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現代新書編集部の意見  

2024-04-14 00:09:54 | 文化

>現代ビジネス   >「日本の現状を誰かのせいにする」人ばかりの社会で「変えるべきたったひとつのこと」   >現代新書編集部の意見・   >1日  

>なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか? 

>張り紙が増えると事故も増える理由とは?    

>飲み残しを放置する夫は経営が下手?   

10万部突破のベストセラー『世界は経営でできている』では、東京大学史上初の経営学博士が「人生がうまくいかない理由」を、日常・人生にころがる「経営の失敗」に見ていく。   

>世界から経営が失われている   

>経営とは、企業や社長のものなのだろうか。   

>『世界は経営でできている』で気鋭の経営学者は、経営を「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だという。   

>そして、そのような経営はすっかりみられなくなった。   

>〈世界から経営が失われている。   

>本来の経営は失われ、その代わりに、他者を出し抜き、騙し、利用し、搾取する、刹那的で、利己主義の、俗悪な何かが世に蔓延っている。   

>本来の経営の地位を奪ったそれは恐るべき感染力で世間に広まった。   

>プラトンの時代からドラッカーの登場まで、人類史における本来の経営は「価値創造という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げるさまざまな対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だったはずだ。〉   

>(『世界は経営でできている』より)

>〈しかし現代では、経営ときいて「価値創造を通じて対立を解消しながら人間の共同体を作り上げる知恵と実践」を思い浮かべる人は少数派になった。   

>人生のさまざまな場面において、経営の欠如は、目的と手段の転倒、手段の過大化、手段による目的の阻害……など数多くの陥穽をもたらす。〉   

>(『世界は経営でできている』より)

>経営概念、世界の見方・考え方を変えない限り、人生に不条理と不合理がもたらされ続けているのだ。   

>「価値は有限でしかありえない」のか?   

>〈日本には「価値は有限でしかありえない」という誤った観念が普及した。   

>(中略)   

>価値は有限だとする思い込みが流行するとともに、「価値を誰かから上手に奪い取る技術」を売り歩く人々が跋扈した。   

>いかにして価値を掠め取ったかを自慢するだけの書物が街に溢れた。   

>多くの人は経営の概念を誤解し経営を敵視するようになった。   

>そうするうちに本来の経営の概念は狡知の概念と入れ替わってしまった。   

>もし価値が一定で有限ならば、誰かが価値あるものを得ているのは別の誰かから奪っている以外にありえない。   

>善人に対しても「我々に気づかせないほど巧妙に、我々の価値を奪っているのでは」という疑念がよぎることになる。   

>こうした誤った推論により、日本の現状を誰かのせいにする言説が流行した。   

>若者が悪い、高齢者が悪い、男性が悪い、女性が悪い、労働者が悪い、資本家が悪い、政治家が悪い、国民が悪い……。   

 

我が国には悪者が揃っていますね。それは間違いではなかろうか。      

 

>現代では誰もが対立を煽る言葉に右往左往している。   

>自己責任論という名の、責任回避の詐術に全ての人が疲弊させられてきた。   

 

そうですね。日本語の自己責任は他人責任の言い換えにすぎませんね。  

 

>誰もが別の誰かのせいにし、自ら責任を取る人はどこにもいないかのようだ。〉   

 

そうですね。日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。兎角この世は無責任。日本人の責任者捜しは難しい。        

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)

【英対する開戦の詔勅】

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。

 

一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。意思の無い者に、意思決定ができるのか。      

 

>(『世界は経営でできている』より)   

>価値を有限だと思い、何かを誰かと奪い合うのは、個人と社会にとって大きな損失である。   

 

そうですね。ゼロサムゲーム (a zero-sum game) はやめましょう。      

 

>そのことを理解して、初めて日本や世界が豊かになる方法を考えることができるのかもしれない。   

 

そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。   

 

(略)

 

 

 

 

 

 



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