2018年11月14日安倍首相はシンガポールでプーチン大統領と日ロ首脳会談を行い、領土交渉を含む平和条約締結交渉を加速させることで合意したと発表しました。
2018年9月のウラジオストクの国際会議の場で、プーチン大統領が同席した安倍首相に抜き打ち的に「前提条件抜きの年末までの平和条約締結」を提案しましたが首相は即答せず、北方領土の帰属問題解決が先と云う日本の立場を後に改めて伝えています。今回の会談は大統領の提案後の初の公式会談では、首相から平和条約締結を切り出したと云われます。
これまで日本政府は我が国固有の領土として、北方四島の一括返還を求めてきました。会談の翌日も官房長官が日本政府の基本方針は領土問題解決と平和条約締結で、この方針に変わりはないと繰り返しましたが、ポツダム宣言を受諾しサンフランシスコ平和条約に署名した我が国は、千島列島に関するすべての権利、権原及び請求権を放棄しています。四島の一括返還を求める法的根拠はありません。
1956年の「日ソ共同宣言」には平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本へ引き渡すと書かれていますが、1960年日本が日米新安保条約を締結したことにソ連が反発し、ソ連領である2島を引き渡すのは両国間の友好関係に基づくものであったとして、2島の引き渡しを撤回しました。1993年にエリツィン大統領が来日した際に「日ソ間のすべての約束は日ロ間でも引き続き適用される」ことが確認されて、2島引き渡しが復活したのです。
2016年11月には谷内国家安全保障局長が「2島を引き渡したら米軍基地が置かれるのか」とのロシア側の質問に「可能性はある」と正直に答えていて、日米安保の下ではどこにでも米軍基地は自由に設置できますから、日米安保を解消しない限り2島の引き渡しはあり得ないのです。
「北方領土問題」については以前にも書きましたが、日本人誰もがこれまでの歴史的経過を正しく理解しているべきです。2015年10月14日のブログをそのまま再掲しますが、参考にしていただければ幸いです。
北方領土問題(再掲)
北方領土問題は、現在ロシア連邦が実効支配している択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の4島の返還を日本が求めている問題ですが、戦後70年も日ロ間で平和条約が結ばれていないことの方がより大きな問題です。
歴史的な千島列島の帰属については、1855年に日本とロシア帝国が日露和親条約を結び、択捉島と得撫島(うるっぷとう)の間を国境線としました。1875年日本とロシアは樺太・千島交換条約を結び、千島列島を日本領、樺太をロシア領とします。1905年の日露戦争で、南樺太が日本に割譲されました。
1941年に日本は第二次世界大戦に突入しましたが、1943年11月にエジプトのカイロで行われたルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中国国民政府主席による首脳会談では、連合国側の勝利を確信して対日方針が協議され、12月1日に発表されたのが「カイロ宣言」です。
「カイロ宣言」では日本の無条件降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中国への返還、朝鮮の自由と独立が宣言されています。カイロ宣言の対日方針はその後の連合国の基本方針となりポツダム宣言に継承されますが、南樺太や千島列島については触れていません。
1945年2月ソ連のヤルタで米・英・ソ首脳が会談し、日本を早期に敗北に追い込むため、ドイツ降伏の2、3か月後にソ連が対日参戦する見返りとして、日本の敗北後南樺太をソ連に返還し、千島列島をソ連に引き渡す戦勝権益が話し合われました。
1945年4月5日ソ連は、日ソ中立条約の破棄を我が国に通告します。日ソ中立条約は1年前に通告しなければ自動更新されることになっており、この通告で1946年4月25日に失効することになりました。
日ソ中立条約の失効前の1945年8月8日に、ソ連はヤルタ協定に従い対日宣戦布告し、8月11日に国境を侵犯し南樺太に侵攻したソ連軍は、8月25日に南樺太を占領、8月28日から9月1日までに択捉・国後・色丹島を占領、9月3日から5日にかけて歯舞群島を占領しました。8月18日にカムチャツカ半島から千島列島に侵入したソ連軍は、8月31日までに得撫島以北の北千島を占領しています。
日本は8月14日にポツダム宣言を受諾し、9月2日連合国が作成した降伏文書に調印しました。ポツダム宣言の第8条には、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国と、われらの決定した諸小島に限られなければならないと記されています。
1946年1月29日GHQ指令第677号により、南樺太・千島列島・歯舞・色丹の日本の行政権が停止され、南樺太・千島はソ連の行政管轄区域となりました。1946年2月2日ソ連邦最高会議は、南樺太及び千島列島を1945年9月20日に溯って国有化宣言します。
ソ連は連合国の一員として日本統治への関与を求め、連合国軍最高司令官の諮問機関である対日理事会に参加しましたが、アメリカ占領軍のマッカーサーは対日理事会を無視し、日ソ両国の外交ルートはほぼ完全に途絶しました。
その後1948年に日ソ間の民間貿易協定が結ばれ、ソ連が併合を宣言した南樺太や千島列島の日本人島民や、満州や朝鮮半島に取り残された居留民、さらにシベリアに抑留された日本軍将兵の日本への送還は続けられましたが、両国間の継続的な外交関係は築かれないままでした。
1950年2月14日ソ連は国共内戦に勝利した中華人民共和国との間に、中ソ友好同盟相互援助条約を締結しました。同年6月25日に勃発した朝鮮戦争では日本がアメリカ軍の後方支援基地となる一方、ソ連が中国を全面的に軍事援助し、空軍兵士を参戦させました。
ソ連がシベリア抑留者の一部を戦争犯罪人としてソ連国内で服役させたことや、日本政府とアメリカ占領当局がレッドパージにより日本共産党を弾圧し事実上非合法化したそれぞれの国内事情も、関係正常化の阻害要因となりました。
1951年9月8日にサンフランシスコ平和条約が締結され、日本と連合国との戦争状態は正式に終結しましたが、講和会議に中華人民共和国を招請しなかったことに反発したソ連は、会議には参加したものの条約調印は拒否しました。
日本では親米の吉田首相が1954年に退陣し、アメリカ以外の国も重視した外交を模索する鳩山一郎へ政権交代したことで、対ソ外交交渉開始への環境が整います。また日本の国連加盟には、安保理事会で拒否権を発動するソ連との関係正常化が不可欠となりました。
1955年6月ロンドンで日ソ国交正常化交渉が開始されましたが、日本側の松本俊一全権大使とソ連側のマリク駐英大使による交渉は北方領土問題で難航し、交渉は中断しました。12月に日本を含む18ヵ国の国連への一括加盟案に、ソ連は拒否権を発動します。
しかし対ソ国交回復と国連加盟を自らの政権の中心課題とする鳩山首相の熱意で、河野一郎農相のモスクワ訪問など交渉再開への道筋が付けられ、日ソ漁業交渉の決着が国交正常化への地ならしとなりました。
1956年10月鳩山首相はモスクワを訪問し、フルシチョフ第一書記との首脳会談が行われました。焦点の北方領土問題は、まず、国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を我が国に引き渡す前提で、平和条約の締結交渉を行う合意がされました。
10月19日鳩山首相とブルガーニン首相が署名し、12月12日に発効した「日ソ共同宣言」の内容は次の通りです。
日ソ両国は戦争状態を終結し、外交関係を回復する。
日ソ両国はそれぞれの自衛権を尊重し、相互不干渉を確認する。
ソ連は日本の国際連合加盟を支持する。
ソ連は戦争犯罪容疑で有罪を宣告された日本人を釈放し、日本に帰還させる。
ソ連は日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。
日ソ両国は通商関係の交渉を開始する。
日ソ両国は漁業分野での協力を行う。
日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す。
となっています。
4島返還を主張する我が国の論拠は、平和条約に署名していないソ連との間では領土問題は確定しておらず、ソ連の占領地の併合は領土権の侵害であり、とくに北方4島は1855年の日露和親条約で平和的に確定して以来、一貫して日本固有の領土であったと云うものです。
しかし1951年のサンフランシスコ平和条約 第二章 第二条(c)では、日本国は千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しています。政府は平和条約国会でヤルタ協定の千島列島の範囲には国後島・択捉島が含まれると説明していましたが、日ソ共同宣言の前の1956年2月にはこの説明を取り消します。
我が国がポツダム宣言を受諾したこと、サンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄していること、ヤルタ協定でのソ連の戦勝権益とされた千島列島には国後島、択捉島を含んでいることで、ソ連が平和条約に署名しておらずソ連との間で領土問題は確定していないと云う論拠で、我が国固有の領土として4島の返還を主張するのは無理があります。
1960年岸信介内閣が日米安保条約改定を行ったことにソ連が反発、ソ連領である歯舞群島と色丹島を引き渡すのは、両国間の友好関係に基づくものだったとしてソ連側が2島の返還を撤回したため両国の政治的関係は再び冷却しました。1973年に日本の田中角栄首相がモスクワを訪問するまで、両国の首脳会談は17年間も開かれていません。
1993年のエリツィン大統領の来日時に「日ソ間のすべての約束は日ロ間でも引き続き適用される」と云う確認がされました。2000年プーチン大統領が来日して「56年宣言(日ソ共同宣言)は有効であると考える」と発言し、2001年に両国が発表した「イルクーツク声明」では、平和条約締結後に歯舞群島・色丹島を日本へ引き渡すことを明記した日ソ共同宣言の法的有効性が、文書で確認されています。
今年安倍内閣はプーチン大統領の訪日を機に、北方領土問題の解決に取り組む積りのようですが、外交交渉では安保関連法案の強行採決のような理屈抜きは通用しません。法的有効性が文書で確認されているのは、2001年に両国が発表した「イルクーツク声明」の中の、日ソ共同宣言に記載された平和条約締結後の歯舞群島と色丹島の2島の返還です。2島の返還には法的有効性のある文書が存在するのですから、4島返還に固執しないで、平和条約を早期に締結することの方が格段に重要です。