日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

恥知らず

2019年08月24日 | Weblog

恥知らず

恥知らずの人間にいくら話したところで、話がつながるはずははい。
韓国の現政府とは泥試になるだけだから、話をするよりも実行することの方が相手にわかりやすい。
GSOMiNAをよくぞ破棄してくれた。黙って粛々と実行あるのみ。
何を言ってきても取り合わないこと、一切相手に為ないこと。

岩本栄之助氏5-42

2019年08月20日 | Weblog

大阪市中央公会堂の建設について朝日新聞は 次のように書いている

建設費は当時の金で100万円であるが、岩本さんがそれを寄付した。

その後岩本氏は株で失敗して莫大な損失を抱えた。

周囲は寄付金の一部を返還してもらうように勧めたが、一度寄付したものを返せというのは
大阪商人の羞じだとして拒否。

ピストル自殺した。完成した建物を見ることはなかった 。

大阪が生んだ英雄だ。なんと潔い話だろう。彼は男中の男だと尊敬する。

是には前話があったと記憶している。彼は渡米してアメリカの公共施設をみてすばらしいと思ったというのである。

いつの日か公共施設を作るときに、一肌脱ごうと決心したに違いない。そして我が命と引き替えに中之島公会堂を残した。

この話は命を持っている。

岩本さんはこの世を去ったが、立派な公会堂は今も人様のお役に立っている。

この話は幾世代にも亘って語り継がれていくことだろう。

彼のような人物を先祖にもっと子孫は鼻高々の誇りをもって欲しい。

日本のメロディーについて

2019年08月17日 | Weblog
日本のメロディーについて

演歌と青春抒情歌とはその品格で差がつけられるものがあるが

ある年齢に達した人が自分の青春を振り返り、あの当時あんな歌があったが、よく歌ったものだという郷愁に、胸を熱くする。

そういう感情においては、演歌も青春抒情歌も大差はない。

この世には男と女しかいないし、人生は有限であるから、歌も当然のこと、関わり合いながら、生まれては消え、あるいは 残り、人に寄り添える、それぞれの思い出に、寄り添うように息づいていく 。

爽やかな朝 家族の絵顔 仲間笑顔の語らい 今日も元気に働いている 美味しく食べられる 
ゆっくり眠れる ありふれた心豊かな生活 健康が命を輝かせる 。

陰口悪口ばかりで

2019年08月15日 | Weblog
毎日毎日喧嘩ばかり為ている韓国と日本。韓国紙よ。

そこまで非難するなら何故断交という言葉を出さないのか 陰口悪口ばかり。

犬の遠吠えばかりでは何も生まれてこない。

そんなに嫌いな日本と何故つきあおうとするのか。すれ違いばかりで意思の疎通を図れない

のなら、お互いに黙るしかないじゃないか。マイナス面は両国にとって出るが一旦今の日韓

関係をご破算にしたらいいじゃないか。リセットをしないと後味の悪い関係ばかりが残って

未来志向なんて夢のまた夢だ。

お互いに感情的になっているというのなら、頭を冷やす意味でも、冷却期間をおきりセット

をしてから、その後の付き合い方を考えればいい。

数社こぞって反日感情をあおるのをやめてリセットのほうほうをかんがえたらどうだ。

実行

2019年08月13日 | Weblog
言うこととそれを実行することとは、次元が違う。くちでいくらい良いことを言っても実行

が出来なければ何もならない。実行に移してもそれが思うとおりの成果を上げないと

実行は単なる空振りになって意味を持たない。

僕は結果を重んじる方だから、良い結果を出す人を評価する。一般に

その人の属性で評価するのが、一般的だが、それは違うように思う。

深いポケッ0ト

2019年08月11日 | Weblog
深いポケット
 
 
 雨季と言ってもバンコクの雨は1、2時間、土砂降りになるが、後はからりとはれる、男性的な雨が多い。なのに、今日はどうしたことか、朝から霧雨のようなのが、しとしと降っている。傘を差すほどでもないと思い、そぼふる雨の中を一人で、沢山の車が行き交うニュロードを西に向かって歩いていた。
 
 ニュロードはいつものように混雑していて、走りゆく車の騒音と排気ガスが多く、僕はタオルをマスクの代わりにして、口に当ててゆっくり歩いていた。その時、反対車線のほうで、タクシーの窓を開けて、女が何か叫んでいるのが聞こえたが、このバンコクで知り合いがあるわけてなし、何も思いあたる事がないので、聞くともなく通りすごした。窓から体を乗り出している女は必死で、こちらをみながらなにか叫んでいるが、元々言葉が全然わからないので、僕は無視したような顔をしていた。反応を示さない僕に諦めたのか、タクシーは僕の進行方向とは反対の方に走り出した。僕はこのことを気にもとめず、今来た道を歩きだした。
 降ったりやんだりしている雨は、小降りからちょっと、きつく降り出した。そうは言っても、雨宿りしなくてならないほどの降りでもなかった。
 
 なんの前ぶりもなく突然、タクシーが僕のそばに横付けされた。びっくりして覗いてみると、先ほど大声でわめいていた女が窓を開けて、また何か叫んでいる。
一体誰に向かってものを言っているのか、僕は立ち止まってあたりを見回したが、見あたるものは何もない。是は僕のことかもしれないと思い女のほうをみた。
 言葉では通じないと思ったのか、この女は、今度は身ぶりを交え、僕の方を指さして、しかも英語で話し掛けてきた。よくみるとヨーロッパ人ではない、勿論タイ人でもない。皮膚の色からすると東南アジア系である。大柄ではなく、どちらかと言えば小柄で、肌色は小麦色だ。マレーシア、シンガポール、どうもこの辺からやってきたらしい。
 
 ドアをあけるなり、彼女は英語で書かれたバンコックの市内地図を広げた。左手には500バーツ札を握っている。早口で言ったことを要約すると、こういうことになる。
 私は今香港から、生まれて初めてこの町に、やってきたので、町のことがからっきし判らない。空港でタクシーを捕まえたが、運転手は英語が分からないから、今何処を走っているかも判らない。
空港からはもう1時間も走っているけど、ホテルにも行けない。
どこかこの近くで良いホテルがないか。あったら案内して欲しい。とにかく英語が通じないと話にならない。そこであなたに聞くが、英語の通じるホテルを教えて欲しい。この運転手では言葉が通じないから、何を言ってもダメだめで、この車に乗って一緒にいってくれないか、」ということであった。
僕は「いち旅行者で、バンコックはよく知らない。だから何処のホテルがいいかは全く判らない。適当に大きなホテルに飛び込んで、英語で話してみたら、どうだろう、」というアドバイスを残して、歩き出した。雨はかなり激しく降り出した。
 しばらくすると、タクシーは追いかけてきて、また僕の横に止まった。これ以上聞きたくはないから、誰か他の人にきいとくれ、そんな思いから、僕は相手にせず無視して歩き出した。
ところが今度は彼女はタクシーから降りてきて、僕を無理やりタクシーのそばまでつれていき、
「助けると思って一緒に、行ってくれ」と言って手を合わせた。
左手に握った500バーツ札を示しながら、タクシー代は私が払うので、とにかく乗ってくれと、強引にタクシの中へ僕を引きずり込んだ。
 タクシーのメーターをみると390バーツをさしている。確かに空港からここまで、迷いに迷ってやってきたのだろう。昼間だったら空港から、この辺りまでは150バーツもあれば十分来れる料金だから、それをはるかに越えている。僕はおなじく外国人として、何かよいアドバイスが出来ないのもかと、頭の中で考えを巡らせた。
 
 道端とはいえ、交通量の激しいこの通りで車を駐車させておくことは迷惑な事であった。先がつかえた車は、先程から幾度と無くクラクションをならしている。女は走ってくれと身ぶりで運転手を促した。車はのろのろと走り出した。後ろの座席に女と僕は座っていたが、何を思ったのか、女は急に服の上から僕の体を触りだした。彼女はシンガポールから来たマッサージ師だと言った。
 ははーん。僕に案内してもらったお礼としてマッサージでもしてやろうというのか、成る程。そうだったのか。僕はそれなりに納得したが、その反面、その時何かおかしいと思った。最初は香港から来たと言ったように思う。いや確かにそう言った。しかしいま
シンガポールのマッサージだという。
しかも、待てよ。マッサージとは言いながら、どうもズボンのポケットのあたりに手が伸びてくる。僕はマッサージするなら、肩が凝っているから、肩をしっかりもんでくれと要望した。それにたいして彼女は全く答えることなく、必死になって、僕の金の在処を探しているかのようだ。
 これはひょっとしたらスリじゃないか。マッサージにかこつけて、財布から金をすろうとしているのではないか。急に僕は正気にかえった。先ほどからのマッサージぶりをみてみると、まず左ポケットあたりを盛んにさわっていた。それが済んだらさりげなく、今度は右ポケットあたりをさわってきた。しかし彼女の手は僕の財布にはとどかなかった。というのは右ポケットは用心の為に深くしてあって簡単に手をつっこめないように改良してある。
 ポケットが浅いとスリにあう確率が高いので、自己防衛のために特別にふかくしてあるのだ。恐らく右ポケットには何も入れていないと判断したのだろう。その時財布は足の関節付近まで降りていて、通常の位置には無かったのだ。さらに腹に巻いているパスポートやら、財布の現金の方へ指をはわしている。
こいつはひどい奴だ。道案内を頼む振りして、車の中に引きずり込み、身体検査よろしく体を触り回って財布や、ポケットにある金目のものを、すり取ろうとしているのではないか。
僕は目がさめた気分になった。なおもあちこち、さわりまくっている女に対して、
僕は「俺の体に触れるな。」と大きな声を出した。
「俺の体にさわるな。もうマッサージはいい。俺はここで降りる。車を止めろ。」
彼女は何を感じたのか、今度はマッサージ、マッサージと叫びながら、腹巻きの中に、手をつっこみそうな気配である。僕は思いっきりその手をはらった。そして小柄な女の体を反対側のドアに向けて突き飛ばした。それから日本語で
「この野郎。人の親切心につけ込んで、スリをやろうとしているのか。ばかもん。どつくぞ。手を引っ込めろ。体にさわるな。今度さわったら、なぐるぞ。」
 恥も外聞も無く、僕は大声で怒鳴り、女をにらみつけた。車内でのトラブルだが、何せ僕も大声で怒鳴りつけたものだから、運転手もこちらを見ている。僕は運転手にドアをあけるように言って、身ぶりで、その仕草をした。運転手はドアをあけた。僕はすぐさま飛び降りた。やがて車はさまように、ふらふらと走り出した。女は窓越しに鬼のような面をして、僕をにらめつけていた。
 
 考えてみると奇妙なことである。日本人の感覚からすると、空港で、いくらでもホテルを調べることが出来るし、運転手にホテルと言っただけで、どこか大きなホテルにつれて行くに違いない。
タイ語では何というか知らないが、ホテルは世界共通語になっている。ましてや、運転手をやっていて、ホテルを知らない人はいない。知らなければタクシーの運ちゃんはつとまりっこない。
 だからあの女はタクシーを乗り回しながら、カモを探していたのだ。ニュロードへさしかかったときに、独りの外国人の男が傘も差さずにふらふら歩いているのが目に留まり、カモにしょうとしたが失敗した、というストーリーが真実であるような気がした。         
「へえ、俺がカモに、」これはやばいところだった。
 実は僕はこのときヨーロッパ行きの航空券を買うために、かなりの現金を持っていたのだ。幸いこの金は右側の深いポケットの一番奥に入れてあったから、あの泥棒女も手に触れることなく、僕をみなり同様の貧乏人と思ってあの程度のことしか、しなかったのだろう。
はっはっはー。これは俺の勝ちか。それにしてもポケットを深くしておいてよかった。
あの歳格好からすると、とうに40歳はすぎていように。本人の責任とはいえ、なんとかわいそうな人生なんだ、僕は被害に遭わなかった安心感からか、あの女に同情すら寄せる余裕があった。
                           
 財布をすられたら一大事である。すられないように気をつけることは勿論であるが、人間の注意力には限度がある。そこで僕は知恵をしぼって、出来るだけとられにくくするという工夫をした。ズボンのポケットの深さを普通の倍以上の深さにした。これだと余程中に手をつっこまないと中のものを取り出すことは出来ない。腕をまるっぽつっこまないと財布を引き出すことは出来ないのである。
今回のこの件でも彼女は通常のポケットの位置をさわりまくったが、ついぞ、財布の存在に付いては、わからなかったようだった。ズボンの上から手を回して、右ひだりのポケット付近を盛んにさわっていたが、財布のあるところまで、指は伸びていなかった。
もしこれを知恵比べと言うのなら僕の完勝だ。
ざまあみろ、お前ほど頭は悪くないよ。しっかり考えて旅をしているんだ。日本を一歩でりゃ、ろくな人間が待ってやしない。
 だから生活の知恵として、自己防止に、予防に予防を重ねているんだ。お前クラスに、そう易々やられてたまるもんか。僕は思わぬ事件に遭遇してこんな勝ち誇ったような気分になった。雨は少し小降りになってきた。
ところで今回は僕は被害が無かったけど、あの手口からみると、又どこかで、いつかきっとやる。 油断した誰かがきっと被害にあう。

 僕は警察に届けたものがどうか考えた。しかし事の顛末を英語で、いやタイ語で説明しなければならないだろうから、とても警察に行く気にはなれなかった。すべてが終わった後になって、
考えたことはこんなことだった。

高杉晋作

2019年08月10日 | Weblog
高杉晋作

面白きこともなき世をおもしろく

明治維新を目前に控えた1867年4月14日高杉は息を引き取った

享年29歳 これが死のまえの彼の言葉だった

目標を持って一途に突進しているときが、面白き世である

ところが目標が見つからないし一途になれることも少ない

日射病

2019年08月08日 | Weblog
今は日射病という言葉を聞かない。

東京都内 23区で30余人の熱中症による死者が出た。

昔は日射病で死んだ人など知らない。

気温が高くなったのか。老人が多く体力がついていかなかったのか

いずれにせよ高温によって死者が出る状態は良くない。

冷房 こまめに水分を取るしっかり守ろう

展示会少女像

2019年08月05日 | Weblog
今の日韓関係で、差し障りのある物を出来るだけ避けるというのは、常識だと思う。

脅迫があり、抗議の電話も700以上かかっている。

主催者としてはトラブルを避けるために展示館の中止をするのは現実的に見て当然のことである。

一方中止は検閲だという人が居る。如何に無責任な発言か。会場で脅迫の下で立ち働いたrどうだ。発言はその後で為たらどうだ。

実施している関係者の安全についてはどう考えるのだ???。

何よりも優先されることは検閲云々ではなくて、関係者の安全だ。是を確保してから

検閲うんぬんをいったらどうだ。

平和小女の像展示

2019年08月03日 | Weblog
ご時世を考えるとよくこんな事をやろうとするな とあきれる。

この展示会の芸術監督は、新聞やテレビを見ていないのか。

今日本の国民が韓国に対してどんな思いをもっているか全然わかってない。

しかも名古屋市や愛知県の公費を使ってと言うことを計画していたとはあきれ果てる。

世の中の動きや国民感情を理解しないで、問題の平和少女像を展示しようという意図が

全く理解できない。敵に塩を送るような次元の話ではない。テロを思わせる脅迫もあった

そうな。当然だろう。


  機上で乾杯0

2019年08月02日 | Weblog
           機上で乾杯
 

 インドでは何が起こるか判らない。僕は前回インドを旅してつくづくそう思った。万事インド的なのである。日本のようにきちっとしたタイムスケジュールを作った所で、そのスケジュール通りに
事が運ばない事が多い。しかし日本人の僕はあくまで、日本的スケジュールでもって動こうとする。そしてうまく行かないと挫折感みたいなものを強く感じ、その不満の為にインドをどうしょうもない国、お粗末な発展途上国と、ちょっと後ろ指を指した、さげすみの目で見てしまう。
 
 インドには昔から、この大地に合うような生活のリズムがあり、人々はそれをそのままに継続しているだけのことである。そして
このリズムの違い、テンポの早さの違いが、まさしく文化の差なのであり、その差がカルチュアーショックなのである。
郷にいれば郷に従え、なのであるが、急に自分のリズムやテンポを変えることは出来ないのも、また事実である。
 ところが今回のこの出来事はこういう種類のものではなくて、丸でばかばかしい話である。
 東京から5人の看護学校の生徒が、カルカッタにある、
マザーテレサのハウスに研修をかねて、インド旅行をした事から、話は始まる。
 
 僕はその時、カルカッタのダムダム空港にいた。急にあたりが騒がしくなって、日本人の女子学生と思われるヤンギャルが、何かあわてた風で、あちこち走り回っていた。顔の表情は皆真剣で、血走った目をしている子もいる。一体何があったんだ、何が起こったんだ、僕はとわづかたらずに、じっと見つめていた。
 やがて事情は飲み込めた。このグループの中の誰かが、
エアーチケットを持っていないことで、皆が騒いでいるのである。それも、もうすぐ搭乗が始まると言う段になってのことである。
この期に及んで一体どう言うことなんだ、チケットがないと乗れないし、次の乗り継ぎ便だって、乗れる保証はない。僕は他人事ながら気になりだした。
 じっと耳をすましていると、どうも一人がホテルを出てくるときにチケットを誤って捨てたらしい。電話の内容はそんなことだった。ひょっとしたら、ごみ箱の中に捨てたかもしれないので、そのごみ箱をしっかり探して欲しいと言っている。しばらくして掛けた電話では、チケットは見つかったらしい。やっぱりあったんっだな、僕は一瞬ほっとした。しかしよく考えてみると、それを今から空港まで持ってきてもらうにしても1時間はかかる。後30分で飛行機は離陸しようとしているのに、1時間掛けてここまで持って来たところで、どうなるものでもない。所詮は乗り遅れだ。もう一度バンコックまでのチケットを手に入れないと帰れない。さてどうするのだろうか。
 僕は気が気でないので、よけいな事ながら、彼女たちに今までの経緯を聞かせて欲しい、そして僕に出来ることがあったら、何か役に立ちたいと申し出た。そうしたら先ほどから一番落ち着いて、
ばたばたしなかった子が、よろしくお願いしますと言った。どの人がなくした人なのか、と聞いたら、自分です、という。それでは先ほどから走り回っていた学生たちは、チケットをなくしたこの子のために、ばたばたしていたわけだ。僕は驚いて彼女の顔を見た。
ひとこと小言を言いたかったけれど、ここで何を言うよりも、まず真っ先にしなくてはならないことがあると思いなをして、言葉を飲み込んだ。
即ち今日、明日中に乗れるチケットを手に入れることだ。僕はそのことを彼女に言った。そしてすぐ手配するようにアドバイスしたが、なにせ、初めての海外旅行での出来事で、知恵が回らないだけでなく、どうしたらよいかさっぱり判らない風情である。当然だろう。これが僕だったら、やはり同じように、たちすくんだだろう。

 ところが人にはツキと言うものがある。ちょうどこのとき領事館関係者が空港に来ていた。初めての面識で直接は知らないのに、
この人が親切にも、彼女の相談に乗ってくれた。 
彼は彼女が乗るはずだった飛行機に、マラリヤ患者を乗せるべく、その仕事で空港に来ていたのだ。
 その患者と言えば、僕は今朝がたサダルで同席した人だった。灰色の顔をした女が、ひょっこり僕の前に現れた。僕は席を詰めて、狭いけれども良かったら、座りませんか、と彼女に声を掛けたのだった。彼女は何を思ったのか急に、私マラリヤにやられたの、と言いながら僕の横に腰を掛けた。マラリヤがどんな病気か詳しく知らないが、伝染病の1つだと思い、僕は警戒して、入れ替わるようにして席を立ったのだ。
 その女を所定の飛行機に乗せてから、彼は仕事から解放され、真剣にこちらの相談にも乗ってくれるようになった。ところで彼の話では、カルカッタは初めての赴任で、地理はもちろんの事、街の様子がまだよくわからないという。それでも分からないなりに、彼が協力姿勢を示してくれたことは、心の中では大きな支えになった。何をどうして良いか判らない彼女にかわって、とにかく明日の飛行機に乗れるように、チケットをとって欲しいと彼に頼んだが、
チケットは空港ではなくて、街に行かないと手に入れられないのではないかと言う。今日今から街へ直行しても4時になるのに明日8時のチエックインのチケットが手に入るとも思えない。僕は無駄かもしれないが、航空会社のカウンターで、何とか手にはいるよう頼んでみては、もしそれが駄目なら街の旅行代理店に行くが、せめて明日の便の予約だけでもしておかないと、乗れなくなるおそれがある、と彼に言った。彼も同感で、すぐ何らかの手配をしてみると言うことだった。
 さて僕はと言えば、余程自分が動き回った方が納得できたし、安心もできた。しかし全く善意で困っている彼女を助けようと懸命になっている彼を差し置いて、手だしすることは、はばかられた。

 彼女はついている。ラッキーガールだ。確かに日本人が困っているのを座して見るに忍びない。だが、そうかといって、彼女と縁もゆかりもない人が、彼女のために何かをしなくてはならないと言う理由もない。冷たいようだが、僕はそうも思った。今のところ自分のことは何も心配ないような状態でいるからこそ、彼女のことも心配してあげられる。つまり余裕があるのだ。それにしても海外の空港で、もし今回と同じようなケースが起こったら果たして、領事館に派遣されている彼のような人に巡り会うことが出来るだろうか。いやこんな事は滅多にないことだ。何処から考えても、やっぱり彼女はラッキーなんだ。きっとご先祖さんが善行を積んでその報いがいまこんな形で子孫に返ってきているのだろう。僕はこんな事まで考えた。
 彼女はとみれば、あいかわらずのほほーんと構えている。僕はあきれる前にこんな性格に生まれついた彼女が羨ましかった。恐らく枕が変わって寝付かれないと言うことはないだろう。僕なんかこのインドの旅では常に緊張しているので、神経がたって寝付きの悪いことが多く、毎晩睡眠導入剤を用いているというのに。
人さまざまだ。

 僕が空港のオフイスでチケットを手配するように言った事が効を奏して、新米派遣君は、上手く買えた、とにこにこしながら連絡してくれた。僕は彼女を促して、すぐ代金を払い、チケットを手にするようにいった。オフイスにいった彼とにこやかな顔をしながらロビーに戻ってきた彼女に、これで帰れるのだから、明日は時間に遅れないようにと注意して、この幸運を喜んだ。チケットを見るとそれは僕と同じ飛行機じゃないか、よかった。
 これで間違いなく日本にも帰れる。僕はほっとした。なんと運のいい子だ。仲間は先に帰り、たった一人で見知らぬ外国で、1日遅れて帰ることに、内心は不安いっぱいだろうと僕は推測したが、彼女は表面は相変わらず,心配はどこ吹く風で、のほほーんとしていた。
 考えてみればチケットを手配してとってくれた人がいた。明日乗る飛行機には、エスコートしてくれるおじさんもいる。これだ万全の筈だ。もし乗れないと言う事態になったら、この子の面倒はもう誰も見きれない。とにかくついている子だ。僕はそのラッキーさに感心した。

 ともかくもハッピーなかたちで事態は進んでいるが、考えてみれば、ここダムダム空港では、前回僕はひどい目に遭っていたので
ある。両替では金をだまし取られ、タクシーでは約束と違った所でつれていかれ、わずか30分ほどの間に、2回も胃が真っ赤になるような苦汁を飲まされた所なのだ。僕の感覚からすれば、今回のように助っ人が居ないで、彼女一人で、あの態度で事を進めていたら、たちまちにして、ここにいる悪党の餌食にされてしまう。男の僕でさえ、かなり恐ろしい思いをしたのだから、旅慣れない女一人ではどんな罠が仕掛けられるか、しれたものではない。僕にいわせれば虎の檻にほりこまれた子羊みたいなものである。危険きわまりない。しかし彼女にはそのことが判っていない。僕があなたはラッキーだと言っても、ラッキーの表面的な意味しか判らない。恐らく僕が経験したような深刻な事態は、想像だにしないだろうから、きっと理解出来ないに違いない。あつものに懲りてなますを吹く、きらいがないでもないが、僕はそう思った。

 僕はチケットが手に入った段階で、今晩はここで一緒に泊まろうと誘いたかった。僕だって明日の便には絶対に乗らないとチケットが無駄になるので、20時間も前にここで待機しているのである。その理由はインドでは何が起こるかしれたものではない、また何が起こっても不思議ではないという、インド観であった。早目はやめに手を打っておかないと、こちらの計画通りには事が運ばないと
思っていた。しかし僕はそういう自分の心つもりを詳しく話さなかった。というのは一口で20時間と言うが、それはそれは気の遠くなるような退屈な時間である。よしんば彼女とここで夜明かしをするにしても話すことはない。2、3時間も話せば話はつきるし、
その後は黙るしかない。退屈が待っている。
 僕は旅慣れているからいいとしても、恐らく彼女は耐えられないだろうと思ったからである。でも一応泊まるかどうか声は掛けてみた。彼女は派遣館員の車で、街迄行き一晩泊まって明日になったらここへ来るという。僕は5時起きして、すぐタクシーに乗ってここに来るように、決して寝過ごしてはいけない、と何回も釘をさして車に乗せた。僕は夜明かし覚悟だが、そのことが気になって、1時間おきに目が覚めた。遅れませんように、それは祈りにも似た気持ちだった。
 翌朝7時過ぎに、彼女は若い男の子をつれて空港にやってきた。やれやれこれで二人とも帰れる、顔を見て安心、ほっとした。
 送ってきた大学生によれば、今日は早朝からタクシーがストをやっているとのことだ。それならどうしてここまで来れたのかと聞いたら、スト破りのタクシを雇って、ここまで来たという話、ストをしていると本来はここまで来れないはず、だのに彼女はいま僕の目の前にいる。僕はつくづく感心した。途中で何もなかったのかと付き添い学生に聞いたら、やばいことがあったという。僕は一瞬青ざめた。もしあの学生が付き添ってくれていなかったら、初めての海外経験で、果たしてスト破りを決行出来たかどうか。
ほほー、感心する前に、驚きの感嘆詞がでた。またもや彼女は守られている。これは単なる偶然や、ラッキーが重なったとは思えない。思い返せば派遣官員との出会いがあり、僕との出会いでエスコートを手に入れ、さらに付き添いの大学生を見つけて、彼に付き添ってここまで送ってもらい、極めつけはスト破りタクシーを雇ってチエックインタイムにちゃんと間にあっているではないか。
チケットだって、ないと断られても不思議ではないし、旅慣れた僕が居ることによって、ややこしいインドの出国手続きや、タイでの入国手続きがどれほどスムーズになるか、更に早朝大学生に付き添ってもらい、ストやぶりタクシーで、タクシーのストライキを突破しているのである。。恐らく神の助けが働いて、すべてが上手く事が進んだのだろう。僕はこの世に神様は居ると思った。
 
 飛行機は定刻通りに離陸した。インドはぐんぐん遠くなっていく。1時間ほどしたら軽食が出た。僕たちは顔を見合わせてコーラで乾杯をした。それは何よりも、昨日から今日へ掛けての、彼女のラッキーにたいしてだった。僕は心からこのことを祝福した。しかし
それだけではない。今回僕も無傷だった。前回のような目には一度も会わなかった。前回よりも一週間も長い日にちであったが、いたって健康で、風邪はもちろんの事、下痢の一つもしなかった。
勿論恐怖を感じたことは一度もない。途中気をつけていなければ
やられたであろう事は、何回かあったが、それもうまくすりぬけたし、だまされはしなかった。確かに神経はぴりぴりさせていて、
つかれたが、それが原因でどうかなった訳でもない。これも乾杯ものである。
 最後に今日は僕の満00歳の誕生日だったのである。僕の乾杯にはこんな意味が込められていた。我々は顔を見合わせて、にっこりほほえんだが、それは心の底からくる安堵と、祝福のほほ笑みだった。いまになって考えてみると、彼女の身に起こったことは、僕に人生の何かを見せてくれてるようだった。早い話が彼女との出会いがなかったら、僕がこんな文章を書くこともなかったろうに。
 こんな人生芝居を見せてくれるのは、一体誰だろうか、僕はこの宇宙の中に壮大な演出者がいて、我々は自立的に動いているようだが、その実この演出家の指図に従っているのかもしれない。そんなことを感じたインドの旅ではあった。


歌が低俗過ぎて消滅

2019年08月01日 | Weblog
歌が低俗過ぎて消滅
近頃 どうしてこんなに歌が 低俗 なんだろう。
レコード大賞や紅白歌合戦は生きる勇気や希望を与えてくれた。
大晦日になると家族全員でテレビを囲みその年に活躍した歌手の登場に胸をときめかせヒット曲を口ずさんだものだ。
あの時代の歌には心があったと今思う。その心が人に伝わり勇気と希望となって長く歌われた 。
歌手も大人の心を持っていた。それが歌に表れていた。スターたちの歌は本当に我々の心の中にしみこんで人生の主題歌となった。

今の歌はジャリの学芸会。何を歌っているのかさっぱりわからない。
もう歌を聴かせる番組はなくなった 。低俗化した芸能界の行方は???
本物の歌手はどこへ行った。心に残る歌は何故消えた。

以上の嘆き節はあるフルバンドのバンマスの口から出た。
このバンドはクラシックやラテンの名曲を演奏するビッグバンドだ。
バンド名をあかすと、あああれかと思う人も多いはず。
それほど有名なバンドだから、もちろんバンマス名はいっぺんにわかってしまう。
彼は舞台に立ち演奏を通じて嘆き節を実感した。
僕は演奏家ではないが、彼の嘆き節に両手を挙げて賛成する。
今の歌は歌以前の代物で歌とは呼べない。彼が指摘するように日本からまともな歌は消えた。是を復活させるには大変な努力が居る。
いやもう歌が消滅してしまっているから、復活は無理かもしれない
ところで思うことだが、何故歌うのにバックのパホーマンスが必要なのだろうか。邪魔以外の何物でも無い。結局プロヂューサーの低脳さを示している。
これらを一掃しなくては。とつくづく思う。