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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

国体 3/3

2018-07-28 23:22:23 | 政治

>■欧米へのコンプレックスとアジアへのレイシズム
>國分:そこで白井君のビジョンを聞きたいのですが、日本国民はきちんと責任を取る近代的主体になるべきだと考えていますか。

‘とかく、この世は無責任’ の体制では、国際社会に通用しませんね。わが国は、国際的に責任ある主体になるべきですね。そうでなければ、浮かぶ瀬はありません。

>『国体論』は近代的主体を肯定しているように見えると同時に、そういう安易な解決策を拒否しているようにも見えます。>この点についてどう考えていますか。

日本人には意思がない。意思のない人には、責任がない。だから、責任を取る近代的主体にはなれません。これが大問題です。
意思は、未来時制の文章内容ですが、日本語文法には、時制 (tense) というものがありません。ですから、我々には未来時制がなく、日本人には意思 (will) がない。受け身体制ばかりでは、立瀬がありません。だが、英文法には時制があり、英米人には意思があります。ですから、能動的な活動が必要になるときは、彼らの助けを借りることになります。

>白井:それは結局のところ、どのような政治秩序を目指すべきかという話になると思うんですが、僕はあまり「こうあるべきだ」という理想がないんです。

‘あるべき姿’ (things as they should be) は、’今はない姿’ (things as they are not) です。時制のない日本語を使って言動すれば、’あるべき姿’ の内容は ‘嘘’ となります。もっと、丁寧に言えば、それは ‘きれいごと’ です。日本人の考慮の対象外といってよいでしょう。

>アメリカやヨーロッパではデモクラシーが理想とされていますが、彼らのデモクラシーが今うまく機能しているようには見えません。

民主主義は、最低です。しかしながら、今日に至るまでこれを超える政治体制が発見されていないので、当分の間はこの状態を続けることになると思います。

>それではデモクラシーが無理だからといって、中国やロシアのように権威主義でいけばいいかというと、こちらにも多くの問題があります。

‘朕は国家なり’ と絶対王政の太陽王ルイ14世は言いました。現在でも絶対君主まがいの為政者が共和国にいて、自分が危うくなることは国家が危うくなることとみなして、政敵を国家反逆罪の廉で強制収容所に追放します。収容所列島を維持管理するのもこのためです。問答無用の非民主的な体制ですから、無実の民・民族が前近代的な圧政で苦しんでいます。

>政治について研究すればするほど、それに期待することが少なくなりました。>まあ大体において政治なんてろくなもんじゃない。

理想的な政治形態の発見に努めましょう。言論の自由を認めない政治体制は、不合格ですね。

>重要なのは、政治ではなく、国民が元気でいられるかどうか、です。>国民に元気さえあれば、政治はろくでもなくても、それなりの秩序を形成できると思います。

一国の中で政治家同士が戦闘を交えているようでは、国民は浮かばれませんね。世は、まさに戦国時代といったところか。

>たとえば、中国の人たちと話をしていると、彼らの中にナショナリズムと非ナショナリズムが共存していることがわかり、すごく面白いんですね。>彼らは「共産党なんてろくでもない」と思っている一方で、「共産党しかない」とも思っている。

そうですね。わが国の安倍政権のようなものですね。代替えがきかない政権であるところが共通しています。

>それで自分は何をするのかというと、自分の商売を頑張る。>こういう発想なんですね。

ナウな感じの答えですね。世界観の欠落ですね。処世術 (現実) 万能ですね。哲学 (非現実) がない。
’我々はどこから来たか’、’我々は何者か’、’我々はどこに行くのか’ の哲学的命題の内容が想定外になっていますね。

>これは「自民党なんていいとは思わないけど、自民党しかない」として自民党を支持している日本国民とは似て非なるものだと思います。

無哲学・能天気は、特亜三国人 (日本人・中国人・韓国人) で共通点でしょうね。

>日本の場合は政治に対してすごくナイーブなんですよ。>実際、日本はそれをうまく利用され、支配されてきました。

意見のない人は、他人の後について歩く以外に手がありませんね。乳をたくさん出す乳牛のようなものか。

>戦後の日本がアメリカの支配の中で受け取った価値観は、自由主義でも民主主義でもなく、結局のところ近隣のアジア諸国を差別する権利だったわけです。

自由主義の享受は、今の日本人には無理ですね。自由は意思の自由であり、日本人には、意思がない。だから、自由そのものにも意味がない。不自由を常と思えば不足なしです。
個人個人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy. 無哲学・能天気な国民は、烏合の衆である。だから、民主主義は衆愚政治になる恐れがあります。
‘上とみるか・下とみるか’ の判断は、日本人にとって得意中の得意な観念です。これは、人種差別主義 (racism) の親戚です。

>こうしたコンプレックスの中にいるかぎり、日本の奴隷根性がなくなるはずがない。

そうですね。といっても、おいそれと日本語の文法を変えることはできませんね。ですから、当分の間、我々は日本語と英語を二刀流として学んで、国際的な感覚を養うのが賢明な策であると考えます。いずれにしても、語学は考える手段として大切ですね。考え方がわからないと、他人の意見を理解することもできない。
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国体 ⅔

2018-07-28 21:32:29 | 


>■思考を奪う「国体」という病
>國分:それは別の言い方をすると、そもそも日本は戦争に勝とうとしていなかったということになりますか。>去年の夏にNHKがインパール作戦の番組を放映して話題になりましたが、イギリス軍がたとえば兵站(へいたん)でも合理的な作戦を立てて戦争に臨んでいたのに対し、日本軍は精神論で突き進んでいった。

精神論は、気分・雰囲気・空気を問題にするのですね。山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

>合理的な作戦を立てている軍隊に対して精神論で挑んでも、勝てるはずがない。

そうですね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

>これを見るかぎり、日本軍が本気でイギリス軍に勝とうとしていたようには思えない。>日本は最初から戦争に勝とうとしていなかったから、実際に負けたときにも、負けたことに対して何とも思わなかったのではないかという気がします。

そうですね。日本人には意思がない。意思がない人には、責任もない。ちょうど、死刑執行人のようなものである。彼らは、人が死んでも殺人罪には問われない。彼らには、殺意というものがないからである。日本人には、最初から戦争に勝つ意思はなかったのである。だから、指導者にも戦争責任がない。

>白井:負ければ大変なことになる、そして現実に敗色濃厚になりつつある。>それらは自明だったわけですね。>そうなると、もうそんな現実は見たくない、というメンタリティではないでしょうか。

そうですね。臭いものには蓋をせよ。犬死させられる兵士は気の毒ですね。

>そういう意味では1945年の敗戦以前に「敗戦の否認」をしているのですね。>「国体護持」を唱えながら、国を真剣に守るという思考が停止していたのです。

国体護持という人間序列の観念だけは、ついて離れないのですね。

>で、敗戦の事実が確定した後にも、それをだらしなく続ける。>だから、関係者たちの責任が放置され、今日でも追及が甘い。

意思のない人には、責任もない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

>インパール作戦では、作戦を立てた牟田口廉也(むたぐち れんや)の責任は極めて重いわけです。>この点についてはインパール作戦を検証する番組などでも論じられます。
>しかし、牟田口が戦後も何の罰も受けずに天寿を全うしたことはほとんど取り上げられません。

日本人には意思がないので、牟田口にも意思がありません。意思のない人間をその行為で罰することはできません。それは、死刑執行人の場合と同じです。
欧米人には、意思がある。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だから、責任者は自己の意思を表明して責任指導をする。日本人には、この行為がない。

>彼はあれほどひどい作戦を遂行したのに、畳の上で死んでいるんです。>そのことには全然光を当てない。

これは、牟田口が畳の上で死んだかどうかの問題ではありませんね。日本人が、意思の存在を認めたかどうかの問題ですね。意思に焦点が当たらない状態では、残酷物語が起こります。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
これは、江戸時代にあったインパール作戦のようなものか。

>これは731部隊もそうですね。731部隊が戦時中にいかにひどいことをやったかについては何度も論じられているので、そのことは広く知られているわけです。
>だから今日では、731部隊の連中が戦後も活躍し、ついには薬害エイズ事件まで引き起こしてしまったということに関心を向けさせるべきです。

とかく、この世は無責任。意思のない人たちには、加害者意識もない。罪の意識もない。だから、深刻な反省に陥ることもない。そして、過ちを繰り返します。


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国体 ⅓

2018-07-28 17:51:51 | 政治


>■責任を追及しない日本社会
> 國分:白井君が『国体論――菊と星条旗』を書いたいくつかの出発点のひとつは、なぜ安倍政権は潰れないのかという素朴な疑問だと思います。>安倍政権はひどい政策をずっと続けているのに、なぜか長きにわたって政権を維持している。

国民は、安倍瀬政権は他の政権よりも良さそうだからと考えているからでしょう。代替えがなければ、打倒は失敗するでしょうね。

>ここには合理的には説明のつかない力が働いており、私たちはそれに従わされている。

日本人は政治音痴ですから、合理はないでしょうね。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

>白井君はそこに「国体」という構造を見いだしているのだと思います。

国体は、人間序列のことですね。

>この国体を代表するのは、戦前の日本では天皇です。

わが国の人間序列の頂点に立つ人は天皇ですね。

>しかし、敗戦と占領期を経て、アメリカが国体を代表するようになる。>『国体論』ではフルモデルチェンジという言い方がされていますが、日本がアメリカに負けたことで、国体の頂点は菊から星条旗に変わったものの、人々が国体に従うという構造に変化はなかった。>そう指摘しているわけですね。

そうでしょうね。日本語に基づく人間序列には変化がなかったですね。

>白井:そうです。「戦後の国体」となった対米従属構造を維持することで、権力を保持しているのが安倍政権に代表される日本の支配層です。

従属構造を人間序列で補強すれば、その安定性は堅固なものになります。

>國分:そこで疑問として残るのは、なぜ日本はアメリカにきちんと負けられなかったのかということなんです。

日本人は、ドライに割り切る精神状態にはなかったようですね。明治期の教師たちは、アメリカ人であった。

>僕はここがポイントだと思っているのですが、アメリカと戦争して負けたわけですから、本来ならば「いつかアメリカを倒してやるぞ」となるはずです。>ところが、日本はそうはならなかった。

日本人は、アメリカ人の底力を知っていたのでしょう。

>それどころか、マッカーサーがアメリカに帰国するときには、マッカーサーとの別れを惜しむ声まで上がった。>これはやはりきちんと負けなかったために起こったことだと思うんです。

それは、弁慶が牛若丸に負けた時のようなものでしょう。いったん勝負で序列関係が確立すれば、あとは親密ムードが続きます。屈辱よりも美談が残る。

>白井:戦後直後から今に至るまで、日本人はアメリカに負けたという事実から目をそらそうとしてきました。

不名誉なことからは、なるたけ目をそらしたいですね。そのために言い換えはある。

>8月15日を「敗戦の日」ではなく、「終戦記念日」と呼んでごまかしていることから始まって、戦後の日本は「敗戦の否認」を続け、アメリカに従属していることを直視しないでいる。

屈辱よりも美談を好みますね。事実よりも気分・雰囲気を優先させています。

>でも、そうした支配を否認する日本人の心理的な構造は、戦後に始まったものではない。

そうですね。このような美談は、昔から語り継がれています。

>わかってしまえば、簡単なことです。

そうですね。わかるまでが難しい。コロンブスの卵のようなものです。

>戦前の日本人には、疑うことなく「国体」に付き従うというマインドがインストールされていた。

そうですね。日本人は、日本語を使って考える。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。日本語で話す場合には、’上とみるか・下とみるか’ の判断は欠かせない。
それで、人間序列のメンタリティ (考え方) ができている。これが、わが国の ’国体’ の基礎となっている。序列メンタリティは、皇民化教育で強化されました。


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批判

2018-07-28 15:32:31 | 教育


>チャオ! >ラヴィンちゃんです(・∀・) >あんまーーいリンツのチョコ(°∀°)b >日本は生きづらい!!!と目にすることがあります。

自分は、外国通というわけでもないでしょうにね。

>それは例えば、お互いが監視し合うように生きてるからだとか

‘人のふり見て我がふり直せ’ というのですからね。無哲学・能天気では、監視せざるをえないでしょうね。常に時流に流されている。

>空気を読まなければいけない空気だからとか

気分・雰囲気に酔う人たちですからね。空気の研究が必要ですね。

>同調圧とか >いろいろある。

ご唱和の世界には ‘なあなあ主義’ がありますね。

>なんでも批判するとか、ね。

‘ああでもなければ・こうでもない’ と言いながら、’あれではいけない・これではだめだ’ と批判する。ばらばら単語 (片言・小言・独り言) には意味がない。

>その方向から見てみようと思う。>そんなのやだね!生きづらいね!!>と言いつつ、「批判する人を批判」するわけで。> 矛盾。

日本人には、自己の考え (非現実) というものがない。だから、肯定形の答えは出せない。現実に関する否定形がすべてになる。

(略)
>だから >批判する人は、いつか誰かから批判を受ける。

建設的な批判であってほしいものですね。肯定形がなくては、それも難しいか。

>その批判のループから抜けるには >自分が批判の場所から降りるしかない。>つまり、どんなに文化的に日本は生きづらいねって言っても >その生きづらいループにいるのは自分なわけで、それが嫌なら自分がそこから抜けたらいい。

日本脱出ということですか。

>わかってても > どうしてもどうしてもどうしても批判したくなっちゃうとしたら > それは自分が自分のことをひっきりなしに批判してるからなんじゃないかなー。

絶えず愚痴をこぼしている人なのかな。

> 自分が自分にこんなに批判されてるのに > あなたはどうして批判されないの?!おかしい!ずるい!>みたいな気持ちが他者を批判したい気持ちになって 

損得勘定ですか。

> でも普通に生きてて見知らぬ誰かを批判する機会なんてそうそう恵まれないから >監視…みたいな、粗探しをするようになる。

相手の粗相は、自己の利益につながると考えてのことでしょうか。

> 誰か、他人の失敗…というか失敗にも満たないことだけど、その何かをあげつらえば自分の未熟さはみなくていいし > その間は自分を批判しなくて済むから。

‘あれではいけない・これではだめだ’ と他人のことを批判するのですか。

>もしも日本が生きづらい!!と感じるのならば >日本人は真面目すぎるからだって。

それは、‘能足りん’ というのではないですか。

> 真面目だから >「これが人間の正解ですよ」と言われたらそこを目指して、自分を律して正して生きてしまうんだと思う。

正解など、いくらでもある。人ひとにより考えの内容は違います。矛盾を含まない内容 (考え) はすべて正しい。他人に言われたことが、それほど正しいのか。

>それが苦しいんじゃないかな? > 辛いんじゃないかな?

‘能足りん’ は、常に苦しいでしょうね。

> 人間の正解なんてどこにもなくて、だけどみんながそこに向かうから苦しい。

考えは、人ひとにより違っている。矛盾のない考えは、すべて正しい。烏合の衆の正解はむなしい。

> 迷惑をかけないように。>そんな風に私たちは育てられるけど >迷惑をかけないように、の本質は >相手への思いやりで >迷惑をかけてもいい、本当はね。

お互い様ですね。私たちは、’助けられたり助けたり’ です。

> 日本は生きづらい国?>そんなことないと思う。

それは、物の見方によるでしょうね。日本良い国、清い国、、、、、

>ただみんな少し、疲れてるだけ。

そうですね。おもに気疲れでしょうね。

> 自分への思いやりを忘れてしまってるだけでしょう? >どうかなー。

それには、自己慶賀が待っています。これで気を取り直すことができるかどうか。浮かれ出ると危ないです。
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移民受け入れ

2018-07-27 20:58:42 | 政治



>・東京の若者の新成人は8人にひとりが外国人の時代となった。>新宿区にいたっては約半数に及ぶという。

そうですね。新宿区の人気はますます高まるばかりですね。

>欧州諸国のように陸続きの旧植民地から一気に大量流入の恐れは少ないだろうが、急速に進む日本人の少子化と人口減が重なって、外国人の流入はこれから増大していくに違いない。

そうでしょうね。’日本良いとこ、皆さんおいで’ となるでしょう。

>近年の数千万人ともいわれる訪日客の所作を見て、日本人の民族性とはえらい違いがあることに驚かされる。

そうですね。民族性がありますね。言語が違いますから、考え方も違うのでしょう。

>最近の日本人の劣化はかなり激しいが、それでも「日本人らしさ」とは真逆の性癖と精神構造を目の当たりにするからである。

日本人の定義はない。ただ、’らしさ’ だけがある。これは、気分・雰囲気の次元の問題でしょうね。

>・古来のスンダーランドの水没や、古代より朝鮮半島や大陸から渡来人の集団が流入し多少の戦乱を伴いながら、源日本人である縄文人が渡来の江南人と混血して弥生人となり、更に大和人へと混血しながら日本人気質を形成してきている。>Y遺伝子などDNA解析や、日本列島の地勢的な特異性に基づいて、渡来人との混血の経緯は明らかにされつつある。

そうですね。我々は、どこから来たかがわかるようになりますね。

>・嘗て飛鳥の朝廷は、渡来氏族各々の言語が溢れかえっていたものの、次第に縄文由来の日本語へと同化していったと考えられている。>日本語に同化しながら「日本人らしさ」へと、渡来人の気質も塗りかえられていったのではなかろうか。>どうも日本語に同化していくことが、潜在思念の奥底に秘められている「日本人らしさ」=気質の継承に繋がたのではなかろうか。

そうでしょうね。 ‘、、、らしさ’ は、文章内容による定義ではなく、気分・雰囲気の問題でしょうね。非常に大切なものでしょうけれども、言語でつかみどころがない。

>(略)
>・いま政権は英語教育を小学生から必須にしようとしている。

そうですね。英語は、日本人にとって大切な言語ですからね。英語は、日本人に意思 (will) を与え、世界観 (world view) を与えます。国際社会に出て行ける日本人を作ります。話に筋をつけるためには、英語は必要ですね。

>(略)
>グローバル経済に立ち向かうには語学(英語教育)が必須と云うが、優れた人工知能(AI)や情報技術(IT)の活用で間もなく完璧に解決される。

AIやITでは、日本語教育も英語教育も解決しないでしょうね。さらなる人間本位の解決法が必要になるでしょうね。
我が国民の無哲学・能天気の状態は、人間教育の必要性を痛感させます。日本人は、国際社会においては話もろくにできません。

>それよりも日本人らしさや人間力こそ、これからの世界では重要な武器となる。

そうですね。日本人生活は、これまでも重要な武器なってきました。これからも武器であることに変わりないでしょう。

>(略)
>・日本相撲協会は多くの外国人の助けを借りながら、相撲道の継承に躍起になってきた。>若い外国人力士の日本語力や生活力は見事だと思う。>相撲部屋の共同生活と伝統や生活習慣への融合など、親方衆の努力は評価されてしかるべきだろう。

現地人と共同生活をすることの教育効果は多大ですね。日本人の英米における共同生活にも、伝統や生活習慣への理解の助けになるでしょう。共同生活による教育に対する、わが国の政治家に努力を期待したいですね。
海外で相撲競技をしている人たちにも、政府が積極的に支援してルールの国際化を図れば、相撲も柔道と同様に国際スポーツになることでしょう。

>・日本に永住を希望する外国人には徹底した「母国語としての日本語教育」が重要だ。

語学教育には、音読が最も効果があるようです。日本語の表音表記は、特に非漢字圏の外国人にも多大な学習効果をもたらすことでしょう。多数の研修生を受け入れているわが国においては、日本語の表音表記は見過ごすことのできない大きな課題です。

>歴史観などとなると、なかなか外野が煩わしいことになるが、日本語(母国語)教育を徹底し、縄文由来の日本人気質に深い同化を導くことに批判はあり得ない。

技術習得に効果のある日本語は、世界の第二言語になる資格がありそうですね。それには、日本語のローマ字表記が欠かせませんね。ぜひ、実現させたい改革ですね。

>斡旋業者由来の日本語学校では不十分すぎる、日本民族の気質を再生する日本語(母国語)教育のあり方を制度的にも追求することが大切なのではなかろうか。

外国人には日本語を習得させ、日本人には英語を習得させる制度を作ると良いですね。英語下手な日本人にも英米人との共同生活による効果を享受させるべきでしょう。

>そして移住二世からは必須とすべきではなかろうか。

そうですね。移住二世には日本語必修として、日本人には英語必修とするのが良いですね。

>移民は排斥しない、ただし日本語を母国として体得する、移民受け入れの条件はこの一点でよい。

それでは、国内に島国根性の人間だけが増えるでしょうね。それよりも、英語の普及を図って内外の調和を図るべきでしょう。


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