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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

Never Again

2024-03-30 16:19:12 | 文化

(略)

>アメリカの学生との対話で感じた想い   

>10年以上前のことですが、アメリカ人の学生とこんな会話がありました。   

>その学生は日本語を学び、日本を訪れたときに広島の原爆記念館を訪ねたそうです。   

>そこで日本人が「こんなことをしたアメリカ人は絶対に許せない」と言っていたのを聞き、それに反感を覚えたというのです。   

>「アメリカがあのタイミングで原爆投下して、どれだけ破壊力があるかを世界中に知らしめられたことで、冷戦中の核兵器使用が防がれた。   

>世界の滅亡を避けられたじゃないか。   

>大体、日本は被害者なのか。   

>ユダヤ人大虐殺をしたドイツと連盟を組んで、他のアジアの国にもひどいことをしたじゃないか。   

>それでいて第二次世界大戦といったら原爆投下の被害ばかり語るのっておかしくない?    

>そもそも戦争中っていろんな国がめちゃくちゃひどいことをしたわけだから、日本が、日本が、って核兵器についてばかり言うのはおかしいと思う」   

>その場にいた日本人は私 [内田舞さん] ひとりだったので、とても孤独な状況でしたが、私は勇気を出してこう発言しました。   

>「日本が他国にした酷いことはもっと語られなければならない。   

>戦時中、日本国政府が日本国民に発したメッセージの問題に対しても、もっと学ばなければいけないことはたくさんある。   

>日本国政府が当時、国際政治の中でよくない判断を下したことも間違いない」   

>さらに続けてこう言いました。   

>「でも、それでも私は、日本から『Never Again(二度と繰り返さない)』というメッセージは発し続けなければならないと思う。   

>誰かの責任だということは簡単だけど、それだけが注目されるべき問題ではない。   

>日本に原爆が投下されたのは『冷戦での使用を防ぐための投下』というような、核戦争や核兵器についての議論を『理論的には』と、実体験から隔離した机上の空論のように語るのは良くないことだと思う。   

>実際、原爆投下後のヒロシマやナガサキでどれだけの人がどのように亡くなったのか……。    

>熱波で瞬間的に消えてしまった命、爆風にとばされた人、ガラスのかけらが体中に刺さった人、皮膚がとけ落ちてしまった人、ひどい火傷で川に飛び込んで亡くなった人、白血病で血を吐きながら亡くなった人、親を亡くした子どもたち……。もっともっと様々な生き様がそこにあり、その人々のストーリーなしには核兵器は語られるべきではない。   

>それがNever Againに繋がると思う」   

>さらに、同じ会話の中で、アメリカ人の大学生から「9.11とカミカゼ特攻隊を比べるのを嫌がる日本人がいるのもおかしい」という発言もありました。   

>私は「航空機で突進する、という点で、9.11のテロリストとカミカゼ特攻隊の類似点はわかる。   

>そして戦争中ではないときに、一般市民を無差別殺人した9.11のテロリストと特攻隊の加害は違う、という人がいるのもわかる。   

>でも、何よりも『カミカゼ』という言葉でしか特攻隊のことを知らずにイメージするものと、実際の人のストーリーを通して抱くイメージは全く違うものだと思うよ」と話しました。   

>それぞれの立場で感じ方は違う   

>私は、両親が以前、鹿児島県にある「特攻の町」知覧を訪れたときに買ってきた本がとても印象的だったので、アメリカにも持って来ていました。   

>私は彼らにその本を見せ、そこに掲載されている、出陣前に親や好きな子宛に書いた特攻隊員の手紙を訳して伝えました。   

>「今更だけど読みたい本」の題名を綴った手紙、特攻への恐怖を綴った手紙、好きな子への想いを綴った手紙……。   

>写真を見るとまだあどけない10代の思春期の子どもの特攻隊員もいたことを伝えました。   

>私の発言を聞いていたアメリカ人の友人達は、「単なる敵国のクレイジーな戦略だとしか教わってこなかったが、こんなに若い子たちだったなんて知らなかった……。   

>こんな子どもの兵士が、心の中では怖いと思いながら飛んでいたなんて考えたこともなかった」「舞が話してくれなかったら一生知らなかったと思う」とさまざまな感想を伝えてくれました。   

>このとき、日本人が私ひとりだったこともあり、日本の人のストーリーをここで語れるのは私しかいないという重圧と、だからこそ湧く使命感を感じ、「わかってもらえるだろうか」と不安を抱えながら、私なりの言葉で伝えたのですが、学生たちの優しい言葉を受けて、なんだかわからないような感情が溢れてきて、皆の前で泣いてしまいました。   

>このときの自分の言葉には何も後悔はありませんが、実はこの話には続きがあります。   

>後日、とても仲が良いシリア人とスペイン人のハーフの友人に「学生たちとこんな対話があったんだよ」と話すと、彼は「僕は9.11のテロリストと日本の特攻隊の違いはわかるけど、どちらも不道徳で腐敗した国家や権力の下で犠牲になった若者だったという点は同じなのではないかと思う」と、ちょっと怪訝な顔で言ったのです。   

>この言葉を聞いて、私はシリア人である彼にとって、9.11にまつわる話題をアメリカで語ることがいかに居心地の悪いものであるか、そして同時多発テロだけでなく、実際内戦中のシリアで何が起きているのか、それが一般市民にとってはどのような経験なのか、そういった母国を持つ彼にとってこの話題はどんな思いなのか、といったことを考えずに話してしまったなと、ハッとしました。   

>私が謝ると、その場にいたもう一人の友だちが「同じことを話しても受け取り方が違うこと、またその背景にハッとすることや、『やっちゃった』という体験を通して、私たちの中で理解や共感が生まれるんじゃないかな」と語ってくれました。

>確かに、互いの理解を深めるためには、対話を重ね知ることがなければ、理解や共感は生まれません。   

>とても大事な言葉をもらったと感じました。   

>そう話してくれた友人はその後国境なき医師団に入り、シリアから亡命した難民の精神科医として活躍しました。   

>未だに仲の良い、尊敬している友人です。   

>体験した人たちの声がいかに大事か   

>私は今年『ソーシャル ジャスティス小児精神科医、社会を診る 』という本を書きましたが、その中で第6章に「ベトナム帰還兵との対話 ThemUsは簡単に分けられない」というタイトルで、私がイエール大学の研修医だったときに受け持った患者さんとの対話を綴りました。   

>ベトナム戦争から帰還したアメリカ兵である患者さんは、ベトナムでのトラウマからアジア人を心から嫌う人種差別主義者になってしまい、そしてPTSDの治療のために来た病院で割り当てられたのが日本人である私だったという実話です。

>この帰還兵さんと出会ったときは、彼の差別的な言葉に圧倒されて、私も彼に嫌悪感を抱きました。   

>しかし、彼が「おまえは何人だ?」と質問したのに対して、私が「教えてあげるけど、まずはなんでそれを知りたいかを教えてほしい」と返したことで、彼の様々な体験と正直な思いを語ってくれることとなったのです。   

>それから2年間、彼は治療のため毎週通院しました。   

>そして、私との対話を重ねることで、次第に彼の心が変化していく姿を目の当たりにしたのです。   

>この体験は私に、戦争やトラウマという体験の複雑さも含め、分断の反対側にいるように見える人とも、心の交流を通して分断を乗り越えられるという希望を抱かせてくれました。   

>また同時にこの体験は、人々の行動や感情の発露に注目して耳を傾け、一面的でなく多面的に向き合うことの大切さを改めて学ばせてくれました。   

>「経験の共有が共感を作る」、そして「その共感が平和を守る」……私はそう信じています。   

>しかし、人生の中で出会える人の数は限られています。   

>だからこそ、芸術やメディアを通して知ることのできる他の人のストーリー、経験には価値があるのです。   

>『ソーシャルジャスティス』の第5章では、「アメリカ社会の差別から学ぶ アジア人男性とハリウッド」という問題に触れ、メディアに映し出されるものが、いかに人々の考え方に影響を及ぼすものかを語りましたが、その中で「世界中の人々の多様な経験を反映させた物語を想像する」というディズニーの提言についても次のように綴りました。    

>一部抜粋します。   

>以前、第二次世界大戦末期の硫黄島での日米の戦いを、日本兵の視点で描いたクリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』を見たアメリカ人が、「敵国の日本人にも家族や彼女がいたりして、それぞれの思いで戦争を生き抜いたことを初めて知った」と答えている印象的なインタビューを見たことがあります。   

>それまでアメリカで観た戦争映画では、敵国の軍人たちはただ敵として描かれるだけで、それぞれの暮らしぶりや顔が思い浮かぶことがなく、彼らの人生や物語について考えるきっかけがなかったのだと。   

>しかし「世界の様々な人の経験を描く」ことは、自国中心の歴史観の裏に隠れていた、いくつもの生きた声に触れることを可能にしてくれる。   

>そのなかで単純な敵・味方にとどまらない歴史観が育まれるのだと思います。   

>アメリカやヨーロッパで核兵器に関して議論される際、私は日本人として、どうしても違和感を感じることが少なくありません。   

>それは、核の抑止力のような核兵器にまつわる理論や核兵器保持の必要性を正当化する政治的な背景ばかりが議論され、実際核兵器が使用された後の人々の苦しみの悲惨さが語られないからです。   

>こう感じるのは、私が日本で受けた教育や、『はだしのゲン』などの漫画や、井伏鱒二の『黒い雨』などの小説、そして広島出身の祖父や親戚の実体験から、実際に核に翻弄された人々の人生を知る機会に恵まれたからでしょう。   

>日本から世界に伝えなければならないストーリーが広く語られることを祈っています。   

>『ソーシャル ジャスティス小児精神科医、社会を診る 』より   

>私はこうして海外在住の日本人である私の経験を共有する機会をいただけて、とても光栄です。   

>そして、これからも日本の人間のストーリーを世界の中で語っていくつもりです。   

>こうしている今も、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナなど、世界では武力での衝突が続いています。   

>核への脅威について、今改めて考えることはとても大事なことだと感じています。   

>ヒロシマ・ナガサキから「Never Again(二度と繰り返さない)」のメッセージを世界に広めていくこと、世界唯一の被爆国の日本だからこそできる、とても重要な平和へのアクションだと思うのです。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 

残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。)ではなかったか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)  

 

 

 

 

 

 

 

 

 


還流継続

2024-03-29 14:19:50 | 文化

> 岸田首相(自民党総裁)から派閥の政治資金規正法違反事件を巡って聴取を受けた安倍派元幹部4氏の姿勢に対し、自民党内で不満や批判が広がっている。   

>従来の発言とほとんど差のない説明を繰り返し、自らの弁明に終始したとされるためだ。   

>元幹部としての責任感が希薄だとして、重い処分もやむを得ないとの声も上がっている。   

 

日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。   

 

> 「追加調査を行っている。   

>事実をできるだけ解明した上で、(元幹部らの)政治責任について判断したい」   

> 岸田首相は27日の参院予算委員会でこう述べた。   

>だが、同日夕までに終了した4氏の聴取では、新たな事実の確認は乏しかった。   

> 首相は26、27の両日、塩谷立、下村博文・両元文部科学相、西村康稔・前経済産業相、世耕弘成・前参院幹事長の聴取を個別に実施した。   

>4氏が、安倍元首相から不透明な資金還流の中止を指示されたにもかかわらず、結果的に還流継続を黙認したことを首相は問題視している。   

> 聴取の焦点は、安倍氏の死去後も還流が継続した経緯や、幹部間の責任問題だった。   

 

日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。   

 

>4氏は今回の聴取でも、衆参両院の政治倫理審査会などで述べた内容を繰り返したといい、関係者は「政倫審以上の話は出なかった」と語る。   

> 4氏はいずれも還流継続の決定に関し、自身の積極的な関与を否定してきた。   

>とはいえ、当時はいずれも派内で指導的な立場にあっただけに、自民内では「事務方だけで決められるわけがない」として、4氏の説明に懐疑的な目が向けられている。   

> 今回の聴取でも弁明に終始したことで、自民執行部内からは、「自ら身を処す姿勢も見えず、そもそも悪いとも思っていない」とあきれる声が出ている。   

 

日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。   

 

> 自民は、4月の第1週に関係議員らの処分を決める方針で、4氏が最も重くなる見通しだ。   

>「選挙における非公認」か「党員資格の停止」とする方向で検討している。   

>4氏のこれまでの姿勢を踏まえ、党執行部内にはより重い処分が必要だとみる向きもある。   

>なかでも、安倍派座長を務めていた塩谷氏と、参院安倍派会長だった世耕氏に関しては「離党勧告でもいい」との声が出ている。   

> 処分を巡っては、連立を組む公明党もいら立ちを募らせている。   

>幕引きが遅くなればなるほど、今後の国政選挙などへの影響が大きくなりかねないためだ。   

>公明幹部は、「処分を早期に済ませ、再発防止に向けた政治資金規正法改正の議論を進めることで、局面転換を図るべきだ」と指摘する。   

 

日本人には意思が無い。意思のない人達の中から、責任者を探し出すことは難しい。   

【英対する開戦の詔勅】

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。

 

一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。    

 

[責任] 意思の無い人間には責任がない。だが、これは西洋人の考え方である。日本人の考え方はこれとは違っている。意思の無い日本人にも責任という言葉はある。それは意思の話を度外視して目的達成の義務だけを意味するものである。これでは荷役を押し付けられた意思の無いアニマルと同じである。牛馬の苦役のみの強要では喜んで責任者になる者はいない。だから、わが国では西洋流の責任体制のある指導者は育たない。

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、以下のように述べています。

日本人は全員一致して同一行動がとれるように、千数百年にわたって訓練されている。従って、独裁者は必要でない。よく言われることだが、明治というあの大変革・大躍進の時代にも、一人のナポレオンもレーニンも毛沢東も必要でなかった。戦後の復興も同じである。戦後の復興はだれが立案し指導したのか。ある罷免された大使が、ドゴール、毛沢東、ネールの名はだれでも知っているが、吉田茂などという名は特別な知日家を除けばだれも知らないと言っているが、これは事実である。(引用終り)   

 

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)   

 

 

 

 

 

 


佐藤優氏 白井聡氏  

2024-03-29 10:45:08 | 文化

>秋に予定されるアメリカの大統領選挙は、「もしトラ(もしトランプ氏が大統領に返り咲いたら)」から「ほぼトラ(ほぼトランプ氏が勝つ)」への様相を呈し、日米関係の今後がますます注目される。   

>今回は、佐藤優氏がいま話題の各界プロフェッショナル12人と対話した最新刊『天才たちのインテリジェンス』(ポプラ社)より、佐藤氏と政治学者の白井聡氏との対談(201810月収録)を抜粋。   

>当時二人が論じた「日本独自のねじれた対米従属の在り方」や「日本の存在感」がどう示されるべきかについて、再びの「トランプ大統領」登場に備え、改めて徹底検証する。   

>日本の対米従属の異様さは、「アメリカは日本を愛している」という虚構   

>佐藤 「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」。   

>白井さんの新刊『国体論―菊と星条旗』を読んで、ヘーゲルが『法の哲学』序文で述べたこの言葉を思い出しました。   

>時代が可視化されるのは、それまでのシステムが限界を迎えるときです。   

>『永続敗戦論―戦後日本の核心』からつながる流れとして、いよいよ、日本とアメリカとの関係も変化する時期にきたのだと。    

>白井 終わりが見えていながら、延々と引き延ばされている状況ですよね。   

 

日本人には意思が無い。意思のあるところに方法がある。Where there’s a will, there’s a way.              

 

>『永続敗戦論』を書いたのは安倍政権が成立して間もない時期でした。   

>まあひどい政権になるだろう、という予見と理由は同書に書いた通りですが、まさか6年(当時)にも及ぶ長期政権になるとは思いもせず。   

>それへの苛立ちが『国体論』を書くモチベーションにもなりました。   

>佐藤 対米従属論に関しては非常に複雑で、言ってみればアメリカに全く従属していない国というのは世界でも少ない。   

>白井さんはその上で、日本独自のねじれた対米従属のあり方を問題にされていると思うのだけれども。   

>トランプ政権の誕生で、また急激に予見が変化しましたね。   

>トランプの介入によって朝鮮半島情勢の問題が解決すれば、地政学の見地から言っても、必然的に米中対立が本格化しますから。   

>白井 はい。   

>これまで私は、日本の対米従属の異様さは、「アメリカは日本を愛してくれているのだ」という虚構に基づいている点にあると考えてきました。   

>しかしトランプ大統領は「愛しているフリ」のゲームを続ける気がない。   

>いよいよ対米関係を相対化しないわけにはいかない状況になってきました。   

>その動きを背景に、北方領土問題も動き出す気配がありますね。   

>佐藤 ええ。現政権の間に歯舞群島、色丹島の返還でケリをつける可能性があります。   

>正確には2島+アルファ(国後島と択捉島はロシアの法律に服すものの、日本人はパスポートなし、関税免除してもらうなど特別に優遇する法を作る案)の形で。   

>自分で考えなければ生き残れない時代   

>白井 ただ、ここまで対米従属している政権にそれができるのか、半信半疑でもあります。   

>というのもこれまでの4島一括返還という要求は、歴史的経緯からしても無理筋でした。   

>要するに解決する気がなかったわけですよね。   

>佐藤 当時の反共体制においてはそうでしょう。   

>アメリカが小笠原と沖縄に施政権を行使している状態で歯舞群島と色丹島を引き渡されたら、日本国民にとってはアメリカよりソ連のほうがいい国だってことになりますからね。   

>白井 それは「愛しているフリ」としては都合が悪かった、と。   

>佐藤 しかし現在、トランプ政権は北朝鮮との関係改善に動いている。   

>朝鮮半島情勢の問題が解決すれば、韓国・北朝鮮・中国も地続きとなり、提携が強まる。   

>明らかに北東アジアのバランスが崩れるから、カウンターボーナスとしてロシアが出てきているわけです。   

>トランプの登場で冷戦構造が壊れ始め、一昔前の言葉を使うなら「帝国主義」的な再編が起きていると言える。   

>白井 そういったシナリオは誰が書いているんですか。   

>佐藤 集合的無意識でしょう。   

 

そうですね。日本の変革には、ヒットラーもスターリンも毛沢東も必要ではありませんね。

 

>日本のエリート層が今のまま日本国家で生き延びるために、無意識で起こしている潮流ですよ。   

 

日本人はやむを得ない反応ばかりを繰り返していますね。    

 

>白井 やはり行き当たりばったりで、計画性はないのですね。   

 

我が国の政治家には政治哲学が欠如していますね。国民はノンポリ・政治音痴で対応していますね。      

 

>佐藤 この先はさらに何が起きるかわからない。   

>私みたいに分析専門家をやっていると、悪いシナリオと、ものすごく悪いシナリオしか見えないけれど。   

>白井 私も特に311以降、最悪の想定しかしなくなりました。   

 

日本沈没ですか。メルトダウンは望まなくてもやってくる。   

 

>佐藤 安倍政権に関しても、好き嫌いはともかく次によりマシな政権がくる可能性はかなり低いですよ。   

>混乱は免れない。   

>しかもその閉塞した状況が、世界全体を通じて起きている。   

>これまでの常識が通用しなくなるかもしれない状況下で、海図なきままに泳いでいかないといけない。   

>いよいよ自分で考えなければ生き残れない時代になっていくでしょう。   

 

そうですね。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  

 

>染みついた奴隷根性を恥ずべきものと思うこと   

>白井 今、一番気になっているのは、覇権国が移行する過程で起こるかもしれない、戦争のことです。   

>これまでの歴史上、覇権が移行するときはしばしば大きな戦争が起きていますよね。   

>20世紀に覇権はイギリスからアメリカに移行しました。   

>それが中国へ移るとなったとき、アメリカも座視はしないでしょう。   

>そのとき歴史のけじめとして何らかの犠牲が必要になる。   

>このままでは日本人に矛先が向くと思うんです。   

>自立心がなく、奴隷根性が染みついた民族としてその命の価値が軽く見なされるのではと。   

 

歴史的にも奴隷制度の無かったわが国に、奴隷根性が染みついているとは皮肉なものですね。      

 

>佐藤 少なくとも外交上では、日本の存在感はほぼありません。   

 

そうですね。日本人には意思が無い。天は自ら助くる者を助く。 Heaven helps those who help themselves.     

 

>白井 日本人は能力があるはずなのに、こんな情けない状態になっているのは、それこそ『国体論』で論じたような、「国体教育」の賜物だと思うのですが。   

> かつて天皇を頂点とした国家として行われていた国体教育は、現在も、トップをアメリカにすげ替えた形で我々を支配しています。   

 

序列メンタリティの涵養ですね。    

 

>今後この日本で生き残るためには、まず自分たちに無意識のうちに根づいてしまっている奴隷根性を恥ずべきものと思わないと。   

>佐藤 代議制民主主義の社会モデルとしては、国民一人ひとりが外交や政治について考えなきゃいけない社会は本来よろしくないんですよ。   

>自分たちの中で代表者を決めたら、政は彼ら彼女らに任せ、一般市民は個々の経済や文化で自己の可能性を形にしつつ納税し、家庭を持ち、子どもを育て……という、マルクスの言うところの再生産を行えばいい。 

>しかし今、その再生産の仕組みが成り立たなくなっています。   

>さらに、指導者となるべきエリート層の思考力が著しく低下している。   

 

そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。   

 

>このような状況下で何も考えずにいると、気づいたときには自分の望まない環境にいる可能性が高くなるでしょうね。  

>偏差値教育的な学力は意味がない   

>白井 以前、ちょうどブラック企業という言葉が世の中に知られるようになってきた頃ですが、大学で働き方についての講義をしたのです。   

>そうしたらアンケートに「ブラック企業には入らないようにしたい」というだけの感想が複数あったときは呆れました。   

>そりゃ誰だって入りたくないに決まってますよ。   

>でもそこしか働く場所が見つからなかったり、まともだった企業がいつしかブラックになってしまったりする。   

>そういうところに一切想像力が及ばない。   

 

日本人には世界観がないので、目先手先の事しか頭にない。それで議論にならない。     

 

>きわめて消費者的です。   

>買い物ならお金を持っていれば好きなものを買えるのと同じように、自分だけは何でも好きなように選べると思い込んでいるのでしょう。   

>根拠もなく。   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交儀礼がない。彼は知日派であった。   

 

>佐藤 その点からも教育が重要になります。   

>お受験的、偏差値教育的な学力は意味がありません。   

 

そうですね。あれは序列順位の争奪選ですからね。教育内容などなおざりですね。      

 

>もっとも、未知の問題に出合ったとき、総合的な見地から理解し、対応する力を養うのはそう簡単なことではないけれど。   

>自分や自分のまわり以外の気持ちを推し量る訓練もしなければいけませんし。   

> もっとも今の日本では、指導者となるべき大学人もかなり疲れている。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任もない。責任を以て人を指導することはできませんね。  

 

>白井さんのようにアカデミックな手続きを踏んだ上でのきちんとした文書を書きつつ、賢母的に大学で学生たちと向き合っている若手が少ないことも問題ですね。   

>白井 僕自身ももっとリスクを取って「君のように何も考えない人間がいるから、ブラック企業がなくならないんだね」くらい言うべきかもしれません。   

>結局誰も教えてくれなかったから、大学生にもなってまことに情けない状態になっている。   

 

教育とは体験することですね。   

 

>さらに「空気を読め」という風潮で自分の意見も言えず、いいように利用されたり、鬱になったり。   

 

日本人は気分・雰囲気・感情に酔っていますね。   

 

>それじゃ何のために生まれてきたのかわからない。   

 

そうですね。   

 

>生きている以上、何らかの制約は必ずあります。   

>その中で少しでも自由に、自分が思うように生きるため、僕らは学ぶのだと思うんです。  

 

各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.   

英米の高等教育は子供が大人になる為の教育である。子供は現実 (事実) に関する知識のみを持っているが、大人には非現実 (考え・哲学) に関する知識もある。それを若者に持たせるのが彼らの高等教育である。

日本人には非現実に関する知識がないのでわが国では英米の高等教育がなりたたない。だから、日本人は子供らしくみえる。   

非現実の内容を現実の内容に転換する方法を見つけることができたら、人間固有の創造力を発揮したことになる。日本人は創造力に欠けている。         

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)     

 

 

 

 

 

 

 

 

 


現代新書編集部の意見  

2024-03-29 01:31:57 | 文化

>根性論を押しつける、相手を見下す、責任をなすりつける、足を引っ張る、人によって態度を変える、自己保身しか頭にない……どの職場にも必ずいるかれらはいったい何を考えているのか。   

>発売即重版が決まった話題書『職場を腐らせる人たち』では、ベストセラー著者が豊富な臨床例から明かす。   

>〈パワハラや嫌がらせの連鎖を目にするたびに、「自分がされて嫌だったのなら、同じことを他人にしなければいいのに」と私は思う。   

>だが、残念ながら、そういう理屈は通用しないようだ。   

>むしろ、「自分は理不尽な目に遭い、つらい思いをした」という被害者意識が強いほど、自分と同じような体験を他の誰かに味わわせようとする。   

 

そうですね。

日本人には意思がない。だから、加害者意識がなくて、被害者意識だけがある。これはアニマルも同じである。        

 

>これは主に二つの理由によると考えられる。   

>まず、「自分もやられたのだから、やってもいい」と正当化する。   

 

目には目をですか。しかし、相手は違っていますね。だから、やられた人にはやり返せない。         

 

>また、自分がつらい思いをした体験を他の誰かに味わわせることによってしか、その体験を乗り越えられないのかもしれない。〉(『職場を腐らせる人たち』より)

>話題書『職場を腐らせる人たち』では、根性論を持ち込む上司、過大なノルマを部下に押しつける上司、言われたことしかしない若手社員、完璧主義で細かすぎる人、あれこれケチをつける人、八つ当たり屋、特定の部署にこだわる人、いつも相手を見下す人、相手によって態度を変える人、他人のせいにする人、不和の種をまく人、他人の秘密を平気でばらす人、その場にいない人の悪口を言う上司、陰で足を引っ張る人、ストーカー化する人、といった15の実際のケースを取り上げている。   

>字面を見るだけで、「いるいる!あるある!」というものばかりかもしれない。   

>なかでもやっかいなのは、相手によって態度を変える人かもしれない。   

 

日本人は序列人間ですからね。中間位の者は大きくなったり小さくなったりする必要がありますね。日本人は如才ないですね。日和見主義ですね。        

 

>〈特権意識が強い上司ほど、自分の暴言や罵倒で部下がどれほど傷つき、つらい思いをするかに想像力を働かせることができない。   

>いや、それどころか想像してみようとさえしない。   

>想像力が欠如しているからこそ、感情に任せて暴言を吐き、罵倒し続けるのだろう。   

 

お山の大将ですね。   

 

>もっとも、想像力の欠如を無自覚に露呈させるのは""に対してだけである。   

>逆に、""に対しては、自分の言動がどう受け止められるか過剰ともいえるほど警戒し、不快感や反感をかき立てないよう慎重にふるまう。   

""からどう見られるかが最大の判断基準になっているからであり、そのおかげか""から気に入られ出世することも少なくない。〉(『職場を腐らせる人たち』より)

>〈相手によって態度を変える人は、方針もコロコロ変えることが多い。   

 

日本人には現実(事実)があって非現実(考え・哲学)がない。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派であった。  

 

>朝令暮改も日常茶飯事なのだが、これは""から気に入られることしか考えていないからだろう。   

 

彼は上からの賃上げを期待していますね。他力本願・神頼みですね。   

 

""からちょっと言われただけで、それまでの方針を百八十度転換することもある。   

>そのため、こういうタイプを上司に持つと、部下は振り回されてばかりで、本当に苦労する。   

>指示が行き当たりばったりで、一貫性がなく、すぐに方針が変わる一因として、自信がないこともある。   

 

日本人は無哲学・能天気ですからね。   

 

>おくびにも出さないが、実は「この方針で大丈夫だろうか」とびくびくしているからこそ、指示が二転三転する。   

 

彼はやむを得ない反応だけを繰り返していますね。   

 

>朝令暮改の上司ほど「状況が変わったんだから、臨機応変に対応しないといけない」と正当化するが、そのたびに右往左往する部下のほうはたまったものではない。〉(『職場を腐らせる人たち』より)   

 

我が国は、時代に流される人たちばかりの社会ですね。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)   

 

>つづく「どの会社にもいる「他人を見下し、自己保身に走る」職場を腐らせる人たちの正体」では、「最も多い悩みは職場の人間関係に関するもので、だいたい職場を腐らせる人がらみ」「職場を腐らせる人が一人でもいると、腐ったミカンと同様に職場全体に腐敗が広がっていく」という著者が問題をシャープに語る。   

 

 

 

 

 

 

 


谷口たかひさ氏  

2024-03-28 19:39:52 | 文化

>ヨーロッパでは週休3日以上の制度を導入する国がいくつか出てきています。   

>日本ではなかなか実現しにくそうなことですが、それは突然得られた「結果」ではありません。   

>お金や教育、家事などの身近なことから、政治や環境問題などのグローバルなジャンルにおいて、「日本において常識とは考えられていないこと」が、実は「世界の常識となっていること」は意外と少なくありません。   

>それを知れば日本人の根底にある「価値観の選択肢」を増やすことにつながるはずです。   

>ドイツ在住の日本人実業家であり、世界に精通する人気インスタグラマー、谷口 たかひさが48例に及ぶ世界のシン常識をまとめた初の著書『シン・スタンダード』(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けします。   

>ベルギーの週休3日制、雇用主の責任   

>ベルギーでは2022年半ばに、労働者に週休3日制が認められた。   

>労働者が希望すれば、同じ給与で週休3日取れるようになった。   

>「ストレスなどの問題に対応しながら、生産的で持続可能な経済を目指す」と首相は述べている。   

>なお、合計の労働時間を変えずに週休3日取る形にするため、希望する場合は110時間まで働けることになる(現在は8時間まで)。   

>また、ある週に多く働く代わりに、他の週の労働時間を少なくするなど、できるだけ労働者が柔軟な働き方を実現できるようにしていく方針だ。   

>雇用主はこれを認めない場合、その理由を書面で説明することが義務づけられるという。   

>ベルギーはまた、従業員に以下の権利を持たせるという。   

>「勤務時間外は上司のメッセージに反応しなくていい」

>ベルギーは2021年末に714%だった就業率を、2030年には80%に引き上げることを目指している。   

>雇用主からの不当な扱いに従う意味   

>では、他の国々の近年の働き方改革に関する動きはどうだろうか。   

>・アイスランド:2015年から試験的に週休3日制を導入。   

>結果は「圧倒的な成功」だったと評価されてる。   

>・スペイン:給与はそのままで週休4日にする計画を発表。   

>・スコットランド:給与はそのままで週休3日にする計画を発表。   

>・アメリカ:「各国の政府や企業の取り組みで、病欠の減少が確認されたほか、従業員の士気向上、育児費の削減がみられた」として、2021年、標準労働時間を週40時間から32時間に短縮する法案が提出された。   

>・イギリス:オックスフォード大学の研究機関が協力する団体の試験的な取り組みに各国政府に加え、多国籍企業など数十の企業が参加し、現在2000人の労働者が給与はそのままで週休3日制で働いている。   

>さて、僕がこのトピックで触れたいのは、「だから日本人はもっと休んだほうがいい」ということではない。   

>伝えたいのは、これらの「結果」は、ある日突然得られたものではないということだ。   

>もっと言えば、その国の労働者の人たちがこれまでに行ってきた、投票や主張といった、不断の努力によって勝ち取った部分が大きいと言えるのだ。   

 

そうですね。   

だが、日本人には意思が無い。  

意思のあるところに方法がある。Where there’s a willthere’s a way.  

 

【英対する開戦の詔勅】

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。

 

一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。   

 

>自分がフィンランドにいた時に、フィンランドの人に言われた言葉が今でも強烈に頭に残っている。   

>「自分が雇用主から不当な扱いを受けた時には、断固として従ってはいけません。   

>それはあなただけではなく、あなたの後ろにいる全ての労働者を守ることになるからです」   

 

そうですね。それはあなたが唱導者なることですね。  

過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。それには未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。しかし、それには無為無策でその日暮らしをしている日本人には望み無しである。

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 つまり、無心である。ものを言ってもそれが行動には繋がらない。だから、結果的に ‘うそぶく’ 人ということになる。これが、相手に不信の念をいだかせる。考えがあり、その実現に強い意思を示すという手順がわが国には存在しない。    

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)     

どうやら 我々は '指示待ち人間' として育成されていたようです。このやりかたに習熟すると、他人の受け売りと後追いの専門家になりますね。我が道を行く人にはなりませんね。未来を先取りしないから他人を唱道する人にはなれません。