日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

乗り物

2014年01月31日 | Weblog
: 乗り物

車か電車かの選択肢なら、迷わず電車を選ぶ。電車には夢がある。おそらく電車は見慣れない土地へ自分を連れて行ってくれるということが夢を見ることにつながっていくのだろう。
子供の時分は汽車が走っていたが、白煙と黒煙を吐いて走る汽車は、今思い返してみると、ほのぼのとしたノスタルジアに心が包まれる。またそれと同じく出発進行の汽笛の音が聞こえてくる。
ゴッドンゴットンと大きな車輪が回り出すと汽車はゆっくり動き出す。そのゆっくりリズム体に刻み込まれた。

それに比べて今は、出発合図の笛がぴーっとなると、一斉にドアが閉まる。と同時に電車は動き出す。ビジネスとはこのように効率的に動かさなければならないが、全く味気がない。
笛の一声で気持ちまでもビズネスに変わってしまう。現代とはそんな時代である。

年収120万円未満6-59

2014年01月30日 | Weblog
年収120万円未満

10代や20代の独身女性の年間収入が120万未満であるらしい。中にはシングルマザーもいるらしいが、月に10万の収入でどうして希望を持って生活ができようか。その日暮らしがやっとじゃないか。とても結婚どころの話では無い。
その人数たるや驚く。 500万人とか。今の日本では1人が生活していくのに月に
10万円が飛ぶように消えていく。1DKでも借りれば2~3万の家賃が飛ぶ。
水道光熱費は1万では足りないだろう。電気、上水道、下水道、ガス料金は賄えない、基本料金だけでもしんどいのと違うだろうか。
飲まず食わずで、固定費だけで5万円は必要だ。残りの5万円で衣料品や食事代その他をまかなうとすれば、 3食食べてチョン。、ギリギリの生活である。これが現実生活であれば将来に夢も希望もなくして、当たり前である。

憲法に保障された文化的な生活や生存権はこれで守られているのだろうか。
そこでたった1つのちっぽけな提案をしてみたい。
1DKや 2DKの公営住宅を建設して、彼ら彼女らを優先的に入居をさせて雨露を凌ぎ、人心を安定させ、定職につかせることが必須条件だと考える。
次の世代を担う若人が、夢も希望も持てない現実の下で、文化国家とは一体何なのだろうか。
確かに我々現役世代時代ではこんな話を聞いたことがなかった。経済成長真っ盛りであったから、若人が何百万人もこんな底辺にいるとは想像ができなかった。
確かに時代は移るのだろうが、それにしてもこの現場はひどすぎる。見逃すことができない。
とりあえず1DKでもいいから公営住宅に住まわせる。そしてそこから働きに行ってもらう。
この提案は福祉政策では無い。国家の基盤づくりのあり方に一石を投じるものである。
今夜もこんな寒い季節に満足な寝所もない若人が街をさまよっていると、我が身に置き換えて考えてみると、暗たんたる気持ちになってくる。日本の未来が安じられる。

今日の一般教書演説でオバマ大統領は格差是正を呼びかけ、8$の最低賃金を10$にする旨発表した。ホワイトハウスに勤務する臨時職員の時給をUPする旨発表した。

原発に関する疑問

2014年01月29日 | Weblog
原発に関する疑問

甘利氏。 科学的根拠に基づいて 反論されたい。

1 福島第一原発事故に限らず、原発事故はどれも人災であると思うが、、、、。
汚染水もれ 、 メルトダウンは人災の典型だ。

2、安全基準が高くなればなるほど、安全を確保するために投じるべきコストが大きくなる 。そのコストはどこに含まれるのか。それを含めて現在のコストが計算されているのだろうか。

3、廃炉となる際には莫大な費用が発生する運命を避けられない。
安全基準が高くなることで、廃炉に伴うコストも高騰する一方なのである。これは事実だと思うが、、、、、?
将来の廃炉を想定すべき原発運用には初めから巨額の費用が発生することが不可避であ
る。この巨額の費用を現在の原発コストに加えて初めて安価であるかどうかがわかる。
原発コストは安いだろうか 業界の出しているコストは終末処理費を加えない、でたらめなコストを提示していると思うが、、、、。

電力業界の利益代表をしていたようだね。朝日のすっぱ抜き記事(違法とは書いてない)にかかれた内容を読んで、献金状況を見ると、誰だって裏があったのかとかんぐるぞ。

死刑について元刑務官の証

2014年01月28日 | Weblog
死刑について元刑務官の証言

弁護側が死刑の実情を裁判員に説明するために、裁判所に申請し認められたものだ。
確かに死刑の実態は一般には知られていない。かといって正しく実態を知らせ必要もないとぼくは判断する。
これは弁護側が死刑の執行と言う嫌な場面を思いおこすということによって、裁判員たちに死刑を思いとどまらせるようと言う弁護士の作戦に見えて仕方がない。
こんなの知らせる必要がどこにあるのだろうか。
学者は死刑囚の日々の生活など裁判員が自分たちの課そうとしている罪の形がある程度具体的にわかって、考えるようになるだろうと、言うが、僕は全く逆のことを考える。間違いなく裁判員には予断と偏見を与えることになると思う。
死刑になる人は死刑に値するような残虐な形で人を既に何人か殺しているのである。その事実は厳然たるもので、きちっと押さえておかなければならない。
目的が何であれ、死刑の実態などを証言として話に聞かせることは、所詮はとんでもないことだ。悪く考えれば、証言をする2人の著書の宣伝をやっているようなものだ。
死刑の実状況を聴くと死刑を避けようとするほうに働くのが人間の心理だ。
という事は既にそういうことによって、裁判員の心理に死刑の残酷さのイメージを残して死刑を免れようとする弁護士の作戦だ。
それはとんでもないことだ。
なぜ裁判所が認めたのか、その辺がわからない。こーゆーことを認めてしまうと今後の裁判で、死刑が予想される場合は、必ずこーゆー裁判員に実況説明すると言う手続きを踏んで、と言うことが要求されて、裁判の公正さがゆがめられてしまうのではなかろうか。

大河ドラマ黒田官兵衛

2014年01月27日 | Weblog


大河ドラマ黒田官兵衛

主人公の黒田官兵衛の生き方には、両手を挙げて賛成する。
官兵衛ストーリーについては、 10年ほど昔にNHKのドラマで見た記憶がある。
彼の伝記みたいなものも読んで、それなりの知識は持っていたが、 NHKドラマは自分の持っていたイメージを大きく打ち破り、 10倍も素晴らしいものだった。

今年の大河ドラマのテーマは黒田官兵衛。今日で4回目。物語の面白さより画面の暗さに嫌気がさした。「平家」もそうだった。画面が汚いと言われたが、汚いと言うよりは画面の暗さに嫌気がさした。この指摘は同感であった。史実や当時の雰囲気を再現して臨場感を出そうとしているのだろうが、画面をもう少し明るくしてもらわないと見づらくて、、、、、。

冬の真っ盛り

2014年01月26日 | Weblog
冬の真っ盛り

水仙の花は白や黄色の花をつけて美しく咲いている。山茶花も椿に似た花が咲く。椿に似た花が、降り積もった雪の上に1つ転がっているのは、目を惹きつける。

先日浜松市で給食のパンがノロウィルスに感染されて、給食用パンを食べた児童等1,100人余りの人たちが感染した。高齢者感染を除いて、児童の場合症状が出てもに二三日の入院で治る。老人の場合は元々体力がないので、肺炎を併発して、命をなくすことがある。現に京都の病院では、高齢者ばかり4名が死亡している。

冬につきものはインフルエンザである。冬にしては、今日は暖かい方だが、マスクを着用している人たちが3割に満たない。その人たちを見てインフルエンザは怖くないのだろうかと思った。

外出から帰って手洗いとうがいぐらいでクリアできるのだから、マスク着用の上、帰宅時には予防措置を取るが良い。

冬の真っ盛り美しい水仙が花を開きその一方でノロウィルスやインフルエンザが猛威を振るう。

永遠の0を見て

2014年01月25日 | Weblog
永遠の0を見て

(嘘の作り物だ)と映画監督が批判した。嘘であろうと、真実であろうと、戦争というものはこういう悲惨な悲劇が、一人ひとりに襲いかかるという現実は嘘であるはずがない。

映画の作り方については、いろいろな手法もあろうから、どうこう言われないが、戦争の現場と言うものに思いがいたれば、それでこの映画は十分に値打ちがある。

戦争映画が良いとは決して思わないが、これが題材になって戦争というものに思いを寄せるとき、人間の最大悪が戦争であるということに思いいたる。
シリヤやアフリカでは勢力争いで、銃が火を吹いているが、妥協というものをしないと和平は意味がない、完封までに敵を叩きのめすということよりは、妥協して1日も早く殺傷をやめる方が人類の叡智だと思うが… 。なんとか武器を使っての争いだけはやめて欲しい。


鎮魂曲

2014年01月24日 | Weblog
鎮魂曲

1、堺

家庭の貧困な、不和のために家族から引き離されて、苦界に身を沈めた女性たちがいた。境空襲で逃げ場を失い、青春すら味わうことなくこの世を去った。

2、京橋

明日15日は終戦の日である。しかし14日の空襲で、砲兵工廠を狙ったそれ弾が京橋駅を直撃し、 500人とも1000人ともいわれるあ人々が犠牲になった。

3、JAL 123便

羽田発大阪行きの飛行機が御巣鷹山に激突し500人余りが犠牲になった。

4、阪神淡路大震災

6,400人以上が犠牲になった。
首都圏については地震については日常的に広く語られていたが、関西地方では地震についての予報めいたものは何もなかった。

5、東北大震災

いまだに行方不明者が何千人がいる。その行方不明者を生きている者は決して忘れない。いつまでもあなたたちを探し続け、 供養し続けるという趣旨の詞を描いて曲を作った。

そのどれもが僕の犠牲者への想いである。どんなに悔しい思いを残してこの世を去ったのか、と思うとやり切れない怒りが燃え盛り、と同時に鎮魂の情となって浮かび上がってくる。でなぐさめること以外、僕に何ができようか。
そういう思いが僕に鎮魂曲を書かせた。

花は咲く

2014年01月23日 | Weblog

花は咲く. .、、、、

真っ白な雪道… 、この詞のムードを一気に高めるのは、
ソ ファミソドーレファミミーというメロディーフレーズだ。
この出だしで、曲全体のムードを僕は推し量ることができる。
特に(花は花は花は咲く)というサビのフレーズは印象的で、曲全体を通して声域も、リズムも無理のないもので、誰でも口ずさめる。
サビのこのフレーズは深く胸に刻み込まれる。この点が叙情歌には大切なことで、歌いやすい歌は、覚えやすい歌となり、いつの間にか声に出して歌っている。
こういう歌を良い歌として時代が変わっても歌い継いでいってほしいものだ。
確かに昭和時代には随分名曲も多かったけれど、平成時代の歌謡曲では、この震災応援歌が名曲として記憶されるだろう。
いや記憶して次の時代にも歌い継いで欲しい歌だ。
この歌は英訳されて、イル・ビーボ、コーラスによっておそらく世界に広まるだろう。欧米で好まれる音使いだ。

消費自治体が脱原発

2014年01月22日 | Weblog

消費自治体が脱原発

自然エネルギーの拡大は地域振興につながり、原発依存から自然エネルギーへの転換を求める声がさらに強まってきた。
都市の原発依存を変える取り組みも続いている。住民に節電法を具体的に伝え、埋め立て地や空港にメガソーラーを作るなど自前の発電施設を増やす動きが続いている

消費自治体が脱原発を目指すなら、立地自体の経済再建や、自分たちの消費が生んだ廃棄物の処理での負担や協力は避けられないだろう。
立地自治体では、原発は重要な市場産業だ。消費地での脱原発論に対する不満は根強い。例えば福井県からは使用済みの核燃料の中間貯蔵消費地で引き受けるべきだとの意見が出ている

原発の税収や交付金などの恩恵は無い一方で事故のときには大きな影響が出る周辺部の県市町村ほど危機感は強い
関西広域連合は、原発が集中立地する福井県のそばに近畿の水瓶、琵琶湖があることに危機感を強め電力会社に安全に関する情報公開を強く求めてきた。

事故が起こって3年もたつのに、いまだに水漏れ事故がが続く。これはアメリカでもいまだに同じようなことが起こっているという。水槽が腐食してどこからか漏れるらしい。
漏れミスは高濃度放射性物質の撒き散らしに他ならない。それがとめられないのは技術の限界をしめしている。一方汚染地帯が広がってこれは恐ろしいことだ。
再稼動のうわさが飛び交うが、本当に大丈夫なんだろうか。

国策の越し方をきちんと反省し、自治体の動きを積極的に後押しすることを抜きにしたままでは、政府が国策の限界を直視しているとはとても言い難い。






木の中に鎭ります仏6-43

2014年01月21日 | Weblog

木の中に鎭ります仏

神戸の六甲山の西側に再度山がある。その山中に大龍寺というお寺がある。この寺でお不動様を新しく彫刻されて、安置され慶賛法要が営まれた。
法要も何とか無事に済んで、大広間で宴会にたった時、運良く僕は仏師と隣り合わせになった。彼は僕に説明した。

この不動様を彫像するのに、朝4時に起き、般若心経を100回以上唱えながら、井戸水を何百回か被り、その行がすんでから彫刻に取り掛かると言う。
そーゆー修行を何日か続けているうちに、大きさが直径約2mの大木の中に鎮まっておられるこの不動尊のお姿が、木の中に見えてくる。
その見ている像を木から取り出したものだという。
見えている姿に合わせて、余分な気を削り取れば、中からお不動さんがお出ましになる。それをここまで運んで、今日は台座に座っていただいた。まぁざっとこんな話 だった。

木の中にお不動様が鎮座され、その姿に合わせて、余分な木を取り除くと像になるという話。恐らく一般人には分からないだろう説明で、おそらく実感としては受け入れがたい話だと思う。

ところが昨日図書館で借りた西岡常一さんの(木の心仏の心)に出てくる松久仏師も 木の中に仏様があり、それが見えるので、余分な木を削り取れば仏様が現れると書いてあるのを読んで、究極の職人は心眼でものを見るのだと納得した。仏師のみならず、特別な職人魂で、物を見ながら仕事を完成させるのだと感心した。

昨今はすべてコンピューターに頼り、同じようなものを短時間で簡単に作り上げるシステムが一般的だが、同じものを作っても、人間の魂がこもっているものと、機械が作る物とでは魂がコモッテいるか、いないかの違いがでてくる。

職人魂から生まれたものには命が宿っている。西岡さんが言いたかった事はこういうことではなかろうか。
近頃にない感動を覚えながら「木の心仏の心」を味読した。

大寒

2014年01月20日 | Weblog
大寒

今日よりも昨日の方が体感的は寒かった。1年中で1番寒い季節である。今日は大寒。
寒い寒いといっても、大阪の寒さなどマイナス25度など、とても体感できないから北海道の寒さとは比べ物にならない。

最低気温がどうあろうと、寒いものは寒い。今日は布団の中に電気毛布をしいてぬくぬくの中で1日中寝て本を読んだ。
部屋の気温は18度あったから、決して寒いという事はないが、寝正月が恋しい年齢になると、電気毛布が敷かれた布団に潜り込んで本を読む世界は、まさに極楽世界である。

横着をきめ込むと、だらとそちらに流れてしまう怠惰な自分に、喝を入れようと頑張るが、寒さに負ける。
もう2ヶ月もするとつくしが顔を出す。待ち遠しい。

地方議会の3割か脱原発

2014年01月19日 | Weblog
地方議会の3割か脱原発

地方議会何3割か脱原発。国会に意見書

福島事故後全国の455の県や市町村議会が原発に頼らず電力供給する脱原発を求める意見書を可決していた。

原発の立地県に隣り合う府県で脱原発の意見書が多いのが特色だ

関西広域連合は、原発が集中立地する福井県のそばに近畿の水瓶、琵琶湖があることに危機感を強め電力会社に安全に関する情報公開を強く求めてきた
と報道されている。

実際に近畿都市圏に隣接する福井県の原発のどれかに事故が起こると、福島事故とは比較にならないほどの損害を受ける。近畿の首長が反原発を唱えるのは、近畿の住民としては、もっともなことと思う。脱原発とか反原発だとか言う場合じゃない。誰も責任を取らないというより取れない恐ろしいものを、近隣においては枕を高くして眠れない。細川都知事候補が原発反対を主張するのは、自分たちの代弁者として大いに期待したいところだ。


スティーブン・フォスター

2014年01月18日 | Weblog
スティーブン・フォスター(1862年から64年)>

フォスターの曲に取りつかれたのは、中学時代であった。黒人霊歌と言われるオールドブラックジヨウは、魂の叫びが胸に響いた。

若き日はや 夢と過ぎ、わが友、みな世を去りて、あの世に楽しく眠る、

かすかに我を呼ぶ、オールドブラックジヨウ、、、、、、中略

詩と曲が醸し出す雰囲気は霊的なものであって、心にしみ、いつも感動の涙を流した。ロジェーワーグナー合唱団のあの歌声は今も耳に響く。

フォスターの歌は賛美歌風の霊的な感じのするものが多い。
彼の胸中にあったのは賛美歌と郷愁歌ではあるまいか。

ギターを抱えて地方をさまようと、つまるところは(生きること)と言う問いに突き当たり、この観点から虐げられた者としての黒人の魂の叫びを受け止め、過酷な運命に同情の涙を流しながら、これから行く世界、そしてまた奴隷たちの故郷への郷愁を歌に託したのではあるまいか。黒人霊歌と郷愁歌。
それらはいつも彼の心の中にあって、決して離れることがなかった。

僕らの年代は、小学校、中学校で彼の作品を学校で習った。だから日本人はフォスターの名前と彼の数々の名曲を懐かしみ、ピッツバーグにあるフォスター記念館を訪問するのだ。
小中学校で習ったフォスターの曲が生きているからこそ、彼に出会うために記念館を訪れるのだろう。

悲しいことに彼は37歳でこの世を去った。結婚して娘もいたらしいが、貧困のために別居余儀なくされ、彼自身は野たれ死にのような形で人生を終わった。 アメリカ民謡の父と仰がれた偉大な天才の末路に関してはあまりにも気の毒で涙を誘う。
所持金38セント。「親愛なる友と優しき心よ」と書かれた紙切れだけが遺品となった。

ちなみに日本史に触れておくと、彼が生まれた頃には、天保大飢饉がおこり、大塩平八郎の乱があり、彼が活躍した最盛期にはペリーの来航があって、日米和親条約や修好条約が結ばれた頃である。明治維新のほんの少し前に彼は世を去った。

日常と非日常

2014年01月17日 | Weblog

日常と非日常

今日は1月17日。 19年前の今日、阪神淡路大震災が発生した。
1993年に亡くなった母の3回を鎌倉で済ませ,羽田発の最終便で大阪に帰り着いた。夜は遅かったので寝たのは1時過ぎだ。
翌1月17日午前5時46分、ものすごい地震にたたき起こされた。口ではうまく言えないようなものすごい激震である。だが、築30数年以上のコンクリート建物はひび割れ1つ入ることなく無事にその姿を保った。

この激震の震源地はてっきり関東だと思い、関西でこんな大きな揺れだったら、首都は壊滅的な被害を被ったと思った。 夜が明けて震源地が淡路島から、阪神地方だと分かったときは驚いた。
地震は淡路島から神戸、芦屋、西宮から宝塚まで延びていた。

芦屋でも道路1つ隔てただけで、こちら側のマンションは無事だが、震源が走ったマンションは大きくひび割れした。 続いて神戸市街は猛烈な火災に見舞われ三宮あたりも、ぐちゃぐちゃになっていた。文字通りガレキの街と化した。
呆然として市街地を見渡せば風景は全く失われ、そこには異常な非日常だけがあった。
日常と非日常。
平穏無事な日常は決して当たり前では無い。非日常を味わって初めて日常のありがたさがわかった。
あれからもう20年近くなるが、未だに立ち直れずに、落ち着かない人がたくさんいる。