「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

鎌倉市大町、材木座の散歩

2024-04-02 11:45:13 | あちこち見て歩く
用事があって鎌倉市材木座へ向かう。

ここはまだJR横須賀線より北で、住所は鎌倉市大町である。

川があるね。


逆川という。

ぎゃくかわじゃないよ。さかさがわだ。

古い橋があるね。昭和4年ですって。


3年前に死んだ私の母が生まれたのが昭和7年。

それよりも前に竣工した橋だね。

こんなところに鉄のフェンスをつけたら、橋の名前が見えないじゃないか。


反対側に行ったら見えた。

中道橋ですって。

ってことはここは中道っていう道路なのかな?


小町大路とか車大路とか、この周辺の道も名前がついているからね。

中道くらいはあるかもしれないけど、詳しくは知らない。

逆川の上手を見る。


逆川は左右住宅に囲まれた細い川だが、その先で90度に曲がっているね。


結構強烈な曲がり方だ。

下の地図をご覧ください。中道橋は地図の中央よりやや右上で、そこを流れるのが逆川だ。

逆川が中道橋のすぐ右下で直角に曲がっているでしょう?


だいたい逆川なんて名前が、この川の厄介さを語っているね。

豪雨の時はうまく流れないらしい。昔の人はうまく名前を付けたね。

鎌倉市のハザードマップがある。逆川も掲載されていて、赤い丸で囲んだところがその直角に曲がる場所だ。その上流も下流も紫色に着色されたところだらけだ。紫色は道路が冠水したことがある場所を示している。



逆川はいたるところで周囲の道路を冠水させているのね。

透明度が高いね。


「犬をつれて 許可なく 敷地内に入ってはいけません 管理者」



「いけません」ってとても抑制されたトーンの注意書きだ。

いいね。上品だね。

「許可なく犬を入れたら、罰金1万円」なんてのもよくあるからね。

私だったら後者を使うな(笑)。ただし1万円ではなく、10万円くらいか。

あ、踏切。


ここから先は、自動車の侵入が不可。

材木座踏切ね。


この先の道路が懐かしい。

ここへ来るのは1年ぶりかな。



正面に見える家って横1列に数軒が並んでいるだけで、その向こうにはまた別の立派な道路がある。

右を見るとこうなっている(↓)。細い道の左側には1列の家。でもその向こうには太い道路があり、先でこの細い道が太い道に合流する。


左を見るとこうなっていて(↓)、先ほどと同様、家が一列に並んでいて、その先では細い道が太い道と合流している。


この1列だけ家が数軒並んでいるところは、下の地図でいうと①の地区だ。

①の北側や②の南側を抜けて行く細い道は昔からあったと思われる道で、それに対して太いまっすぐな道は明治時代以降に海軍が水道を敷くために、新たにかなり強引に造った水道みちである。



もともとは細い道だけがあったのだろう。当時の風景を見てみたいね。明治時代になると、その既存の細い道を無視するがごとく、その上に海軍がまっすぐに太い水道みちを敷設し、そこに水道管を埋め、横須賀海軍基地が必要とする水を半原(神奈川県の北西部にある地域)水源から引いた。だからその間にやたら細長い土地①と②が出来て、そこに1列で家がずらっと並んでいる。

水道みちの建設は、当時のことだから一方的に申し渡され、土地の供出は強制的なものだったのでしょう。

2本の道路に挟まれ細長い土地に家が1列にずっと並ぶ風景を見て不思議に思ったのが、1年前。水道みちの存在は知っていても、この不思議な風景の理由は知らなかったが、地図をにらんでたらわかった。

右が水道みち。左がおそらく昔からあっただろう細い道。


面白いよねぇ。

海軍の水道みち沿いに埋め込まれたであろう標石は、ここでは埋もれてしまっている。


本来はこんなのだよ(↓)。



下の画像では、右がうねうねした古い細い道。左がまっすぐな太い水道みち。


不思議な風景だねぇ。

こちらもどうぞ(↓)。右が昔からの道で、左が水道みち。


真ん中に1列だけ家が並ぶ。

見にくいけれど、かろうじて見えているのが稲荷社の鳥居。

下の地図でいうと、②の地区だ。稲荷社も赤い丸で囲ってある。



この景色を不思議と思った際のお出かけ話がこれ(↓)。


1年前のことだ。

水道みちの一部をずっと歩いてみた話がこれ(↓)。


そのまま来迎寺(鎌倉市材木座)に行った。


時宗のお寺である。

時宗のお寺って、どこかちょっと地味なのが多い。

正面が本堂だ。


来迎寺と言えば、「隅切り角に三」。

来迎寺の中のあちこちにその紋がある。

これ(↓)は来迎寺のホームページだ。左上に赤く隅切り角に三の紋があるけれど、あまりに小さいので、右側に「隅切り角に三」の紋を別途掲載した。


私はこれを、この来迎寺が頼朝を開基として三浦大介義明を弔う目的で建てられた寺であるからして、三浦の三をとって、この紋を使っているのだと思っていた。

それはまったくの間違いでした(笑)。

たしかに三浦大介義明やその家来の墓や塔は、お寺の中にある。


しかしこの「隅切り角に三」の紋は、時宗の開祖である一遍上人の出である伊予の国の河野家の家紋らしい。

だから時宗の寺はみなこの「隅切り角に三」なのだそうな。

知りませんでしたー。

本日の散歩はこれで終わり。
コメント (16)
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