布団(ふとん)は布の袋の中に綿、化学繊維、羽毛、羊毛などが詰められ、綿や化学繊維は掛け布団にも敷き布団にも用いられますが、羽毛は主に掛け布団、羊毛は主に敷き布団に用いられます。
敷き布団は畳の上に敷くものでしたが、現代ではベッドの上に直接敷いたり、マットレスを敷いてその上に敷いたりもしています。掛け布団は中わたの種類により保温性・保湿性が大きく異ります。真綿・木綿綿を50%以上中綿に使用しているものを綿布団と呼びます。
水鳥のダウンを中綿に使用している比率が50%以上のものを羽毛布団と呼び、水鳥の胸元から摂れるダウンは非常に軽くて保湿性・保温性が高く、高級羽毛布団として販売されます。
羽毛よりも芯が固い水鳥の羽根を使っているものが羽根布団で、羽根布団は羽毛布団よりも保温性がかなり劣りますが、羽根は大量に採取が可能なため低価格化が進んでいます。
羊毛を中綿に重量比で50%以上用いた布団を羊毛布団と呼び、羽毛布団や綿布団のようなふわふわ感に欠けますが敷き布団には優れています。化繊が50%以上の化繊布団は低価格で人気があります。
古代の人々は「むしろ」や「丸太」の上で寝ていました。現在の敷き布団に相当するものは「むしろ」で、「むしろ」は「萱」「藁」「稲」「蒲」などを編んで作った敷物です。
弥生時代の竪穴式住居跡からは、丸太などの寝台で寝ていたことが推測され、地面より低い土間に毛皮などを敷いて寝ていたこともあるようです。
奈良時代以前に中国より寝床が伝わり、皇族や貴族、高級官僚などの間で使用されました。
奈良~平安時代(710年-1192年)には身分の高い人もふかふかの敷き布団には寝ておらず、掛け布団にあたるものは衾(ふすま)で麻や絹、楮(こうぞ)が使われました。
日本に現存する最古の寝床は756年(天平勝宝8年)に光明皇后が聖武天皇の遺愛の品を東大寺に納めた正倉院御物の御床になります。檜製で長さ237.5㎝、幅118.5㎝、高さ38.5㎝でシンプルな造りです。
奈良時代に畳が登場しますが、現存するのは正倉院にある聖武天皇が使用した「御床畳」(ごしょうのたたみ)で御床の上に置かれました。真薦(まこも)を編んだ筵(むしろ)のようなものを5、6枚重ねて、表に藺草の菰(こも)をかぶせて錦の縁をつけてあります。
平安時代に入ると敷き蒲団に当たるものが畳になります。何枚もむしろを重ねた畳を八重畳(やえだたみ)と呼びましたが、現在の厚さのある立派な畳とは違い質素なものでした。
平安時代の公家貴族は寝殿(しんでん)に暮らし、母屋(もや)にすえる天蓋付きの御帳(みちょう)で寝ていました。座臥のためだった御帳は後には権威の象徴になりました。
皇后などは浜床(はまゆか)という黒漆の台を置きましたが、通常は板敷きの上に繧繝縁(うんげんべり)の畳二帖を並べて敷いて四隅に柱を立て、その上に白絹張の明障子(あかりしょうじ)を乗せました。四隅と前後左右正面に帳(とばり)を垂らし上部四方の外側に帽額(もこう)(横幅の裂)をめぐらしてありました。
平安時代から藁床(わらとこ)を利用した現代のような畳が上流階級に普及しましたが、中世の農民の家は大部分が極めて粗末な藁ぶきに荒壁の小屋で、土間で火を焚いて炊事をし、夜になれば藁(わら)にもぐって寝ていたと思われます。
鎌倉〜室町時代(1192年~1573年)には富裕層の敷き布団が畳で、掛け布団が着物の時代が長く続きました。鎌倉時代の絵巻物では上流階級は板張りの床に畳を敷き、畳の上に「上蓆(うわむしろ)」を敷いて着物を掛け布団にして寝ています。
日本に初めて綿の種子がもたらされたのは799年~800年(延暦18年~19年)のことでしたが最初の栽培はうまくいかず、三河国で栽培が軌道にのったのは明応年間(1492年~1500年)と云われます。
桃山時代になると胴服(どうふく)と呼ばれる綿入りの上着が登場します。胴服は羽織の原型で、昼間は上着として着られ夜は掛け布団に使用されました。中綿は絹の真綿だったと推測されます。
綿の栽培が成功すると日本各地に広がり、現在の布団に近いもので寝る習慣が生まれます。「夜着」と云う寝具の名称が現れたのは16世紀の後半でした。
夜着は掻巻(かいまき)で、着物に綿が入って肩が覆われる保温性の高いものです。生地は上質のものでは絹で友禅染、庶民では藍染による麻や木綿製が多く、縞や絵絣、中型染め、筒描で模様を描いたものなどがあります。
江戸時代になると綿花の国内生産の発展とともに、寝具としての夜着や布団の生産が始まりました。17世紀半ばからは中流以上の武士や町人の間でも、綿布に木綿綿を詰めた四角い敷き布団が使われるようになりました。
庶民が使っていた敷き布団はせんべい布団でしたが、大名や裕福な商人などは木綿綿がたっぷり入った、ふかふかの敷き布団でした。布団の生地も木綿ではなく絹です。
掛け布団として登場した「夜着」は17世紀半ばから中流以上の武士や町人の間で愛用されるようになり、時代が下ると庶民にも広く普及しました。加賀藩で使われた夜着は肩まで覆われる掛け布団で、木綿綿をたっぷり入れてふかふかにしました。貧しい庶民の間には天徳寺と呼ぶ和紙を材料とした紙布団が登場しました。
幕末になると衿や袖のつかない長方形の夜着が作られます。この頃から上掛けを大蒲団や掛け布団、敷く方を敷き布団と呼ぶようになりました。
明治時代(1868年~1912年)に安価な外国綿が流入し始めると、綿布団は一般庶民にも少しずつ手の届くものになりました。次第に四角い掛け布団が広まりを見せますが、明治時代にこうした寝具が使えたのは庶民では一部に限られ、農民は相変わらず藁のかますや、もみがらなどで寝ていました。
「わた屋」は木綿綿や真綿を売りましたが布団は商品ではなく、布団は家庭で仕立てるものでした。家庭では数年に1度わた屋に中綿を打ち直しに出して、ふかふかになった綿で布団を仕立て直していました。
日本で初めて既成の寝具を販売したのは京都の岩田市兵衛です。1987年(明治21年)インド綿が大量に輸入された際に布団を生産して販売しました。同じ頃蚊帳の専門店だった西川商店も布団販売を始め、1891年横浜で輸入綿糸仲立業を営んだ北川与平は1898年神戸に本拠を移して支那綿の輸入を始めました。大阪、神戸が綿花輸入の中心地になります。
昭和に入っても綿布団は高級品で、戦後しばらくはその状況が変わりませんでした。昭和30年前後でもわら布団を作って寝ていたり、干したあまも(海草)を床に敷いて畳の代わりにしたり、布団に入れて使っていた地域があります。
我が国の平均寿命は明治時代から40歳台が続き、昭和22年に52歳となってから今日の長寿時代を迎えますが、蛋白摂取量の少なかったことのほかに寒さ対策の不足が高い乳児死亡率をもたらし、平均寿命を短くしていたのではないかと云われます。
寒冷地では堀炬燵に足を入れて寝るのが温かく寝るための効果的な手段ですが、戦後の保温性の低い日本家屋では下着を充分着込み、湯たんぽを入れて寝るのが寒さをしのぐ対策でした。それでも肩が寒くて掻巻が羨ましく思えたものです。
我が国の住宅も気密性の高い建物に変って暖房も行き渡りましたし、電気毛布や、布団の下に敷いて布団を温める製品も使われるようになりましたが、寒い朝いつまでも布団の中にいたいと云うのは、温かく寝られるようになったごく近年のことです。
明治時代に欧米からベッドが伝わりますが、病院や軍隊か金持ちのステータスに留まっていて、一般には広がりませんでした。昭和30年代に双葉製作所(後のフランスベッド)が月賦販売をはじめ、折からの団地ブームでベッドが庶民に普及していきました。
現在はベッドの使用が増えて、寝ている間の快適性は単に布団の保温性や柔らかさの他に、ベッドのマットレスの性状も大きく関係するようになりました。へたりの来ない固めのスプリングマットレスが好まれた時代が過ぎて、体圧分散型のマットレスが使われ始めました。
NASAが1970年にロケット打ち上げ時の宇宙飛行士にかかる強烈な加速重力を緩和する体圧吸収素材を開発し、1980年代にこの素材を一般公開したことで、最高の睡眠をもたらす「テンピュール」のマットレスとピローのコレクションが完成しました。
テンピュール製品が1991年に販売開始されると直ちに人々に愛され始め、現在、世界98の国と地域の人々がテンピュールの上質なサポートと快適性を享受しています。
「エアウィーヴ」は日本製で極細繊維状樹脂を3次元的に絡みあわせた立体構造を持ち、快眠環境を考えたマットレスパッドで体圧を分散できます。復元性が高く寝返りが楽なのが特徴です。
エアウィーヴの転機となったのは2010年のバンクーバー五輪で、腰痛に苦しむ上村愛子などモーグル選手団が使用して一気に拡がり、選手団94名中70名が選手村にエアウィーヴを持ち込みました。
旅先へ丸めて持っていけるポータブルタイプの他、布団タイプ、ピロー、クッションなどへ展開していて、マットレスの販売数は2011年度が3万枚、翌年度は15万枚と5倍に飛躍しました。日本航空の国際線ビジネスクラスや石川県の旅館「加賀屋」などでも採用されています。
80歳を越えた私は腰痛のために10日ほど寝付いたことがありましたが、その短い間にも臀部の筋肉が衰えて尾骨が突き出てくるようになり、これが高齢者に多い褥瘡の原因なのかとびっくりしました。以後夫婦ともどもテンピュールを使用するようになりましたが、横を向いて寝ても肩や腰などの出っ張っているところが深く沈み込んで、間違いなく体圧の分散を感じます。
歳をとれば朝晩の布団の上げ下ろしは無理ですし、畳に敷いた布団から立ち上がるのも至難の業になります。この対策には適当な高さのベッドを使う必要があります。一旦褥瘡になるといかに大変かを医師として知っている私としては、手の届く値段の体圧分散型のマットレスもありますから、よく研究して手に入れることは絶対のお勧めだと思います。
寒い冬の間ベッドで温かく寝る工夫として、1畳用のホットカーペットをベッドの下で使うことをお勧めします。部分的床暖房として安価で効果は抜群です。温かく寝る手段を持たなかった昔の人に較べると現代人は幸せなのです。
1日の3分の1の時間は寝床にいることになるのですから、元気で長生きするためには、理に適った心地のよい寝床を用意することが必須の要件だと思います。