見もの・読みもの日記

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大河ドラマ原作を読む/風林火山(井上靖)

2017-08-05 23:13:44 | 読んだもの(書籍)
〇井上靖『風林火山』(新潮文庫) 新潮社 2005改版

 井上靖の歴史小説は、中学生の頃にずいぶん読んだ。『敦煌』『青き狼』のような中国ものや『額田女王』のような古代史ものが好きだったが、戦国時代には興味がなかったので、本作は読まなかったと思う。

 その後、2007年に大森寿美男さんの脚本でNHKの大河ドラマになった。当時の私は、大河ドラマにも時代劇にも全く興味がなくて、ふうん風林火山、武田信玄の話ね、という程度の認識だった。それが、4月頃だと思う、たまたまテレビをつけていたら、穏やかならぬ展開の時代劇をやっていて、誰が誰やら分からぬままに最後まで見てしまった。それが『風林火山』第16回「運命の出会い」で、第1話からYou Tubeで追っかけ視聴し、生まれて初めて大河ドラマを「完走」する体験をした。視聴率的にはあまり振るわない作品だったが、その後、時代劇チャンネルなどで繰り返し放映され、今年は4月からNHK BSプレミアムで再放送中である。SNS(本放送当時はなかった)に熱い感想が流れてくるのが、懐かしくて嬉しい。

 そんなわけで、あらためてこの原作本を読んでみた。そして、よくこんな小説を大河ドラマにしようと考えたなあと驚いてしまった。主人公の山本勘助にはカッコよさや爽やかさは微塵もない。小説冒頭に登場する勘助は、浪人の身で既に五十歳に近く、今川家に仕官を申し出ているが、いまだ叶えられない状態である。浪人仲間の青木大膳(架空キャラ、ドラマにも登場)から見た勘助を描いているのが秀逸で、不気味で信用がおけず、才気はあるのかもしれないが、人の蔑みや憎しみを掻き立てる存在であることが示される。これに比べれば、ドラマ内で内野聖陽さんが演じた勘助は、ずいぶん魅力的に描き変えられている。

 勘助は板垣信方に取り入り、武田晴信(信玄)への仕官に成功する。晴信は勘助を暖かく迎え入れ、幼い頃から蔑視の中で育ち、地上のあらゆる人物が嫌いだった勘助は、この若い武将に初めて好感を持つ。なお、晴信が勘助を重用した背景として、父信虎に疎まれ、不遇な少年時代をおくったため、妙に異相人や逆境にある武士の肩を持つ性癖があった、という説明があり、腑に落ちた気がした、

 晴信の諏訪攻めに参加した勘助は、諏訪頼重の娘・由布姫に出会い、その不可思議な魅力にとらわれて命を救う。以後の勘助は、晴信という大将を愛し、その側室となった由布姫を愛し、その間にできた四郎勝頼を愛して、晴信とともに戦い続ける。由布姫の死に接して以降は、勘助にとって勝頼の存在が由布姫と一体化する。勝頼の初陣を夢見ながら、ついに川中島の乱戦の中で果てる。

 ドラマ放映時は、由布姫(柴本幸)が不評を呼んだことを記憶している。私は嫌いではなかったが、戦国の女性らしくない性格づけだなあと思っていた。今回、姫の性格づけや行動は(「自刃なんて嫌」「せめて私一人は生きていたい」というセリフも)ほぼ原作どおりであることが分かった。親の仇である晴信を憎みながら愛してしまい、ひとりで諏訪から甲斐に戻ろうとして勘助を慌てさせるエピソードも原作にある。由布姫に忠誠を誓う勘助が、晴信の第二の側室、於琴姫を亡き者にしようとするところも。

 要するにドラマでは、男女関係の機微を中心としたパートは、あたかも視聴者獲得のために後付けされたように見られていたが、全て原作どおりだったのだ。むしろ、板垣信方と甘利虎泰の壮絶な戦死とか、長尾影虎(謙信)の脅威とか、今川・北条との駆け引きなど「戦国」らしいパートが全て脚本の創作だったことに、いまさらだが驚いてしまった。

 小説では、五十歳過ぎまで人を愛することと無縁であった勘助が、十五歳の由布姫に畏敬とも忠誠ともつかない愛情を持ち、そのわがままに翻弄されることに喜びを見出す。これは小説としては面白いが、大河ドラマの軸に置くには難しい関係だと思う。たぶん「気持ちわるい」などの反発が起きるだろう。大河ドラマでは、まず勘助と由布姫にそれほどの年齢差を感じさせないビジュアル(配役)になっているし、由布姫に出会う前の勘助にミツというヒロインを設定して、勘助が異相人ではあるが平凡な人間であることを示し、感情移入しやすくしている。

 それでもなお、原作の、異相人として(つまり尋常の幸福をあきらめた人間として)生きた山本勘助の面影はドラマにも生かされており、このドラマの魅力のひとつになっていると思う。
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