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歳を取らないと分からないことが人生には沢山あります。若い方にも知っていただきたいことを書いています。

ルノー4CV

2013-02-21 06:58:33 | 日記
私が最初に自分の車を持ったのは、ルノー4CVです。昭和34年(1959年)でした。当時の日本の4輪車数は100万台と云われ、都心を少し外れると、前も、後ろも、車の影を見ませんでした。自家用の車をもった人間としては、かなり古いほうです。

2年物の中古車を譲ってもらったのですが、ぶつかる相手がないのですから、車体はどこにも傷がなく、ピカピカなのに、タイヤは、ツルツルに磨り減っていました。新品のタイヤは新車用で、翌年まで、再生タイヤしか手に入りませんでした。

日野自動車が、ライセンス生産を始めてからの車ですが、600キロの軽量4ドアで、当時の車には珍しい4輪独立懸架でした。排気量は748cc、21馬力のリアエンジンと3速マニュアルの組み合わせで、最高速度は100kmに達しました。風洞実験で洗練された空力ボディで、本国の4CVは、750ccクラスの国際競技で、数々の優勝を飾ったそうです。

見かけは軽自動並のルノーですが、175センチの私が前席をいっぱいに下げると、アクセルに足が届かないほどの余裕がありました。正に、リアエンジンのお陰です。当時の高級車のクラウンでも、身長が高いと、かなり膝を曲げなければ、ペダルを踏めなかったのです。

乗り心地、スピードとも、ダットサン850や1000に比べて、断然、優位にありました。3速マニュアルの1速目はシンクロではなく、少しでも車が動いていると、ダブルクラッチを踏んで、エンジンの回転を合わせないと、ギヤは入りませんでした。たまたま速度を落として横に並んだ車が、2速で、もたもた、しているうちに、1速に、さっと、落として、走りに差をつけるのは爽快でした。

小回りが利くのも、売りでした。なにしろ、リアエンジンでオーバーステアですから、ハンドルを90度捻ってアクセルを踏み込むと、キューとお尻を振りながら、直角に曲がれるのです。当時でもたまには、前後に、ピッタリ、駐車されてしまうことはありましたが、なんと、一人で前のバンバーを持ち上げて、車の向きを少し右に向けると、脱出できたのです。

エンジンルームには、携帯発電機のような小さなエンジンが、ちんまりと納まっているだけでした。整備はいとも簡単そうなので、自転車を解体していた小学生の頃の気持ちが疼きだし、キャブレターをバラしてみました。こんなものかと思ったものですが、その後の車はエンジンルームも複雑になり、排ガス規制後は、素人がエンジンをいじること自体、禁止になりました。

なにしろ、車に出会うことの少ない時代でしたから、思う存分、遠出もしました。まだ舗装されていない国道も多かったのですが、今の高速道路並に、短時間で目的地に着けました。吉田首相のワンマン道路はすでにありましたが、昭和34年中に開通した真鶴有料道路には、天気が荒れ模様の開業当日、早速行ってみました。

この時も、まったく、他に車の影を見ずでしたが、東京方面から真鶴岬のトンネルを抜けた途端、急に道路が、直角に、右に曲がっていて、危うく、左の海へ飛び出しそうになりました。今でも、ヒヤッとしたのが甦ります。

VWのカブトムシは、ルノーより一回り大きい車ですが、2ドアのためタクシーには不便で、当時、ルノーが多く使われていました。SB食品が、真黄色に塗ったルノー100台を、抽選に当たった消費者に貸し出して、大評判になったこともあります。

人馬一体という表現がありますが、ルノー4CVは、エンジンの上に座りこんでいるような感覚で、人車一体となって走り廻れる、うれしい車でした。その後、ずいぶん、色々な車には乗りましたが、なんとも味のある、楽しい、もっとも懐かしい車です。小さいながらも、不朽の名車だと思います。

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