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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

緊急避難・挙国一致

2018-04-29 04:20:14 | 政治

>きょう4月26日の日経が「迫真」というコラムで安倍首相が訪米した時の二国間交渉の裏話を書いていた。>1970年-80年代の貿易摩擦を経験した経済産業省の幹部が過去の苦い経験を思い出し、いつか来た道をまたたどるのかと嘆いているという。

嘆きは、日本人の得意技ですね。

>すなわち、米国に輸入規制などの強硬策をちらつかされた日本は、まず繊維の輸出自主規制をのまされ、ついで農産物、自動車で摩擦が起き、米国で日本たたきが広がった、あの苦い経験だ。>実際のところ、当時の日米交渉を知っている者なら誰でもそう考えているはずだ。

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)

>ところが、安倍首相はどう対応していたか。>日経新聞のその記事はこう書いている。>「・・・安倍は日米首脳会談から帰国後、『あれがあったから踏みとどまった』と周囲に漏らしたという」と。>そして日経のその記事は、「『あれ』とは日本が提案した米国との新しい通商対話の枠組みのことである」と書いている。>つまり、これまでの一年間、ペンス副大統領と麻生副総理との間で話し合われるはずだった日米経済対話で何も話し合いをしようとしなかった日本に不満を持つ米国をなだめるために、新しい通商対話の枠組みをもちかけ、「今回はなんとかしのげた」と安倍首相とその周辺は安堵したというのだ。>ここまで無策だとは思わなかった。

無為無策は無能の証拠ですね。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思が無い。だから、仕方がないから無為無策でいる。
意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制というものがない。だから、日本語には未来時制も無く、日本人には意思がない。

>訪米時にトランプ大統領と直談判する戦略など初めから無く、ただ先送りしただけだ。

日本人には、議論 (意見の交換) ができない。できるのは、談合 (恣意の取引) だけである。恣意 (私意・我がまま・身勝手) は国際的に通用しない。
日本人には、意思が無い。意思決定ができなければ、先送りをするしかない。

>はじめからそんな無策で訪米し、首脳会談に臨んだということだ。

意思のない人には、無策しかない。

>無理もない。>今度の首脳会談は北朝鮮問題ではしごを外されて、あわてて北朝鮮の圧力を忘れてくれるなと念押しするためだけの訪米であったからだ。

唯一できることは、’他力本願・神頼み’ ですね。はたして、神風が吹くか。

>それを逆手にとってつけこまれるトランプ大統領の攻勢には、何の対策も講じる余裕がなかったからだ。

意思の無い人間に、指導者の適性はありませんね。

>しかし、そのツケは大きい。>外務省幹部はこう語っているという。>「日米経済対話は何もやらなかったという意味でうまくいきすぎた。新たな対話での先送りは(トランプは)許さないだろう」

‘何もやらなかった’ ということが個人の業績になるのは、我が国ぐらいのものでしょうね。

>麻生大臣が出来なかった事を、茂木大臣に出来るはずがない。>いや、安倍政権そのものに、トランプ大統領の圧力をはね返すことなどできるはずがない。

意思のない所に、方法 (仕方) はありませんね。誰がやっても結果は同じか。

>ひょっとして安倍首相は本格交渉が始まる前に敵前逃亡するつもりではないのか。>この無策ぶりを見せつけられたら、そう思えてくる。

とかく、この世は無責任。先の大戦で、この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。

>あとは野となれ山となれだ。

そうですね。日本人には責任感 (sense of responsibility) が無い。

>尻拭いさせられるポスト安倍はとんだ貧乏くじを引かされることになりそうだ。>誰がなってもまた再び短命政権の時代に逆戻りしそうな気がする。

大同 (非現実) を示す力が無ければ、小異 (現実) に拘泥して命を落とす。民信なくば、立たず。

>だからといって、いまの野党にトランプ大統領の米国と正しく向かい合う能力など皆無だ。

教養が無い。無哲学・能天気では無理ですね。

>国民生活を守るためには、与野党を超えた緊急避難の挙国一致内閣がますます必要になってくる。

いよいよ新体制樹立運動ですね。この道は、いつか来た道。ああそうだよ。没個性の民族のたどる道。

>これは冗談で言っている話ではない。>誰かがそう言い出さなければいけない(了)

それで、どうした。


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何でも反対

2018-04-28 05:00:55 | 政治
>終戦から現在に至るまで「戦後リベラル」はポピュリズムと温情主義に陥り、日本の社会を変えられなかったのはなぜか――。>そんなテーマで書かれ、朝日新聞批判がひとつの柱になっているのが経済学者・池田信夫さんの著書『戦後リベラルの終焉』(PHP新書)である。
(略)
>ある大手新聞の主筆にこう問うたことがある。>「あなたの新聞は、いい加減に社会党的な体質から脱却すべきだ。社会党は政府のやることは何でも反対し、批判した。少しは対案を出すべきだろう。新聞も同じだ」>すると主筆はこう答えた。「対案を出すのには才能がいる。努力もいる。金も時間もいる。しかし、批判なら何もいらない。うちの読者には土井たか子さんのファンが多いから、ヘタに対案など出せば部数が減ってしまう」

才能・努力・金・時間。これらは、全て英米流の高等教育で必要とするものですね。金もかからず、時間もかからない我が国の高等教育との違いが、政治に表れているのでしょうね。

>●対案を出せないのが「戦後リベラル」の限界
>「戦後リベラル」の限界とは、批判しかせず、対案を出せないことにある。私はそう考える。>2013年7月の参院選、2014年12月の衆院選で、私は安倍政権が進めるアベノミクスの批判しかしない各野党の党首たちにこう言った。>「高度成長の時代は、国民は批判に耳を貸すゆとりがあった。しかし今、そうしたゆとりはない。各党が自民党に対抗しようとするなら、わが党ならこうするという対案を示すべきだ」。>だが、どの党も対案を示せなかった。

日本人は、現実の内容を語る。非現実の内容を語らない。
現実の内容は、見ることが出来る。非現実の内容は、見ることが出来ない。非現実は、考えの内容であり、話の内容である。
見ることのできる内容は、本当のことである。見ることのできない内容は、嘘である。
見ることのできない内容を語る事のない人は、考えの内容をも日本語で語ることが出来ない。
嘘を語らない日本人は、考えをも語らない。

>批判しかしないというのが「戦後リベラル」のひとつの特徴であろう。

論客は、’ああでもなければ、こうでもない’ と言う。’あれではいけない・これではだめだ’ と力説する。
だが、自分はどうであるかを言わない。自分には、考えというものがないからである。

>池田さんは、「『平和憲法を守れ』とか『非武装中立』のような理念を対置しても、ほとんどの国民は関心をもたない。彼らの生活を改善する具体的な対案を左翼は出せなかったのだ」と書いている。

無哲学・能天気の国民は、政治音痴ですからね。国民は、政治に関心を持たない。

>私は、池田さんのそうした指摘が大変おもしろく、まさに「私自身に突き付けられた問題」という思いがした。

そうでしょうね。
現実は、頭の外にある。非現実 (考え) は、頭の中にある。両者は所在が異なるから、内容も同じにはならない。
現実の内容は、実況放送・現状報告になる。非現実 (考え) の内容は、時制 (tense) のある文章になる。時制というものは、英文法にはあるが、日本語文法にはない。だから、日本語脳では、非現実 (考え) の文章を作ることが出来ない。
現実の世界は一つである。だから、その内容も一つに定まる。個人が無い。非現実の世界は三つ (過去・現在・未来) ある。その上、これら三つの内容は、個人個人で違っている。
現実の内容は、’今ある姿’ (things as they are) であるが、考えの内容は、’あるべき姿’ (things as they should be) である。現実の文章と非現実の文章とが混乱を起こすことはない。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。正しい (矛盾を含んでいない)  文章は、全て正しい考えを示している。だから、考えの正解は一つではない。いくらでもある。
政治家が正しい選択肢を複数並べて有権者に示せば、我が国の民主主義も発展が期待できます。



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幹部自衛官の恫喝事件

2018-04-27 20:43:26 | 政治
>軍人が政治家を恫喝する社会への転落  2018年4月18日>防衛省統合幕僚監部の30代の幹部自衛官が、議員会館近くで民進党の国会議員に向かって「オマエは国民の敵だ」とくり返し罵声を浴びせたことが問題になっている。

国民の敵は、非国民でしょうね。

>自衛隊のイラク派遣をめぐる日報隠蔽問題が国会で追及され、シビリアンコントロール(文民統制)が機能していないことを問題視されている真っ最中に、逆効果になることをわかっているのか、わかっていないのか、感情を堪えきれぬ軍人が怒りに駆られ、立法府を構成している政治家を恫喝するという前代未聞の挙に及んだ。

軍隊のない我が国に、まだ軍人がいるのかな。

>シビリアンコントロールどころか、軍人が大きい声を出して国会議員を威圧していく社会に逆戻りしているというのである。

国会議員は信頼されていないのですね。礼儀正しい日本人は、どうしているのかな。

>「統合幕僚監部の幹部自衛官」はエリートに分類される。>同じような空気が自衛隊の中枢である統合幕僚監部であったり組織のなかで共有されているのだとすると、問題は深刻である。

徹底的に、統合幕僚監部の空気に関する調査をすべきですね。

>仮に安倍自民党を守るために軍隊及び軍人が動き出したということになれば、それは名実ともに議会制民主主義の終わりということになる。>政治に軍隊が介入することを防ぎ、民主政治を実行していくという近代国家の原則を投げ捨て、軍事独裁政権か何かの類いに転落していくことを意味する。>改憲論議も吹っ飛ぶような実力行使である。

議論のできない国民に、議会制の維持は無理なのかもしれませんね。

>これは罵声を浴びせられた小西某の好き嫌いであるとかの範疇を超えた問題だ。

趣味は、論拠になりませんね。There is no accounting for tastes.

>かつて2・26事件や5・15事件を契機に軍隊が前面に躍り出て、いっきに軍国主義へと傾斜していった教訓を忘れてはならない。

この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ。血気盛りか。

>その結末は、100万の軍隊を投入した中国において、泥沼の戦闘で釘付けになった挙げ句、出口戦略を求めて無謀なる太平洋戦争に突っ込み、最後は全国の都市という都市が空襲で焼き払われ、沖縄では20万人を超える県民が殺戮され、広島、長崎には原爆を投下され、国民に塗炭の苦しみを味わわせて幕を閉じた。

とかく、この世は無責任。この敗戦には責任者は出なかった。

>南方にかり出された兵士たちは戦闘ではなく飢えによって大半が餓死し、負けるとわかっていた戦争を長引かせたために320万人の邦人の生命が失われたのである。

杜撰な計画による過ちですね。

>「勝った、勝った」と大本営は大嘘を垂れ流して国民を欺き、まさに教育勅語が謳う天皇の軍隊には物言えぬ抑圧のなかで、民主主義を圧殺してくり広げた戦争犯罪だった。

福島原発の安全性の様なものか。

>この絶対主義天皇制の支配階級が引き起こした戦争犯罪は、侵略したアジア各国に対しても、日本の民衆にたいしても償われなければならないものだ。

そうですね。

>あの戦争でアメリカに敗北する道を選択して国体護持と引き替えに単独占領に応じ、武装解除にも全面的に協力したのが戦争指導者どもだった。

我が国の指導者には、政治責任はないのか。

>従って、戦後は統治機構は実質的に解体されることなくそのまま継承され、占領統治に協力する者は支配的地位を守られて今日に至っている。>自民党の大物世襲議員なるもののルーツは、それら戦後日本社会を売り飛ばした売国奴どもにほかならない。

命冥加な人達ですね。

>それが73年が経過したいまも、アメリカに揉み手をしながら、同時に右傾化勢力のような欺瞞的振る舞いをして、しかし浅薄なものだから「国家の底が抜けた」状態を丸出しにして生き恥をさらしている。

どこまでも、無哲学・能天気の国民ですからね。生き恥は、避けられません。

>幹部自衛官の恫喝事件は、軍隊による政治介入や国家運営への介入を是とするのか否かを巡る曖昧にできない問題である。                

政治音痴の国民に、この重要性が分かるかな。


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理解不能

2018-04-26 20:40:51 | 政治
>大晦日から元旦にかけて、いつものアイリッシュレストラン兼パブの「ニアリーズ」で過ごした。>中に入ると、年越しの客でごった返している。>なんとか席に就けると、いち早く古き良き友のジャックが筆者を見つけ、そばにやって来て、隣の席に座る。
>そして、いきなり言った。>「北朝鮮が核武装計画を終わる。日本が危なくなっている。日本もトランプの言うように核武装しなければならないのではないか」と。

そうですね。無為無策では、いられませんね。ご本尊が落ち着いているのは、アメリカ人には、理解できないでしょうね。

>ジャックは、朝鮮動乱で19歳の時、従軍している。銃弾の中を潜り抜け戦った経験がある。

日本人には、体験できない経歴の持ち主ですね。

>筆者が、「それはあり得ない。日本の平和憲法上問題があるし、日本国民が支持しない」そっけなく言うと、「それは知っている。しかし、事態が事態である。そんなことは言っていられないであろう」とジャックは、反論する。

日本人は、憲法改正には消極的ですね。アメリカ製憲法は、深く信頼されていますからね。

>「北朝鮮が核兵器を持っているからと言って、日本が核兵器を持ったところで、対等の対峙体制を整えるだけである。北朝鮮が変わらない限り、危機は続く。北朝鮮を変える以外手はないのではないか」と筆者は言った。

相も変らぬ ‘他力本願・神頼み’ ですね。自分に北朝鮮を変える手段がないとなれば、自分自身が変わって現実に対処するのが良策です。

>ジャックは、「だが、日本は丸腰では、国の安全は守れない。丸腰が平和国家を築く方法ではない。軍隊を整備することが国を守るのである」と譲らない。

ジャックの言う通りですね。丸腰では、国の安全は守れません。これは、アメリカ人の日本人に関するミステリーです。日本人の考え方には致命的な欠陥があります。そのことをここでお伝えいたします。
全ての考えは文章になります。文章にならないものは、考えではありません。
意思は、未来時制の文章内容です。日本語文法には、時制というものがありません。ですから、日本語には未来時制がなく、日本人には意思 (未来時制の文章内容) がありません。優柔不断・意志薄弱に見えます。
日本人の考え方には意思というものが無いので、我々は外国人の意思についても想定外になっています。このような状態ですから、日本人は意思の重要性を理解していません。しかし、現実においては、意思が非常に重要な役割を果たしています。
日本人の指導者は、’丸腰ならば安全だ’ と海外へ派遣する要員に指導しているようでありますが、これは大きな間違いですね。日本人自身がなぜ、このような重大な誤りを犯すのかを知っていることがとりわけ重要です。
平和憲法は、日本の安全を守らない。憲法内容が侵入者を阻止することはありえません。実のところ日本の安全は、相手国の意思決定にゆだねられています。
この状態は、ちょうど横断歩道が歩行者の安全を守らないようなものです。横断歩道が車両の侵入を阻止することはありません。歩行者の安全は、ひとえに相手の運転手の意思にゆだねられています。
だから、意思の存在を認め、その内容の理解に注意を集中することが重要になります。
自分で相手の意思を変えられないのであれば、自分の意思の方を変えて現実に対処するしかないことを理解すべきです。

>筆者もそのことは十分理解している。>「だから、日米安保条約は、大切である。日本はアメリカ軍に依存せざるを得ない」と筆者が言うと、「馬鹿な。アメリカも変わってきている。自分の国を自分で守らない国をどうして、アメリカ助けるのであろうか」とジャックは反論する。

そうですね。彼らは自分の血を流して、大切な独立を勝ち取った。自分の国の安全を守る意思を示さない国の安全を他国が守るということは、荒唐無稽ですね。人間がパンダを保護育成するようなものか。自由とは、意思の自由のことですね。自ら意思を示さない者には、自由を享受する資格はありません。

>すると、反対側のテーブルに座っているボブが入ってきた。>ボブは、一時は有名高校の教師をやっていたが、ビジネスに入り、成功している。>50歳代である。
>「日本に行ったことがあり、日本の国防について、ビジネスマンと話したことがある。軍隊を充実させなければ、日本は、国を守れないと言っていた。今の安倍首相は、軍隊を大きくする政策をとろうとしている。だが、そういうビジネスマンは、強く安倍首相を支持していなかった。なぜかわからなかった。」

わたくしにも、分かりませんね。きっと、そのビジネスマンは国防以外のことで、安倍首相を支持できないからでしょうね。いずれにしても、国防に不熱心な日本人の多さに、アメリカ人は呆れていることでしょう。

>「日本は、東シナ海で、中国、韓国と仲良くない。いったいどうやって、どんな方向に進むのであるか」と首をかしげる。

そうですね。日本人は政治音痴ですから、方向性が定まりませんね。日本の安全は、近隣諸国の意思に依存していますからね。首をかしげますね。

>ごく普通のアメリカ人でも、いざとなると日本を心配する。>トランプのように「核武装をしてでも、自分の国は自分で守れ」と言う意見が多くなったと思う。

アメリカ人は、独立・自尊の精神を高く評価していますね。彼らは、日本のことまで心配してくれている。当の日本人は、のほほんとしている。これでは、まともな国際関係にはならないでしょうね。

>さて、話題が真珠湾攻撃となった。
>「筆者が、真珠湾攻撃と広島・長崎の原爆投下は、この論争をタイにすることができる。アメリカ国民は、真珠湾攻撃を非難し、日本国民は、原爆投下を非難する。これでお相子にならないだろうか。どちらの国も、国民も苦しみ堪えた。過去の過ちとして、歴史として、葬り去ることが勇逸の慰めの道ではないか」と言うと、ジャックもボブを同意した。

死者の供養の計画は、日本人の方が得意ですね。葬式仏教の伝統がありますからね。犠牲者でなくても、日本人はねんごろに供養します。

>そして、右寄りのジャックが「オバマ大統領が日本を訪問し、広島に行き、原爆被災者の墓参りをしたことを、我々は誇りに思う」と言った。

オバマ大統領の日本訪問は、日米親善に役立ちましたね。彼は建設的な人ですね。

>年越しは、こんな話題で時を過ごしたのであった。>佐藤則男>ニューヨーク

特にお変りも無いようでしたね。


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学校

2018-04-26 11:42:31 | 教育
>―――――――――――――――――――――――――――――――――
>学校へは行く必要がないのじゃない。>行ってはいけないのだ。

極論の様ですね。

>ダメな理由をいくつか挙げてみようか。> 1学歴が社会を壊す>学校は基本的に成績でふるい分ける。>成績は基本テストで評価する。>素行や、人間性でも評価すると言うが、そういうものは個人(ほとんど場合先生)の主観であるから、テストのほうがまだ平等だと言えないことはない。

序列判定は、同次元で平等でなくてはなりませんね。

>テストはたまたま勉強してきたところが出ることもある。>大学受験にしてもしかりだ。>テストの問題は先生や教科書をいかにそのまま覚えているかで評価すること。

そのまま暗記が大切ですね。創造・創作は必要なしですね。

>•歌がうまい>•冗談がうまい、>•絵がうまい、>•サッカーがうまい> などは点数にならないので評価できないので、評価しない。

そうですね。個性的な内容は、同次元序列の比較に馴染みませんね。

>評価されるのは基本記憶力だけである。

そういうことになりますね。

>記憶力も人間の持つ一つの能力ではある。>でも、百もある能力のうちの一つでしかない。>事業をやっていると役に立つのは情熱と洞察力だ。記憶力は必要ない。

そうでしょうかね。情熱・洞察力など高次元の事柄は、比較するのが難しいですね。

>覚えておかないといけないことはコンピュータにやらせた方が効率的だ。

そういうことも多いですね。

>にもかかわらず人を評価するのに記憶力だけしかないから情熱も洞察力もない記憶力しかとりえのない人間が大学に行き、官庁や一流企業に入社する。>そしてそういうやつが高級官僚や大企業の社長、銀行の頭取になる。

我が国の様な序列社会においては、自然の成り行きでしょうかね。

>成績のいいやつは基本、発想力に欠けていることが多い。 (すべてとは言わないが)

学校は、独創を評価するシステムにはなっていないでしょうね。

>そういう人間は独創性のある人間を理解できないからとても嫌う。

ありきたりであることが、周囲の者を安心させるのでしょうね。独創の上下判断は難しいですね。

>そして、保身に走り、周囲に似たような人間を集めて満足する。

‘類は友を呼ぶ’ ということですかね。

>これが日本を崩壊させているのだ。

停滞が禍になり、日本が崩壊するのですね。

>------------------------------
(略)
>ユニークで面白い製品が生まれなくなったのは、やはり企業風土が変質したからだとの見立てだ。>「上から言われたことをコツコツやっているだけでは駄目なんです。天の声の影響が末端まで広がっているというのが我々の認識です」。>そもそもこの認識が間違えている。

没個性・月並みが問題ですね。ユニークで面白い製品を作るのには個性・独創が必要ですね。

>上も下も知的能力の優れた人材で固めていることが原因なのだ。

学力テストの結果をもとにして、人間が序列を作っているのですね。序列社会の典型ですね。個性は各人各様であるから、序列社会の形成に基準として役立ちませんね。

>ユニークな製品が生まれないのは、ユニークを抑圧する学校教育で優秀な成績を上げた知的な人たちが会社に充満していること、そのこと自体に問題があるのだ。

そうですね。学校は、同次元での序列競争をさせるので、没個性の励みを助長しますね。個性を抑圧されて、切って揃えられたような能力の人たちが会社に充満していますね。

>端的に言えば「学卒採用試験制度」そのものに問題があるのだ。>学校が現在の成績重視で、企業も学歴と入社試験でふるいわけている限り日本の将来は見えてこない。

そうでしょうね。序列社会の弊害ですね。’上と見るか、下とみるか’ の習慣は、なかなか廃れそうにありませんね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、上下判断は日本語話者にはなくてはならないものになっています。’人を見損なってはいけない’ という想いは、私達の強迫観念になっています。そうでなくては、我々は礼儀正しい日本人にはなれません。
ですから、私達は序列社会の中の序列人間です。

>学校があるから、子どもと将来の日本は不幸になるのだ。

それは、ちょっと言い過ぎではありませんか。学校の利用方法に問題があるのではないでしょうか。我々が上下判断に固執しなければ、子供も未来の日本も幸福になるでしょう。


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