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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

渡邊奈々氏 5/5  

2021-01-30 21:21:46 | 文化

 

>渡邊さんはアショカ・ジャパンの目指す理想の世の中について、「Everyone a Changemaker」、「一人ひとりが、おかしいと思ったことは変えられるという当事者意識を持つ世界」と話す。 

 

自己の意思を示せば当事者になることができますね。意思の無い日本人は当事者となることが難しいです。         

 

>「大げさなことでなくていい。>おかしいと思ったことには、自分が無理なくできる範囲でやってみる。>そして、だれかの活動に対しても、賛同できれば自分なりにできる形で手を差し伸べる。>そういう姿勢を皆が持てば、社会全体が大きく変わっていくと思います」(渡邊さん) 

 

そうですね。自己の意思を示せば関係者となることもできます。    

 

>より多くの人が、社会をよりよく変えるための活動に、自分なりの形で関与していく手掛かりとなるために。 >みずほ銀行は「ぽちっと募金」の寄付先の団体を、今後さらに増やすことも考えているという。

 

我が国民の考え方では、’何事もお変わりのないのが何よりの事です’ という発想法ですからね。世界観が持てないので、来るべき世の中を詮索する余地がありません。だから、前途多難です。対症療法 (姑息療法) だけでなく、原因療法 (根本療法) も加えると改革の進展もはかどるかもしりませんね。 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)

著者は、日本人の知的低水準の問題を指摘している。官僚もそれを確認している。官僚にすがらなくてはならない事情もよく説明されている。無哲学・能天気では、英米流の政治は成り立たない。有識者・知識人は、英語に基づく考え方をも理解しなければならない。これが日本病の原因療法である。役人が日本をしょって立つのは対症療法でしかない。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

 

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渡邊奈々氏 4/5  

2021-01-30 21:00:51 | 文化

 

>アショカ・ジャパンでは2020年7月以降、これまで年に3〜4回だったユースベンチャーの審査パネルの頻度を倍にし、人材発掘を急いでいる。 >2020年はコロナ禍のためにオンラインに移行せざるを得なかったが、例年は渡米してニューヨークでアショカ・フェローとの直接交流も行っていた。>若者チェンジメーカーを増やすには、これまで以上に資金も必要になる。 >そこで課題となるのが資金調達だ。>「日本には、まだ寄付の文化が根付いていないのが現実です。  

 

そうですね。わが国は序列主義の国ですから伝統的な寄進の文化があります。これは個人主義の寄付の文化には繋がらないですね。    

 

>アメリカや西ヨーロッパ、またお隣の韓国などでは、公益のために寄付することは日常の一部となっています」(渡邊さん) 

 

これらの国々は序列外の人達の国ですね。   

 

>首藤克也さん >首藤克也(しゅとう・かつや)さん。 >みずほフィナンシャルグループ デジタルイノベーション部 ビジネスデザインチーム 参事役。

>そんななか、アショカ・ジャパンの創立当時から活動を支援してきたみずほ銀行が、アショカ・ジャパンをはじめとする社会貢献活動に取り組む団体を支援する新たな仕組みをスタートさせた。 >それが「ぽちっと募金」だ。 >「ぽちっと募金」は、みずほ銀行と全国の地域金融機関が連携するスマホ決済アプリ「J-Coin Pay」を通じて、ユーザーが「支援したい」と思った団体に寄付することができる仕組み。 >みずほフィナンシャルグループの首藤克也さんは、ぽちっと募金誕生の経緯についてこう語る。 >「2019年春にJ-Coin Payのサービスを始めた当初から、プラスアルファとして何が提供できるかを考え続けてきました。 >銀行としてできる社会貢献を考えたときに、募金は親和性があるということでスタート時から選択肢にあがっていました」(首藤さん) 

 

いよいよ銀行の社会貢献ですね。   

 

>「いずれ導入しよう」と考えられていた機能の導入が、本格的に俎上に上がったのは2020年春。コロナ禍で非対面での寄付のニーズが高まっていたことから、優先して取り組むこととなった。  

 

コロナ禍は機能導入にとって渡りに舟となりましたね。  

 

>「さまざまな団体とお話しして、日本社会には寄付や募金が根付いているとは言えない状況があることを痛感しました。

 

そうでしょうね。我が国は序列主義に基づく寄進文化の国ですからね。日本には個人主義に基づいた寄付や募金が根付いていませんね。

 

>『ぽちっと募金』を通じて、『文化』としての寄付、募金を根付かせていくお手伝いができるのではないか。>これは金融機関としてより取り組むべき課題ではないかと考えたのです」(首藤さん) 

 

小手先の技術を利用して伝統ある文化を変えることは難しいかもしれませんね。  

 

>100円から踏み出す、社会を変えるための一歩

>首藤さん >「アメリカなどでは個人小切手が普段から使われていて、賛同した活動に少額でも気軽に小切手を送る、といったことが行われてきた歴史があります。 

 

そうですね。100円とも100万円とも自分の手で思うままに自由に書けるあの紙切れは便利な送金方法ですね。

しかし、私は50年ほど前に富士銀行に口座を開設して見事に失敗しました。相手は、私の個人小切手の受け取りを拒否して現金を要求したからです。わが国には、個人の自由が存在しなかったからですね。   

 

>日本でも、社会問題に興味を持っている高校生や大学生は少なくないはず。 >『ぽちっと募金』が、アメリカにおける小切手に代わる存在になったらいいですね」(渡邊さん) 

 

そうですね。しかし、社会科の勉強よりも高校生や大学生の思考停止の方が問題ですね。 見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容 (考え) は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分が貯えている非現実の内容は語らない。これが、日本人の思考停止の原因です。   

 

>「ぽちっと募金」の寄付の額は、メニューから希望の額を選ぶか、任意の額を自由入力して送る方式。>最少額は団体によって異なるが、最少で100円から寄付が可能だ。>J-Coin Payアプリの「募金」アイコンを選び、アショカ・ジャパンをはじめとする寄付先団体の一覧から賛同する団体を選んで、額を決め、文字通り「ぽちっ」と募金ができる。 

 

便利な方法ですね。成功を祈ります。      

 

>「社会活動への、賛同、応援の気持ちを表すものとして、あるいはボランティアに参加する感覚で、『ぽちっ』としていただけたら。>いずれはそれが、さまざまな社会問題への取り組み方の一つの方法として、ひいては『文化』として根付いていったら素晴らしいと思います」(首藤さん)  

 

夢は大きく膨らみますが首藤さんの思惑通りにはなかなか行かないかもしれませんね。明治は遠くなりましたがわが国の文化を西洋式の文化に変えるのは容易なことではないようですね。  

 

 

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渡邊奈々氏 3/5  

2021-01-30 19:03:37 | 文化

 

>やりたい子がたくさんいるけれどもサポートがないというのでなく、大勢に逆らって手を挙げるような若者が少ないのが現状です」(渡邊さん)    

 

それが現実ですね。カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。(引用終わり)     

 

>渡邊さんらが探し求める人材は、希少であるという意味でもまさに「ダイヤモンドの原石」なのだ。

 

そうですね。その原石を多数産出できる土地柄が必要になりますね。   

 

>行動する人の背中を押す「寄付を文化に」

>ユースベンチャラー >8カ国から集まった若いチェンジメーカーたちと、日本のユースベンチャラーたちが交歓した。 >提供:アショカ・ジャパン

>そんな困難なミッションに挑戦し続けるアショカ・ジャパンだが、2020年夏から活動を加速させている。過去8年間で107組を育成してきたユースベンチャー事業で、2020年7月からの3年間でさらに100組の育成を目指すという。>「今回、新型コロナウイルスの感染拡大による混乱のなか、日本にはリーダーシップとエンパシー(共感力)を兼ね備えた人材が欠けていることを痛感し、大きな危機感を抱きました。  

 

そうですね。我が国には有能な政治指導者が見当たりませんね。   

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。高踏派の人は孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外にいる。

 

>予測不能な状況に対応できる人材の育成を急がなければならないと考えました」(渡邊さん)  

 

同感です。

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)   

 

 

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渡邊奈々氏 2/5  

2021-01-30 18:35:55 | 文化

 

(1/5より)     

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>「社会問題にもトレンドがあります。 >メディアがそのトレンドを作り上げています」と、渡邊さんは言う。 >例えば、地球温暖化やフードロス、子供の貧困の問題、少し前なら待機児童問題、もっと前なら地雷撲滅運動と、時代によってメディアが盛んに報じる社会問題は異なる。>多くの子供たちは、メディア情報に影響を受けて、問題意識を持つことになる。

 

そうですね。これは後追いの励みですね。   

 

>だが、アショカが定義する「問題意識」は違う。 >「私たちが求めるのは、あくまで自らの気付きによって問題意識を持ち、『そんなことする時間があれば勉強しなさい』といった周囲からの妨害にも屈することなく自らを貫くような若者。  

 

これは反骨精神というのですかね。

 

>『内発的動機』と『行動力・レジリエンス』という2点を満たす若者を探しているのです」(渡邊さん)    

 

自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。そして、恣意がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。’自由のはき違え’ となる。だから、昔からの ’不自由を常と思えば不足なし’ のままで続いている。 

欧米人は哲学と意思により行動を説明する。日本人には、哲学と意思がないので、人の行為を ‘建前と本音’ を使って説明する。建前は (口実・言い訳・言い逃れ) である。本音は、(私意・我儘・身勝手) である。だから、現実の中に自己の行為がうずもれて低俗な感じは避けられない。意思は未来時制の文章内容になるので意味があるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので意味がない。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来の内容は一寸先が闇である。危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味はない。行為・言動の本人に説明責任はとれない。   

 

>アショカ・ジャパンは対象となる12歳から20歳までの若者が参加するイベントをチェックしたり、候補者が見つかりそうな学校に連絡をしたりして、常に調査を進めている。 >審査会のパネリストとして、毎回経済界、学界、教育界などの影響力を持つ専門家を招き、ユースベンチャラーを選出。 >過去8年間には、プレゼンターの約60%が審査をパスしてきた。 >ここに、渡邊さんが、そうした人材を「ダイヤモンドの原石」と形容する所以がある。 >「実は、日本には諸外国に比べて、若い人のやる気が低く、社会に貢献したいという希望が薄いという調査結果があります。   

 

そうですね。日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

 

 

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渡邊奈々氏 1/5  

2021-01-30 18:13:12 | 言語

 

>日本には「行動する若者」が少ない——アショカ・ジャパン渡邊代表が日本社会に抱く危機感とは >Sponsor Content by J-Coin Pay  >Jan. 18, 2021, 11:00 AM TECH INSIDER  >Twitter

>

>「ぽちっと募金」の画面 >スマホ決済アプリ「J-Coin Pay」で始まった「ぽちっと募金」。 >みずほ銀行は2020年7月、スマホ決済アプリ「J-Coin Pay (ジェイコインペイ) 」を通じた寄付のしくみ「ぽちっと募金」をスタートさせた。>スマホで簡単に募金できるこの取り組みは、どのような可能性を秘めているのか。

 

我が国の新しい募金方法ですね。  

 

>創設以来みずほ銀行の支援を受け、独自の着眼点で社会問題に取り組む若い世代を育成する「ユースベンチャー」事業を行っている一般社団法人アショカ・ジャパン代表の渡邊奈々さんと、みずほフィナンシャルグループ デジタルイノベーション部 ビジネスデザインチーム 参事役の首藤克也さんに話を聞いた。 >社会を変える12〜20歳の「ダイヤモンドの原石」を探す

(略)

>「私たちは、ダイヤモンドの原石のような若者たちを探しているんです」  

 

探すのが難しい原石ですね。   

 

>渡邊さんは、自身が代表を務めるアショカ・ジャパンの「ユースベンチャー」事業について、こう語る。>アショカ・ジャパンは「Everyone a Changemaker」=「一人ひとりがチェンジメーカー」である世界、一人ひとりが世界は変えられるという意識を持って行動できる社会を目指して活動している団体だ。

 

大切な意識ですね。個人の確立が必要ですね。   

 

>さまざまな活動のなかで、特に力を入れているのが「ユースベンチャー」プログラム。 >これからの日本、これからの世界を変えていく原動力となる若い人材を探し出し、育てる活動を続けている。 

 

ぜひ成功させたい活動計画ですね。   

 

>渡邊奈々さん >渡邊奈々(わたなべ・なな)さん。 >アショカ・ジャパン創設者&代表、写真家。 >1980年から米ニューヨークで写真家として活動を始める。 >87年『アメリカン・フォトグラファー』誌による「Photographer of the Year」を受賞、2000年から社会を変える人たちの取材を始め、2011年から現職。>提供:アショカ・ジャパン   

 

渡辺さんのアメリカでの成功体験を生かしたいものですね。  

 

>団体の母体である「ASHOKA」は、世界最大の社会起業家ネットワークで、米ワシントンに本部を構える。 >世界35カ国に拠点を置き、95カ国で活動している。 

 

‘ASHOKA’ は国際的な組織ですね。’寄らば大樹の陰’ になるのかな。  

 

>その東アジア初の拠点として2011年に発足したアショカ・ジャパンは、これまでに107組、約500人のユースベンチャー・チームを選出し、育ててきた。 

 

アジア人も目を覚ましたのですね。実績を積み上げましたね。   

 

>「ユースベンチャーに選ばれた若者たちは、自ら見つけた問題の解決のため、アクションを起こし、試行錯誤するチャンスを与えられます。 >何度失敗してもいいのです。 >むしろ、失敗を怖がることのほうが失敗。

 

失敗は成功のもと’ (Failure teaches success.) ですね。  

 

>1年にわたり思い切り試行錯誤できる環境こそがユースベンチャーなのです」(渡邊さん)  

 

貴重な一年ですね。前代未聞の環境ですね。    

 

>アショカ・ジャパンのユースベンチャー・プログラムが求める人物像は、日々の暮らしのなかで、これはおかしいと思ったことの解決のために自ら何らかのアクションを起こしている12歳から20歳までの若者だ。 

 

若者の冒険がわが国を改革する頼みの綱ですね。   

 

>審査を通過して選ばれると、活動資金のほか、ASHOKAのメンバーである世界的な社会起業家「アショカ・フェロー」との交流や、ユースベンチャー・コミュニティを通じて他のメンバーと意見交換する機会が与えられる。 >諸外国に比べて、問題意識を行動に移す若者が少ない日本  

 

そうですね。日本人には意思がない。だから、能動がなくて受動ばかりがある。意思がないので自ら活躍することはできません。

 

>ユースベンチャラー審査会 >ユースベンチャラーを選出するための審査会を、2020年夏から二ヶ月に一度の頻度で行っている。>提供:アショカ・ジャパン  

>とはいえ、そうした人材を発掘することは容易ではない。 >そもそも「自分で課題を見つけ出し、取り組む」ことが、なかなかできることではないからだ。

 

そうですね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。(2/5へ続く)