見もの・読みもの日記

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実在感の魅力/三国志 きらめく群像(高島俊男)

2017-06-27 23:05:00 | 読んだもの(書籍)
〇高島俊男『三国志 きらめく群像』(ちくま文庫) 筑摩書房 2000.11

 肩の凝らない読みものを求めて、大型書店の文庫・新書の棚をさ迷っていたら、本書が目に留まった。新刊でもないのに、どうして平積みになっていたのか不思議だが、三国志ものには常に一定の需要があるのだろう。まあ私も三国志は嫌いじゃないので読み始めたら、さすが高島さんの本で、めっぽう面白かった。

 はじめに正史『三国志』についての文献学的解説がある。これがすでに面白い。現在通行している『三国志』には全て裴松之の注がついている。陳寿の記述があまりにも簡単なので、なんと250種以上の材料を使って本文の不足を補ったのだ。裴注は、歴史的事実としてはかなりあやしいものも含め、異説を全部平等に並べ、全て出所を記している。これが後世の歴史家にはたいへん役に立った。『三国志演義』は裴注に見える面白い話はたいてい取り込んでいるのだそうだ。『資治通鑑』が、『三国志』『後漢書』の雑多な記事から、けっこう「ヨタ話」を拾っているという指摘も面白かった。こんなふうに広い視野で、文献と文献のつながりがはっきり見えると、歴史にも歴史学にも生彩が宿る。

 著者の語る三国志群像は、当然ながらとても面白い。しかし、あとがきによれば、著者はある出版社の編集者に「三国志ファンには受けませんよね」と言われたそうだ。三国志ファンは、登場人物に固定的なイメージを持っているから、たとえば諸葛孔明は必ず智謀神のごとき軍師でなくてはならない。そうかなあ、著者のスケッチする孔明は、こういう人がいただろうなあ、という確かな手応えが感じられて、私は嫌いじゃない。劉備の信頼は子飼いの家臣ほど厚くない。きびしい正義派で、周囲に怖がられていて、器械の細工が好き。魏の討伐なんぞできるはずがないことは分かっていて、ときどき出撃して暴れて戻ってくる。『三国志演義』(の翻案)系では人徳者すぎて魅力のない劉備も、本書では、チンピラあがりの親分っぽい野太い実在感がある。

 曹操について、毛沢東の詞に、秦始皇、漢武帝、唐宗、宋祖など歴代の帝王をあげて、惜しむらくは「文才が足りない」と評し、帝王の才と文芸の才を兼ね備えるのはただ我のみ、と自慢する作品がある。しかし曹操なら、毛沢東に匹敵(もしくは凌駕)するのではないか。毛沢東は、それを分かっていて、魏武(曹操)の名を挙げなかったのではないか、と著者はいう。本書には、三国志の英雄を、近現代の中国人に譬えた箇所がときどきあって、夏侯惇は毛沢東に仕えた朱徳に似ている、なんていうのも、時代不問の中国好きには面白かった。

 呉の張昭は孫権との関係性が微笑ましい。もともと父の孫堅に仕えていた老臣だから、若い孫権が煙たがっていたのは分かる。「呉の大久保彦左衛門である」という比喩が分かりやすい。周瑜はやっぱり抜群の人気なんだなあ。男と生まれたからには「周郎」となって、人々(特に女性)の心をつかみたいと思うらしい。本書には、あまり私の記憶にない人物も取り上げられていて、西方の暴れ者・韓遂を著者は「『三国志』のなかでも最も魅力に富む人物」と評している。曹操との「交馬語」とか確かにいい。硬骨の正義漢・傅燮(ふしょう)も好きだ。

 ちなみに「交馬語」とは、対陣する双方の大将が武器を持たず、単独で馬に乗って出ていって、話をすることだそうだ。ドラマや映画で見ると嘘っぽいが、古い文献にもあるのだな。「流矢」は日本でいう「流れ矢」ではないとか、言葉の解説が丁寧なのは本書のいいところである。また、むかしの戦いで、勝ったほうが負けたほうの人間を根こそぎ連れていくことに対して、かつては人間が唯一の生産手段だったから、老若男女それぞれ使い道があった、という説明に感心した。なるほど、いろいろ生産手段が整ってくると、人間の数が要らなくなって、皆殺しが起こるのだな。

 なお、偶然だが、本書を読んでいる間に中国で『軍師聯盟(連盟)』というドラマが始まった(ネットで見られる)。司馬仲達を主人公とする三国もので、曹操にいたぶられる献帝を見ながら、でもこの皇帝、54歳まで生きるんだなあとか、本書の内容を思い合わせて楽しんでいる。
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