gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

上久保誠人氏  

2022-07-31 21:08:12 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >旧統一教会、日本会議、創価学会…自民党「宗教で票集め」の冷徹な実態   > 上久保誠人 2022/07/26 06:00  

(略)

>安倍元首相の銃撃事件を機に、世間では「政治と宗教」に対する関心が高まっている。  

 

そうですね。二つの権力組織ですね。    

 

>歴史をひもとくと、確かに自民党をはじめとする政党は宗教団体と密接に関係し、選挙時の「集票マシーン」として利用してきた。   

 

日本人には自己が無い。個人は常に上からの指示を待ち受けていますね。宗教団体の集票マシーン化は上下社会の宿命ですかね。     

 

>その一方で、宗教団体が望む政策が実現したことはほぼなく、「政教分離」の原則は守られてきたといえる。 >それでも筆者 [上久保誠人] は、政党が宗教団体を集票組織として安易に使うことは控えるべきだと考える。   

 

そうですね。民主国家の政治は民主と自由主義の世界ですね。だが、宗教団体の集票組織は権威主義の世界の中に存在し自由にも民主にも縁がない。中ロ北の国々の政治と同様に権威主義である。民主主義と権威主義は水と油の関係ですから、宗教団体を民主政治の中に存在させるのは場違いでしょうね。   

 

>「政治と宗教」の関係を具体的に述べながら、その理由を詳しく解説する。  >(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人) >「政治と宗教」が関心を集めているが宗教団体は「集票マシーン」にすぎない   > 安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した事件について、事件の背景には容疑者の「世界平和統一家庭連合(以下、旧統一教会)」対する怨恨があったと報じられている。  >これをきっかけに、「政治と宗教」に対する人々の関心が高まっている。   

 

そうですね。宗教は権威主義の世界ですからね。      

 

> メディアでは、過度な献金を求める宗教団体が、信者とその家族を苦しめてきた実態が批判的に報じられている。 >その一方で、宗教団体が政治と深い関係にあることも指摘されている。 >そして世間では、政治は宗教団体との関係を断ち切るべきだという論調があふれている。  

 

そうですね。権威主義国の政治家も宗教団体を大切にはしないようですね。 いくら権威主義の国でも一国に二つの権威は有害ということですかね。      

 

> 私の考えでは、政党や政治家にとっての宗教団体とは、選挙時の「集票マシーン」にすぎない。  >特定の宗教団体が強く求める政策が、国民全体の利益よりも優先して実現されたことは、私の知る限りほとんどないからだ。

 

そうですね。我が国民の無哲学・能天気の状態からは宗教哲学の発展は期待薄ですね。     

 

> その代表例が、政治と神道の関係だ。 >神道系の宗教団体をルーツとする右派組織「日本会議」は、自民党の強力な支持団体として取り沙汰されることがある。 >メディアでは、日本会議の政界に対する影響力の強さが報道されることも少なくない。  > また、自民党議員の多くが、日本会議と関連がある「日本会議国会議員懇談会」と「神道政治連盟国会議員懇談会」のメンバーである(本連載第179回)。   

 

議員は宗教関係のメンバーになっていても損はないと考えのことでしようね。   

 

> だが、第2次安倍政権時、日本会議が主張する保守的な政策を自民党が実行することはほとんどなかった(第144回)。   

 

日本会議に宗教哲学はないからでしょうね。   

 

>むしろ、日本会議が忌み嫌っているはずの社会民主主義的な政策を次々と実現してきた。  > 例えば、外国人労働者の受け入れを拡大する「改正入管法」だ。 >この改正案を審議していた際、日本会議は完全に沈黙していた(第200回)。

 

好き嫌いですか。趣味には論拠がない。There is no accounting for tastes.      

 

> 確かに過去には、自民党の大物議員が「日本は神の国」「八紘一宇」などと発言して波紋を呼んだことがあった。  >だが筆者の目には、これらの発言は日本会議に対するリップサービスのように映った。  > というのも、こうした発言をした議員たちが神様を熱心に信じ、「神道とは何か」を日々熱心に研究している印象は全く受けなかった。   

 

日本人は思考を停止しています。ですから、無哲学・能天気になっています。神道には形式があって内容が無い。   

 

>あくまで票をもらうために、日本会議に調子を合わせているだけのように感じたのだ。   

 

そうですね。日本の文化には形があって内容が無いですね。ですから日本人は形式には一層拘りを見せなければならないのでしょうね。       

 

> とはいえ、自民党はこうしたご機嫌取りはするものの、日本会議が求める政策を実現しなかったのは前述の通りだ。  

 

日本会議の要求する政策をしなくて自民党が困ることは何一つないのでしょうね。   

 

>言い換えれば、日本会議は自民党に票だけを取られてきた。  > 日本会議の中からは「安倍首相(当時)に裏切られた」という声も聞こえてきた。 >しかし、日本会議が自民党から離れることはなかった。   

 

日本会議には目的がない。だが、手段 (集票組織) としての価値がある。民主政治の中の権威主義は得難い存在ですからね。      

 

>創価学会を支持母体とする公明党も自民党にメンツをつぶされている  > では、自民党の連立パートナー・公明党の支持母体である創価学会はどうか。 >公明党は1999年の自公連立政権成立後、約23年にわたって自民党に組織票を提供してきた。  > 宗教団体を支持母体とする公明党は「平和の党」を自認し、安全保障政策を前進させようとする自民党の「歯止め役」を果たそうとしてきた(第104回)。 >だが、その役割を十分に果たしてきたとはいえない。 > その証拠に、安倍政権期の自民党は、北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の軍事的拡大といった日本を取り巻く安全保障環境の悪化に対応。 >「特定秘密保護法(2013年、第72回)」「安全保障法制(2015年、第115回)」「テロ等準備罪(共謀罪)法(2017年、第160回)」という安全保障政策を成立させてきた。   

 

そうですね。   

 

> 一方で公明党は、支持者が求める利益誘導において、自民党から便宜を図られてきた。 >消費増税に伴う「軽減税率」(第121回)や、「クーポン券」「商品券」などの景気対策、コロナ対策の「国民に一律10万円の給付金」(第239回)などだ。   

 

自民党からの便宜はその日暮らしの対策ばかりですね。    

 

> すなわち公明党は、自民党からの利益誘導でご機嫌を取られながらも、「平和の党」としてのメンツをつぶされ続けているわけだ。  

 

政治には未来の先取りする内容が必要ですね。そうでなければ、わが国の未来には夢も希望もありませんね。      

 

>それどころか、参院選後は「改憲勢力」の一角として憲法改正に取り組むはめになりそうだ。  >それでも、公明党の支持母体・創価学会は黙っている。   

 

寄らば大樹の陰’ ですかね。身の安全を考えてのことか。       

 

>旧統一教会が望む政策も全く採用されない現実   > 今、注目が集まっている旧統一教会については、その関連団体で反共産主義を掲げる「国際勝共連合(以下、勝共連合)」と、安倍元首相の祖父・岸信介元首相が極めて近い関係にあったのは事実だ。  

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)   

 

> だが現在は、あくまで自民党の支持団体の一つとして、集票に徹しているように見える。  

 

集票はどの政党にも喜ばれるようですね。   

 

> 政策的には、旧統一教会は日本会議の主張と似ていることが指摘されている(北丸雄二『安倍元首相殺害事件が照射する自民党とカルト宗教との親和性』論座)。  >合同結婚式を主催してまで伝統的な結婚の聖性を維持しようとすることも、伝統的な「家制度」の維持をうたう日本会議と似ている。 > また勝共連合は、「ジェンダーフリーや過激な性教育の廃止」「男女共同参画社会基本法の改廃」などを政治目標に掲げている。  >だが、これまで述べてきたのと同様、安倍政権以降の自公政権は、これらの政策を全く採用していない。 > 旧統一教会は、その成り立ちから韓国・北朝鮮と深い関係があるとされる。  >しかし、「従軍慰安婦問題」「元徴用工問題」がいまだ尾を引いているように、今の日韓関係は全く良好ではない。  

 

そうですね。似た者同士は心も通じ合っていて憎悪も一段と激しいのでしょうね。   

 

> 昨今は「韓国海軍レーザー照射問題」「韓国による日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄(後に撤回)」などが原因で、関係が“最悪”になったのも記憶に新しい(第219回)。 > また、安倍政権期に北朝鮮拉致問題は全くといっていいほど前に進まなかった(第244回)。  >これらの事実から、旧統一教会と韓国・北朝鮮のコネクションを、安倍元首相が交渉の裏ルートとして使ったということもなさそうだ。  > 要するに、さまざまな宗教団体が自民党の支持団体となり、自民党のために集票している。  >だが、宗教団体の政策的な目標は必ずしも実現されない。  

 

宗教団体に確たる政治哲学がないからではないでしょうか。   

 

>また、宗教団体が政治の裏部隊で暗躍する「陰謀論」のような話もあり得ない。 > 冷徹な扱いを受けているにもかかわらず、宗教団体が熱心に政治と関わる理由は何か。  >宗教団体も資金繰りに苦労   >政党の「お墨付き」が信者獲得に寄与  > その理由を端的に言えば、自民党など政党の有力な支持団体となり、「社会的な信用」を得ることだ。   

 

そうですね。集票マシンとしての利用価値を使って社会的な信用を得ることが宗教団体の目的ですね。    

 

>政党の有力な支持団体という「お墨付き」を得れば、信者を集めやすくなる。 >信者を集められれば「献金」「お布施」「寄付」などの資金集めもやりやすくなるのだ。  

 

自己利益を増すためには外見が重要な働きをしますからね。見栄と外聞が大切ですね。        

 

> 宗教団体の経営は、見た目ほど安定していない。  >少子化による人口減や、宗教に対する根強い不信感の影響から、信者・資金集めに苦労している宗教団体は少なくない(ZUU online編集部『経営に四苦八苦する宗教法人 「非課税メリット」の苦労とは?』ZUU online)。  >ゆえに、政党からの「お墨付き」を求めて、宗教団体は選挙活動を熱心に手伝ってきた。  

 

政党と宗教団体は持ちつ持たれつの関係にありますね。選挙はその一大イベントですね。       

 

> 旧統一教会についても、選挙活動支援の熱心さがメディアに報じられた。 >例えば、国会議員事務所を旧統一教会関係者が訪れ、日常的にほぼ無償の形で手伝いをしていた。 >選挙時には信者を動員して運動を繰り広げていたという。 > 加えて、自民党の青山繁晴参院議員が明らかにしたように、自民党では「各業界団体の票だけでは足りない議員については、 旧統一教会が認めてくれれば、その票を割り振る」こともしていた(青山繁晴の道すがらエッセイ/on the road『自由民主党の立候補者と(旧)統一教会の関係をめぐって、わたしが参院選を前に行動したこと』)。  > ちなみに、宗教団体と関係を持った政党は、自公だけではない。  >旧民主党系の野党も宗教団体と密接な関係を持ってきた。  

 

民主主義者と権威主義者の馴れ合いの実態ですね。    

 

>与野党を問わず宗教団体と関係を持っている  > 立正佼成会や崇教真光、パーフェクトリバティー(PL)教団などが作る「新日本宗教団体連合会」(新宗連)という団体がある。 >いわば創価学会とライバル関係にある新興宗教の連合組織である(小川寛大『“創価学会のライバル組織”が毎年夏にやる集会』PRESIDENT Online)。   

 

宗教家には派閥活動がつきものですね。   

 

> 新宗連は自公政権に対抗して、改憲や政治家の靖国神社参拝に反対する姿勢を取ってきた。 >2009年の総選挙では民主党を強力に支援し、民主党政権の誕生に大きく貢献した。 > だが、2012年に自公が政権を奪還して長期政権化し、民主党が弱体化して分裂したことで、自民党との関係を再構築しようとする動きが出るなど、新宗連の勢力は次第に衰退してきた。 >しかし、左派野党の政治家の一部は、現在でも宗教団体の支援を受けている。 > このように、与野党を問わず、政党は宗教団体に票を集めてもらっているのが現実だ。  

 

宗教団体の権威主義的な性格が政党の利益につながっていますね。    

 

>中には、政治献金を合法的に受け取っているケースもあるだろう。  >ただし、たとえ関係が合法的ではあっても、政治と宗教の関係に問題がないとはいえない。 > 安倍元首相を殺害した容疑者の母は、1億円以上も旧統一教会に献金して自己破産したという。  >宗教団体の中には、信者が借金で自己破産するほど寄付をさせる、信者を洗脳のために監禁するなどの違法行為を行っているものがある。 > それを知りながら、政党は宗教団体を有力な支持団体として選挙活動に使う。  

 

民主的な政党にとっても権威主義の魅力には限りないものがありますね。    

 

>政治家は宗教団体の集会に出席し、あいさつをする。 >前述の通り、公の場で“神様”に関するリップサービスもする。  > そして、それら信用して入信して破産する人、救済を求める家族も多数いる。  >このことに対して、政治家の道義的責任は絶対にある。  >政治と宗教の関係は、抜本的に見直すべき時が来ている。

 

そうですね。今こそ民主主義の中の権威主義の妙味を断ち切る必要がありますね。    

 

>「政教分離」の原則は日本では守られているのか  > 最後に、日本における「政治と宗教」の問題を、「政教分離」の原則と照らして考えてみたい。  > 政教分離には、国家による一切の宗教的活動を禁止する「分離型」、特定の宗教を国家が公的に保護しているが、それと他宗教を国会が平等に扱えばよいとする「融合型」、国家と教会は独立しているが、一定の制度的協力関係が存在する「同盟型」など、さまざまな形態がある(山折 2012)。  > 分離型はフランス、融合型は英国、同盟型はドイツが代表例である。  > 日本はフランスほど厳格ではないが、第2次世界大戦後、国教であった「神道」を政治から切り離したという歴史的経緯に鑑みると「分離型」に属するといえる。  

 

日本の宗教には内容が無いから、ただその形式を利用するだけの事になりますね。形式で日本人を縛ることに利益を見出す人たちがいる。すると縛られた皇軍兵士は玉砕しなければならないことになる。そこに無意味の死が発生する。       

 

> そもそも政教分離は、16世紀の欧州の宗教戦争に端を発し、フランス革命で実現した。  >国家が特定の宗教権威・権力(当時で言うローマ教皇)ではなく、世俗権力によって支配されるべきだとする「国家の世俗化」の産物である(西谷 2000)。   

 

そうですね。国家の世俗化は最悪ですかね。   

チャーチルの名言: 民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。  

 

> また政教分離とは、どんな形態であれ、権力・権威から信教の自由を守るためのものであることが大原則だ。  > 日本においては、政党が宗教団体を集票に利用し、宗教団体の組織的拡大を許してきたのは確かだ。  

 

我が国における宗教は形骸化していますね。   

 

>だが、宗教団体の要望に沿った政策を一切実現しなかったこともまた事実である。  > 宗教団体側も、過度な政治的要求は控え、会員増と資金増による「組織存続」のために政治と接することに徹してきた。  

 

我々の文化は形式があって内容が無い。だから、自分たちの政治的要求を控えることはさして難しいことではないでしょう。  

 

>その意味で、日本では政教分離の原則が守られているという、一定の評価はできるのではないか。  

 

形という原則があって内容が無い。すでに形骸化していますね。 だから他の利用目的に転用されますね。        

 

> そのため、安倍元首相の殺害事件をきっかけに、特定の宗教を過度にバッシングしたり、その活動を制限したりといった、事実上の「宗教弾圧」が始まることは避けるべきだ。

 

そうですね。全ては空しい励みになりますね。   

 

> こうした弾圧を許してしまうと、「信教の自由」にとどまらず、「言論の自由」「思想信条の自由」「学問の自由」が権力によって制限されることにもつながりかねない。

 

そうですね。無哲学・能天気の状態では何でもありですね。   

 

> 一方、宗教によって被害を受けている人やその家族については、救済を進めなければならない。  

 

いわれなき宗教による圧迫なのでしょうかね。   

 

>その困難さ、壮絶さは大学教授として少しだけ関わって知っている。  > その経験からも強く主張したいが、政治家が宗教団体を集票組織として安易に使うことや、「お墨付き」を与えることは、今後は厳に慎むべきである。

 

そうですね。集票とお墨付きは御法度にいたしましょうね。       

 

><参考文献>

>山折哲雄(2012)『宗教の事典』朝倉書店   

>西谷修(2000)「宗教と近代―世俗化のゆくえ」『宗教への問い4 宗教と政治』岩波書店 P28~29  

 

 

.

 

 

 


藤和彦氏  

2022-07-30 20:11:18 | 文化

>ロシアは「ガス」を武器として使えない事情 日本はEUの失敗に学ぶべき   >国際   >20220730   

()

> ロシアと欧州(EU)を結ぶ主要天然ガスパイプライン(ノルドストリーム)は21日、10日間の定期点検を終えてドイツへのガス供給を再開した。 >ノルドストリームはロシアからEUへのガス供給量の3分の1以上が通る地域最大のパイプラインだ。  >懸念されていた点検期間の延長はなかった。  

 

ドイツは助かりましたね。    

 

> 供給量は定期検査開始前と同じ水準(従来計画の40%に当たる日量6700万立方メートル)となる見通しだ。 >ノルドストリームを運営するロシア国営ガス大手ガスプロムは、カナダに修理に出していたタービン(長距離ガス供給に不可欠な空気圧縮機の一部)の返却の遅れを理由に614日以降、供給量を40%に制限していた。 >ドイツ政府の要請でカナダ政府が対ロシア制裁の例外措置としてタービンの返却を認めたことから、タービンが届く24日以降にガス供給量は増加することが見込まれている。  

 

カナダ政府はドイツ政府に親切ですね。    

 

> だが、ガスプロムは26日に別のタービンを修理に出すことになっており、欧州各国はガス供給量が再び削減される可能性に身構えている。 >ロシア側が「制裁に伴う技術的障害が原因だ」と主張しているのにもかかわらず、EU側は「ロシアはガス供給を揺さぶりの材料として利用している」と反発を強めている。  > ノルドストリームの定期点検はこの時期に行われるのが通例だが、今年ほど注目されたことはなかった。 >まさに「ノルドストリーム騒動」だと言っても過言ではない。  

 

そうですね。    

 

> 危機感を強めるEUの欧州委員会は20日、ロシアからのガス供給の途絶や大幅減少に備えた緊急計画案を公表した。 >他の地域からの調達や再生可能エネルギーの強化とともに、加盟国に対し「節ガス」を要請するなどの内容だ。 >欧州委員会は翌8月から来年3月まで加盟国にガス消費量を過去5年間平均と比べて15%減らすよう提案している。   

 

欧州委員会は着々と節ガスの計画を進めていますね。    

 

>当初は自主的な取り組みとするが、供給状態が悪化すれば強制措置に切り替える構えだ。 > だが加盟国から反発の声が上がっている。 >加盟27カ国のうち少なくとも12カ国(スペイン、ポルトガルなど)がこの提案に難色を示しているという。  >この提案が成立するには過半数の賛成が必要なため、緊急計画案の実現は早くも危ぶまれている。  > 緊急計画案を提出したEUのフォンデアライエン委員長は「ロシアがガスを『武器』として使っている」と繰り返し批判しているが、この発言に筆者 [藤和彦] は強い違和感を覚える。  > ロシアの軍事侵攻に充てられる資金を削減するため、EUは「ガスのロシア依存度を今年中に現在の水準の3分の1にまで縮小し、2027年にロシア依存から脱却する」ことを決定している。   

>EU最大のロシア産ガス需要国であるドイツも「2024年夏までにロシア産ガスの輸入シェアを1割にまで下げる」と宣言している。 >最初にガスを「武器」に使ったのはEUの方なのだ。  

 

ガスは有力武器になりますね。   

 

> 歴史を繙けば、EU1970年代の石油危機をロシア産天然ガスをパイプラインで調達することで乗り切った。  >自らのエネルギー安全保障が向上したのはもちろんのこと、当時のソ連との関係も大幅に改善するとの副産物をもたらした。 >まさに「一石二鳥」だったわけだが、ウクライナ危機で事態は一変、「ロシアはけしからん」という感情論が席巻したことが災いして、EUのエネルギー安全保障の基盤は根底から覆されることになってしまった。   

 

治に居て乱を忘れずの心構えが大切ですね。    

 

>「長期的なガス供給を保証する」という建設的な関係をEUがロシアに先んじて破壊してしまったのが実情だ。  

 

義を見てせざるは勇無きなり’ ですからね。    

 

>EUが「ロシアがガスを『武器』として使っている」と主張するのは「先に攻撃を仕掛けた自分に対してロシアが仕返しするのではないか」という被害者意識のあらわれのように思えてならない。  

 

ウクライナへの侵攻を見れば、ロシアを用心するにこしたことはないですね。   

 

> あまり知られていないが、ロシアにはガスを「武器」として利用できない事情がある。 > 今年1月から5月までの旧ソ連構成国以外の天然ガス輸出量は前年に比べて28%急減しており、ガスプロムは創業以来、最悪の危機に直面している。  >ガスプロムが欧州への輸出分の減少を補うため、ロシアは中国へのパイプラインによるガス輸出を必死になって増やそうとしている。 >ロシアと中国をつなぐガスパイプライン(シベリアの力)の年間輸送能力は380億立方メートルだ。  >その輸送能力を100億立方メートル上積みするとともに、モンゴルを経由する新パイプライン(シベリアの力2、輸送能力500億立方メートル)を急いで着工しようとしている。  >これらパイプラインの合計の輸送能力は980億立方メートルとなり、ロシアからの昨年の欧州へのガス輸出量(1550億立方メートル)の3分の2となる計算だが、パイプラインの整備には時間を要する。

 

そうでしょうね。   

 

>中国を始めアジア地域へのガス供給が計画通り進まなければ、ガスプロムの経営状態は現在以上に深刻になるのは間違いない。 >ロシアはガスを「武器」として使う余裕などないのだ。  

 

どうもそのようですね。   

 

> 日本もサハリン2を巡りロシアとの関係が取り沙汰されている。  >ロシアが6月下旬に大統領令でサハリン2の運営を新会社に移管するよう一方的に通告してきたからだが、日本政府は権益維持を目指す方針を固め、現在の運営会社(サハリンエナジー)に出資している日本の企業(三井物産(出資比率12.5%)、三菱商事(10%))に新会社移行後も株主として残るよう打診した(716日付日本経済新聞)。  > 日本にとってサハリン2は特別な存在だ。  >日本が輸入しているLNG代金の3分の1を輸送費が占めるが、目と鼻の先にあるサハリン2LNGの輸送費は他の地域から輸入されるLNGと比べ格段に安い。  >LNG価格が高騰を続ける中、サハリン2LNGの日本にとっての価値は高まるばかりであり、その確保は最優先事項だ。

 

政治哲学を取るか、それとも処世術 (損得勘定) を取るか。   

 

> EUの失敗を教訓に、日本は感情論に流されることなく、エネルギー安全保障の観点からロシアとの関係を冷静かつ適切に保っていくべきだ。   

 

日本も「2024年夏までにロシア産ガスの輸入シェアを1割にまで下げる」と宣言するのでしょうかね。   

2027年に日本もロシア依存から脱却することになるのでしょうかね。その後はどのような暮らしになるのでしょうかね。他国の後追いばかりでは我が国民の意気が一向に上がりませんね。 

「ロシアのウクライナに対する残虐な戦争は国内にも影響を及ぼしている。私たちが買う多くの物がより高価になった。だからこそ、私たちは覚悟を決めなければならない」。 (ショルツ独首相)   

 ロシアに経済制裁を科すことで物価高を招くなどの犠牲は伴っても、自由や民主主義といった普遍的価値を守り実現するためには仕方がないと、政治家は国民を説得し主張すべきだ。  (大澤真幸氏)        

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。 (小野寺元防衛相 

 

>藤和彦   >経済産業研究所コンサルティングフェロー。   >経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。   

>デイリー新潮編集部   

 

 

.

 

 

 


統治崩壊  

2022-07-29 21:49:11 | 文化

>JBpress   >「統治崩壊」でも勝つ不思議、なぜ日本人は自民党に票を入れ続けるのか?   > 白井 2022/07/29 06:00  

> 2012年の総選挙で安倍晋三氏率いる自民党が大勝を収めて以来、自公連立政権がすべての国政選挙で勝ち続けている。 >政治学者の白井聡氏は「この体制の統治パフォーマンスは決して褒められたものではない、むしろ統治の崩壊とも言うべきひどい水準にあるのに、なぜ退場させられないのか?」と疑問を呈し、その最大の理由は国民の「無知」のせいではないかと指摘する。  

 

そうでしょうね。日本人は政治音痴ですからね。   

 

>日本の有権者は、なぜ自民党に票を入れ続けるのだろうか。(JBpress >(*)本稿は『長期腐敗体制』(白井聡著、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。   

>維持されてきた「2012年体制」  > 今から10年前の2012年の年末に衆議院解散選挙があり、安倍晋三氏率いる自民党が大勝を収め、野田佳彦氏を首班としていた与党民主党は下野しました。  >2009年の総選挙によって成立した民主党政権は、ここに終わりを迎えました。 > 周知のように、それ以降、自公連立政権がすべての国政選挙で勝ち続け、政権交代が起こる気配は、まったくなくなっています。   

 

そうですね。   

 

> 安倍・菅・岸田を首班として続いてきた「2012年体制」。 >なぜ、この体制が数々の失策と腐敗にもかかわらず維持されてきたのか?  > それは野党が弱いからだとか、小選挙区制度が良くないからだといった理由づけがしばしばなされますが、私は小手先の理由づけにすぎないと思います。 >理由はどうあれ、自公政権は国政選挙をやるたびに、相対的に最多得票を取り続けてきました。   

>ですから、なぜ維持され続けたのかという問いに対する答えは単純で、要するに「多くの国民によって支持されてきたから」と言うほかありません。 > この国民の選択の堅固さは、コロナ禍の下での、緊急事態宣言発令下での、医療崩壊の状況の下でのオリンピック開催が強行された直後の2021年の総選挙でも、今回の参議院選挙でも証明されました。 >このような選択をする社会とはどういうものなのか。   

 

日本人には世界観がない。だから、選択する社会もきっと想定外になっているのでしょう。   

 

>各政党の政策をロクに見ていない有権者  > 202112月に公表された、ある調査結果を報告する記事が話題になりました。 >その調査とは、アメリカの大学で教鞭をとる堀内勇作氏らのチームが、「コンジョイント分析」という手法を用いて実施した実験的調査です。 >それは、日本の有権者が諸政党の提示する政策をどう評価しているかと、その評価と投票行動がどう関連しているのか、を検証するものでした(「マーケティング視点の政治学――なぜ自民党は勝ち続けるのか」『日経ビジネス』20211227日号)。   

 

マーケティング (marketing) というのは、宣伝広告・輸送・保管・販売などの商品の流通に関する活動全般のことですね。  

 

> この調査の実施方法の手順は次のようなものです。 >すなわち、政策を「コロナ対策」「外交・安全保障」「経済政策」「原発・エネルギー」「多様性・共生社会」など5つの分野に分け、各分野に各党が2021年総選挙で掲げた政策をランダムに割り振り、架空の政党の政策一覧表を作ります。 >そのようにして出来上がった架空の党の政策一覧表を2つ並べ、「どちらの党を支持しますか」と被験者に問うて、選択してもらうというものです。  > これを繰り返すことによって、政党名を抜きにして「どんな政策が支持されているのか、支持されていないのか」が明らかになるわけです。

 

興味をそそる調査ですね。     

 

> この調査が明らかにしたのは、自民党の政策は大して支持されていない、というよりもむしろ、現在国会に議席を持つ国政政党のうちでかなり不人気ですらある、ということでした。  >とりわけ、原発・エネルギー政策や多様性・共生社会などの政策分野では、最低の数字をマークしました。 >逆に、2021年総選挙で議席を減らした共産党の経済政策は、きわめて高い支持を受けています。 > この結果は、私を含む政治学者たちの常識を粉々に打ち砕くものです。   

 

事実は常識よりも奇なりですか。   

 

>有権者は、どのような判断基準により投票するのか。 >候補者への漠然とした親近感や知人に投票を頼まれたなど、「有権者は合理的な判断により投票するものである」という民主主義の原則からすれば外れる事象はあるものの、有権者はおおむね政策を基準として投票先を決めているはずだ。 >そのような、政治学者が想定する常識的な前提は、現実と大きく乖離していることが明らかになりました。  > 早い話が、日本の多くの有権者は各政党がどんな政策を掲げているのかロクに見ていない、ということをこの調査は明らかにしました。  

 

驚くべき残念な結果ですね。    

 

>ただ何となく自民党に入れている   

> そして、自民党の政策は支持されていないのに、なぜ選挙で勝つのでしょうか。 > 堀内氏らのグループは、もう1つの調査を実施しています。 >それは、先に説明した方法でつくられた、すなわちランダムにつくられた(言い換えれば、まったく出鱈目につくられた)政策パッケージの一方を「自民党の政策」として提示し、先ほどと同じように、もう1つの架空の党の政策一覧表と並べ、どちらを支持するか選ばせたのです。 > こちらの調査の結果もなかなかに衝撃的なものでした。 >それによると、どの分野のどんな政策でも、「自民党の政策」として提示されると、大幅に支持が増えたのです。 >日米安保条約を廃止するという、きわめて人気の低い共産党の外交・安全保障政策でさえも、「自民党の政策」として提示されると、過半数の被験者から肯定的な評価を得ました。  > 自民党の政策が支持を受けていないのに選挙をやれば勝つことの理由が、ここから見えてきます。  

 

そうですね。ネームバリューの効果ですね。  

 

>政党の掲げる政策をほとんどロクに見ておらず、ただ何となく自民党に入れている有権者がかなり多くいる、あるいはそうした有権者が標準的な日本の有権者ではないのか、ということです。 >思考停止の選挙  > これほどの政治的無知が最近始まったのか、それとも昔から存在しているのかについては、何とも言えません。   

 

政治的無知は昔からわが国に存在していたのでしょうね。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

>ただ、はっきりしているのは、有権者の大半がこのように思考停止しているのであれば、そんなところで選挙などやっても無意味である、ということです。   

 

世界観を持つ日本人を少しずつ増やすしかありませんね。千里の道も一歩より始まる。     

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。        

 

>これはもう、野党の実力がどうだとか政策の打ち出し方がどうだとか以前の問題です。  

 

そうですね。   

 

>「いままでは自民党、これからも自民党」という観念に凝り固まった有権者が多数存在しており、そうした「政権担当能力は自民党にしかない」という、コロナ禍によっても完全に根拠なしと証明されたはずのイメージは、ここ10年余りの間にかえってますます強固になったと考えられます。   

 

我が国は序列社会の国ですからね。序列人間は義理を果たします。義理とは個人的な序列関係から生じる義務の事です。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。  

 

 

 

.

 

 

 


日本の教育  

2022-07-27 17:10:36 | 文化

>20220723   >日本の教育を“教育費”から考える。日本の教育に可能性はあるのか?  >社会が大きく変わっていく中、将来を担う子どもたちの活力(≒能力)上昇は欠かせません。  

 

そうですね。子供たちには考える能力が必要ですね。   

 

>今回は、子どもたちの活力(≒能力)に大きな影響を与える『学校教育』について“教育費”という視点から考えてみたいと思います。 >日本という国は、子どもたちの教育をどれだけ重視しているのでしょうか?  >日本における、令和4年度の文教及び科学振興費は、53,901億円。(このうち、文教関係費は4114億円、科学技術振興費は13,788億円) >日本では、毎年5兆円程度が『教育』に充てられています。 >この金額が果たして多いのか?少ないのか? >『教育に対する投資』を国別で比べているのがこちらのグラフです。  >2018年の初等教育から高等教育の公的支出が国内総生産(GDP)に占める割合は、日本が4.0%と、比較可能な38か国中31位。

 

我が国の教育は詰め込み教育ですから金がかからないのでしょうね。   

 

>さらに、先端教育である大学・高等専門学校において、世界大学ランキングで上位の大半を占める米国と比べると、米国が約2.6%なのに対して日本はわずか1.4%  

 

そうでしょうね。日本は名にし負う教育貧乏国ですからね。   

 

>日本という国は、世界と比べると『教育』にお金をかけていない(≒力を入れていない)のです。   

 

詰め込み教育にはあまり金がかかりませんね。    

 

>では、これまで日本は『教育』に対して何を行ってきたのでしょうか?(行おうとしているのでしょうか?) >以下は、これまでに日本が行ってきた主な『教育改革』です。   

>1872年(明治5年) >義務教育制度の導入。 >「学制」において、8年間の教育年限(下等小学校、上等小学校4年ずつ)を設ける。 >→義務教育制度が導入された背景は、「富国強兵」が関わっていると言われています。 >国を強くするために国民全員に教育を施す必要があったのです。  

 

軍隊式の皇民化教育が行われましたね。   

 

>1947年(昭和22年)  >「学校基本法」「学校教育法」により、小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年の六・三・三・四制になる。 >→これらの変更はGHQ主導で行われました。   

>GHQの狙いは「全ての子どもたちの教育の機会均等」と言われています。 >(西洋観念を日本国民に植え付ける狙いも大きかったと思われます。)  

 

日本語による教育では西洋観念を植え付けるのは難しいですね。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。我が国を二刀流の国にすると良い。    

 

>1970年(昭和45年) >中央教育審議会による「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」の答申で、学校教育全般にわたる施策を提言。 >→この背景には、ベビーブーム世代の到来と急激な社会変化があります。  >教育の量的拡大と質的改善を行い、それらの変化に対応しようとしました。

 

姑息的な改善策でしょうね。    

 

>2002年度(平成14年) >ゆとり教育:年間授業時数の縮減・完全学校週5  >→ゆとり教育ができた原因として挙げられるのが、これまでの詰め込み型教育により、学習内容についていけない生徒が多くなってきたためと言われています。  

 

没個性的な詰め込み教育をして学校で序列を争わせていては、子供は貧乏暇なしになりますね。個性的な人間は自分自身で考えることのできる人ですからね。学校で個性的なことを考えさせるならゆとりのある学習ができますね。      

 

>これらの教育改革に共通・一貫しているのは、「全ての国民」に最低限の教育≒画一的な教育を提供するということ。>ある意味セーフティーネットとも言えますが、突き抜けた能力上昇をさせない、悪しき平等主義ともいえるかもしれません。    

 

最低限の没個性の教育ですね。   

 

>では、学校教育がそのような状況の中、どうやって子どもたちの活力=能力を育んでいけば良いのでしょうか?     

 

自発的な個性的な学習が必要ですね。没個性的な序列競争を避けること。小人数での授業を受けることですね。       

 

>そもそも『教育』とは一体何なのでしょうか?  

 

心身ともに健康な子供を育てることでしょう。    

 

>もともと『教育』は、哺乳類の子ども同士の遊びから江戸時代の寺子屋まで、一貫して現実課題=日常生活の中にありました。   

 

昔の教育は読み書き算盤でしたね。  

 

>いわば、国が主導して画一的な教育を行うという現代の教育制度こそが、本来の『教育』から外れたものだったのかもしれません。   

 

暗記力を使って子供に序列争いに熱中させることが我が民族の問題ですね。序列社会の宿命ですかね。   

 

>近年、企業が社内に設置する『企業内学校(学校教育法第1条に規定される学校ではない)』や、企業が設立する『企業立学校』が増えてきています。 >また、社会に出た若者が「働き始めたらもっといろいろなことが学びたくなった」と言って、そこから大学や専門学校に通い始めるケースも増えてきています。  

 

そうですね。我々の知的要求は一生涯続きますね。    

現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、ご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

体系的な体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  思考を停止して人は、つかみどころのない人間になる。日本人には自己の考え (非現実) を脳裏に保持できないので、自己の考えが想定外になっている。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。     

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

大学などの高等教育機関で指導の下に論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も尋ねられた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

 

私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)

 

我が国には人手不足の話はあるが、頭脳不足の話はない。わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの文にならない歌詞には意味がない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っている。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)    

 

>国によって定められた『学校』に行き、決められた勉強をする。>それでは、画一的な人間にしかならない。   

 

そうですね。国定 (くにざだ) 人間になるだけですね。       

 

>今後の『教育』の大きなカギは 『社会に出て現実の圧力に触れること』ではないでしょうか。   

 

現実を直視して自分自身の考えを持つことが大切ですね。さすればわが国は価値ある民主国家になれるでしょう。   

 

 

.

 

 

 


デーブ・スペクター氏  

2022-07-26 21:07:31 | 文化

>デイリースポーツ   >デーブ「日本がナメられてる」旧統一教会と関係の政治家の「スタンスを疑う」   > デイリースポーツ 2022/07/26 18:16

 (略)

> 映像プロデューサーのデーブ・スペクターが26日、日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」に出演し、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)について「日本がナメられてる」と指摘した。   

 

‘和を以て貴しとなす’ と心得ている日本人ですからね。舐められることも多いですね。       

 

> 安倍晋三元首相を銃撃した山上徹也容疑者は、母親が旧統一教会信者で多額の献金を繰り返し、生活が破綻。 >同団体に恨みがあり、関連団体のイベントに動画メッセージを送るなどしていた安倍氏をターゲットにしたとみられ、同教会に注目が集まっている。  

 

宗教家と政治家のつながりは選挙において大いにありですね。   

 

> この日は安倍氏の実弟である岸信夫防衛大臣が旧統一教会と付き合いがあることを認め、選挙の際に協力を受けていたと明かした。  

 

兄弟そろって関係ありですね。それが正常といった感じですね。      

 

>司会のフリーアナウンサー・宮根誠司は旧統一教会について「宗教としてあるものを達成しようとしているのか、それとも日本国内において『とにかくお金を集めるんだ』ってやってるのか?」と疑問を提示。 >デーブは「(霊感商法などの)問題は続いていることは事実」とした上で「具体的な見返りではなく市民権を得るためにやってる」と解説した。  

 

旧統一教会は日本国内に霊感商法の存在を公認させようということですかね。   

 

> デーブは旧統一教会の収入の70%が日本からの送金であることを説明。  

 

日本での多額の献金集めが旧統一教会の目的のようですね。   

 

>「日本人が利用されてる」とした。 >教会と自民党議員らとの関係が伝えられる中で「自民党の『日本を守る』『保守的』『反共産的にやりたい』というスタンスと矛盾してるんですよ」と疑問を投げかけた。  

 

日本人は議論下手であるし、矛盾を指摘されても気にかけませんからね。    

 

> さらに「日本人が犠牲になってるんですよ、どう見ても。 >はっきり言ってナメられてるんですよ」と言葉に力を込めた。   

 

議論のできない人間は相手に舐められますね。矛盾をとがめることのできない人間は明めくら同然ですからね。怖いものなしですね。       

 

>「平気で見てるのであれば、政治家としてのスタンスを疑いたくなります」と厳しく指摘した。   

 

そうですね。政治家には政治哲学が必要ですね。政治哲学がない人間には、政治家としてのスタンスもない。ノンポリ・政治音痴になっている。     

日本人は思考を停止しているので、無哲学・能天気になっている。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.         

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。   

 

.