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他人事

2019-06-27 00:55:52 | 政治

>佐藤賢志 ( 51 デザイナー ) 14/07/18 PM05 【印刷用へ】
>現代人の精神に潜む、何事も『他人事』という意識は、一体どこから生まれたのか?

自己の意思を表明すれば、当事者・関係者となる。意思を示さなければ、傍観者にとどまる。傍観者には、何事も他人事になりますね。

>その大きな要因は「共同体の崩壊」にある。

わか国の序列に基づく共同体の崩壊ですね。

>かつての村落共同体では、様々な問題が起きた時、答えが出るまで年寄りたちの寄合い協議が、夜を徹して2~3日続けられたという。>そこには、共同体への帰属意識と、自分たちで解決するしかない現実の圧力があり、そしてまた未来(子孫~末代まで)もその共同体の存続を信じ実現する意志が根付いていた。

日本人には、序列がある。序列があると、序列意識がある。序列の中に自己の名前を確認すれば、その序列への帰属意識を持つことができる。天皇を頂点とする序列は、わが国の国体の基礎をなしている。日本人の序列は、国際社会の中にまでは伸びていない。日本語の通用する範囲に限られている。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。だから、’上と見るか・下と見るか’ の判断は日本人には欠かせない。世俗的な上下判断が疎かであると、日本語の日常会話も難しくなる。
また、日本人の礼儀作法も序列作法になっているので、上下判断が疎かな人は、礼儀正しい日本人にもなれない。’人を見損なってはいけない’ という想いが高じて、強迫観念の域にまで達している。だから、日本人は、常に頑張らなくてはいけない。

> 翻って、現代はどうだろうか? > 都市住民のほとんどは「根無し草」であり、今や帰属意識の源泉であるはずの「家庭」でさえ崩壊している。>「守る」という規範意識さえ虚ろだ。

そうですね。‘あるべき姿’ の内容が考えられないから、守るべきものもない。

> 所属する企業では個々人の私権確保で手一杯。>生活する「地域」も、それぞれが異なる課題に追われ、結束する必然がない。>子供たちを見守るにしても、分断された一時期にすぎず永続性がない。

無哲学・能天気の生活は、実に忙しいですね。お互いに ‘あるべき姿’ の内容を語り合って、団結するということが我々にはできない。

> 視野を広げて、社会や世界を見渡しても、すでに大衆は「脱市場」「脱お上」の潮流にあり、ますますその浮遊度が甚だしい。>・・・つまり、自らが寄って立つ、自らが責任を背負い主体的に生きていく基盤がないのだ。

意思のある人には、責任がある。意思の無い人には、責任がない。日本人には、意思がない。だから、とかくこの世は無責任。ちょうど、死刑執行人のようなものである。人は死んでも、彼らは殺人罪に問われない。彼らには、殺意がないからである。
日本人には、意思 (will) がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがないので、日本語の脳裏には未来時制がない。だから、日本人には、意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思がなければ、仕方なく無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。

>残るはせいぜいちっぽけな「自分」を守るくらいだろうが、それさえ「他人事」と自らを欺いている人さえ居る。 > 出自が異なる人を結集させ、新たに共同体を再構築していくには、生まれた瞬間から共同体の一員となったかつての村落とは違い、決意性が必要になる。

そうですね。それには、哲学と意思が必要ですね。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。話の内容を理解するには、その文章を理解しなければならない。だから、骨が折れる。通常、日本人は、そんなに骨の折れることはしないで、忖度 (推察) を使って事を処理している。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、その内容に話し手は責任がない。解釈の内容に誤解のあることを指摘すると、’だって、本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか’ と言い訳をする。議論にもならなければ、責任もない。ただの話が多すぎる。
英文法には、時制 (tense) というものがある。時制のある文章は、それぞれが独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) の内容を示すことができる。各人の三世界は、生まれた時から白紙の状態にある。だから、英米人は、それが気になって仕方がない。それで、彼らは、’考える人’ になる。自分なりに各世界内容を当てはめて、自己の哲学とする。’あるべき姿’ は、未来時制の文章内容になっている。その内容を基にして、現実の内容を批判すれば、彼らは批判精神を発揮したことになる。
各自が三世界の内容を語ってお互い理解を深めることが必要であるのだが、日本語の文法には時制がないので、日本人は批判精神が疎かになっている。

> 男には「骨を埋める」「皆を必ず守る」「必ず勝つ」など、自らの存在を賭けた気迫溢れる志に加え、現在~これからを生き抜くために不可欠な構造認識を駆使していく必要性の自覚が求められる。

各人に哲学が必要ですね。Everyone needs a philosophy. 我々も、無哲学・能天気ではいられない。

>その志や自覚が、全てを「自分の事」と心底から捉えることに繋がり、人類が元来有している生命力、活力が無限上昇してゆく。

自己の哲学を持ち、自己の意思を内外に表明できるようになれば、未来社会の建設に協力者を得て国際貢献ができるようになりますね。
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを深く理解する必要がありますね。さすれば、自己の世界観を公表し、あるべき姿の実現に向けて自己の強い意思を示すことも可能になります。未来社会の建設に国際的な協力者を得て指導的な役割を果たすことも可能になります。


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