日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

歌の良し悪し

2021年06月30日 | Weblog
歌に良し悪しはないと思う。各人がそのときの気分によって判断すれば良い。

一般論で言えばメロデイが美しいもの、リズムの切れが良いもの、健康的なもの、

そのときの気分に強く訴える、等の要素が満たされていれば良い歌と判断される。

しかし最終的に決めるのは個人である。各人が持つ最大公約数的なものがヒットを決める。

今はやりのサーカスまがいの振り付けのついた歌はエネルギーをもてあましている若人や、

ストレスがたまって気分を発散したい人などにはうけるだろうが、当たり前の平穏な生活をしている人には雑音にしか聞こえない。

ましてやそれを歌として覚えようなんて気分にはなれないからヒットするとは思えない。。

歌は人々が持つ魂の部分に訴えかけるものが望ましい。歌は魂の古里に届くものなのか。

時代の飢餓感という言葉を耳にするが、それは満たされない魂の叫びかもしれない。

金は拾うもの

2021年06月27日 | Weblog
「金が欲しいか?」

「もちろん。ほしい」

「じゃ拾えばいいじゃないか」

「どこで拾う?」

「よく考えて見ろ。どこにでも落ちてる。」

「そんな馬鹿な。金なんて落ちて居っこないよ」

「そうか。俺にはどうすれば拾えるかがわかる」

「そんなことがわかれば、誰も苦労はしない」

「じゃ3年以内に俺が拾ってみせる」
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「今銀行から引き出してきたのだけれど、

この袋に現金3億円入っている。ちょっと重たくて持ちきれん。」

現実にあった話である。

この世で何をすれば儲かるというのがわかるという。

どこをどうすれば金儲けが出来るという事を、ある程度確信を持って彼は事業を始めてそれが成功したのだ。

僕は金は欲しいけれども、金と無縁の生活をしているから、儲かる事業なんて想像がつかない。

白黒灰色o

2021年06月24日 | Weblog
川と海はつながっている。厳密に考えて海と川を区別することは出来るだろうか。

河口は海だろうか川だろうか。

同様に昼と夜の区別にも曖昧な点がある。どれが夜でどれが昼か。

イエスかノーでは判別できないことがある。白と黒での判別は必ずしも正鵠を得ていない。

すべて物事はイエスかノーでは正確に判ずることができない場合がある。

白黒で決着をつける場合も多いが、常に灰色部分があることを頭の片隅に置いておく必要がある

人生で一番大切なこと

2021年06月23日 | Weblog
人生で一番大切なことは与えられた命を楽しむことにある。 人生は楽しむことをその目的とする.

働くことや,金を儲けることや、立身出世などが最終目標ではない。僕はそう考えている。

特別な人を除いて、自分や家族の命を守り、生きることの楽しみを楽しむ事、これこそは人生の最大目標である

その目標を達成するために、ある程度は働かなくてはならないが、働くことと、人生を楽しむことは、

各々の生活に合わせて、程よくバランスをとることが大切だ。平凡なことではあるが、

人生の最大目的を忘れないで、毎日を楽しみつつ生きましょうや。

仏弟子にならないと損8-44

2021年06月23日 | Weblog
「この世は美しく、もの皆 喜びに光り輝いている」。こんなフレーズを見たことがある。

確か華厳経の解説本だったと記憶している。

このようなフレーズは学問や、芸術界、科学界でも耳にしたことはない。

僕の小さい知見では唯一、宗教界においてのみである。

現実生活に追われている身には遙か彼方の夢物語である。現実的には夢想することさえも難しい

夢の中にでも現れて欲しい世界である。こう説かれた根元はお釈迦様である。

お釈迦様に手を引かれて、ついて行った先に、こう言う世界があるというのなら、仏弟子にならないと損である

人間は個人として悟ることが出来るだろうか、宇宙の真理を発見することが出来るのだろうか。

天才やごく一部のもを除いて普通の人間界で悟った人はいるのだろうか。釈迦の教えを理解しようと

している人は沢山いるけれども、釈迦と同じ境地に達して説法をする人は現れなかった。

釈迦の教えは不朽である。思索と行動で体験したことを説法として我々は受け止めている。

仏教徒は教えに触れながら幸せを願いまた極楽往生を願って生活している。





人は2000年間現れなかった。

シャープスアンドフラッツo

2021年06月22日 | Weblog
シャープスアンドフラッツの原信夫さんがなくなった。94才。年に不足はあるまいが。

僕は昭和30年代に進駐軍のキャンプ、ワシントンハイツ・オフイサス・クラブで働いていた。

クラブのメインバンドは小島正雄さん指揮のオールブルーコーツだったが、

月によってはシャープスアンドフラッツがやってきて演奏をした。当時のビックバンドでは最高峰である。

ブルーコーツとはアレンジが違ったのか、原さんの方が軽快だった。

シャープスアンドフラッツを率いた原さんは、美しい音色を出すバンドで彼のサックスはすばらしかった。

日が西に傾いて夜のとばりがおりるころ、バンド演奏は始まった。ムーンライトセレナーデがオープニング曲である。

現代のサーカスまがいの振り付けなど、臭いもしない純粋に美しい音楽を奏でるジャズバンドだった。

あれから60年の月日が流れたが、美しいメロデイは今もって耳を離れない。

と同時に西空に影絵となって目に映った代々木富ヶ谷の街の様子が目に浮かぶ。

ブルーコーツの小原さんは元気だろうか。

これらの風景は心象風景だけで街はすっかり変わってしまった。いまはNHKの本拠になっている。

見る影もない。その昔は代々木練兵場といったそうな。小林さんに続いてまた一人音楽家が亡くなった

知己でも友人でもないのに、僕は寂しい気持ちになる。

オリンピック開催

2021年06月22日 | Weblog
開催者は、人の命をなんと見ているのだろうか。大阪の場合医療逼迫じゃあなくて、実態は崩壊である

毎日何百人かの人がコロナ患者になり、何十人の人が命を失っている。

その事実は政府にとってはどういう意味を持つのだろうか。

国民の安心安全が一番大切だと言いながら、人流を盛んにするオリンピックをやるという

まともに医療を受けられずに、血を吐いてこの世を去った一万人以上の人びとの死の意味するところ

は開催責任者達は目も耳もふさいでいるのだろうか。耳目を国民に向けよ。その次がオリンピックだ

国民の受難の死を横目にオリンピックを開催すると決めた連中には天誅が下ってもおかしくないと

僕は思う。オリンピックの虹を見る前に、医療現場を直視して現場の声に耳を傾けよ

何より優先すべきは国民1ひとり人の命を守ることだ。

日本国の不幸は国難の時にこういう判断をする人間をリーダーに選んだことだ

そのかわり付けはきっちり責任をとらせる事だ


死刑制度

2021年06月21日 | Weblog
今夕の新聞記事の9ページ、古い言葉で言えば、3面記事に死刑制度の記事が載った。

賛成派は遺族感情を重視して、死をもって己のした悪行の結果を自分の命でもって償えという意見。

廃止論者はえん罪の恐れを言う。両者の意見は交わることも衝突することもなく、一方通行の言いっ放しの意見である。

死刑犯罪の罪は被害者意識だけではない。社会に与えた悪い影響や不快感はぬぐい去りようがない。

多くの人に与えた不快感や犯人に対する憎しみを癒やす気持ちというのは社会的な制裁だけだろう。

死刑執行を知って溜飲を下げる気持ちもある。やはり死刑は存続しておくのが現実的であろう





あらまほしき男(本当の男とは

2021年06月20日 | Weblog

TITLE: あらまほしき男(本当の男とは)

あらまほしき男(本当の男とは)
1,人間への限りない愛情を心に秘め熱い涙を流せる男
2,大事においては無私しうる男
3,人間の感情を重視しうる男
4,別宅さんのおける男 精神的な若さ、と肉体的な若さ
5,常識の枠内に収まらない男
6,前向きに決断出来る男
7,計算が出来、円が描け、ブレーンの活用が出来る男
8,詩人的な要素を持つ男
9,現実とそうあらねばならないことの区別が出来る男

犯罪行為

2021年06月18日 | Weblog
故小林亜星さんの師事した先生は服部正先生である。

先生は「自分が音楽の神様だと思う事。だから自分のこの才能を広めないのは犯罪行為ある」といわれたそうな。

先生はうぬぼれの大切さも教えられたのである。もちろん芸術家などとうぬぼれてはいけない。

最高の職人になれとも言われた。

僕は音楽を神様からいただいているという自信がある。

だとすれば僕なんか神様の音楽を独り占めにして、外に出さないから、完全な犯罪者である

淫するo

2021年06月14日 | Weblog
小林亜星さんが亡くなった。88才

レナウンのわんさ娘や 日立の宣伝音楽 この木何の木など8000曲を作られたそうな。

僕は「北の宿から」 が一番好きだ。あの巨体にこんな叙情性をいつも隠し持っていた。

いや彼の著書には叙情性の大切さがきわめて強く主張されている。

極めつきは、真の作曲家になろうとすれば音楽に淫することだという主張だ。

作曲だけなくどの世界でも通じる、コノフレーズは今も僕の胸にはたたんである。

おそらく仏教用語では三昧というのだろう。僕は入我入我だととらえている。

作曲家の中でコノレベルの話が出来るのはおそらく亜星さんくらいだろう。

物事の本質をとらえて発言する、彼には尊敬の念を持っていた。

僕から見れば自由奔放で型破りの性格で、よくもまあ、あんな美しいメロデイがかけるものだと驚きで彼を見ていた。

彼は歌の本質を時どき単文であちこちに書いていた作曲家だ。いつも歌について考え続けていたのだろう

もちろん彼の書いたものは殆ど読んだ、1996年発売の「亜星流」にはどれだけ赤線が引いてあるか。歌の本質はここに書き尽くされていると思う。

詞に叙情性がなくなると、おそらく美しいメロデイは生まれなくなるだろう。

曲作りにはメロデーこそ一番大切なものだ

魂を使わず左脳や技術だけで歌を作っても感心はするが感動は与えない。

現代の歌を聴いていると彼の指摘はずばりあたっている

全く同感だ。

夢の中で作曲をしてしまう奇才作曲家

また一人、貴重な音楽家をなくした日本の音楽界

ご冥福をお祈りします。











夢と現実の狭間で8-52

2021年06月13日 | Weblog
自然の動きに昼と夜があるように、人間生活の営みにも昼と夜がある

人は昼間は現実に生き、夜は夢の世界に入ることが多い。

人によっては昼夜関係なく、現実に生きる人もいるし

昼夜関係なく夢の世界にいる人もいる。

バランスの取れた人間は昼という現実世界と,夢世界とわきまえている

例えば結婚と恋愛を考えてみよう。

結婚主に現実世界のことであり恋愛は夢世界の出来事で

リアル恋愛して結婚するならば、夢世界から覚めて、現実世界に浸ることである

これを混同すると失望が溜まってくる。

恋愛の愛から夫婦の愛にうまく変換すれば、傷つくことが少ない

これは頭の中で考えることだ

現実にはうまく行かなくて、別居したり、果ては離婚したりする人が多い

苦労の多い現実により添いながら、夢を見ながら、うまく世渡りする人こそ賢い人である

安心安全安心安全

2021年06月10日 | Weblog
国の最高責任者が国民に向かって安心安全を言葉にする。

この中身はどういうものなのか、説明がないと国民は納得できない。

どういう段階になれば安心であんぜんが保たれるのか、国民は訳がわからない。

ツマリ実体的には意味不明なのだ。

呪文のように繰り返される安心安全は、中身がわからないだけに、戸惑うことになる。

何故一国の総理ともあろう者が説明が出来ないのか。言葉だけじゃなくて中身がわかってこそ国民は安心するというのに。

総理の器でないのか。国民を言葉でごまかそうとしているのか。いずれにせよたちが悪い。やはり知性に欠けて

居るのか。国民のためには早く交代するべきじゃないのか。常に疑問がつきまとう。

軽い男が大臣だった

2021年06月07日 | Weblog
元総務相で経済学者の竹中平蔵氏(70)が「東京五輪中止すべき」という世論に対し、「世論はしょっちゅう間違えますから」と発言し波紋を広げている。

東スポWeb
「五輪利権」も報じられている竹中平蔵氏

 そこまで言って良かったの? 元総務相で経済学者の竹中平蔵氏(70)が「東京五輪中止すべき」という世論に対し、「世論はしょっちゅう間違えますから」と発言し波紋を広げている。



 6日放送の「そこまで言って委員会NP」(読売テレビ)に出演した竹中氏は、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長について「座長の発言なんかひどいじゃないですか。だって別に分科会がオリンピックのことを決めるわけじゃないのに、明らかに越権」と非難。

 さらに「やるか、やらないか、なんで議論するか私は分からない。

だってオリンピックってのは、世界のイベントなんですよ。世界のイベントをたまたま日本でやることになっているわけで、

日本の国内事情で、世界の『イベントをやめます』ということは、あってはいけないと思いますよ。

世界に対して『やる』と言った限りはやるべき責任がある」と持論を述べた。

 ここで落語家・立川志らく(57)が「世論の6~7割が中止延期だって言ってる。世論が間違ってるってこと?」と問うと「世論は間違ってますよ。世論はしょっちゅう間違ってますから」とキッパリ言い切った。 引用する

彼の発言の軽いことにはあきれる。もっと人間社会や哲学を勉強してこい

君の発言は人間として現実の実態が分かっていない中高生並みだ。経済学者だと?
学生は大いに迷惑したことだろう。人間存在の基本が分かってない薄っぺらなえせ学者
もっと基本的な勉強をしてから表に出てこい。人間として幼稚すぎる 自分のことを恥ずかしいとは思わないのか。厚かましい鉄扉面だ とっとと消え失せろ。


ダブルスタンダードが過ぎる

2021年06月05日 | Weblog
コロナ禍の中で、東京五輪パラリンピックのリスクを指摘する専門家の動きに、

政権与党が警戒を強めている

感染防止対策で専門家の知見に頼りつつ、五輪は例外とするかのような政権の姿勢に批判が出ている

政府と二人三脚でコロナ対策を取り込んできた、尾身さんらの言動にあらかじめ枠をはめようとする。

尾身さんは「今の状況でオリンピックをやるというのは普通はない」と語った

感染者数や重傷者、死者数等を見ていると説得力のある、納得の出来る発言だ。

また翌日には感染のリスクや医療逼迫への影響について評価するのがプロフェッショナルとしての責任だと述べた

菅総理は安心安全の対策をしっかり講じるなどと繰り返すばかりで明確な説明を避けている。

一体彼の言う安心安全の中身は何なのか。言葉は重要ではない。

国民は中身を、具体策を知りたがっているのだ。科学的知見に基づいたどういう安全策や安心策があるのか

安心安全という言葉ぐらいだったら小学生レベルだ。とうてい国民に納得を与える言葉ではない

五輪中止の選択肢はないと強硬論が与党内にある。科学的知見を無視した強硬論なんで問題ではない

首相らはボリュームを広く国民と祝う祭典とすることで政権浮揚を狙うのだろうが

6割の国民が反対している現状で政権浮揚の状態を作りだそうと言うのか。ちょっとミスったら

選挙の大敗につながる危険がある。

専門家らの意見に耳を傾け、進む政権が描くシナリオの修正は避けがたいというのが本音だ

状況に応じて専門家を尊重したり、突き放したり。

政府のご都合主義は身内からも批判がある。

ダブルスタンダードが過ぎる