやってきた、というのが実感である。
 
ひとり旅
 
定年を過ぎてからを海外旅行に出掛けるようになった。10キロの荷物を背負い、言葉をはじめとして事情を知らない東南アジアをひとり旅することはかなりの勇気と忍耐のいることであった。
 もの珍しさから、どこをうろついてもそれなりの面白さはあったが、何か目標や課題を持って旅をすれば何かがわかってくると思い、旅のテーマを設定することにした。いろいろ考えてみたが、やはり人生どう生きるのが1番良いのかという問題が心の底で渦巻いている。そこでとりあえず過去の人々の生きざまを調べその中から人生のエッセンスみたいなものを抽出してそれについて考えてみようと思った。特に関心があるのは、お釈迦様である。ということで、佛蹟めぐり、つまりインドの佛蹟巡礼から始めることにした。
 
 お釈迦様が難行苦行の後に悟りを開かれたといわれるブッタガヤを手始めとして近くのラージギル、ナーランダなどをみて、それからバラナーシーに出てガンジス川で沐浴し、日本から持ってきた写経を丁寧に読経したあとで一枚ずつ流した。
 バラナーシーから北に向かって約10キロほどのところにあるサルナートへ足を延ばし、広い境内に敷きつめられた、青々とした芝生に目と心を休めた。
 涅槃の地クシナガラと、出生の地ルンビニは次回まわしにして、とりあえず関係の深いところから巡礼して回ることにした。
        
ブッタガヤ(ボダガヤ)
 
 ガヤから10キロほど南へ行ったところにブッタガヤはある。村に入ると左手に大塔が見える。これがマハボーデイー寺院である。塔の高さは52mあるとか。青いというよりは紺のかかった青黒い空に突き刺ささっている。
 難行と苦行の後にここにたどり着き、偉大な悟りの瞬間を迎えられたのがここ、この地、そう思うだけでも気分が高揚した。

 お釈迦様は人生の苦悩を痛感し、解脱への道を求めて、厳しい修行を続ける。それでも回答は得られずこの塔の裏側にある大きな菩提樹の下で深い瞑想に入られた。瞑想のさなか暗い夜が明けようとしていたときに悟りが釈迦さまの心にを訪れたのである。ここに至って謎は解け全宇宙に満ちる真理の意味が、彼によって理解され、悟られたのである。宇宙の真理が発見されたのである。発明されたのではない。菩提樹の大木、明けの明星のみがそれを知っていた。
 ものの本によってこのぐらいの知識しか持ち合わせていない私ではあったが、当時を想像するだけでも、感激のために心臓は早鐘のように激しく波打った。
 
 方形の広い境内はもえ立つような深いに緑と静寂に包まれている。裏手に回ると大きな菩提樹があった。樹齢は何百年かたっていると思われるが、大きな枝には緑の葉っぱが重なり合って緑の山をなしていた。ここには金剛法座があって、私は日本から持ってきた写経の束を菩提樹の根もとに供えて、般若心経を心ゆくまで唱た。
 
バラナーシー
 
バラナーシーで沐浴するならば日の出のころがよい教えてもらって、私は午前3時すぎに列車で到着した。駅の待合い室でしばらく休憩してガンガーに出向いた。あたりはまだ薄暗いというのに大勢の人がガンジス川につかり、沐浴している。私は少し遠慮して上流の人気の少ないところでガンジス川に入った。水中に完全に身を沈めると夏のせいか水温は生温かく、私は母の胎内にいるような平安を覚えた。そして心は落ち着いた。
 しかし川の流れは表面とは裏腹に深いところでは流れが速く足を取られそうになった。川の中に体を半分沈めながら、30枚ばかりの写経を1枚1枚読経しては両親の菩提を弔い、また先祖の、そしてこれまでお世話になった人達のめい福を祈った。
 バラナーシーはヒンズー教の聖地と聞く。しかし考え方や作法を見ていると日本仏教と実によく似ているところがある。

 バラモン教の中からヒンズー教と仏教が生まれ、それが中国を経て日本に伝えられたのだから似ていても何ら不思議ではない。しかし、いま私とこの川の中で沐浴している人たちとの間には大きな隔たりがある。それはかカースト制度の有無に代表される社会制度や生活習慣だ。もしインド人の80%が仏教徒ならば、私はどれほどこの人たちに親しみを覚えたことだろう。宗教が似ているとはいえ生活実感は違いすぎるので彼らの信仰を容易には受け入れる事が出来ない。
私は先ほど日本仏教といったけれども、詳しく言えばこのヒンズー教は特に密教、真言宗に似ていると思った。
 インドの神々は呼び名を変えて日本人には随分なじみの深いものもある。例えば水の神様サラスバテイは日本名で弁天さまと呼ばれている。
     
室戸岬にて
私は今はるか太平洋を見下ろす室戸岬の最先端に立ち、思いをインド巡礼にはせている。インド巡礼はインドと日本の違いが際立って現れ、それはそれはきついものがあった。
自然環境が違う。例えば気温。日本では到底経験できない暑さである。また人情も違う。底に流れる宗教観は似ているとしても現実生活には大きな差がある。ライフギャップといってもよいだろう。そのギャップが旅の負担となって物心両面にのしかかってくる。
 だが片やインドで釈迦の聖地を巡礼し、一方ここ四国では弘法大師の足跡をたどる。こんなことが出来るのは幸せの極みであると喜んだ。
求めるものが同じであったとしても両者は全く違った経験として体に刻み込まれた。やはり両方の巡礼をして良かったとつくづく思う

今の政治

2011年08月22日 | Weblog
今の政治: 11/08/22

自民党のあの政治が終わって欲しいという、強い願いから、民主党に政権が移った。それまでは国民が、民主党に、期待するものがあった。
ところが、政権の蓋を開けてみると、無駄を省いて捻出するはずの約20兆円の予算は、まるでウソにちかかった。国民は騙されたと思った。
それ以後、政権党としてやること、なすこと、見ていると、結果的には幼稚で、ばかげていることが多かった。

最近では代表になりたいがために、謹慎処分中の小沢詣でをするやからもいる。こうなったら、哲学も思想信念もあったものじゃない、
口では被災民にと言いながら、眼が国民には向いていないで、小鳩連合の持つ代表選の票がほしいばかりに、節操もなく、出馬の挨拶や相談という口実をつけて、票の獲得に奔走している。
見苦しいというのか。あさましというのか。お粗末極まりない。
新聞も社説で、政治の劣化を嘆いている。

総理大臣が短い期間で代わりすぎるとういう事実は短い期間しか持たないということだ。これは人間の器の問題か、それとも体制システムの問題かと問うてみると、人物以上に国会のねじれ現象に起因する事は火を見るより明らかだ。
だとすれば、こういうことにならない様に工夫をしなくてはいけない。今のままだったら、短期間の内閣しかできない。

自民党は大連立はできないという。つまり次は与党に返り咲くつもりで、いるのだろうか。国民はとうの昔に自民党を見限っている。民主党はごらんのとおりのていたらくである。
ここ20年間、日本経済は停滞し、さらに世界不況が叫ばれる中に一体国民はどうすればよいのであろうか。答えが見つからなくて、先行き不安だらけ。




























原発のコストは安いのか

2011年08月21日 | Weblog
原発のコストは安いのか

誰が作ったのかしらないが、一番高く付くのは自然エネルギーの発電コストで、一番安いのが原子力発電だと表示されてきた。この計算は原子炉が事故起こさないで、正常に運転した場合のコストだろう。

今回の福島事故を見ると、原子力発電正常コストの上に、事故処理費が加わってくる。そして今後何十年間にわたり発生する費用で、想像も付かない費用も加わってくる。

現に発生している費用だけでも2,30兆円だといわれているから、第一次処理がおわっても、永年に渡って発生する処理費用を加えてみると、原子力発電コストは現在表示されている最も安価な数字の十倍そこらでは、とても収まるものではない。とすれば原子力発電コストが最も安なんて、全くのでたらめである。自然エネルギー発電コストがどれほど割安か。

だのに、まだ原子力発電に力を入れようとする経済界の連中がいる。いずれも日本を代表するトップ企業で、国の経済のリーダー的役割を果たしている連中である。君たちに聞きたい。会社の決算の黒字が大切か。それとも日本国土の保全の方が大切か。

君らは日本国土を滅ぼす気か。事故後半年も経っても放射能処理のめどさえ立っていないではないか。今後どう処理すればいいのか、その方途さえ不明のままじゃないか。
原発を動かさないで、(現在半分以上が停止している)もいろいろな工夫でしのげているではないか。電力の恩恵を受けている全員が節電を心がければ、何とかしのげる話じゃないか。今のうちに原子力代替エネルギーの方途や発電送電の分離、地産地消システムの検討をして、将来に備える方途を考えるがよい。

こういう事を経験して、なをヤラセを画策して世論を原発に誘導しようとする人間は国賊に値する。何としても我が祖国日本の国土を守りぬかねばならない。

闇夜の手探り

2011年08月20日 | Weblog
闇夜の手探り

人生は闇夜の中を手探りで歩くようなものだとある人が言った。その通り。
人間は一寸先は闇の世界に住んでいる。
明日はこうすると決めたとしても、それはあくまで、そうしたいと言う願望に他ならない。そしてその願望は大抵の場合実現するのであるが、100%実現するという保証があるとは限らない。というのは人生には、自分の想定外のことが起こるからである。
明日が不確実で当てにならないとすれば、今日、今と言う現実を如何に楽しく過ごすかと言うことになる。

元来人間は現実半分、夢半分で生きているから、予定が狂ったからと言って大きく悲観するものではないが、時によっては運命を暗転させ生死にかかわる様な出来ごとだって起こる。

そう言う現実を考えるならば、常に何事においても楽観論者である方が、人生は楽しくはないか。不確実な未来を悲観論では乗り切れまい。

神経質で青びょうたんな姿よりは、しょうしょう滑稽でも楽観論者の振る舞いの方がなんぼか楽しい。

あくまで推定、不確実な未来を抱え込んでいる人間は現在を楽しむ方に心を向けた方が、暗い過去の歴史的事実を引きずりながら、生きるよりは賢明な生き方だと思うが。

命を味わう

2011年08月19日 | Weblog
命を味わう。: 11/08/19

3食、食べて、8時間眠れば、何とか体を養い、魂を養うことができる。
それは単に物理的に生きているということに、過ぎなくて、生きるということは、命を楽しむ。ということにつながらないと意味がない。
毎日を楽しんでこそ、この世に、生まれてきた値打ちがあろう。というものである。

命を楽しむということは、美味しいものを食べ、好みの衣装を身にまとい、快適な住居に進み、あれこれ望む希望を持って、心はわくわくさせて生きることではなかろうか。

僕は特別な人(たとえば高僧、芸術家、政治家などで、ズバ抜けた人、)を除いて、庶民は、以上のことさえ、足りておれば、それで、十分ではないか。
加えて、自分が生きている、時代を味わう事ができれば最高だ。、
現代に生きる人々には、現代という時代、文明の受益者だからそれを楽しんだら、それで十分だと思う。

お盆も過ぎた

2011年08月18日 | Weblog
お盆も過ぎた

大震災を受けた東北地方では、新盆の仏を送るのに、仏壇にお供えした
ものを、萱であんでつくったような舟に乗せて,川や海に流していた。
盆舟と言うらしい。テレビはガレキの向に広がる海に、合掌して盆舟を流す人の姿を映していた。

未だに行方不明者が4000人を超えている。最後のひとりまで見つけ出して供養をしたいという願いとは裏腹に、おそらく永遠の闇に消えてしまった人もいるのではないか。

この我が思いを届けよと願って書いた慰霊の鎮魂曲は、どこまでなくなった人に届いたか。私の心の祈りをどこまで受けてくれただろうか。
私がこの世を去って、この度の震災犠牲者に会ったときに、私のやりきれない悲しみの思いは、せめてもの慰めになったかどうか、聞いてみたいものだ。

人生、寿命まで生きても、わずか80年あまり、大災害で命を奪われた人の悔しさはいかばかりかと思うと、胸が詰まってくる。

生命は共生きだと教えてくれた、四天王寺の滝藤猊下も昨年遷化された。
師と頼む人は僕より年上の高齢者であるから、ひとり、ふたりとこの世を去って逝かれる。これは自然の法則でいかんともしがたいが、心の支えを失うことは淋しいことだ。

京都五山の送り火じゃないけれど、盆に我が家に返ってきた有縁無縁の人々を、葭の茎を燃やして、独りで自分なりの送り火をした。

泊原発再開

2011年08月17日 | Weblog
泊原発再開

今までの安全規則に則って、北海道知事は泊原発の再開を許可した。
定期検査がすんだ原発は稼働していかなければ、何のための原発かとも思うが、今回の福島事故の被害の大きさを見て、泊でも事故が起こったらと杞憂する。

僕が希望したのは、最低限度、福島事故の原因を検証した結果によって、再開の当否を判断してほしかった。まだ検証報告を出ていない時点で、こう言う要求をすることは、非現実的かもしれないが、従来の安全基準は見直されて、改善されるであろうから、少しは気が休まるだろうと思ったのだ。

現在言われているストレステストの中味は、専門家でない僕が判るはずもないが、電力不足という大義名分に押されて、足下の安全性をケイシするようなことだけは避けてほしかった。

原発を即やめると言うことは、非現実的である。だからといって今まで通りのやり方で運営されても困る。次に似たような事故を起こったら、日本は放射能汚染で国土を失うという、とてつもない状況が生じる。これは何を持ってしても防がねばならない。それは現実には大震災によって発生した原子力事故から、現実的な教訓を得てから再開するというのが、順当に思えるからである。

泊原発は再開の調整期間を十分に取ってると言うが、原発を守るための特別な手立ては何もしてないように思う。例えば津波対策は、低温冷却は?電源確保は?
特に対策が講じられたという報道も目にとまらないから、対策が不十分じゃないのか、と心配が先走る。僕が知事ならいくら国の要請があろうとも、再開は許可しなかっただろう。