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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

差別の闇/野中広務

2004-07-26 22:39:52 | 読んだもの(書籍)
○魚住昭『野中広務:差別と権力』講談社 2004.6

 これはスキャンダルではないのだろうか? 日曜日、久しぶりに実家に帰り、新聞を広げた。短い書評欄が本書を取り上げていて、巻末のエピソードが、ほぼそのまま引用されていた。

 2003年9月、政界引退を決めた野中広務は、最後の自民党総務会の席上、政調会長の麻生太郎に向かって「あなたは『野中のような出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。私は絶対に許さん!」と厳しく噛み付いた。総務会の空気は凍りつき、麻生は否定せず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。

 本書が刊行されたことにも、大新聞の紙面が引用したことにも、麻生が異議を申し立てないということは、これは事実なのだろう。これが事実なら、麻生太郎は、政治センスも人権センスもゼロの政治家ではないか。この発言に比べたら、山拓の女性スキャンダルなんてかわいいものだし、菅直人や小泉首相の年金未払いも大した汚点ではない。

 それなのに、どうしてこのスッパ抜きが麻生太郎という政治家にとって、致命的ダメージにならないのか? 情けない、腹立たしいことだけど、それは我々日本人の多くが、差別の構図を内心で許容してしまっているからなのだろうか?

 野中広務は被差別出身者であることを隠してこなかったという。しかし、この評伝が月刊誌に掲載された直後は、「君がのことを書いたことで私の家族がどれほど辛い思いをしているか知ってるのか」と涙を浮かべて著者を叱責したともいう。

 私は本書を(正確には本書の書評を)読むまで、野中の出自について全く知らなかった。読後感は複雑である。差別との戦い方はさまざまであると思う。政治家として、別の選択肢もあったように思われる。しかし、それは言うだけならたやすいことかも知れない。

 1999年、数々の議論と反対を押し切り、国旗・国歌法案を成立させたのが、差別の闇を知る野中の意思であったということには、何か暗澹とした現実の重みを感じてしまう。

 そういえば、「毒まんじゅう」騒ぎのとき、野中氏の自宅の玄関にまんじゅうを置いて反応をうかがっていた若い記者がいて、いくら何でもはしゃぎ過ぎじゃないかと思った。彼ら、屈託のない若いマスコミ関係者には、差別の闇の深さなんて分かるのだろうかね。

※私の読んだ朝日新聞の書評はこちら。http://book.asahi.com/
 たぶん1週間遅れで掲載されるようだ。

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少年は成長する/ハリー・ポッター第3巻

2004-07-26 00:43:49 | 読んだもの(書籍)
○J.K.ローリング『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』静山社 2001.7

 やれやれ、やっと追いついた。何に? ――映画にである。

 今夏公開中の映画「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」の宣伝は、これまでの2作品に比べて、格段に魅力的な匂いを漂わせていた。主役の3人組は子供から成長期の顔になっていたし、脇を固める俳優陣も名優揃いだとか、漏れ聞こえてくるストーリーも面白そうで、これは見たいな...と思い続けてきたのだ。

 しかし、やっぱり、まず原作を読みたい。よけいな予備知識なしに活字をたどる楽しみを失いたくない。というわけで、律儀に第1巻からスタートし、ようやくこの第3巻に追いついたわけだ。

 私は自分の判断が正しかったと思う。この作品は「読むべきもの」だ。訳者が巻末に書いているように、ハリー・ポッター・シリーズは第1巻から「子供の本としては長すぎる」と言われたらしい。とりわけこの第3巻は、終盤に過去の出来事をめぐる長い説明が続く。

 「しかしイギリスやアメリカの子供たちは、その長い説明を難なくクリアして、第3巻が一番面白いという。これまで大人は子供の理解力や判断力を過少評価してきたのではないかと思う。」

 そう、子供の読む力を過少評価してはならない。だが、一方で、私は思う――かなり多くの子供たち、大人たちは、さきに映画を見てしまうんだろうな、と。もったいない! この第3巻は、確実に活字で読んだほうがいい。映像を受け流すだけでなくて、主体的に「解読」にかかわったほうがいい。

 本編では、主人公のめざましい成長とともに、さまざまな人間の複雑な心理がハリーの目に映るようになってくる。善と悪は、これまでのように分かりやすい姿で現れない。悪に見えたものが善であったり、善と思われたものが悪であったり。また、ハリーは自分自身の中にみじめな弱さや、父親の仇敵を殺したいという凶暴な憎悪を認めなければならない。

 第3巻の面白さは「謎解き」の要素において際立つ。ハリーが見た黒犬は本当に死の予兆なのか。アズカバンの脱獄囚シリウス・ブラックとは何者であるか。なにゆえハリーのいるホグワーツを目指すのか。新任教師ルーピン先生(いいなあ、この先生!)の秘密とは? そして、ハリーはどうやって絶対絶命のブラックを救うのか?

 もちろん普通のミステリーだったら、人間が動物に変身したり、時間をさかのぼるなんて答えはNGである。しかし、ハリーの世界ではそれも有りで、かつ作者が常に周到な伏線を引いているので、我々は難なくその面白さに取り込まれてしまう。

 そして、児童文学にとって最大の謎解きは、主人公が「自分は何者であるのか」という問いに一定の答えを出すことだと思う。この点、ハリーの答えはまだ半分しか出ていない。自分の守護霊(パトローナス)が何者であるかを知ることは、重要な一歩だと思うが、まだ、彼の両親の死の真実も、全てが明らかになったとは言えない。本編では逃がしてしまったペディグリューなど、気になる新しい伏線も張られている。

 ハリーの探求と冒険は続く。うれしい。映画はどうしようかな...機会があったら見ると思うけれどね。
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