日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

外人による女性殺人事件

2018年02月28日 | Weblog
。27歳の女性がアメリカ人によって殺害された。午前0時に待ち合わせをしたと言うが、

これはずいぶん非常識な話だ。どうしてもっと警戒しないのだろうか。

外人特に欧米人には日本人女性はコンプレックスを抱いているのだろうか。殺された人以外に

も4.5名の女性が出入りしていたらしい。無防備きわまりないと僕は思う。


自分が東南アジアを一人で旅をした経験から言うと、どこの国でも女性は身の危険がいっぱいある。

安全性については日本と格段の違いでわるくなる。日本人は彼らから見ると間抜けのお人好しだという。
ところが日本人は日本の常識が通用すると錯覚し、(いやむしろ初体験だからわからないというのが現実だ。)日本流で行こうとする。

これはとても危険な事だから警戒すべきである。
日本人同士でも悪が居てひどい目に遭わされるが、外人の悪は極端に悪いから近寄らないのが無難だけど。

これだけ警戒し自己注意をしていても、まんまとしてやられた(金を取られた)
経験からすると、海外旅行も警戒心を持ちながら、楽しむことが大切で手放しで楽しいというわけではない。

日本人の考えは甘すぎる。外人には通用しないと割り切って考えておく方が身のためだ。


良い外人のたくさん居るが、とにかく警戒をするべきだ。信じてはだめ。

食品ロス

2018年02月26日 | Weblog
食品ロス


食べられるのに捨てられてしまう商品を食品ロスと言う

農林省の推計によると2014年度の国内の消費食品ロスは家庭や飲食店の食べ残し売れ残りなど約621万トンに上る世界の食料援助量の約2倍で国民一人当たり毎日茶碗一杯のご飯を捨てていう計算になる

コンピューターや AI が発達している現在どうしてこんな大きなロスが生まれるのだろうか
よしんば生まれるとしてもこのロスを有効活用しなくてはもったいない限りである

まだ食べられるのに捨てられてしまう食品とお得に食べたい人をつなぐフードシェアリングの Web サービスが生まれつつある
この流れを確実なものにして大切な食料を無駄のないようしてほしい。

春はあけぼの

2018年02月25日 | Weblog
春の夢

明け方に夢を見た。

平安朝の作家の名前がどうしても思い出せない。

清少納言の[春はあけぼの],までは思い出すが,もっと有名な作家とか本の名前がどうしても出てこない。

なぜだと力を入れたら目が覚めた。

夢の続きを追いかけたら,それが源氏物語で作者は紫式部だとわかった。

読み始めたわけでもないのに、どうして平安朝の作家の名前など夢に出てきたのだろうか。

夢って本当に、不思議なものなんだなー。

創造

2018年02月24日 | Weblog

創造(ものを作り出すこと)

ニュートンが発見しようがしまいが、そんなことに関係なく万有引力は存在した。

人間が創造するということは未知のベールに覆われた「存在するもの」を見つけ出すことだ

この世に存在しないものをどうして創造しえよう。

神の御手によってつくり得ないものをどうして人間が作り出せるだろうか

本音で話し合う部分

2018年02月23日 | Weblog
   本音で話し合う部分
     
決して八方美人ではない。人にはそれぞれの個性があるから、自分の個性と会う部分においてのみ付き合っている。
そこで
会う部分が多いほど、本音で話し合う部分が多くなり、心理的距離が近くなる。

宣伝放送

2018年02月22日 | Weblog
高齢多死社会になったのはわかるけど、地下鉄では葬儀屋の宣伝放送が行われる。

疲れているときなど、耳をふさぎたくなる。

冷静に考えれば多死社会だから、納得せざるを得ないのだが、感情がついてこない。

静かな車内で放送されるのは、きぶんの 悪い話である。

5つの太陽

2018年02月22日 | Weblog
新華社電によると、「西安市で太陽が5つに見える現象」が出現した。

幻日と呼ばれるもので、大気中に氷の氷結による雲の層が形成されたときに日光が

氷の氷結に反射されて起こるとされている。

人々は一体どんな反応を示したか。

時として、主観的事実は客観的事実を上回る事だってある。特に科学が未発達の時には。

人殺し

2018年02月21日 | Weblog
未成年を含む4人で一人の婦人を殺して放火した。

犯人たちがどんな理屈をつけようとも、人を殺したのは間違いないのだから、責任は

とらさねばならない。

問題は責任の取り方である。殺されて死んだ命は再びこの世に引き返してくることはない、


この責任はきわめて重い。本当に謝罪する気があるのなら、己の命を持って罪をあがなえ。

つまり死刑になることだ。

近頃の殺人事件を見ていると、あまりにも軽く人の命を奪ってしまう。刑が軽いのが1因かもしれない

こういう軽い気持ちの重罪は、すべて死刑にするが良い。

殺した命のあがないは自分の命を引き替えにすることだ。自己都合で、社会をなめきった

殺人事件は遠慮なく死刑というルールが定着すれば、殺人をおもいとどまることになりはしないだろうか。

一人でも人を殺したら自分も殺される。こういう図式が定着してほしいものだ


お水取り4-46

2018年02月20日 | Weblog
 何十年か前に「お水取」の歌を作ったことがある。

そのときも朝日新聞の記者にお水取りについて教えてもらった。

今日の新聞には戦前の秘蔵写真が見つかった事が載っていた。

最も古いものは1928年、1936年でそれが保管されていた。

ところでお水取りは752年に実忠和尚がはじめたもので、それから延々と今日までつずけられているという。

毎年一回といえどもいう。千余年の長きにわたって継続されていることに脱帽。


東大寺の巨大なエネルギーを感じる。

鎌倉時代に集慶和尚がみたという青衣の女人の話はおもしろい。

本当に僧のまえに現れたのか、それともそれは錯覚なのか。その謎がおもしろい。

3月1日から14日まで繰り広げられる火と水の祭典を経て関西には春がやってくる。

さんから師へ

2018年02月18日 | Weblog
昨日重盛さんのことを書いた。今日は彼についての本を読んだ。

「生きるためにはルールなんかあるもんか。」

究極にはき出した言葉である 。づしんときた。

壮絶人生から彼が学んだ知恵と、それを使いこなす器量に脱帽。

こう思った瞬間から、さん付けを師付けに呼称を改めた。

めったにまねのできることではない。

ねっからの悪の権化だったら、酒井師の弟子にはなれなかった事だろう。

いわゆる縁なき衆生であったはず。

それにしても、よくぞあのおぞましい世界に手を突っ込んで、生きていく覚悟を決めた事よ。

普通の人は大抵逃げるのに。

僕なんかには絶対できないこととして、避けたり、逃げたりするする道を、歩むなんて。

感服。!感服!

玄重盛さん

2018年02月17日 | Weblog
朝日新聞で紹介されていたが、5回過ぎまでは軽く受け流していた。

6回目になって初めて気がついた。この人はただ者じゃない。

新宿歌舞伎町の実態は何も知らないが、歓楽街と言うよりは怖いところだとイメージが強い。

そこで駆け込み寺を設け、色いろな問題を抱えた人々の相談や救済にあたる。

比叡山の回峰行者として有名な酒井大阿闍梨に弟子入りし、東京・大阪間のみならず、

東京青森間を踏破した、強靭な精神の持ち主。玄重盛師。

あのわい雑な歌舞伎町に拠点を構え、困ったひとの相談や救済に奔走し、救った人3万人以上

黒い服のお兄さんも挨拶するという、実力者。

新聞には、情熱と怜悧を兼ね備えその微妙なバランスをとって、困った人の救済に当たると書い

てある。口先だけの学者は多いが、修羅場に飛び込んで、自らの力で解決していく姿は神々し

く僕の胸に映る。師はいま60代。これからまだまだ活躍して、困った人を助けてもらいたい

困った人の救済は本来は宗教の役割ではないかとも思うが、一般の僧侶が果たして

この役割を果たせるだろうかというと、無理ではないかと思う。というのは普通の僧侶は


師のように壮絶な人生体験がないからである。ここまで腹を据えることは、一般人には期待

できないからである。

早速この人についての書物を買って中身を深く知ろうと思う。大きな影響を受けたいから。

それで何人死んだんだ

2018年02月16日 | Weblog
沖縄でまた米軍機が事故を起こした。これについて国会で議論している最中に

「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばした馬鹿議員が居た。

この事故発言の続きを推測するに「死んだわけじゃないだろう。そりゃ空を飛ぶんだ

から事故も起こるわな。大したことはない。それに野党はがたがた言いやがって、、、、

と続くと思われる。調べてみる何人かは事故死している。死人はでているのだ。

ところで基地が沖縄に集中していると言うことは、それだけ本土は基地迷惑から逃れていると

いうことだ。

常識的に考えれば、本土人は後ろめたい気持ちがあって当たり前である・。

ヤジを飛ばした議員は非常識を露呈させた馬鹿者である。こんなレベルで議員が務まるなんて

偉そうにしていても、議員というのは、こんな程度なんかと勘ぐりたくなる。

任命権者の阿部さんも苦々しく思っていることだろう。気の毒な話だ。

こんなレベルのことで謝罪しなくてはならないと思えば。

香妃 シャンフエイ5-64

2018年02月14日 | Weblog
香妃 シャンフエイ

清朝の乾隆帝の悲恋物語を扱った長与善郎作の作品に曲がついた。
山田耕筰先生のグランドオペラ・ 歌劇。大作である。

関西は大阪フエステイバルホールで 上演された。詳しいことはもう忘れたが、
山田先生の名は教科書に載っていて、また音楽室にはベートーベンなどと並んで、教室の後ろの方に写真が張ってあって、その名を知らない人は居なかったほど有名な、作曲家である。

だのに関西人は先生の大作に触れようとはしない。入場券の売れ行きはさっぱりで、会場を埋めるのに苦労した覚えがある。

この作品を作る最中に、脳溢血で倒れられ、途中から作曲は團伊久磨先生に引き継がれた。
団員は全員東京から連れてこられたから、経費もかかったことだろう。当然のことながら大きな赤字があいたと聞いた。

しかし当時は、先生の著作権収入があったから、何年間かにわたって、穴埋めはできたと思う。とにかく芸術は金がかかる。

昨今は地方公共団体がバックアップしないと公演はできない事になっているが、採算上から見て赤字になることは必定なのに、それを個人でやろうとするのだから、僕みたいな小人は、協力するとすれば、入場券売りのお手伝いをするのが精一杯で、第一スケールの大きさが違うと言って逃げ込んでしまうのがオチである。

今、先生より長生きして、思うに、巨人というのはこの世にいるのだとつくづく実感する。
そういえば雑誌・文芸春秋に「20世紀の巨人たち」の特集があるが、そこに先生のことが載っている。

今振り返ってみると、やっぱりそうだとうなずく。僕にはその実感がある。

牛肉

2018年02月13日 | Weblog
ただ食べたい、おいしいと思って食べているが、肉を提供した牛は、農家の手によって

子牛の時から、愛情をかけて育てたものである。丹精を込めて、育てれば育てるほど、愛情が

深くなって、別れるのはさびしいものがあると思われる。そして売られていくその先は

殺されて食肉となると意識したときの農家の気持ちは一体どんなものだろう。

そんな農家の気持ちや、牛自身の気持ちを考えると、途端にある種の矛盾に突き当たる。

人間はじぶんのいのちを養わなければならないという至上命題を避けるわけにはいかない。

たとえ感情面でついて行けない部分があったとしても、そんなこと乗り越えなくてはならない。

何も考えないで食べてはいるが、その後ろにはこんな現実がある事を知るとき、複雑な気持ち

になるのは僕だけではないと思うが。、、、、

恋衣

2018年02月12日 | Weblog




恋衣

夏の終わりは、秋というよりは、初冬を連想させる。

真っ黒な雲が、かたまりになって、空を覆い、午後の一時すぎだと言うのに、まるで夕方のように暗くなっている。

北国の夏の終わりとはこんなものか。僕はもやもやと曇った心で空を見上げた。
北国の夏の終わりの頃は空は怒気をふくんでいる。

今朝は、堺の自宅を4時に出た。京都を通り越して、鯖街道を北上し、山川登美子のふるさと小浜に着いたのは、一時すぎだった。

小浜の町は、静かで、落ち着いた雰囲気の城下町である。おそらく、夏の始まりには、海水浴でにぎわったことであろうが、もうその時期も過ぎて、祭りのあとの寂しさが漂っていた。そんな感じを受けた町の素顔は他人を押しのけてしゃしゃりでる図々しさや、自己主張に乏しい古風で、女性的なたたずまいである。それは正しくひそやかな恋こそふさわしい街である。

山川登美子という人は、こういう雰囲気の中で、生まれ育ちつつしみ深いまわりの環境の中で、情熱を燃やし、歌作りに励んだ、女流歌人である。

人間は、いかに個性的であろうと、育った環境の影響を受ける。彼女もきっとこの小浜の雰囲気を身に浴びて、心の奥底には、たぎるような情熱を胸の底に秘めて、それを控えめに、歌作りに励んだのだろう。

山川登美子は、1879年小浜に生まれ、29歳の若さで、不幸な生涯を終えたと僕は思う。恋には敗れ、父が勧めた銀行員と結婚して2年に、夫とは死に別れ、更に不運にも夫の病が移って当時不治の病であった結核にかかり、この世を去った。恋愛といい、結婚生活と言い人生の重大な局面では、彼女は悲運の神にとりつかれたように、彼女の人生は彼女にとっては不幸、不幸の連続で人生を終えることになった。

歌人与謝野鉄幹に認められ、与謝野鉄幹をめぐっては堺出身の鳳晶子と激しい恋争いをした。自由奔放な気質の鳳晶子比べて、小浜の町の古風で、女性的なひそやかな恋心を燃やしていた。


しかし、父親が一方的に決めた当時のエリート銀行家との結婚話で、古風で、堅気な彼女は、封建的な家風に逆らうことなく、恋を断念する。与謝野鉄幹は、そんな古風な女性よりも、自由奔放な鳳晶子を選んだ。つまり、山川登美子は、この恋愛レースには敗れたのである。
登美子は、恋の敗北者である。だが、若い情熱を断ち切って、運命に従った女の悲鳴にも似たる恋の情炎の激しさは、鳳晶子の情熱に、決して劣るものではないと僕は思う、いや、そう願いたい。

晶子との恋争いには破れはしても、それで彼女の心の中が収まったわけではない。激しい恋愛感情とその情熱は心の底に沈んだまま、内に秘めた悲しい叫び、恋をあきらめ人並の命さえも授からなかった不幸な生涯の断腸の思いが、彼女の歌に限りないに力を与えている。
彼女の著書を調べ、現地へ赴いて、調べることによって僕は、彼女の不幸に対して、同情の涙を流さないわけにはいかなかった。
彼女自身の自分の不幸な運命に対する嘆きは、僕の心に直接に響いて、縁もゆかりもない彼女の運命に対して、彼女に変わって敵討をしたい衝動に駆られた。彼女の悲痛なこの思いを時の闇の中に、埋もれさせてたまるか。僕の心の中は、怒りのマグマが、あれくるっていた。

彼女の実家に、立ち寄ったけれども、まわりを一周しただけで、たちよる事無く、通りすがりで、家の中を覗き、家人がおられるのを横目に見て通り過ぎ、彼女について尋ねる事はしなかった。実情を詳しく調べるという思いの前に、僕自身が、彼女の心中をそっくりそのまま、僕の心の中に、取り込んだ。いや、彼女のその部分が、乗りうつったと言った方が適切かもしれない。そして足を小浜図書館に向けた。

図書館には、山川登美子に関するコーナーは設けられてはいるが書物は、ほんのわずかしかなかった。ここに来る前に彼女が、学んだとされる梅花女学校から、彼女の著書をコピーしてもらって、調べておいたから、あらかた彼女の事は判ってはいたが、それにしても、高名な歌人をもっと顕彰すべきではないか。何か物足りないものを感じた。人というものは恋の敗者にはたとえ同郷の人であっても、同情を寄せないものであろうか。

彼女のお墓は、発心寺に在ると聞いた。図書館から、小浜線の線路を渡った近くにお寺はあった。この地方ではかなりの名刹らしく、雲水が4,5人いて庭掃除をしていた。そのうちの一人に、登美子の墓のありかを訪ねた。正面に向かって、本堂の左側の方は、山になっている。
その山を切り開いたような形で、一帯は墓地になっている。
人一人が、通れるほどの細い坂道を登っていって、左の奥に山川家の墓があった。登美子の石塔は山川一族のお墓の隣に建てられていた。

僕は、合掌しながら心の中で、彼女に次の様に、語りかけた。
恋には破れるは、結婚して夫にはわずか2年で先立たれ、同じ病を移されてわずか29才でこの世を去ったあなたの人生に想いをいたすとき、僕は心から、同情申し上げる。そして、あなたの悔しい思いは、必ずや僕の手で、世間に知らしめたい。
歴史上には、歌人として名を残しながらも、表舞台からは、忘れ去られているあなたの存在と歌集を必ずや世に問うてみる。
歴史は常に勝者にスポットライトを当てるが、そのうらには、こんな悲しい人生もあったのだと言うことを知らせば、あなたが生きた真実も世間に理解されるに違いない。
それがどうしたのかと問われると、何とも答えようながないが、それでも同じような境遇にいる人に、あなたの存在が慰めになり、場合によっては勇気ツケになり希望を与えるかも知れない。あなたのように慎ましい古風な女性はこの世にごまんといる。事実を知ればきっと多くの女性が共感するのではないだろうか。

幸い僕は人の気持ちを表現する手段を持っている。僕は今自分が感じているこの思いを詞と曲に託し、いつか世に問うてみたい。せめてそれだけが今自分の出来る事である。
どういう縁が働いてこういう事に成ったのか、自分でもよく分からないが、今このときあなたを訪問しているのは紛れもない事実である。
帰宅すれば早速筆を取ろう。そしてあなたに代わって僕の思いを世に問うてみることにする。それがせめてもの本日こうしてあなたと対面したことの意味である。

恋衣

一、
赤い夕日に 身を染めて   
北を指して帰る鳥たち
白い翼に悲しみ乗せて    
お前達かえるのか
かなわぬ恋に 身を焼いて  
北を指して帰る私
つらいさだめを  一人逃れて
私は帰るのよ
ああー 貴方は今も  私のそばにいる
ああー 貴方は今も  私を愛している
誰よりも誰よりも  私を愛している


二、
今は幻の恋人であっても
離したくない 離れない
恋の戦に敗れても    
恋衣は破れない
例えこの身は 召されても  
私の恋は終わらない
あなた色に染まる 恋の炎は
激しくもえるのよ
ああー 貴方は今も 私のそばにいる
ああー 貴方は今も  私を愛している
誰よりも誰よりも  私を愛している