見もの・読みもの日記

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観音の大慈大悲/声明公演・長谷寺の声明(国立劇場)

2023-08-05 23:42:35 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 第62回声明公演『真言宗豊山派総本山 長谷寺の声明』(2023年8月5日、14:00~)

 長谷寺には何度か行ったことがあるが、これまで声明を聴く機会はなかったので、どんなものか分からないまま聴きに行った。今回のプログラム「二箇法用付大般若転読会(にかほうようつき だいはんにゃてんどくえ)」は、大般若経の転読と二箇法用(唄・散華)を中心とし、豊山派各寺院で、新春祈願などを主として様々な祈願に対応する法会として修されているそうだ。

 幕が上がると、中央には十一面観音の半身を描いた巨大な画幅。現在の本堂ご本尊が、天文7年(1538)に再興されたときに設計図として描かれた、等身大の「お身影(おみえ)」だという。説明してくれたのは、長谷寺・迦陵頻伽聲明研究会の川城孝道氏で、長谷寺の歴史・豊山声明・国立劇場の声明公演の回顧などをお話された。本公演のプログラム冊子には、第1回(昭和41/1966年)から今日まで、全62回の声明公演一覧が掲載されている。記念すべき第1回は、天台宗と真言宗の僧侶たちが協力して実現したもので、真言宗豊山派からは、まさに今回と同じ「二箇法用付大般若転読会」が公開された。法会を舞台上で観客の目にさらすことには、戸惑いもあったようだが、豊山派の青木融光師は、本堂にも劇場にも仏様はいらっしゃる、劇場では観客こそが仏様、とおっしゃっていたそうだ。

 以後、天台・真言の僧侶の交流による声明の研究が進み、国内外の作曲家や他の芸能とのコラボレーション、海外への発信も行われるようになった。プログラム冊子の記述で驚いたのは、中学校の音楽科教科書に東大寺修二会の「観音宝号」(南無観のこと?)が取り上げられたという話。へえ、私の時代は、中学高校の音楽で日本の伝統音楽に触れたことはなかったなあ。

 お話が終わって、あらためて法会の幕が開く。舞台の中央には、観客に正対する導師の壇。この三方を囲むように緋毛氈が敷かれ、大般若経らしい秩が置かれている。舞台奥には、出入り用の中央を空けて左右に7席ずつ。上手側に7席、下手側に8席。導師を含めて30人の僧侶が上堂して着座した。いずれもオレンジ色の袈裟をつけ、衣は黄・緑・紫で、とても華やか。はじめは、梵語の讃、云何唄(うんがばい、漢語の声明)、散華など、重々しく進むので、ちょっとウトウトした。

 それから導師の表白(漢文読み下し調、法会の趣旨などを述べる)があり、おもむろに大般若転読が始まる。長谷寺の転読は初めて見たが、薬師寺などと同じ方式で、黄色い紙の経典をさらさらと滝のように翻す様子がきれいだった。

 楽器はあまり用いないが、摺り合わせて鳴らすシンバルみたいな楽器と、ボーンと鈍い音を出す小さな銅鑼のような打楽器(あわせて鐃鈸/にょうはつ、と呼ぶ?)が、ときどき使われていた。二人組の承仕(小坊主)が黒子のように出入りして、必要なものを届けたり、片付けたりする。いつも顔の高さで合掌し、きびきび動く姿が微笑ましかった。

 転読のあとは「九條錫杖経」という、錫杖の功徳を説いた経典を全員で唱える。毎朝の勤行でも唱えるのだそうだ。4文字句を繰り返すところの多いリズミカルなお経で、承仕の一人が太鼓(釣太鼓)を力強く叩いて拍子をとっていた。特に「大慈大悲(だーいじだいひ)、一切衆生」というフレーズが耳に残ったが、プログラムの解説でも、これが長谷寺の声明の核心であることが述べられていた。

 個人的に驚いたことを2つ書き留めておく。今回、舞台で使用した大般若経は、江戸川区小岩の善養寺が所蔵する鉄眼版で、天明の浅間山大噴火の際、江戸川下流にも多くの死者が流れつき、その供養のために小岩・市川の人々が寄進したものという。私は小岩の生まれで、善養寺を遊び場として育った(善養寺のご住職にも可愛がってもらった)ので、浅間山噴火の犠牲者供養碑が境内にあったとことは覚えているが、鉄眼版の一切経があったとは知らなかった。もう1つは、声明公演で新作を手掛けた作曲家の中に近藤譲先生のお名前があったこと。母校の先生で、お世話になったことがあるのだ。

 今年10月から建て替えのため閉場する国立劇場。9月に小劇場の文楽公演は見に行く予定だが、たぶん大劇場はこれが最後だと思って名残を惜しんできた。ロビーに飾られている絵画や彫刻、どこかで預かって公開してくれないだろうか。

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