日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

インド旅行記

2018年05月31日 | Weblog
               ダムダム空港1         

                (一)
 40年間日本航空の乗務員として世界を飛び回った人から、イのつく国に行くと、ろくなことはないから、気をつけろと言われてはいたが、ピンと来なかった。
 インドの仏跡巡りをしようと思いたっていた私は警告も上の空だった。

最悪コースのどつぼにはまる
遥か三千里、お釈迦様の国、天竺への思いは、はやるばかりであった。
加えて、インドへ行きたいと思ったもう一つの理由は、仏伝図レリーフが日本に招来された折り、お経、舎利礼文に曲をつけてお供えしたことがあるが、それが北日本放送から特別番組で放映され、さらに、ビデオが英文に吹き換えられてインドに送られたから何となく親しみを覚え、憧れを抱くようになったのだろう。
 
とにかく行きたい。一日も早く行きたい、憧れにせき立てられてイのつく国がどんな実状の国かもかも知らず、また調べもせずに、訳の分からないまま、カルカッタのダムダム空港におりたったのは七月二十日の夜半、二十二時四十五分、激しく降る雨の中のことであった。
 
私の計画ではブッタガヤからラージギル、ナーランダの大学跡を見てバラナーシーに抜け、サルナートへ行く予定だった。クシナガラ、ルンビニは次回にゆずって、そのかわりアーグラやバラナシではゆっくりしようという算段だった。
 
北西インド、つまり、カルカッタからデリーまでの約千四百キロあまりを旅しようと計画したのである。そしてこうすることによって、生活の中にとけ込んでいる仏教の発祥の地をこの身で体感したかったのである。
 
日本にはいまだかって出たことのない大聖人、お釈迦様とはいったいどんなところで生活されたのか、どんな自然条件の中から、あんな偉大な人物が生まれたのか、悟りを得られたというボダガヤの菩提樹の木の下で、私はいったい何を思うのであろうか、そんなことが次から次ぎへと脳裏をかすめ、興味がもくもくとわき上がって来たのである。
 
しかし今振り返ってみると私は好んで観光ずれした最悪のコース(これが最も人気が有ると言われてはいるが)を選んだみたいである。私もそう思うし、このコースを旅した人がよく言うことである。

評判は芳しくない最悪のコースのどつぼにはまったみたいである。  続く    

究極の幸せ

2018年05月30日 | Weblog
どんな条件下に置かれようとも、あらゆることに感謝する心を作り上げることだろう。僕の場合、どういう方向から考えて見ても、究極はあらゆることに、感謝する心境に到達することである。

それがどうした

2018年05月29日 | Weblog
それがどうした。

仁徳天皇陵のために延べ何百万人かの人々が人夫として動員された。歴史に残る文化遺産だ。

絶対的な権力者がこれを示した。

歴史に残ってそれがどうした。?

観光資源にもなるし、第一当時の権力の大きさがわかる。

権力が大であろうと小であろうと、庶民には関係ない。だからどうしたというのだ?

仁徳天皇陵は世界一の古墳で、ピラミッドより、秦の始皇帝陵より大きいぞ。

大きいから何だというんだ?それだけ庶民を苦しめたのではないか。だからどうしたというのだ?

君は何の価値を認めようとはせず、否定的な事ばかり言うので、もう話す気にもなれない。

やめた。

渡久地先生の思い出6-x

2018年05月28日 | Weblog
「君、鉄砲玉というのは前から飛んでくるものばかりではないよ。後ろからも飛んでくるんだ」

「先生。それは同士討ちじゃないですか。つまり日本兵からも撃ってくるということですか」

「そうだよ。肩を打ち抜かれて気を失って倒れた。それしばらくして意識が戻った。

薄目を開けたら、敵が棍棒をもってちかずいてくる。あわやという時に自殺用ピストルを

その男に向かって引き金を引いた。それから気を失ってなにもわからなくったが、

気がついたときは担架に載せられて、野戦病院にいた。

しばらく治療を受けて本国送還となった。右手が動かなかったから、左手だけで生活をしていたが、

帰国してからはリハビリをしたりして、不自由ながら使えるようになってきた。

それから大学へ行ったんだよ。傷痍軍人で少し金がもらえたから、好きなクラシックの声楽を

勉強して声楽家としてデビューしたが、さっぱり売れなくて、廃業最後の日にやけくそで

パントマイムをやったらそれが受けて、曲を書いてみたらというお誘いがあった。

そういう経緯があって「お富さん」も「踊り子」も出来てきたんだよ。」

「そうだったんですか。昭和史に残る名曲の背景には兵隊さんの出世、や死地をさまよった

想いがあったんですね。戦争に巻き込まれなかった僕らとは、ちょっと違うなという気はしてましたけど。

先生。お書きになった、島どうわん宝 にはその辺のことがかかれてましたね。

あの本は先生の反戦記録ですね。1冊は手元に後一冊は平和センターへ寄贈しておき

ひろく多くの人々に読んでもらうようにします。貴重なお話ありがとうございました。

吉田正先生も服部先生もたのしく飲んでおられます。先生一っぱい いかがですか。」

「いやありがとう。」

もう何十年も前のことだが、作曲家協会の年一回の熱海旅行の思い出である。

相当焦っているな

2018年05月27日 | Weblog
北から南へ会談を申し入れたようだ。

今まで使ってきた手法は通用しないことがわかった。

今度はどんな手法を使うのだろうか。予測不可能というトランプ手法に対等に渡り合えるのか、
それともあっさりトランプの言い分を受け入れて、見返りをいかに鮮やかに獲得するのか、

おおいに関心のあるところである。この件ではトランプが優位に立つとは思われない。

優位に立ってくれれば頼もしいとは思うが。、、、

見返りとなると日本が最重要国になる。というのは金の出所は日本だからである。

戦後賠償はしかたがないとしても、拉致に金を払うというのには抵抗がある。

泥棒におい銭を払うことになるからだ。しかし現実は賠償だけではすまない。

取り戻すには何らかの上積みをさせられるだろう。日本は長期的には支払った以上の金を

取り戻す知恵を絞らなくては。

これも台代わりすると胡散霧消して歴史の闇の中に消えていくことだろう。

日大問題

2018年05月26日 | Weblog
日大問題

新聞報道やテレビの記者会見での発言は、驚くばかりの愚かしさを露呈している。

何が問題になり、どうすれば話はつくのか、おおよそ大人の知恵が及んでいない。

体育会系で知恵が浮かばないのなら、せめてスポーツマンとして人柄で決着できるだろう。

自己保身や実質的な責任逃れの言い訳。

これが日大の経営人の体質だとしたら、恐ろしく系レベルの組織体である。

国が調査に入ると言うが、それほど低いレベルであるということの証明で、お粗末そのものである。

しばらくは叩かれ続けるだろう。今となれば真実を語ることの他に解決の道はないだろう。□

でないと国民が承知しないから。

慌てているようすが目に浮かぶ

2018年05月25日 | Weblog
トランプどういう人物か読めずに、いつもの調子で、アメリカを牽制しようとしたが、

見事に思惑外れになった。奴らの慌てているようすが目に浮かぶ。

アメリカの反感を買えば買うほど、首領の斬首と国家の滅亡が近づくことを自覚するが良い

決して忘れるな。相手がトランプだということを

会談中止

2018年05月25日 | Weblog
米朝会談は中止になった。今後、強力な圧力と、戦争をちらつかせたら、北はどう出るか。

北の今までのやり方は、トランプには通じないだろう。トランプの逆鱗に触れたらどうなるか

北は未経験である。予測不可能である。この不気味さも計算上にあったのだろうか。

ワシントンに向けてICBMを発射したら、到着する前に北は国を吹っ飛ばされ、体制を崩壊さ

せられ、正恩は完全に抹殺されているだろう。アメリカの強大な軍事力をあまく見過ぎている。

強がりだけではもちろんのこと、国民を守ることは出来ない現実を知るべきだろう。

ついでにいうならば、実験場の廃棄はショウである。閉鎖しても不都合が生じないように

手段を講じておいて、目くらましであのようなショウを行ったのである。これは前回と同じ

パターンだ。懲りない面々は真っ正直に閉鎖を核開発、実験の中止と受け止めるだろうが、

前例から見て柳のしたに二匹目のドジョウはいないとということを知っているはずだ。

北は危機意識が足りない。今後どんな展開が待ち受けているのか、みものである。

マニラ空港にて

2018年05月24日 | Weblog
  マニラ空港にて          

(1) 
トランジットのために、はじめてフイリッピンの土地に踏んだ。空港内には土産品の免税店があるが、何もほしいものはない。
 トイレには行っても行かなくても良いという感じだったが、念のためと思って行ったら満員だったからロビー内を1周してから再びに行った。今度はすいていて、職員とおぼしい青年が2人いた。
 用を足して手洗いに行くと青年が手招きして、蛇口をひねってくれた。なかなか親切な所もあるものだと思い、ありがとうと言って出ようとしたら、呼び止められて、マネーと言われた。1瞬何の事やら分からず、キョトンとしていたらマネーと催促された。やっと意味が飲み込めた。私は蛇口をひねるだけで料金を取るなんて、せこ過ぎると思いながらも財布を取り出した。しかも2人がかりで、と言うよりは1人が蛇口をひねり、もう1人が金を受け取るシステムになっているような感じがした。苦々しく思いながらも私は財布から金を取り出した。運悪くバーツはない。日本円でしかも1000円札しかない。それを渋々彼に渡した。
ュ    
(2)
どう考えてもペテンである。トイレを出てからむかむかした。こんな輩が空港職員か。こういうインチキをしていると誰も来なくなるぞ。私は心の中で叫んだがそれは犬の遠吠えにも似て、怒り狂う感情の吐露には程遠い。この場に居るとむかむかするので足早に立ち去ることにした。金持ちケンカせずか。腹立ちが収まりかけると苦笑いとなった
         

(3)
あんな汚らしいベッドでわずか200バーツで身を売っている娘に倍の400バーツあげてもちっとも惜しくはないが、善意と見せかけて、金を要求する雲助まがいの奴らに強制的に金を巻き上げられるのはどうしても納得できない。いや何よりも腹立たしい。私は真剣に怒った。この空港の雲助よ。お前たちがしていることの意味をよく考えてみよ。お前たちの貧しい行いが1層我が身を貧しくすることになるということに気がついていないのか。心ない一握りの人間がする行為でもその国全体のイメージをどれほど悪くしているか。早い話が私はフイリッピンにこようとは思わない。まずくることはないだろう。私は一人ごち ヤた。腹の虫が収まらない私は、ある日、友達に話してみた。
         

(4)
 「こんなことはよくある話じゃないか。お前の気がたるんで居た証拠だよ。貧しいとこんなことでもして金を巻き上げるものなんだよ。つまり日本人は日本の感覚でものを計り考えるが広い世界にはいろいろの価値観があってね。例えば金持ちから金をもらうことは当然だと考えて居る奴はいくらもいるさ。たとえその手段が良かろうと悪かろうとそんなことは問題じゃなくて。良い奴も居るが悪い奴も居る。それが人間社会というもので、どこだって同じだよ。わずか1000円で良い経験をしたじゃないか。これは授業料だよ。要はお前の注意力が足りなかっただけのことさ。
例えわずかな労力でも私はあんたの為に水道の蛇口をひねって上げたではないか。これは立派なサービスだ。その代価として金を要求してもなんらおかしいことはない。いやならそう言えばいいじゃないか。俺たちは当然の事をして金を要求して受け取ったまでのことだ。多分彼らはそう言うだろう。身勝手な理屈ではあるが、彼らの言い分はこんなところだろう。」 ・
         
(5)
友人の見方はそれなりに理解できない訳はないが釈然としない。頭では解っていても感情がついて行かないのだ。それにしてもだ。日本だけが通用するルールではなくて人類に共通して通用する普遍の法則がある筈である。私は特別日本人を意識して日本人のルールにしがみついている訳ではないのだが。私に言わせれば日本人は金持ちだから吹っかけたっていいとか金持ちから巻き上げてやれというのは納得がいかないてんである。金銭の授受というのはそれ相応の理由があある時になされるものであるからだ。そしてそれにはそれにふさわしい物やサービスがあったときに金銭は支払われるというのが1番自然ではないか。どんな理屈があろうとも私は今回の件には納得しない。何故なら彼らのしたことには私を納得させるだけの根拠が無いからだ。要するに私はフィリピンには行かない、行きたくない。それだけだ。
いろいろ思うところはことはあるが、私はやはりフイリッピンに行こうとは思わない。
思い出すと今でもむしゃくしゃするから。

へッドライト0

2018年05月23日 | Weblog
            へッドライト

こんにち、車に乗っていてスピード違反を一度も経験した事ガないという人はまず、いないだろう
運わるく、スピード違反取締りの警官につかまったか、いないか、は別にして、車の流れに沿って走るなら最高速度制限時速40Kmでは.もたもたしていて、とても走れたものではない。
誰が車の流れを作るのかわからないが.4OKmの速度制限を無視した形で、一群の車は流れている。夜間か昼間か、空いているか混んでいるか、色いろな道路状況にもよるが、まぁ普通50Kmから60Km ぐらいで 走っているようである。これはスピード制限をうわまわっていることは事実である。しかしこれが自然な車の流れみたいである。
猿が高い所へ登りたがるのと同様に人間は、出来るだけ早いスピードを出したがる本能みたいなものを持っているらしい。事実、直線道路で前方が空いていると、いつの間にか50Kmをオ一バーしているがこれ人間の習性ではなかろうか。しかし諸般の事情を加味してスピード制限を科学的に割り出してみると、安全速度、4OKmということになるのだろう。この科学的数字として表示される速度と、人間の本能もしくは習性によって来るところの速度、あるいはそのときの道路状況の判断による速度との食い違いは、時々ネズミ捕リという不人気な方法でもってしても是正する必要があるのだろう。

 対向車がさかんにライトを点滅させてこちら側に何かサインを送ってくれているのに気がついた。  
ハッとしてブレーキを踏みスピードをおとし制限速度内の40Kmすれすれにした。
どこに警官がひそんでいるのか、見渡したが姿は見えない。だが、道路の端の方に細いコードが這っていたから、恐ら合図を受けたあたりだったんだろう。スピードを落した地点あたりが、見張りの警官が居たところに違いない。
 やられた、と思ったが、パトカーや机を並べて十人ちかくの警官のいる前を呼びとめられることなく通過出来た。
見れば、3、4人が机の上の書類にむかって不気嫌な顔をして何かを記入していた。 いずれ五千円以上の金を指定金融機関に支払いに行くことになろう。法治国家において、自分が法律違反をして罰金を払うのは当然だが、腹の中はもっていき場のない悔しさや腹立たしさで一杯だろう。と、思った途端、ライト点滅によって事前にネズミ捕りを教へてくれた行きずりの対向車の運転をしていた人の親切心に感謝の気持ガわいてきた。
御礼の言いようもないから.私はこの感謝の気持を対向車線で.ネズミ捕りを発見した時は必ずライトを点滅させてサインを送ろうと思った。警官を向うにまわして取り締まられる立場にある市民が協力して.ネズミにならないようにする、これ、生活の知恵とでも言うべきか。
それにしても全く不特定の市民が協同して警察の網にひっかからないようにすることは.共同戦線をはったというよりはそこに何か人間らしい温かさのある連帯感を感じるのは、恐らく私一人だけじぁあるまい。
法を守る精神を持つのは、市民として当然の事ではあるが、法に縛られて身動きが出来ない、つまり人間の自然の情までも法によってガんじガらめに縛りつけるのは如何なものだろうか。
他人に重大な影響を及ぼさない範囲で.順法精神を忘れずに、ある程度の弾力性を持たせて法を理解するのが市民生活の知恵ではないだろうか。 
 少なくとも私はこう考えて生活している。赤信号みんなで渡れば怖くない、というのではない。私の場合は赤信号を見ると安全性を必ず確認して危険がないと確信が持てたときしか赤信号を渡らない。

             



これいいのかいじめの対応

2018年05月22日 | Weblog
広島県の福山中学校でいじめが起こっていた。校長は教育委員会に報告するのを忘れたといい教育委員会は報告が遅れたことは遺憾であるという。
この事件が公になって初めて校長はわすれていたといい、報告遅れは遺憾だとピント外れとをいう。
いじめはすで起こってしまっている。本来は起こらないように目を見張っていじめ発生に神経をとんがらせておくことが学校に課された責務のはずだ。

発生してしまってから、忘れていたとか報告が遅れたのが残念だという台詞はいじめに対して真剣に取り組んでいない証拠である

こういう学校の態度は全国的なもので、学校現場は逃げと隠すことが第一優先になっている

いじめに関してペーパーでどんなに指導しても、実効は上がらないのは学校にはびこる

こういう態度である。生徒が死んだとか負傷したとか。これは重大なことである。その重大性を隠したり忘れたりするのが学校であれば、いじめ問題は犯罪として警察問題にして解決するのが筋だと思うが、、、、。
いじめをどうして学校問題にしておくのだろうか。学校にその力がないことは数多くのいじめが立証しているではないか。

いじめを教育問題として学校に任せておくと絶滅することはないだろう。

はっきり言おう。学校はいじめ問題から常に逃げようとしている。校長を初め担任に至るまで見て見ぬふりをして逃げのスタイルをとり積極的に踏み込んで解決をしようとはしない。

今までの学校の対応を見ていると、明々白々だ。近頃は第三者委員会をつくってそれを隠し箕にしている。事後対策をする前に最前線でいじめを発見して食い止めることがいじめ防止である。報告、それはいじめが発生して被害者が出たことを調査して次に発生するいじめを予防しようということになっているが、すべて後手対策で防止策ではない。いじめがなくならない理由がここにある。

長崎カステラ6-1

2018年05月21日 | Weblog

長崎カステラ

「明日から来なさい」
僕は先生のお誘いに甘えて、午前中は先生の自宅。午後は大学へ通うようにした。身分は日本楽劇協会社員(会員)
「冷蔵庫の中に長崎カステラが入っているので食べよう」
「はい」、、、前のテーブルにお皿を置いた。
「君も食べなさい」
「はい。いただきます」僕は再び席に着いた。そして長崎カステラをいただいた。
気が利かんな。カステラだったら、コーヒーなり、日本茶なり飲み物が必要なのに。 何かいわれはしないか。そう思って先生の顔を見た。

れから再度「いただきます」と言って、顔を見たら、涙ぐんでおられるように見えた。
僕は急に胸が熱くなり、涙がこぼれた。

涙をこらえながら泣いている涙顔で二人は向き合った。
カステラに寄せる先生と僕の想いは、多分同じだったんだろう。

「君。腹が減ってね。かたらちの実をくったがあれはまずくて食えなかったよ。」
幼い頃、今日食べるものにさえ、こと欠いたあの飢えた時代を乗り越えて、今こうして美味しいカステラを口にする。
子供の頃の嘘みたいに苦しんだ、頃の思い出が一挙にこみ上げてきた。
「からたちの実は不味くて食えないんだよ。北原白秋に話したら、
白秋が「からたちの花」を書いてくれた。
そこですぐ作曲して、あのからたちの花が生まれたんだよ。」

「そうでしたか。先生も若いじぶん苦しい時代をお過ごしだったんですね。僕もずいぶん飢えの苦しみを味わったが、先生。思いは一緒でしょうか。」

そこで話は終わって、カステラの方へ手が動いた。
もう60年も前の話だが、山田耕作先生のご自宅でカステラをご馳走になった時の思い出話は、今なお鮮烈に僕の胸で輝いている。

南北平和会談

2018年05月20日 | Weblog
南北平和会談



南北の和平が成立すると喜んだのもつかの間の瞬間、北が会談に待ったをかけてきた。
無期延期ということだ。板門店で首脳が抱擁しあったのは一体何だったのか。
こういうやり方は北の常套手段である。
考えてみると平和という言葉は共通だが、実質的な中身には大きな違いがある。
普通だったらそれはそれとしても了解するものだが、それが通用しない平和という共通概念を自分勝手に悪用して因縁をつける。
予想外のこととして、南はすることなく、呆然としている。
今まで何度か苦い思いをさせられて、まだ身にしみてない
南は夢を見ただけである。
アメリカも似たような思いをしていることだろう。
どんなことでも疑ってかかり、疑問に対処する道をこうじておかないと完全に北のペースにはまってしまう
過去20年も6カ国を相手に振り回し、核兵器を完成させた実績は
交渉事がいかに巧妙で、緻密で、意表をついてくるものか、ということがよくわかる。
だが煮え湯を飲まされた国々は北との交渉術の実態を正確に分析追跡して,
かの国との交渉に使うべきである。,
交渉事においてトランプは歯が立たないだろう。
実力行使以外の道は果たしてあるのだろうか。
甚だ疑問である 。

ご同輩5-50

2018年05月19日 | Weblog
     ご同輩

鏡を見ては、まるで敵討ちでもするかのような憎しみを込めて、一本、また一本と抜いていた白髪も、こう多くなると手の施しようもなく、後は白髪染めを使うことしか方法がないようだ。
暦年齢からすると、人生の折り返し地点を少し過ぎたくらいだが、白髪の数に反して僕は自分の人生にたいして、まだ充実感を味わっていない。
 天下取りのような、だいそれた野望など持ち合わせていないのだが、名もなき庶民の身にも、それなりの夢というものがある。毎日それを追いかけながら、齢を重ね て行くのが、大半の人間の実相というものであろう。
僕もささやかな夢を追い求めつつ、今日まで生きてきた。心の渇きは満たされないままに夜を迎え、朝に希望をつないで、日を送っている。
四十代というと、社会的にも、家庭的にも責任が重くのしかかる世代である。会社ではいやが応でも、責任ある立場に立たされ、家に帰るとローンの支払いやら、子供の教育やら、早いところでは、娘の結婚問題にも神経を使わなければならない。重い責任が二重にも三重にも、のしかかってきて、考えようによっては、大変な世代である。
これら物心両面の重責に耐え兼ねて、時々この世代の人達が蒸発する事件を新聞紙上で見かけるが、身につまされる思いがする。
しかし我々40代の誰もが背負っているこの宿命みたいなものを、投げ出す訳にはいかないから、つらいけれども、歯を食いしばり、明日に向かって頑張っているのである。

俳優の柳生博氏は僕と同い年であ・ R鬘近ごろ彼が新聞紙上で、ある眼鏡会社の宣伝をしているのを見つけた。腰の辺りまで水につかり、魚を釣っている彼の写真が大きく載っていた。よく見ると彼も白髪交じりである。我々みな同じなんだなーと僕は一人で苦笑した。
恐らく彼も仕事上の、あるいは家庭上の責任の重圧にあえぎながら毎日頑張っているのに違いないと思うと、遠い存在であった彼に、急に親しみを覚えるようになった。
新聞紙上の彼は我々同年配の世代に向かって“御同輩"と呼びかけているが、この御同輩と言う言葉の響きがいやに耳に付いて頭から離れなかった。御同輩か。眼鏡も、白髪もか。
フトンの上に寝っ転がって、この新聞の中の彼を見ていたら、ある詞が思い浮かんで来た。それは彼を反射鏡にして映した僕の心境でもあった。
        
ご同輩
          

(一)
長い時の流れの中にいて、いつの間にか白髪交じり
果てない夢を追い続け 幾春秋を 当てなくさまよう
・だけど、ご同輩 今こそ人生の 一番華やかな 潤いの時
地上に 花あり 天上に星あり
           (二)
いつの日か 大空を駆け巡る わずかな望みを 追い求め
昨日の憂いを 心に残し 今日も見果てぬ 夢を追う
だけどご同輩 今こそ人生の一番すばらしい、潤いの時
あせるな、あわてるな、道は まだはるか
     (三)
流れ去り行く 無言の時 静かに響く 鐘の音
短い年月、果てない悩み 昨日も 今日も また明日も
だけど ご同輩 今こそ人生の 一番楽しい 潤いの時
外には 友あり 内には 女房あり。

もともと僕の心情を詞にしたものだから、これに曲をつけることはたやすいことである。
 我々世代に向けての応援歌を作るつもりで作曲してみた。
詞の内容からすると、当然我々男性、40代の世代に共感を得ると思いきや、この作品はもっと若い世代にも共感を呼ぶら ネしい。特に三十代後半のミセスに受けたのには驚いた。きっとそろそろ倦怠期を迎えつつある奥さんがたの、ハートをゆさぶるような甘い声の歌い手がこれを歌っているから、うけているのであって、作品の内容からすると詞も、曲も若奥さんに受ける要素は何もないように思う。
 作曲するに当たってはいくつか注意したことはあった。
四十男の人生の悲哀を前半で歌い上げ、ご同輩、という行(くだり)から短調を長調に転調して、曲想を明るくして希望の感じを出してみた。
ごく最近の事であるが、ある長寿者に
「あなたは自分の人生のなかで、何歳くらいの時が、最も充実して楽しかったか」 というアンケートの集計をしたら、四十代から五十代も最もすばらしい、という答えが圧倒的に多かったと新聞は報じている。


 人生の甘いも酸っぱいも、解りかけてくるのは、やはり四、五十年生きて ネみて、というところなんだろう。実態としては存在しても、表面に浮かんで来ない、人生の本質的な部分まで見えてくるのは、人の親になって少なくとも、20年はかかるというのであろうか。苦も多いが、今まで見えなかったものが見え出すということでは、確かに人生においては一番すばらしい時であり、かつ一番潤いのある時節なんだ。
  見果てない夢を追い求め、幾春秋を当てなくさまよい、いつの日が大空を駆け巡ろう。
悩みは果てなく尽きぬとも、ご同輩よ、地上には花が、そして天上には星があるではないか。 酒酌み交わし人生を語れる友もいるし、家では女房と子供があなたをの帰りを待っているではないか。
さあ、元気を出して、声高らかに、明日に向かって突っ走ろう。
きっとお主の人生が琥珀色に輝くときがくることを信じて。
 また明日も頑張ろうじゃないか。 御同輩。

 

従軍慰安婦

2018年05月18日 | Weblog
              従軍慰安婦

 従軍慰安婦についての記述を中学の教科書に載せるか、載せないかの議論があちこちでまきおこっている。50年の時を経て、未だにこんなことが論争されるのは、人間がその立場によって、どれほどこだわるものかを示している。と同時に、特に被害者が受けた心の傷はその世代が消えてなくなるまで、此の世では決していやされることはないのだ。その現実をふまえた上で両者に深く思いをいたして、自分なりの意見を言わなければならないとつくづく思う。
130年以上も昔のことになるが、幕末に行われた会津戦争、つまり戊辰の役では、未だに怨念が溶けていないということが報じられた。官軍の長州と旧幕府軍の会津藩は未だに不倶戴天の気風が濃厚に残っているというのである。会津人は白虎隊の悲劇はもちろんのこと、城の落城、娘子軍の自刃など数々の惨劇をなめた。
会津若松市でとったアンケートによると、回答者の3分の 1が恨みを持ちこだわるとこたえたという。もっとも、半分の人はいつまでもこだわったもしょうがないと答えたらしいが、中でも特に高齢者つまり、惨劇に近い年代の人ほどこだわりがきついという。ある意味ではもっともなことであろう。長州、山口県萩市の市長が和解に向けて会津若松市長と懇談をしたが、2人はついに握手せずじまだったという。
 同国人においてさへ、しかも130年の時を経て、此の有り様である。ましてや異国人で共通の理解も乏しく、しかも実際に被害に遭った人が未だに生きているという現実からして見ると、戦争被害についてのわだかまりは、怨念となって渦をまいていて、簡単には氷解するとは思えない。その怨念のはけ口が個人被害の補償を求めている。これも至極当然のことである。従軍慰安婦問題もこのような状態に根ざしている。
 これに対して日本の保守主義者は従軍慰安婦の記述を教科書に残すと、我々の先輩が犬 死にしたことになるし、加えて悪いイメージを与えてしまうことになると言う。
 突き詰めて考えると、両者の言い分はともに戦争被害者の言い分である。加害者も被害者も戦争犠牲者なのである。国力を上げて、殺し合いをするのが戦争だから、平和なときには考えられないような、残虐なことが起こっても、何等不思議はないし、それこそ想像を絶する凄惨なことや、残虐なことがもっとたくさんあったのではないか。時の闇という陰に隠れてしまっているが、悪逆の限りを尽くした部分がどこかにあった筈であると私は想像する。
 歴史をひもといて見るとき、必ずしも正義に支配された訳でもなく、その時代時代の風の吹き回しに、翻弄されて歩んできたのが人間の歴史である。しかも傷跡が当代だけでなく、次の世代にも影響を残しながら。 従軍慰安婦だけが犠牲者ではない。教科書に載せることで解決はしない。対立する意見が、新たな争い生む可能性だってある。困ったことだ。