日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ひどいものだ

2012年03月31日 | Weblog
ひどいものだ


170万人じゃなくて1700万人に増えたそうな。
1200万人と言われている年収200万以下の人達が500万人増えたということになる。
年収200万円と言うと毎月18万という話になる 。
住宅費それからガス電気水道、食費などを支払うとほとんどお金は残るまい。
つまり最低レベルの生活である。いかにもそれは気の毒な話である。
健康で文化的なと言う憲法の条文にも反するように思う。

世界第二位の経済大国と言われながら、これからは凋落の一方かも知れない。
リーマンショック、円安。福島事故どれを見ても国力を弱くする要因だ。世界情勢もぱっとしない。コンドラチエフの経済周期説は50年間隔だった記憶している。これから日本はどうなっていくのであろうか。特殊事情として少子高齢化のスピードが速い。今までのライフスタイルを整理してコンパクトにして低成長に対処するほかはないみたいである。子供、とりわけ孫には付けを背負わせて肩身の狭い思いガする。それでも日本歴史始まって以来、豊かで苦労の少ない時代に僕は生きた。それは幸せなことで感謝しなくてはならない事なのだろう。

保安院の説明

2012年03月30日 | Weblog


保安院の説明

審議官が滋賀県と京都府に原発の安全性について説明した。どちらの知事からも納得が得られなかった。当然だろう。
1次のストレステストで安全性は確保されたとは言いがたい。
安全委員長が1次テストだけでは安全とないいがたいと、はっきり言葉で語っているにもかかわらず、一時テストは安全だから原発は安全だと、どうして言い切れるのか。ましてや現実に起こった福島事故の反省の上に立った安全基準も未だに確立されていないのに、どういう面を下げて安全の説明にきたのか。

この辺が一般常識からすると専門馬鹿の集団で、真の意味での保安院にはなっていないということだ。自分の良心に従って安全と言い切っているのだろうか。自信をもって言い切るなら、おめでたき人の部類だ。総理は国際会議の場でなんと言ったか。 想定外と言うことを想定しておくのが事故を起こした我が国から世界の安全に向かって発信する安全策といったじゃないか。此の発言の重みをどのように受け止めているのか。 滋賀県知事が問題提起しているように滋賀県は関西1500万人の生命線になる水瓶を持っている地域だ。大飯原発から100km以内にある琵琶湖が汚染されたとき、君はどう説明するのか。少なくとも関西には人が住めないのだぞ。 事の重大性から考えてみて、求められているのは絶対の安全性だという認識が保安院にあるのか。そこまでの目標を持って何故作業をしないのだ。福島原発の耐性テストを倍近くあげてそれで絶対の安全性が確保されたのか。保安院が妥当としてもまだ委員の中には反対している人がいるではないか。君たちの計算上の安全よりは、専門知識も何もない、何も知らない人たちの直感する安全性の方がよほど信頼が置ける。


後遺症

2012年03月29日 | Weblog

後遺症 8,480位 / 1,700,459ブログ中

リーマンショックの時に、思った。
一握りの優秀な金融マンが、自己都合で、自分が、金を儲けるばよいという思想に徹するときに、それは単に個人のみならず、世界の経済に大きな影響を及ぼした。いわゆるリーマンショックである。震源はアメリカである。
その時僕は思った。何かがおかしい。人間の行うこと、経済活動までが、すべて数値で、表現し、読み切れるならば、この世で、そういう人が、富を独占することは、火を見るより明らかだ。
個人的あるいは小さな集団的に、それが出来たとしても、そのあとにやってくる経済的悪影響を考えるとき、どうしてもリーマンショックを起こすような思想は、この地上から抹殺しなければならないと、思った。

また、夢のエネルギーだと、安全神話の上に退けられ載せられた原子力発電は、大きな破たんを見せた。
だいたい、人間本位の便利主義、合理主義による生活の向上と、人間のことは人間ができるという人間中心の考え方の中に、まちがいの根本原理が存在していたと僕は思う。
生活の向上と称して、便利さと利潤己のみを尊重する個人主義を実現してきた現代思想。
そこには盲点があった。自然の中の人間の再発見を怠って、人間中心・人間本位の人間のみの共生を力説しても、それは所詮間違いである。なぜならば人間は自然から遊離しては存在し得ないからだ
自然を大切にしその中で、人間も大切にする。つまり共生きだ。これが大切なんだ。
人間が自然を征服するなんていう考え方は、とんでもない間違いだ。

宣伝もほどほどに

2012年03月28日 | Weblog



宣伝もほどほどに 9,864位 / 1,700,045ブログ中

[生まれる」があれば「死がある」のは当然のことだが、生まれると死ぬとは、イメージ的に大違い。

片方は喜びであり、片方は悲しみを伴う。そういう悲しみの場面を直視せよと、言わんばかりに、葬儀場の写真を張貼りつめたチラシが、自宅のポストに入る様になった。
また地下鉄に乗ると、「家族葬は次の駅が便利です。」と案内する。 今までの常識では考えられないことで、気分の悪い話である。

だいたい、死などというものは今は、病院で迎えるもので、自宅でということはほとんどない。病院から式場や葬儀場へ直接運ばれて、対面するのは、10分位である。
大人はともかくも、孫にとって、祖父母との別れはほとんど瞬間的だと言っても良い。

これは高齢化社会になって死がそれだけ常態化して尊厳が、失われて軽く振り扱われているのか、それとも、葬儀そのものの意味が軽くなっているのか。
葬儀の意味も形式も時代によって変わる。一昔前までは見栄を張ってでも大層な葬式が一般的だった。近頃は身丈にあった葬式が主流になりつつある。いかにも現代合理性の波をかぶっている感じだ。つまり儀式そのものが簡素化されているのだ。
ただ思うことは、一人の人の命はの重さは、地球よりも重い。などといわれたが、実体的には、馬鹿みたいな話である。
















































































































































































































































































































弾道ミサイル

2012年03月27日 | Weblog
弾道ミサイル 9,717位 / 1,699,644ブログ中

北朝鮮が人工衛星という名の下に長距離ミサイルを発射するという。弾道が示されいるから、まさかそれて日本に落下することはないだろうが、人間のすることはどこでどう間違うかもしれない。

此の実験の破片が原子力関連施設を直撃したらと思うと、笑い話では済まない。
原発では言いようのないほど苦しめられた、日本だから余計にそう思うのかもしれないが、この種の実験や核テロによって大惨事が起きないともかぎらない。
前回の関西電力の株主総会で、この種の事故に対して大丈夫かという質問が出た。社長は苦笑しながら、大丈夫だと答えていたが、現実に起こりうる話である。使用済み核燃料のプールが破壊されれば、当然大量の放射能漏れの危険性がある。社長の答えは万全だと言うことだったが、おそらくそれは中身のない、想定外のことだろう。そこまで考慮されて安全対策が取られているとは思えない。
国際常識が通用しない国が、ミサイル実験をすると言うだけで、この辺までが心配になってくる。

















































































































































































































































































































小林亜星さんの「淫する」

2012年03月26日 | Weblog
小林亜星さんの「淫する」 7,241位 / 1,699,131ブログ中
 
年齢は、彼の方が上。出身大学も学部も違う。共通事項は音楽好きと言うことだ。
昔から、僕は彼の音楽才能に、注目していた。
あの巨漢の風貌(失礼)からして、とても想像できない作品を書き、また歌作りや音楽に対する造詣の深い理解と考え方、哲学を持っている。

彼は内面に、素晴らしい創造才能を持っていて、その上とても頭の良い人だから、外からは見えない創造世界の真髄をよく、ご存知だ。
僕が、山田耕筰先生のお宅で、音楽の修行をしていたときに、
先生の歌曲を美空ひばり用に編曲して、コロンビアから出版されたらしい。年代的にはひょっとしたら、出会うかもしれないような身近に、いたにもかかわらず、ただの一度も、出会ったことなく、今も何の交流もない。山田先生を中にして、その外に、彼と僕がいただけの話である。

共通点を上げれば、彼は進駐軍のベースキャンプで、演奏していたそうな。僕も当時、ワシントンハイツ、(今のNHKのあるところ)で、バイトをして、当時、有名なバンドの演奏を毎晩、聞いていた。
#&bやオールブルーツなどが当時活躍していた時代である。ドラムのジョージ川口やタップの中川 笈田敏夫、松本英彦さんなどの演奏を毎晩のように聞いていた。そうそう、ダークダックスを育てた小島正夫さんが指揮棒を振っていた。
つまり、当時のアメリカのジャズやポップスをしこたま聞いていた。もう一つの共通点は、共に山田耕筰先生に、関係があったことぐらいで、彼の才能は、僕の及ぶところではない.決定的な違いは彼は音楽に「淫してる」僕は「淫する心境にまでは到達していない」

僕が、彼の名前をしったのはレナウンのCM ワンサカワンサカイエイエーイ娘やサントリーのCMソングだ。何としゃれた曲なんだと注目していたがそのうちに「北の宿から」がでて、その才能に脱帽した。

小林亜星さんの著者「亜星流」に描かれた内容は、自分の思いとかさなる部分が多いので当時を思いだして懐かしい。1996年に出版されたこの本には共感する部分がとても多いので。歌書きって一体何を考え居るのか。彼の思いと、僕の思い。そこに横たわる生き方や考え方を少しでも伝えることが出来たらと念願してこの文を書いてみた。繰り返しになるが、彼と僕の決定的な違いは、彼が言う「淫する」事だ。僕の言葉ならさしずめ三昧と言うことになるが、要するに詞や曲と一体にならないと歌作りは出来ないと言う事だ。別な仏教用語で言えば入我我入と言うところだろう。何しろ夢の中で作曲してしまうと言うから、彼の「淫する」の中味が知れようというもの。余人が持たない才能だ。だからいくらでも作曲できるのだ。8000曲だとか。いやはや天才とはこういう人のこというのだろう。


バレンタインデーとホワイトデー7-18

2012年03月25日 | Weblog

バレンタインデーとホワイトデー
いつの時代から始まったのか知らないが、バレンタインデーというのがあってこの日だけは、意中の男性に女性がプレゼントをする。
僕が初めて、バレンタインデーという言葉を耳にした時は現職の教師をしていた。耳慣れないこの言葉を授業で、「バランタイデー、」と、このうろ覚えの言葉を使った。さすがに、その時、生徒から、すかさず「。それは、バレンタインデーです]と指摘されて恥ずかしい思いをした。

ところで、バレンタインデーの贈り物に、に対して、男性が女性にお返しをするのがホワイトデーだというそうだ
女性の贈り物がささやかれてあるのに対し、男性はみえをはってカッコをつけ女性にもてたいあまり、無理をして大奮発するそうだ。

彼女たちはそれが気にいったものならば、納めるが、気に入らないプレゼントは、リサイクル店に、持ち込み、換金するそうな。そんな現実を知ったら、男はむなしいことだろう。今日テレビでやっていたのを見たのだが、その限りでは、40代の女性まではこーゆーことを平気でやるそうな。マスコミに登場するのはだいたい、めたちたがりやのトンデル女で、一般的ではないとは思うが、これが女性の心情だと思えば、やり切れないものを感じた。

確かにプレゼントは、ものを送ることには違いないが、ものだけかというとそうでは無い。そこには、なにがしかの思いが込められているはずだ。物心両面を受け取らずして、ものだけをいただくと、いうのは、プレゼントという言葉の中身に反しないだろうか。イヤハヤ寂莫とした人間関係を垣間見て本来の人間の有り様。特に、男女間のありようとはこんなものかと妙なところで感心した。

僕は、バレンタインデーはものを送る女性もいないし。従って、ホワイトデーの、プレゼントをいただく世界の住人ではなく、現実には、なんの関わりもないのだが、他人ごとながら、あまりにもドライすぎて、寒ざむとしたしたものを感じた。これじゃあもっと大きな声で絆を叫ばなくてはならないと思う。

 





























































































































































































リーマン・ショック

2012年03月24日 | Weblog

リーマン・ショック 8,425位 / 1,697,881ブログ中

リーマンショックは記憶に新しい。元幹部は、どんな手段を講じても、金を稼ぐことが第一であり、それは必ずしも善にはk成らない旨発言した。
僕は、金は人の心をむしばみ悪魔の役割を果たすこともあるとつくづく思った。資本主義自由主義は、世界の経済だけでなく、現代の社会のありかたに大きな影響を与えている。
ここいらで、自由主義と資本主義のあり方も、もう少し考え直して、人間中心あるいは、人間が最も重用される社会体制に、資本自由主義を改善しないと人間社会が最大多数の最大幸福を」求める事は出来なくなると危惧する。
世界の英知を集めれば、このぐらいのことはできるはず。
元来資本主義は、自由競争が原則だ。100人の人間が競争すれば、1位から100位までいるので、順序ができるのは当然だ。競争で後位のものは敗残者として、除外されたりしてはならない。それは決して人間の生存権を否定するものではない。そこで、金持ちも貧乏人も、共生きをしてこそ人類のあり方だと確固たる信念を持つ、リーダーが、世界人類をその方向に導いていってほしい-ものだ。







日本の家族の歌

2012年03月23日 | Weblog


日本の家族の歌
NHKの日本の家族のうたをテレビで見た。
家族の歌は心で静かに聞くものだ。それが人をなつかしの日々や美しい思い出に、連れ戻してくれるのだ・。
だから、歌には、アクロバットやパワーあふれるパフォーマンスは必要がない。会場にパワーを作りたいのは、分かるが、それは、歌が心にしみこんで、なつかしの日々や思い出に浸っている気分の時に、ドタバタ劇は邪魔になる。
なつかしさに心が1杯になっているとき、心に余韻を残す為には、そして心の幕を下ろすには、国民的歌謡になっている。「赤とんぼ」や「ふるさと」が最もふさわしい。
私は自分が行った講演会には必ず全員参加でこの歌を歌い幕を閉めた。そしてそれは好評だった。

































































































































































































































































































































お吉姉さん7-19

2012年03月21日 | Weblog
お吉姉さん。

姉さんがこの世を去ってから、50年近くも経って、おいらはこの世に出てきた。
大人の感覚でものが、判じられるようになったのは、姉さんがこの世をさってから100年もたってからだ。

それにしてもだ。お吉姉さん。おいらね。
姉さんのこの悲惨な人生をちょっと耳にしただけでも涙が止まらないよ。
人の世に、こんな不条理がまかり通ってたまるものか。そんな怒りが次から次へと込み上げてくる。 おいら、これでも江戸っ子の端くれ、。

ちょっと話を聞いてくれ、
おいらは、今二つのことで怒ってるんだ。
一つは、奉行所の役人どもの無知とバカさ加減の犠牲になって、姉さんの人生がめちゃめちゃにされてしまったということ。
国と国とが駆け引きする交渉の相手は、それなりに強いものであるのは当たり前の話じゃないか。
人身御供によって交渉相手を籠絡しようなんて考えが通るわけがないのに、姉さんは、人身御供にされてしまった人だ。
話によると、姉さんには、当時、大工をしていた恋人がいたというじゃないか。
今思うに、生木を割かれて、心はずたずたになり、どんなにか苦しんだことだろうよ。
もう一つは、姉さんが、お役御免になって戻ってきたときに、周りの奴等は、姉さんのことを洋妾ラシャメンとよんで、蔑んだというじゃねえか。
これは一体どういうことなんだ。長い鎖国時代を通して、日本人が西洋人に対して抱いていた複雑な感情から、腹の底では恐れながら、表面では、蔑む。のは、わからねえ、でもないが、姉さんまで軽蔑するとはいったいどういうことなんだ。
もともと姉さんの言い分は、自分をねじ曲げて、不本意ながら努めさせられたお役目じゃねえか。
なのに、どうして人々が姉さんを、ラシャメンとか、唐人お吉とか、ののしらなければならないんだよ。
姉さんには、どれ一つとして、落ち度はありゃしねえよ。あるのは運の悪さだけじゃないか。
美人に生まれ、才気煥発であれば、たいていの場合、それは、女にとってプラスに働くよ。だろうに、女性のこういう長所が、人身御供の選考基準になっているんだ。ここに姉さんの運のなさがある。いくら同情しても同情しきれない思いでいっぱいだよ。
どうか極楽へ行って、前世で味わった。悔しい思いを存分に取り返してほしいね。そうでもしないや。オレの気がやすまらねぇや

この世には、不合理や不運の間の中で、悲運にも命を落とした人が大勢いて、みんな草葉の陰で泣いている。姉さんよりも、もっと悲劇的な生涯を終えた人も、歴史のなかにはたくさんいて、その人たちは一様に、この世に恨みを残して去っている。
どうすれば、その悲運や悲劇に、まとわり付かれた人々の恨みをとき放ち、安らかに眠ってもらえるのか、考えざるを得ない。そうでもしなじゃ。おいら、救われないよ。
いろいろな方法があるのだろうか。俺が今知っていることを一つだけ教えるよ。
お釈迦様が解かれた。お経の中に、法句経というものがある。その中に、恨みを解くには、恨みを抱く心を捨てるしかないと。説いてある。
姉さんの心の中がよく分からないから、まことにいいにくいことだが、やっぱりお釈迦さんが言うように、恨みに、こだわることはやめた方が良い。
恨みの情念にこだわっている限り、いつまでたっても、解けることのない、怨念から一歩も、踏み出せず、未来永劫に、自縛されたままで苦しむよ。
おいらの本当の気持ちからすれば、1日も早く、姉さんには、極楽へ往生してもらいたいんだ。
この世で地獄、あの世でも地獄では、あまりにも気の毒で、見ちゃいられないよ。
無理にとわいわねえが、お願いだよ。姉さん、一つそこんとこ、考えてくれねえか。
おいら姉さんが1日も早く、そういう気になって、お釈迦様だが、阿弥陀様だか観音様だか、知らねえが、お膝元へ行って、安穏に暮らして欲しんだよ

ついでに言っておくが、大地喜和子の「唐人お吉物語」は、もう上演されることは無いよ。
ほら。知ってるだろう。車が海に突っ込んで、彼女が死んだことを。
巷では、あれは、お吉さんのたたりだという噂が流れているぜ。
そりゃそうだろうよ。あの女は、姉さんの悲しみや恨みが、嘆きを知ってかしらでか、墓前に挨拶もしないで、姉さんが苦しんだその姿を迫真の演技で再現して、人に見せ、銭を取ろうと、してるんだもの。
ちょっと道に外れてはしないか。おいら、そう思う。せめて、挨拶ぐらいはしないと。
あんな形で、予期しない事故が起こったモンだから、世間雀が、いうのも分からないわけじゃあないが、でも、姉さんが、大地喜和子を闇の世界にひきずりこんだとは、思いたくないよ。

お吉姉さん。ここでおいらのいうことをじっくり聞いてくれねえか。
正真正銘、おいら姉さんが1日も早く、成仏して、極楽とやらに、往生してほしいと、心から願っているよ。それに、人生のことっていうやつは、過ぎてしまえば、皆、夢さ。
覚めじと執りて迷う心、というのが人の心というものさ。姉さんたって、太閤さんたって、この点は同じっていうことよ。ちょっと生意気なことが多くて、気恥ずかしいが、学も、何もない、おいらでも、このぐらいの条理は分かるんだよ。
ほら、姉さん。乗せてやるよ。このお経の功徳の雲に乗り、まっすぐに、極楽へ行ってくれよ、南無阿弥陀仏。 ナムアミダブツ。


































































































































































































































































































































ご立派です

2012年03月20日 | Weblog
ご立派です 7,280位 / 1,696,652ブログ

元寇の役の時西大寺の大徳・叡尊上人、興正菩薩は敵味方1兵卒の命も損なわれないようにと祈った。夢想国師は敵も味方も皆平等と言う。夢想国師の思想には、山野動植物を含めて生きとし生けるものの共生の信仰が宿っていたとある。
現実問題から考えるとおかしな話だ。
戦いをしているときに、1兵卒の命も損なわれないならば、どうして勝敗がつくというのか。理想はそうであるけれども、現実に博多湾に押し寄せている敵を撃退(殺さなければ)しなくては、大勢の日本人が殺されたことだろう。
1つの出来事にはいくつもの見方、考え方があるが、庶民が同感できる見方考え方で無いと、どんな立派な考え方も鼻白む。



歌の作り方小林亜星氏の場合

2012年03月19日 | Weblog

歌の作り方小林亜星氏の場合 7,280位 / 1,696,652ブログ中
1,
(小林)人間はどこでなにによって記憶するかと考えるとそれはメロディーである。一人で繰り返しおぼえた歌を楽しむ。それはすべてメロディーです。
(僕)そうです。鼻歌を歌うときに伴奏が必要だと思いますか。歌と言ってもメロデイが中心になっているから鼻歌が口ずさめるのです。鼻歌は伴奏の必要がありません。
2,
(小)僕は最初から楽器を使って、作ったりしてはよくないと思う
、ピアノ伴奏がないと面白くない曲ギターの伴奏がないと面白くない曲になってしまい、メロディーが生きてこないものになってしまう。 僕はなりきり男になってまず、その伴奏なしでメロディーだけを歌って曲を作る。

(僕) 普通の人はイメージとして楽器を使って作曲するように思うだろうが、必ずしもそうではありません。僕の場合は基本的には楽器が使えないから使わないだけの話で、ピアノが弾ければどれほど楽だろうかとおもいます。詞をよく読んで中味が発酵してくるまで作らないというのは正解だと思います。
心の中に詞の内容がイメージとして浮かんで来ます。そのイメージに合うようにメロデイを作るのです

小林亜星さんの作曲方法は大いに勉強になりました。


保安院をぶっつぶせ

2012年03月17日 | Weblog

保安院をぶっつぶせ 7,534位 / 1,695,419

東海村での原子力事故が発生したとき、僕は保安院がこの程度の者なら国民の安全を守ることは出来ないと断定した。そして遠慮がちにもっとしっかりせよと叫んだ。
原発の再稼動におけるストレステストにはOKを出した。これは単に理論上の、計算上の安全性の合格であってこれでもって安全性が確保されたことにはならない。
後は安全委員会の検証がありOKならば政治家が動くという段取りになっている。
今日の朝日新聞の夕刊では大きな見出しで
保安院防災策拡充に反対 06年原発事故の指針改定時」とある。
保安院の存在意義や役割はいったいどこにあるのか。安全に関わるというならば目線はいつも安全対策に向いていなくてはならない。だのに防災策拡充に反対とはどういうことか。今の日本の欠点はこういう誤った判断をしてものに対してノークレイムだ。誰も責任を問われないし、取らない。こういうことでいいのか。

いろいろ能書きをいうが、いったい何のために、誰のために存在する役所なんだ。
国民からすれば国民の安全を守らない役所なんて存在無用である。
だから結論はぶっつぶせとなる。当たり前の話じゃないか。
もし反論があるなら、福島事故を前に据えて反論するがよい。どんな理屈も誰も受け入れないもので、説得力はゼロだろう。こんな役所の言い分を聞くのなら地域代表をの意見を聞く方がよほど安全策につながるだろう。






































































































































































































































































現代中国について思うこと

2012年03月16日 | Weblog
現代中国について思うこと 8,297位 / 1,694,971ブログ中

長い日中関係の中で、今日ほど中国人のいやらしさを思い浮かべる出来事はそんなになかった。海洋進出、商標権問題、尖閣諸島の船長問題、どれをとっても最低の人間がすることだ。中国嫌いが増えてもしようがない。経済成長を武器にして覇権主義ともとれる行動が果たして中国の国益にかなうのであろうか。海を接している国は例外なく中国に対して警戒感を持っているようだ。国際的な嘲笑を受けてそれでいいのだろうか。
中国の威信に傷がつかないのであろうか。

国の勢いには消長がある。今後50年を展望するときに現在の中国が目指している事は世界中からひんしゅくを買うのではなかろうか。
日本開闢以来中国文明から受けた恩恵は計り知れないし、昭和1桁世代までは中国の思想を天下の公道を示すものとして尊敬の念をもって、その人間としての在り方を学んだものだ。悪く言えば中国思想や文化に洗脳されてきた。そしてそれは日本人の魂の根幹にも触れる問題だった。口でなんと言おうとも、中国思想こそ日本人の魂を育てたのだ。

19世紀に入り帝国主義の中で中国分割をされ外国に支配された不幸は中国に取ってはまさに国辱物だったことは十分理解できる。日本も帝国主義に便乗して中国侵略したことは、永世にわたり記憶にとどめておく必要があると思う。同時に中国人に鬼と嫌われた日本人の蛮行は忘れてはならないことである。

思うに今日の中国を建設する端緒になったのは、孫文の起こした辛亥革命である。
その辛亥革命に日本人のなかにも力を貸した者がいる。。神戸の写真館経営の梅田氏もその一人だ。周恩来も日本で学んでいる。こういう歴史の原点を探れば、日中の関係は切っても切れないものがある。

地理的状況だけでなく、倭の5王以来、いやそれよりより前に歴史をさかのぼるが、民族的にも中華思想は日本人に大いなる影響を与えて定着した。それは五,六十年前まで
続いた。いや今も続いている。少なくとも僕の頭の中では。少年時代青年時代の多感な時代に受けて古代中国思想をどうしてぬぐい去ることが出来ようか。それは中国思想だが、人間として目指す崇高な哲学でもあった。

以上のように個人の中国観はたった一人の人間の中でも矛盾している。感情的には嫌中国でありながら、中国よもっと天下の公道を、昔のように教えてほしいと言う理性面での尊敬の念だ。両面同時に混在する日本人の気持ちも分かってほしい。

「中国は経済的には発展したが、昔のように尊敬される文化がない。日本も中国にたいして謙虚さを失った」という中国人早稲田大学の教授の指摘は僕の思いと重なる。
そういう中でも個人レベルではお互いに敬意を払いながら交流している人も多いと聞く。
日中は本来、時間というへその緒でつながっているのかもしれない。



















































































































































































































































































原発をどうするべきか

2012年03月15日 | Weblog

原発をどうするべきか。 7,959位 / 1,694,555ブログ中

について考えてみた。
素人は原発の安全性について正確には分からない。事故を知って、素人なりに考えて見ても基礎知識も正確な現状も分からないから、専門家の言い分に耳を傾けざるを得ない。ところが今回の事故で、専門家や政府の言うことが、いかにお粗末か。これじゃ素人の直感の方がまだましのなのではないか。そんな思いがしてならない。
とはいうものの最終的には専門委員会や政府の言うことが信じられるかどうかと刃を突きつけられる。過去の安全基準がいい加減、たとえば津波の規模や電源喪失については素人でも不信を抱くようなことが、事故が起こってみて分かった。
安全を確保するはずの保安院も机上の論理に終始し実務が分かっていない。このあたりはアメリカの専門委員とは大きな違いがある。実態において実務者の東電より劣っていたようだから保安院・政府の言うことなど耳を貸す気になれない。

原発の退場論では日本原子力学会長の田中教授のいい分には納得できない。彼は言う多重防護によって安全は確保できる。従って原子力は人類が扱える技術である。絶対の安全はない。原子力は必要な技術だ。
彼は多重防護や安全性確保がされたときに以上のことがいえるというのだろうが、現実にはそれが出来なかったから大事故が起こった。
しかし僕は考える。原子力をコントロール出来るのは先の話で、現段階ではコントロール出来ていない。彼の意見は先走ってはいないか。

今回の事故では国も東電も安全を重大には考えなかった側面がある。つまり安全神話の信者だったのだ。国は自ら調査検証する能力なく東電の言いなりだった。それが現実だ。今後は安全基準は見直されて再構築されることが問題になるだろうが、本当に再構築されたら安全な物になるのだろうか。どんなことにも絶対の安全はないというのなら、僕は政府はまた事故を起こす可能性がある。ドイツでは政府は出来ないと判断したから原子力発電ををやめることにした。安全が絶対確保されるという意味から言うと、原発から撤退する事に限る。代替エネルギーへの転換だ。これを急ぐ方が賢明である。
専門学者が絶対の安全はないと断言しているのだから。答えは明白だ。