日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

急がなくちゃあ

2020年05月23日 | Weblog
急がなくちゃあ  09/07/04

そんなに急いでどこへ行くのですか。

仏の心が見えますか。

仏の話が聞こえますか。

心がいとしくて、胸が熱くなる。

その瞬間こそ 入我我入の時



いつまで生きているつもりですか

時は確実に1分を60秒にきざんでいる、

御仏と、話をなさい。

御仏と、喧嘩をなさい。

その瞬間こそ 入我我入の時、

清水寺展を見て

「鐘よ鳴り響け」をよんだ

2020年05月23日 | Weblog
古関裕而の自作[鐘よ鳴り響け] をよんだ

古関先生も僕も音楽に関しては山田先生の弟子である

そこで山田先生と古関先生の違いを考えてみた

山田先生の作品は庶民性はあるものの芸術性が高くポピュラー感は古関先生の方が勝る

古関先生は基礎を山田先生から学んだが、それは自分の持つ天性の才能を発揮するための手段に過ぎない

作品から受ける印象を書いてみると

山田先生の作品は芸術性の中に庶民を見いだした感じ

古関先生の作品は庶民がベースにあり、歌いやすく美しい。また覚えやすく、その中にキラリと光る才能がある

すごく光るものとは、メロディーの美しさと、品格に現れている。

お二人とも間違いなく天才である

特に古関先生とはお互に弟子であっても、方向が全く違う。僕は鎮魂曲とか仏教歌に重きを置いた。

庶民を無視したわけではないけれど、なんとなく鎮魂曲を書きたくて、たくさん書いた
鎮魂曲といえば古関先生は「長崎の鐘」を書いている。

僕はそういうものではなくて、もっともっと悲しい誰もが聞きたくないような悲しみの歌を書いた。

もちろん僕の狙いはこの世に生きている人ではない。悲しみや苦しみを抱きながら
あの世に渡って行った人々への慰めの音楽である

だからこの世の人が耳を貸そうとはしない当たり前の話だ
それでも僕は自己満足している。

芸能界とはおよそ無縁の世界、で音楽を作っている。
誰も相手にしてくれないし、僕もそれでいいと思っている

殺人犯希望通りの判決

2020年05月22日 | Weblog
殺人犯は無期懲役になることを希望していた

そのためには一人殺せば良い、二人だと死刑になる可能性がある

そう計算して無差別殺人事件を起こし一人を殺した。

裁判では彼の希望通りの無期懲役になった。おかしな話である

こんなやつに殺された人はたまったもんじゃない。

犯人の計画を法律が後押しした形だ。しかも殺人罪という重大犯罪において。

この犯人が計画したように、一人殺しても死刑にはならないという判例がどうもおかしい

人を殺すということは必ず、その対極には死刑があると言うことを知らしめる必要がある

 女二人0

2020年05月11日 | Weblog

日向宮崎県の高千穂にある夜神楽を見に行く途中で、二人の年配の女性と知り合った。
偶然だが、明日の朝、阿蘇山に上り、それから車で、山鹿の灯籠を見に行くという。私が神仏の歌を作っては奉納するという話をしたことから、
彼女たちは、自身の信仰の話をしてくれた。

親鸞の教えを堅く信じていて、金粉は何回も経験したという。仏壇にまいっていると、金粉が降り、経机の足の部分だけが、金粉のないまま足跡として残ったという。彼女は学校へやってもらえなかったことが未だに残念で、結婚するまでは恨んでいたという。今は、離婚して、一人働きながら、生活をして、今回久しぶりに車で、友人と二人の旅に出たという。

阿蘇駅近くのレストランで、3人で、カレーライスを食べコーヒーを飲んでさようならをした。若い人のが代金を払ってくれた。高千穂から、高森 高森から、阿蘇山頂上まで、どうしていこうか。と思案中だったから、この同行3人の旅は渡りに舟で本当に助かったし、楽しかった。

景色、車の便 阿蘇山の雄大な姿 髭のように立ち上る白煙。目を景色から心に移して見ると
そこには親鸞への信仰と金粉の話。
そのどれもが脳裏に焼き付いた。意外なところで意外な発見があるものだ。目に映る阿蘇の雄姿も良いが、人各人が持つ心の風景を知ることだって負けず劣らず、素晴らしいものだ。
それは身につまされることあり、全く同感であり、意外な発見であり、喜怒哀楽の世界をさらに広げようとする。


だいぶっつあん補足8-53

2020年05月11日 | Weblog
                奈ー良の大仏っつあん 071212



クリーム色の横長の紙に、墨で縦書きにされた。4行詩がどうして私の手元にあったのか。
今もって分からない。
それはともかくとして、目に飛び込んできた奈良東大寺長老、清水公照師作の「奈ー良の大仏っつあんー、心象五景をひと目見たとき、これはいける、ものになる、と直感した。
案の定、いつもの調子ですらすらと出来上がった。詩の中にリズムがあり、テンポがある。

 猊下と尊称される天下の東大寺の大僧正という厳しい肩書とは裏腹に、なんとユーモラスな詩なんだろう。師の絵が、墨跡が、エッセイが引っ張りだこになる秘密がここにあるのだろう。まさに師そのものがそこに浮かび出ている。

おおらかさ。春風駘蕩ののびやかさ 、童心 なじみやすさ 、庶民性、それでいて博識で、威厳があり、人を引きつける。
「奈ー良の大仏っつあん」は 「奈良の大仏さん」ではなくて「 ナーラのだいぶっつあん」 である。

日本全国民から、特に関西人から敬愛を受けるこの大仏さんは 「だいぶっつあん」 で親しまれ。「」大仏さん」ではかたぐるしい。
ナーラとなると、童べ唄を連想し、子供のイメージが強く、浮かび上がるが、子供一色ではなくて、
「寂の影踏み肉(しし)盛り返す」という難句もあるところを見ると、やはり大人の童謡というべきだろう。
作曲してみた。先生は子供の童謡を言われた。大人用だと言ったのは僕の間違いだ。
声域を狭くして、子供ようのリズムを付けた。自分で何回か歌ってみた。
朝日テレビの「おはよう朝日です」で取り上げられた。健在だった作詞者清水先生も電話口に出られて
話をされた。OBCのママさんコーラスでも放送した。なつかしい思い出がある。

 未完成交響楽 0

2020年05月11日 | Weblog


「わが恋が、終わることのないがごとく、この曲が終わることなし」

1X2=2 2X2=4 から黒板に、2/4が生まれ、質屋の娘が投げてよこしたゲーテの詩「野バラ」が算数の授業の真っ最中に、黒板の上で作曲されていく。
作曲は、作曲家のハートによってなされるもので、楽器によってなされるものではないことの証明である。
、ピアノは、音の確認のために補助的に使われるものであって、ピアノによって作曲されたというのは、本末転倒の話である。

私にも、教壇に立って、授業をしている真っ最中にメロデイーが湧いてきて、あわてて胸のポケットに忍ばせてある5線紙に書きとめた経験がある。

神は、洋の東西を問わず、特定の人に、時間空間を超越して、メロディーをお与えになる。
そこで私は神にお願いしたい。シューベルトに与えたもうた美しいメロディーを私にも与えたまえ。と、



平行線

2020年05月10日 | Weblog
 


基本的に女と男の関係は平行線である。不思議にも、その平行線が交わるときがある。だから矛盾が露呈する。男女間にある、どろどろした汚いものが噴出する。
平行線が交わるのは、男にとっても女にとっても、恋心の高まりの時である。

 テスト

2020年05月10日 | Weblog
      テスト


 テスト、テストの世の中である。 その結果によって、色付けしたり、輪切りにしたり。
受ける側、する側もたいへんである。 そりや誰だって、自分の持っているある面の能力を測定され順位別に、評価されるのは、いやに決まっている。
私も、個人的には、テストがない世というものは大歓迎だ。
 必要悪だと分かっていても、人の能力を測定しなくてはならない。それは人の生存は、究極において、生存競争の上に、成り立っているという現実の必要性から出ている、ようだ。
競争がある限り、それには必ず評価が伴う。つまり、人間の生存、には必ず評価がつきまとう。
ところで、人間が下した評価によって人間の値打ちを、真実に測定し、断定することが果たして可能かどうかは、ともかくも、人類の進歩前進を導く原動力が、必然的に競争を、伴うものである。つまり、人類が続い限り競争と、その評価はつきまとう。

童謡0

2020年05月10日 | Weblog
   童謡
 

 私の感覚で判断すると、以前うたわれていたような、価値の高い童謡が、幼稚園では、歌われるなくなった。したがって、幼児は、芸術的童謡に、触れることがなくなった。
そして、それは無理もない話である。 近ごろの幼稚園の先生は、芸術的童謡、を知らないからである。加えて、先生に、音楽性がない。そこで私は、ひとこと言いたい。
 教師となったからには、いろんな子供の心に、音楽いう色を塗るのなら、何色が、この子の生涯にとって良いものか研究してほしい。
つまり、童謡の研究をしてほしい。そして自分が、芸術的な質の高さを持つ童謡と、流行歌、その他の歌謡との、差をはっきり認識して、歌を会得して欲しい。

ネオン街

2020年05月10日 | Weblog
    ネオン街

私は、色と、音の喧噪の満ち溢れる、ネオン街を歩くのが好きだ。
なぜなら、そこには、私の体内に眠る、生命に共振を与える、何ものかがあるからだ。
他人の命、そこから発せられるエネルギーを、私の命が受け止めたり、連鎖反応を起こしたりする。それが何とも言えないのだ。ぞくぞくする。命の躍動感。それがたまらないのだ。私は、命の探求を求めて、ネオン街をよく、うろつく。

全国均一化

2020年05月10日 | Weblog
全国均一化


 テレビが全国に普及するにつれて、地方と都会の差がなくなったようだ 。
どこに行っても、同じような車が走っているし、若い娘の服装も、化粧も、都会と田舎での差はない。
家の作りも、マスプロダクションのおかげで、ほとんど似たような家になり、娘の持つ携帯電話は都会も田舎も全く違いはない。
 さてこうなると地方に旅をして、どこに地方色があるのか探すのが難しい。話し言葉の訛だけは、確かに違うが、それも同じ所に住む者同士の話しであって,こちらが標準語を使えば、標準語で答えが返ってくる。


病身の旅

2020年05月10日 | Weblog
         病身の旅

いつ気分が悪くなるか、非常に不安である。熱が出る前の、この不快感は何とも言えないものである。
下痢しているときにトイレがない、あの不安。
何かをしようという気が起こらない。ただ体を横たえて
神経を使わないようにすることだけ。
浮かんでくるアイディアが何もない。生みだそうとする気力や、考えだそうという元気もない
薬のせいであろうか、頭の機能が鮮明にならずに
もあーっとしている。
いわゆる体の中から、なにかをおしだそうという気力がない。それが失われているのか、それとも鈍っているのか。

ディズニーワールド0

2020年05月10日 | Weblog
     


 ディズニーワールドはものすごい人出である。
夜12時だというのに、いもの子を洗うような混雑だ。全世界の人々、子供も大人も全ての人に楽しみを与え、夢を与えている。これを作った人は菩薩道を歩む人、。といいたくなる。
 パレードを見るのに六時半から9時まで待った。大勢の人でこうして席を取っておかなければ、どうにも成らない。苦しいことの多い人の世で人々に喜びを与える商売ほどよい商売はない。  
音楽、美術、絵画、彫刻、工芸などは言葉の壁を一瞬にして乗り越えて心を結びつける。芸術の持つ力は偉大である。   

 老化現象

2020年05月10日 | Weblog
 老化現象


1. ものぐさ、何事も面倒になる。
2. 忘れっぽい。
3. 短気になり怒鳴る。
4. 新しいことに抵抗を感じる。
5. 頭になかなか入らない。
6. 難しいこと、ややこしいことを、とばして取り      組むことはしない。
7. 体力のなさが実感できる。
8. 気力が萎える。
9. 格好付けはしなくなる。

人となりを見るためには

2020年05月09日 | Weblog
人となりを見るためには、腰をかがめて、背をすくめて、見ると、その人の値打ちが分かる。

低姿勢でいくと、彼は油断するから、本音に近い部分が見えやすい。
高い立場に立って、人を見下している限り、見られるほうは、肩ひじを張って格好をつけるだろうから本当の姿は見えにくい。