虐待
あれほど社会的にも問題になり、取り上げられても虐待は後を絶たない。
自分の思うとおりにならないからって、虐待を幼子に加えて良いものか。
虐待を加えるような親は、子供をもつ能力や資格や値打ちがないのだ。
だのに子供を作る。子供は作ればよいと言うものではない。子供は社会的存在として両親に養育や教育を委任されていると言う認識が必要である。子供手当のことを考えれば直ぐ判る。
我が子供だから虐待やいじめをしてもかまわないなんて、とんでもない間違った考えで、生まれ出た子供は社会全体で命を守り、養育・教育権を遵守して、日本国民の一員として社会の構成メンバーにするのが国家の責務だ。
今回また7才の子供が虐待死させられた。学校がそれを案じて児童相談所に通報したのに、結果的には児童相談所の怠慢で助けることが出来なかった。
担当責任者がTV会見で落ち度を認めたが、命の大切さにタイする感覚がまるで抜け落ちている。虐待から子供を守り命を救うことによって始めて、給料に見合う仕事をしたと言うことになる。今回のケースでは問答無用で懲戒処分があって当然だろう。それは公務員は身分が保障されているからクビにはならないという事にはならない。重大な過失の場合結果的には子供を見殺しにしたのだから、懲戒免職に値する。 市長は事実関係を詳しく調べて云々といっているが、こういう無責任は許されない事を、百罰一戒で示さないと、また悲劇が起こる。
熊本に始めて赤ちゃんポストが出来て、本来なら闇に葬られて、日の目を見ることのない命を救う施設を作ると言う哲学に心から尊敬の念を抱いた。
人間はいろいろな事情を抱えていて、腹の中に宿る生命をこの世に生み出せない場合がある。たいては簡単に中絶という恐ろしい殺人で命を処分しているが
本来的には医学上の理由であれば仕方がないと思うが、その他の理由、極端な場合は女か男かによって中絶することがあるという。こういう事は命の尊厳にタイする反逆だと思うので絶対反対である。生命に対するカルーイ思いは許してはならない。
そこで思うのだが、赤ちゃんポストが出来たときに、時の総理阿部氏は設置に反対した。と言うことは命を殺せと言うことになる。何と命の尊厳にタイする哲学のない人物がこの国のリーダーなんだと残念に思ったことがある。彼は反対の理由を述べていたが、彼の理屈は命の重さまでは届いていなかった。
「命の重さは地球よりも重い」と言って超法規的な措置をとった人もいたが、
単なる言い訳ではなくて、名実共に命を大切にする国にしなくてはならない。
あれほど社会的にも問題になり、取り上げられても虐待は後を絶たない。
自分の思うとおりにならないからって、虐待を幼子に加えて良いものか。
虐待を加えるような親は、子供をもつ能力や資格や値打ちがないのだ。
だのに子供を作る。子供は作ればよいと言うものではない。子供は社会的存在として両親に養育や教育を委任されていると言う認識が必要である。子供手当のことを考えれば直ぐ判る。
我が子供だから虐待やいじめをしてもかまわないなんて、とんでもない間違った考えで、生まれ出た子供は社会全体で命を守り、養育・教育権を遵守して、日本国民の一員として社会の構成メンバーにするのが国家の責務だ。
今回また7才の子供が虐待死させられた。学校がそれを案じて児童相談所に通報したのに、結果的には児童相談所の怠慢で助けることが出来なかった。
担当責任者がTV会見で落ち度を認めたが、命の大切さにタイする感覚がまるで抜け落ちている。虐待から子供を守り命を救うことによって始めて、給料に見合う仕事をしたと言うことになる。今回のケースでは問答無用で懲戒処分があって当然だろう。それは公務員は身分が保障されているからクビにはならないという事にはならない。重大な過失の場合結果的には子供を見殺しにしたのだから、懲戒免職に値する。 市長は事実関係を詳しく調べて云々といっているが、こういう無責任は許されない事を、百罰一戒で示さないと、また悲劇が起こる。
熊本に始めて赤ちゃんポストが出来て、本来なら闇に葬られて、日の目を見ることのない命を救う施設を作ると言う哲学に心から尊敬の念を抱いた。
人間はいろいろな事情を抱えていて、腹の中に宿る生命をこの世に生み出せない場合がある。たいては簡単に中絶という恐ろしい殺人で命を処分しているが
本来的には医学上の理由であれば仕方がないと思うが、その他の理由、極端な場合は女か男かによって中絶することがあるという。こういう事は命の尊厳にタイする反逆だと思うので絶対反対である。生命に対するカルーイ思いは許してはならない。
そこで思うのだが、赤ちゃんポストが出来たときに、時の総理阿部氏は設置に反対した。と言うことは命を殺せと言うことになる。何と命の尊厳にタイする哲学のない人物がこの国のリーダーなんだと残念に思ったことがある。彼は反対の理由を述べていたが、彼の理屈は命の重さまでは届いていなかった。
「命の重さは地球よりも重い」と言って超法規的な措置をとった人もいたが、
単なる言い訳ではなくて、名実共に命を大切にする国にしなくてはならない。