日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

保安院のあり方

2011年03月31日 | Weblog
保安院のあり方

菅政権内では、原子力の推進と規制の両部門が同一組織にあることで、「安全面のチェックが甘くなっていた」との見方が広がっており、保安院を経産省から分離する方向で検討する。と言う報道がある。

僕は以前から保安院のあり方を問題にしてきた。同一組織内にアクセルとブレーキが並存するというのは誰が考えてもおかしい。相反するような機能を持つ部署が並存するなんてチエックが甘くなることは必定だ。こんな妙なことを国家が組織として持っていたことは、非常識も甚だしい。アクセルとブレーキは相反する働きをする事ぐらい分かっていそうなものだ。普通の常識から考えて、どうも保安院の機能が弱いと思ってきた。力が弱かった原因が並存にあったことを考えると、最初に指摘したように、このような存在であれば、屁の突っ張りにもならんと言うことは的を得ている。
誰もこのことに気が付かなかったのであろうか。それ自体が不思議だ。民主党は保安院の独立を政権公約に掲げていたらしいが、これに懲りて独立させてしっかり機能するようにして貰いたい。

それにつけても自民党はこういう保安院のあり方に疑問を持っていなかったのだろうか。誰も気づかなかったのだろうか。この程度の問題に気がつかないはずがない。それほどのバカ集団だとは思えないが、指摘がなかったところを見ると、頼りない政党だとつくづく思う。                                                話は余計なところに飛ぶが、森元総理が大連立をアドバイスしたと言うが、基本的なあり方は別にして、国難に直面した今は、国家の為にはその考えは妥当だと思う。大連立とまでは行かなくとも、一時休戦は可能でありこの際検討すべき事だった。

谷垣総裁では人物器においてそれすら出来ない。それは彼の今までの言動からすると予測が付く。自民党はもぬけの殻のような様相を呈している。

関西広域連合、復旧事業代行を

2011年03月30日 | Weblog
関西広域連合、復旧事業代行を


東北関東大震災の被災地への支援について、兵庫県や大阪府などで構成する関西広域連合は、国に対して、被災した自治体の災害復旧事業を代行できる仕組みを作るよう要望していくことを決めました。29日は、関西広域連合を構成する7つの府県の知事や副知事が出席し、今回の震災への対応を話し合うため、神戸市で会議を開きました。
会議では、関西広域連合として、国に対し、復旧や復興の仕組みについて、提言や要望を行うことを決めました。
具体的には、
▼被災した自治体への財源措置を 求めるほか、
▼関西広域連合など被災地以外の 自治体が効率的に支援が行える よう、災害復旧事業を代行でき る仕組みを作るよう要望します。また、復興の手法については、関東大震災のあとに設置された「復興院」のような新たな組織を作るのではなく、財政措置や規制緩和で対応すべきだと提言しています。関西広域連合の連合長をつとめる兵庫県の井戸敏三知事は、「阪神・淡路大震災の経験に基づいて、今後も具体的な復興の道筋について国に対して積極的に助言を行っていきたい」と述べました。

03月29日 18時49分

関西広域連合には 地方分権の1つの方法として立ち上げられたときから関心を持っていた。奈良県が屋上屋を重ねると言う理由で加盟を断ったらしいが、これは知事の意向らしい。
奈良県民よ。今回のような大災害が起こったことを考えて見ると、取り残されるという不安を感じないだろうのだろうか。知事の言う訳のわからない理由で連合からの協力や援助もなく、一人独力で関西地域においていったい何が出来るというのだろうか?
地域分権を独力で達成されるとでも考えているのだろうか。知事の見解は全くの愚見だ。奈良県民は非常時の時になってはじめてこの愚策を味わうことになるだろう。

さて関西広域連合は上記のような提案を行った。こういう災害の時はやはり現場をを知っている自治体が現実的な行動を取りやすいし、これが復興準備に一番手っ取り早い組織体である。国は復興庁構想を考えているが、現場は現場に任せて制度的な支援や技術的な支援だけで後は広域連合という即戦力を活用するのが、今はベストだ。
一方で広域連合の実力が試されることにもなる。

阪神淡路大震災と言う経験を踏まえて、いろいろな復興ノウハウがあるはずだから、多分その応用が利くので、すぐ活用できると思う。何事も国の力でという時代のままでは、将来の展望も開けない。今は地域力を、それも大震災を経験し、発生した諸問題もクリアーした実績を生かすべきである。この提言が採用されて一日も早い復興が指し遂げられんことを希う。
この現実的で意欲的な関西広域連合を頼もしく、また関西人として誇りに思う。

福島県いわき市 「五重苦」に直面

2011年03月29日 | Weblog

東日本大震災
 福島県いわき市 「五重苦」に直面
毎日新聞 3月25日(金)10時18分配信

1,地震 
2,津波の被害に加え、
3,福島第1原発事故の直撃
4,最も南にあるいわき市は、中心部が原発から約40キロ離れており、原発周辺地いわき市は「危険」というなどで広がり、物流が滞るなど市民生活に深刻な影響が出ている。
5,農産物の出荷停止が加わり、「五重苦」に直面した街を歩いた。
その時の様子の報告。

停電で魚市場は閉じたまま。原発近くの海水から放射性物質が見つかり、漁師は「魚取っても誰も買わねえっぺ」と、いら立つ。地元漁協は「昨年取ったサンマの加工品もキャンセルされた」と嘆く。22日朝には、ガソリンスタンドを起点に150台に及ぶ車列が延び、ある人は前日午後3時から車を止めて一夜を明かした。

 「勤務先では断水が続き衛生面が心配。おむつなども届かない。車がないと生死にかかわる」と訴えた。
常磐自動車道は東京からいわき市まで一般車も通行できたのに、物流は滞った。ガソリンも、約80キロ離れた郡山市へタンクローリー車を迎えに行く始末だった。
鈴木英司副市長(59)は「地震、津波、原発、風評被害の四重苦。原発事故が終わらないと、地震と津波の対策に取り組めない」と訴えた。市と業者が先週末から「原発から遠く、安全です」と訴えて回った効果からか、物流は回復しつつある。

明るさが見え始めたようだが、福島県産農産物で出荷停止の品目が広がる。
 いわき市は県内最多の人口34万人。そのうち、屋内退避区域の人口は約5000人。
県が測定する放射線量も、県庁所在地である福島市の約3分の1前後にとどまっている。
以上は毎日新聞 3月25日記事からの抜き書きである。これはいわき市だけの問題ではない。東北四県に多かれ少なかれ、共通した問題である。
なんと言っても被災地域が広すぎる。受けた損害の規模が大きすぎる

今までに、東北地方は地震津波による大災害が発生したと歴史書は伝えている
が、僕は過去のどの災害よりも大きいと思う。というのは、発達した文明に支えられて我々の生活基盤が構成されているからだ。1000年昔に同じような規模の地震と津波が押し寄せいたとしても、今のようにガソリン不足は生じなかった。医療不足もなければ、放射線汚染で被害を受けることもなかった。勿論人口も少なかった。

現代は文明社会で生活基盤はその上に乗っかっている。基盤が崩れると、もろに被災する。文明のもたらす便利さと引き替えに、災害の時は大きな損害が発生する。
人的損害、生活インフラの損害 農産物被害など古代にはなかった損害が続出する。こういう観点から見て、今回の東北関東大震災は、日本の歴史始まって以来の最悪の震災だと言える。それにしても東京電力の頼りなさ。いったいこれはどういう事だ。東電よ。お前が主体であると言うことを忘れるな。

御霊よ安らかに眠れ 

2011年03月28日 | Weblog
御霊よ安らかに眠れ     11/03/24

悲しい出来事に居ても立ってもいられず、今まで不幸な出来事に対しては、心の思いのたけを鎮魂曲という形で書いてお供えしてきた。それによって自分なりには哀惜の情と気持ちを表してきた。

戦争のために大分の防空壕の暗闇の中でひとり寂しく餓死した
「ムッちゃん」を悼む歌を手始めに、大阪大空襲の犠牲者に対して
日本航空の羽田沖事故、同じく。日本航空の御巣鷹山の事故
阪神淡路大震災の犠牲者などに鎮魂曲を書いて鎮魂の情を捧げてきた。

自分が目にした悲報にはいつも胸が痛んむ。
ここ2,3年はやめているが、それまでに20年ほど毎回出席して、慰霊祭には鎮魂歌をお供えしてきた。

近代日本史の中で例を見ない大災害が起こって30余万の人々が避難生活をしている中で、また行方が知れない犠牲者の数もださだまらないのにどうして鎮魂曲が書けよう。まだ早い。収束の兆しが見えないで、人々が不安に駆られているときに、鎮魂曲どころの騒ぎではない。僕の心の中は悲しみと苦しみが渦巻いて、怒り天をつくという状態で、平常心は取り戻せてない。
ある程度の見通しが立ってからでないと、現実にも、また僕の気分の整理にも、落ち着くまでには時間が必要だ。

それでも、昨日テレビで見た場面を僕はっけしてわすれる事はないだろう。、被災者の中で一家族から四人の犠牲者が出たと言う話には泣けた。満足な野辺送りも出来ない状態で、最愛の肉親と最後の別れをした、彼は呆然と立ちすくみながら「子供や父がいて当たり前なんです。それがこうして見送らなければならないなんて」、、、つぶやいた。天災とはいえ何と気の毒な、、、、後は言葉にはならない。

被災者の皆様にお見舞いの言葉「今は日本国家に甘えてください。その次に頑張って元気を出してください」と

そして犠牲になられた幾万人の方がたに対して、唯々ひとえに御霊の安らかならんことを希いお祈り申し上げます。



生命

2011年03月27日 | Weblog
生命

東北大震災の地震や津波や火事から、からがら逃げてきた人達は、命が助かってありがたい という言葉を口にしていた。現実にはあの苦難を乗り切って、命が助かったのだから、この言葉には真実味がある。
その通りだ。僕もあなたたちが助かった事を喜ぶし、ほっとする。

ところで命が助かっても、これから生きていく上には、幾多の困難が控えている。その困難にうち負けて、これじゃ死んだ方がましじゃなかったのか、と言う思いが頭をよぎる時があるかも知れない。そう言うときも命のありがたさを想いだして乗り切ってほしい。

災難に遭わない人でも、時には死んだ方がましだと言う思いに駆られるときだってある。人間としてうまれて寿命まで長生きすると言うことは、実に大変なことなのである。
その大変な営みを営々と続けて、今がある。いや今回の被災で判るように、自分の命を的にして、人命救助を命がけでやっている人達、例えば近くでは医療従事者、遠くては災難救助活動や原子炉事故対策実施部隊などなど。
つまり命を守り抜くために、活躍している人達を見て、生きていると言うことがどんなに大切なことか、思い知らされる。

虚無主義者は、だから生きているってたいしたことじゃない、という。
宗教家は生きている今に感謝せよと言う。庶民はそんな事考える暇もない、今日一日の生活におわれて生活をしているのだから。

どの説もそれなりの説得力があるが、いずれにせよ死の体験も実感も持たないものが言う台詞で、観念だけの想いであるから、それなりにしか受け止められない。

要するに、20日以上も生死の境をさまよった人の言うように、楽しい思い出作りが肝心で、死ぬときに持って行けるのはこの思い出だけだと言うことである。
ならば、宗教人の言うように今日の命をありがたく受け止める自分を作ることが大切に思える。だからといって信仰心が生まれるとか、一層深まるような事はない。僕にはまだ生きている意味が、分かっていないのかも知れない。片足を棺桶に突っ込むような、年齢なっても。

電源喪失想定できぬ。謝罪せよ

2011年03月26日 | Weblog
電源喪失想定できぬ。謝罪せよ: 11/03/26

26日付朝日新聞から、記事を拾う。

1、非常用を含めた電源喪失の実態については、原子力安全保安院と、原子力安全委員会の両トップが過去に、
「そうした事態は想定できない。」との趣旨の考えを明らかにしていたことが分かった。今回の事故でこの発言は完全に間違っていたことを証明した。
「そうした事態は想定できない。」ということは完全に間違いであった。

今回の事故を見たら、誰でもそう思う。安全がうえにも、完全と言う考え方ではなくて、これでは、想定外の事が起こったのだから、それは免責だといわんばかりだ。考え方や原子力の怖さに対する認識がものすごくあまい。危機感のなさと、責任感が希薄だと言われてもしかたがない。
原子力の場合、一たん事故が起こったら、人間の力で、コントロールできない部分が発生する。これほど恐ろしいことは無い。ということは、起こりえないようなことまでも想定して、安全性を確保するということでなくてはならない。
これが安全に対する基本的な考え方ではあるまいか。

2,2006年10月の衆議院内閣委員会では、原発で非常用電源が失われた場合にどういう事態が起こるのか。という質問に対して、当時の鈴木原子力安全委員長は、日本の場合は、同じ敷地に複数のプラントがあることが多いので、他のプラントと融通するなど、非常に多角的な対応事業者に求めている。と説明した。

もし彼が言うとおりであれば、今回の福島でも、プラントの融通の仕合によって、多角的な対応ができているから、これほどまでの災害をもたらさなかった筈である。災害が起こったと言うことは、とりもなおさず、彼の認識の甘さが露呈している。

3,同じく、原子力安全保安院の寺坂委員長は、理論上は、炉心溶融もあり得るとしながら、そういうことはあり得ないだろう。というぐらいまでの安全設計はしていると述べた。
今回の事故を見て、果たして彼の言うとおりであったか。?
完全に、其の間の認識が甘い、間違いであったことを、福島原発事故はそれを事実によって証明した。
同時に彼は、現在も、安全を確保する保安院トップとして、福島第一原発の事態収束に向けた指揮をとる立場だ。とにかく自分の見通しの甘さによってこの事故を防ぎ得なかったのだから、当然責任がある。どう責任を取るのか?

炉心溶融の可能性を、認めていたのに、何も対応しなかった責任は重い。と質問をした吉井氏は指摘、追及している。

4,現在の原子力安全委委員長の斑目は、中部電力の浜岡原発をめぐる訴訟で、「原発内の非常用電源が全てダウンすることを想定していなかったのか」と言う質問に「割り切りだと」話した。現在は、この現状を見て「割り切り方が正しくなかった」と発言している。
これはいったいなんじゃ?これが学者の発言か?
原子力については学問上優れた学者かもしれないが、非常に視野が狭い。原子炉の安全は社会的に影響が大きい。まかり間違えば放射能汚染でこの国土に住めなくなるかも知れないという重大な問題を前提として抱えている。原子炉の安全はもちろんだが、その前提には国土の安全が保証された安全でなければならない。
なのに、
「割り切り」とはいったいどういう意味だ。?まったくもって、科学者的な態度ではない。これは山師のセリフだ。「この際、非常用ディーゼルに、これもあれも考えましょう。こうも考えましょうと言っていると設計ができなくなる。ちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせ言ったら、ものなんて絶対作れません。」と証言した。 原子力に関してだけは、そういう事態をすべてクリアーしなければゴーサインを出すべきじゃない。今回のことで判ったろう。君は極端論を言っているが、被災した原発の津波対策は、素人目にも甘いと感じるが。今回の事態が発生した主因は地震よりもむしろ津波対策の脆弱性による機器の破壊が問題になっている。
開き直った言い方ではではなくて、正論としていうが、それでは、今回のこの災害を腹の内では認めていたということなのか。作れないものを作ったということは、原子力安全委員会の長としての発言か。到底、許すことのできない暴論である。
この無責任、暴論に対する責任は、立場上、きっちり取ってもらう。当たり前じゃないか。今、福島県民が、原子力災害によってどれほど苦しめられているか。現実を見てもわかるだろう。君の判断が甘かったことを、天は君に知らしめたのだ。謙虚になって反省せよ。それはそうでない、というならば、人間として、失格だと思うし、残るのは、厚顔無恥というあざ笑いと軽蔑だけである。長たる者そのくらいの道徳心は持たないと恥ずかしくないか。





























原子力の事故

2011年03月25日 | Weblog
原子力の事故

事故の概要
東海村のウラン加工事業所で放射能漏れが起こった。定められた手順を大幅に変更して裏マニアルをつくり、その上に、まだ手抜きをしていたという。事故の重大性を考えるとき、開いた口がふさがらない。原子力関係の仕事に携わる資格はまったく無い事業所であり、従業員集団である。
 
ウラン加工所で臨界事故が起こり、この工場を中心として、半径10kmの住民に避難勧告が出された。特に半径350mの住民は避難のために地区センターに閉じ込められ、10km圏内の人々は2日間たって自宅に戻れた。半径350mの近隣の住民は事故発生から四日目になってやっと自宅へ帰ることは出来た。

何しろ目にみえない相手だけに不気味で、すっきりしない。
 心配し出したらきりが無いが、次世代への影響がどうなるのか。
心配し出せば、未経験なだけに、心の底から晴れる日は無いだろう。
なぜこんなことが起こったのか。それは直接には作業ミスということになるが、それよりも大きなミスは原子力委員会の認識の甘さによる。
 
許可した手順を遵守すれば、事故は起こらないという前提に立っているが、万が一にも許されない原子力関係の事故の前提が果たしてこれで良いのであろうか。つまり人間を信用しすぎてはいないか。機械に信頼を置きすぎてはいないか。自然を甘く見すぎてはいないだろうか。
私流に言えば、自然災害や人間や機械に対する認識のあまさみたいなものが気に掛かる。

人間は必ずミスを犯すとい大前提がすっぽり抜け落ちているのだ。
機械は不備もあるし、故障もする。人間はミスをするし、手抜きをするし、さらに悪いことにはテロリストが、このような原子力関係施設を狙うかもしれない。それでも安全といえるもの,即ち現在考えられるあらゆる危険性を完全にクリアーして、なおかつ、ミスをしないように関係者を教育訓練をすると同時に何重にも安全チエックが働くシステムを作らないと、周辺住民はたまったものじゃない。

原子力関係の事故というと、一旦起こったら取り返しがつかないから、万一がゆるされないのである。
 原因がなんであろうと、取り返しのつかないことゆえ、,絶対に起こっては成らないことである。
 あっては成らない事故が起きたとか,予想外の出来事だとか、全く想定してなかったとか、いう反省の弁が聞かれたが、ピントはずれもいいところ、丸で落語の世界でしか通用しないような言葉が責任者の口から漏れてくる。お粗末すぎてしゃれにもならない。
責任者がこの程度では到底、原子力は安全だとは言い切れまい。今までの安全概念をすっかり捨てて、新しい発想の人達が、新しい完璧な安全規則を早急に作るべきだ。

 事故発生から十時間の経ってから政府は対策本部を設置した。決定的な遅れである。この程度の事故で済んだから良いようなものの、これがもっと大きければ、付近の住民に対する対策の遅れによる被害は、拡大していたに違いない。この国の政府は肝心な時には必ずといって良いほどボロをだす。つまり危機管理能力に関しては無能なんだ。

6000余人の死者が出る阪神大震災のときもそうだった。発生して、だいぶ時間が経過してから対策本部が置かれ、初動しだした。初動体制の不備は、後になれば成るほど被害が拡大する。災害や、原子力事故のような国家の危機を、常時24時間体制で監視する部署はないのか、そういうシステムは作れないのか。

もしシステムがあるとすれば、総点検が必要である。場合によってはシステムを再構築することだって必要かもしれない。
許認可権を持つ政府関係者も、この際は十分責められるべきだ。こんなずさんな計画を作った原子力委員会のメンバーは直ちに責任を取って辞任し、新しい感覚の委員を早急に選定すべきである。

図らずも今回の事故は貴重な教訓を、たくさん残してくれた。たとえば政府の危機管理能力のなさ、こういう事故の対応についての知識不足、県や村などとの連絡の悪さ、
原子力関係の事故が起きたときの住民への対策,(避難,被爆を少なくする対策、機材や,薬品などの用意)の不完全さ、などを露呈した。ここから多いに学ばなくてはならない。
 再度繰り返していうが、今回の事故は大きな被害で、国の安全基準を見直してより完璧なものに作りかえるチャンスを与えてくれた。それは事故防止だけでなく、万一事故が発生したときの対応の仕方、政府・行政のとるべき態度、現場対策などあらゆる面から厳しく検討して、より安全な原子力政策を作るように求めた神の無言の声・注意だったのかもしれないと僕は受けとめた。

記録をくってみると、この文章は2004年に書いている。あれから7年たって今度は比較にならないほど大きな原子力事故が起こった。
今は以上のことの是非を論じ合う時期ではない事を承知の上で、東海村の原子力事故の記事をあえて載せてみた。

政治家にいなのならば、経済界でも良い。この難局に敢然と立ち向かい国民力を総結集して、ひっぱていってくれる人物がほしい。我の命よりも国家の一大事をすくうために全てを投げ出せる知恵と勇気のあるトップリーダーがほしい。今こそ歴史上の人物になるような人物が出てほしい。福島原発を許認可したのは、時の自民党である。自民党から出ても良さそうだ。今は高嶺の見物をしているときではない。








石原都知事の発言

2011年03月24日 | Weblog
石原都知事の発言

14日「日本人のアイデンテイテイーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。」

天罰が下って生死の境をさまよっているのか 我々は。なんと言うことをいうのか。時と場合を考えよ。被災者の怒りの叫びが聞こえてくる。

その通りである。明らかに不適切な発言だ。宮城県知事がかみつくのも当然で怒りはよくわかる。

それを肯定した上で、今一歩改めて考えると、TPOの適切さは欠くが、この発言は言い得て妙という部分がある。

戦後65年日本は歴史上かって過去に例を見ない発展を遂げてきた。経済発展、それにつれて、大和魂、日本人魂、武士道の核心部分を忘れて、経済発展に酔い心の荒廃を招いて、思い上がっていた部分が有りはしないだろうか。

たとえば食べ物。調理した何割かは捨てていた事実がある。地球上には飢えている人々がたくさん居るというのに。

勤勉で質素倹約を旨として、他人の心や気持ちを状況をおもんばかり、礼儀正しく人情豊かな大和魂を今一度取り戻すべく、一度胸に手を当てて考えてみるための便とするならば、現時点では不適切な発言も意味を持ってくる。僕はそう思う。

ただし大阪府の府議会議長の発言・府庁移転に絡んで「地震の発生は大阪にとってプラス」はいただけないというより、あまりにもお粗末で、話にならない。不適切きわまる発言で人格を疑う。レベルが低すぎる。彼の発言から学ぶことは何もない。不快な気分が胸につかえるだけだ。次元の低さにおいて、人間力のレベルにおいて、橋本知事とは比べようもないが、比べたらまさに月とすっぽんだ


これで説明になるのか

2011年03月23日 | Weblog
これで説明になるのか

テレビを見ていると、なじみのない専門用語がどんどん飛び出してくる。
たとえば放射性物質の放射能の強さを表すマイクロシーベルト、聞いたこともない専門用語で頭が混乱する。そしたら今度はミリシーベルト。もういやになる。100倍だろうが1000倍だろうが我々庶民には、関係ないじゃないか。 さらにベクレル。聞き慣れない言葉に嫌気がさす。そして中身はわからない。それは不安につながっていく。

ポイントは被ばく量がこれ以上になると健康に害が出る、だから時間を勘案して、危険なときはアナウンスするから、それまでは安心してほしい。と言えばよい。

直接被ばくする危険にさらされる人々、(たとえば現場で働くレスキュー隊員など)には細かく指示する必要があろうが、一般庶民には、専門用語を使っていかに詳細に、正確に説明されようとも、その意味はわからないから、恐怖心をあおられる一方である。

そうでなくても、放射能は怖いという一般常識が頭にこびりついて、不安がいっぱいだから、それに具体的に数字で示されると、中身はわからなくても、これじゃ東京以北の人は、いっそう怖さが増すのではなかろうか。それは風評被害につながていく。

基準値の制定理論を聞いてみると、安全度はかなり高いとは思うが、その想定の仕方に現実離れした前提があるように思う。学問的な安全度の策定は結構だが、現実に、普通の家庭生活ではないような、長期大量摂取、たとえばほうれん草を毎日200g30日連続して食べると言うことを前提にしても、今出ている放射能の数値は人体に影響を与えないと言う風に説明されている。ここで僕の頭はこんがらがる。

ほうれん草を毎日200g30日続けて食べるだろうか?人々はそんなことを現実にやっているのだろうか。?
世の中は人様々だから、あるいは毎日食べ続ける人も居るだろうが、そんな人は少し控えるだろうから、僕にはこんな前提は考えられない。せいぜい週一回食べるくらいである。

政府の発表は「この数値は念のため販売禁止にするが、食べても多食(これは曖昧である。ここは科学的に正確な数値を明示する必要がある。)さえしなければ 人体に悪影響は残らない程度の物である。」と言えばわかりやすい。

数値は絶対だが、解釈は人によって違う。冷静に対処してほしいと言っても、心の中に恐怖心を持っているから、風評被害が発生するのだ。

収穫期になって、出荷停止を言い渡された生産者は泣いていた。

天を恨む

2011年03月22日 | Weblog
天を恨む

九日ぶりに、八〇才の老婆とその孫が助け出された。落ち込んだ気持ちに光を射す朗報だ。他人事ながら、涙が出るほどうれしい話だ。

そこで考えた。今回の災難で、一瞬にしていのちが奪われた人もいただろうが、二,三日は生き延びた人もきっといただろう。ところが不幸にして、救いの手が届かず、黄泉の国へ行った人もいたことだろう。いや現に今でも救いを求めている人がいるかも知れない。
こう考えると、人間万事塞翁が馬ということわざが、わかるような気がしないでもないが、今度の天災が塞翁が馬だと割り切ることは出来ない。あくまで人の運命の不思議と言うよりも、人情に反した不条理な事を引き起こした天を恨む。

我が身にしみる

2011年03月21日 | Weblog
我が身にしみる

運悪く三月十一日、大震災の日から、風邪を引いて寝込んだ。起きていて体を冷やしてはと、心配になり、電気毛布を入れて、24時間温めて、ふとんに横たわった。
逃げ遅れて、海水でずぶ濡れになった人に、零下五度の寒さが襲う。その状況を我が身に置き換えてみると、身体がぶるぶる震えた。寒さが乗り移っているような気分だ。これは自分の頭の中での想像に過ぎない。もしこの状態が現実であるならば、健康を回復するだけの体力や、気力があるだろうか。

現在持病で治療を受けている人も多いことだろう。また避難所暮らしで体調を崩し、余病を併発している人も多いことだろう。お気の毒に。医薬品の不足にくわえて、医者や看護師の手も十分廻らないことだろう。ああ気の毒に。何も出来ない自分が歯がゆい。
出るのはため息ばかりで、神経は最高にいらだつ。この状態では風邪の治りも遅れるだろうが、いらいらは、どうにも止まらない。

テレビを見なければ、情報が得られないから、消そうと思うが、原子炉の冷却に命をかけて、現場で働いている人々に、熱い想いを持っているので、それが気がかりで、スイッチも切れない。

何時になったら平常心に戻れるのか。何とかしなくちゃと思い、空を眺めて春の陽気に目を移したが、明るい筈の太陽も灰色にしか見えない。

風邪を引いたくらいで、こんなに身体にこたえて、しんどいのだから、避難所で満足に治療も受けられない病人は、どんなにか苦しんでいることだろうと思うと、たまらなくなる。こんな極端な思いは生まれて初めてのつらい経験だ。

何事もそうだけど、我が身をつねってみないと他人の痛みは分からないというが、こうして1日中伏せっていると、被災者の方々の苦悩が身にしみて判る。

政治家の資質を問う

2011年03月20日 | Weblog
政治家の資質を問う

今は非常事態だ。国民特に被災者に目を向けていない政治家は、次回の選挙では必ず、落選の憂き目を見るだろう。当たり前の話だ。それは選ばれたものとしての役割を果たしているか否かを国民は厳しく見ているからだ。こんな時こそ、代表として選ばれた働きをしないと言うことは、選挙民に対する裏切りだ。
復興と言うことを名目に、税金、消費税のアップをいう火事場泥棒的発想しか思い浮かばない、レベルの低い政治家は税金泥棒の最たるものだ。
政治屋の名も値しない。一刻も早く国会から去れ。
1週間は早すぎた。もう10日にもなる。
民主党にも不満はあるが、今は政権与党としてこの国難を乗り切ることが最低の課題だ。そしてその義務は現在果たそうと、不休の活動をしている。遅々として進まぬ対策にいらいらすることもあるが、十日経つとそれなりに体制も整ってきたように思う。それは司つかさの実績だ。

鳩山前首相に告ぐ。情報に関して云々言っているが、元々宇宙人とあだ名される位だから、君の言うことは現実の思いとはほど遠い。君は直ちに現地に飛んで君が現地でいったい何が出来るのか、肌身で感じてこい。君を現実感覚に戻すには、孤立して未だに救援が来ないで飢えと寒さに震えている人々と生活して、そこから肌身でつかんだことを、発信したらどうか。君が唱える友愛の中味を体を張って示せ。
国民は見ている君の働きを。小沢も同様。今君たちの一挙手一頭足には国民の厳しい目が注がれていることを、よく覚えておくがよい。

この国難と言うときに

2011年03月19日 | Weblog
この国難と言うときに

自民党に問う。
君たちは、この国難を何と認識しているのだ。心得ているのだ。民は飢え、寒さにふるへ、絶望的になっているこの状態を何と見ているのだ。日頃一目置いている石破氏までが手続きの問題を問題視して、救国内閣には組みしないと言った。
平時は与党、野党の対決もよい。ところが今は一時休戦をしてでも、国難に立ち向かう力が必要なんだ。そこの所に何故目を向けないのだ。民の苦しみよりも政党の党利党略の方が大切だというのか。優先するというのか。

そんな党は不要だ。消えてなくなれ。自衛隊が、消防隊員が、東電原発関係者が、自治体が、国民が必死なってこの国難を乗り切ろうとしているのに、よくも非協力態度をとったものだ。
言語道断。あきれかえる。今日は本当に切れた。次回の選挙結果を見ておれ
今日の付けは必ず返してやるから。

それにしても福島原発

2011年03月18日 | Weblog
それにしても福島原発

1号機に続いて、3号機が水素爆発を起こし、今度は2号機が空だき状態になる有様。こういう現状を見ると東電や、保安院はどうして早め早めに、手を打たないのかいらいらする。1号機からは何も学んでいないのか。緊急の場合落ち着きを失って、どのような処置をしたらよいのか判らない状態に陥っているのだろうか。現場ではのんびり構えてね居眠りをいているとは思えないが、後手後手に回り
ものすごく恐ろしい。
相馬では地震と津波と放射能の危険にさらされて、避難所にきた人がいるそうな。
今回の福島原発事故は世界中が注目している。今後の原子力政策にも多大な影響を与えそうだ。この結論が胸をなで下ろす、結果に早くなってほしい。

燃料棒が空だきに状態になったとき、チエノブイリ原発の2の舞に成りはしないかと恐怖を感じた。この狭い国土が汚染されたら日本沈没を覚悟しなければならない。やむなくという条件がついているが、こういう事故が起こってみると、制御が出来ない分、恐ろしさが倍加する。100年に一回か1000年に一回かは知らないけど、運悪く今回はそう言う大惨事を経験することになった。

ところでマスコミに対して思うことがある。地震が押せ寄せる瞬間の画面を1日中流している。これはどうかと思う。それよりも避難所に物が届く情報を流した方が役立つように思う。もうここまできたら前向きの姿勢で、救出状況、配給状況の場面の放送をしたほうがよくはないか。過去に失われたものはものとして、
現在と未来は我が手の中にある。そこに全勢力を集中しなければならない時だ。
全国放送よりも被災地域放送を重視して、24時間避難所とテレビ局を結びつけたらどうだろう。東京をキー局にするよりその方が即応戦力になると思うが。地方テレビ局の使命はそう言うところにあるのではないか。

想定外

2011年03月17日 | Weblog
想定外

今回の原発の危機を見てつくづく思った。まだ今からどんなに風に、事態が悪化するか分かったものではないが、このまま制御不能が続かないで、一刻も早く冷却することを願うばかりである。

いったん事故が起これば、制御不能に陥る原発には「想定外」があっては絶対許されないことだ。ここまでやるかとあきれるほど、事故防止対策が講じられて、それが  当たり前の対策  でありレベルである。

安全対策をこの程度に考えていた関係者は徹底的に糾弾されてしかるべきだ。地震対策として、原子炉 容器 核燃料 冷却系統機器 その運行システム
あらゆるものが、十分の余裕を持って設計されていて当たり前の話だ。
津波は5m位を想定してたと発言があったが、今回はそれを上回った。その辺が絶対甘いと指摘する。
条件にもよるが、津波は所によっては30mにもなる。それをクリアーした設計が成されるべきで5m云々では安全設計とは素人でも思えない。

大体保安院の考え方は以前から甘いし、危険感が欠如している。このことは東海原子力事故の際にも僕は指摘したことがある。この程度の安全性しかかんがえていないのなら、全員クビにして、総入れ替えをした方が良いと提案しておいた。

今回も彼らは会見を開いたが、訳の分からんことを平気で会見と称してしゃべる。
真剣に聞いては見たが、会見内容は不得要領だ。つまり彼らもよく分かっていないのだ。それを専門用語を使って説明しようとする。一体誰にむかって説明しているのか。政府、専門家、マスコミではなく、危機が迫り避難する必要がでてきた人達を始め、国民の大半が解るように説明すべきである。それが全然出来ていない。
これでは、おしゃべりをしているだけで、説明会見にはなっていない。この辺のところが彼らには解っているのか。反省しているのか。 福島原発事故が一段落したら、これに懲りて日本国中の原発の総点検が早急に必要である。この次は想定外は絶対に許されないのだから。