ガラスの存在を意識することは日常あまりありませんが、住宅の外壁には必ずガラス窓があって、外光を取り入れ、換気をし、外の様子が見渡せることで人々の毎日の生活のリズムを作る大切な働きをしてきました。現在では外装をガラスにして眺望を良くした別荘や、全面ガラス張りにした高層建築が目を惹くようになりました。
ガラスは紀元前4,000年古代メソポタミアでつくられたガラスビーズが起源とされていますが、紀元前1,550年ごろにはエジプトで粘土の型に流し込んだ最初のガラス器が作られて西アジアへ広まり、食器や工芸品としてガラスは一挙に人びとの生活に浸透します。
ガラスは化学的にはケイ酸化合物で、その多くは透明で硬く薬品に侵されにくく表面が滑らかです。この特性を利用して窓ガラスや鏡、レンズ、食器などの生活の分野や、人の目には直接触れにくい産業の分野で幅広く用いられています。
ガラスは非結晶性で全体が均一で透明です。ガラス化する物質は珍しくなくヒ素やイオウなどは単体でガラス化します。ホウ酸、リン酸などの酸化物も二酸化ケイ素と同じく骨格となってガラスを形成し、工業的に非常に重要な耐熱ガラスのパイレックスは12%のホウ酸を含むホウ酸塩ガラスです。
ガラスの着色には金属イオンや非金属イオン、コロイドなどを添加しますが、酸化鉄 - 緑、硫黄 - 茶色、マンガン - 黒。コバルト- 深い青、硫化カドミウム - 黄色、金 - 赤などが用いられます。
ガラスの分子構造例
アモルファス構造をとった二酸化ケイ素が骨格となり、ナトリウム・イオン(薄緑色)、カルシウム・イオン(緑色)を含む。桃色はイオン化した酸素。アルミニウム原子(灰色)が安定剤として働く。
黒曜石は火山から噴出した溶岩がガラス状に固まった天然ガラスで、人の造ったガラスよりも古くから使われ、青銅器が発明される以前には最も鋭利な刃物として、青銅器が用いられなかったメソアメリカ文明やインカ文明では黒曜石を挟んだ木剣や石槍が青銅器時代以後も武器の中心でした。
紀元前4千年のメソポタミアの古代ガラスは砂、珪石、ソーダ灰、石灰などの原料を高温で溶融し、冷却・固化して製造されました。エジプトで紀元前1,550年ごろに最初のガラス器が作られ西アジアへ広まりましたが、年代の確められたものとしてサルゴン2世(紀元前722年~705年)の銘入りの壷があります。
紀元前4世紀から1世紀のエジプトでは、王家の求める高度な技法でつくられるガラスがヘレニズム文化を代表する工芸品となり、中国では紀元前5世紀に鉛ガラスを主体とするガラス製品や印章が製作されています。
紀元前1世紀後半にはエジプトのアレクサンドリアで吹きガラス法が発明されて、現代でも使用されているガラス器製造の基本となり、安価なガラスが大量に生産されて食器や保存器として用いられるようになりました。
この技法はローマ帝国全域に伝わり、板状のガラスもごく一部では窓ガラスに使用されましたが、ローマ帝国の衰退とともにヨーロッパでは一旦生産が停滞します。
東ローマ帝国の地中海東部やササン朝ペルシャ、中国の北魏や南朝では引き続き高水準のガラスが製造されていて、日本では福岡県の須玖五反田遺跡などで古代のガラス工房の存在が確認され、勾玉の破片や鋳型が見付かっています。
5世紀頃シリアで手吹き法によりガラス球を造り、遠心力を加えて平板状にする板ガラス製造法が生み出され、凹凸はあるものの平板なガラスを製造することに成功しました。
8世紀にはイスラム圏で彩色の技法が登場し、9世紀から11世紀の中東ではカット装飾が多用され、東ローマ帝国でステンドグラスが製造されます。西ヨーロッパでも8世紀頃からガラスの製作が再開され、12世紀にはゴシック調の教会建築にはステンドグラスが欠かせない存在になり、13世紀に無色透明なガラスがドイツ南部やスイス、イタリア北部に伝来しました。
良質の原料を輸入できたヴェネツィアのガラス技術は名声を高めましたが、1291年からは機密保持のためにムラーノ島に職人を隔離して数世紀にわたって精巧なガラス作品が造られ、15世紀には酸化鉛と酸化マンガンの添加で屈折率の高いクリスタルガラスが完成しました。
1670年代に入るとドイツ・ボヘミア・イギリスの各地で同時多発的に無色透明なガラスの製法が完成します。これは精製した原料にチョークまたは酸化鉛を混ぜるもので、厚手で透明なガラスが得られてカットやグレーヴィングが可能になり、高度な装飾の重厚なバロックガラスやロココ様式のガラスが作られました。
18世紀に入るとフランスで板ガラスの鋳造法が開発されます。20世紀初頭にいたるまで、この方法と吹きガラス法で作った大型の円筒を切り開いて板ガラスにする方法の2つが、板ガラス製造の基本技術となりました。
1791年には炭酸ナトリウムの大量生産法がフランスのニコラ・ルブランによって発明され、このルブラン法によって原料供給が大きく改善されてガラス工業の近代化が急速に進みます。
1851年には世界初の万国博覧会がロンドンで開催されましたが、メイン会場の水晶宮は鉄とガラスで作られた巨大な建物で、科学と産業の時代の象徴として注目を浴びました。
1861年ベルギーでソルベー法が開発されてソーダ灰の増産が進み、ガラスを溶かす窯にも大きな進歩が起きました。フリードリヒ・ジーメンスらが1856年に特許を取得した蓄熱式槽窯を用いた製法で、溶融ガラスの大量供給が可能となります。
19世紀末から20世紀初頭にかけてのアール・ヌーヴォーはガラス工芸に大きな影響を与え、エミール・ガレやルイス・カムフォート・ティファニーなどの優れたガラス工芸家が現れ多くの作品を残しました。
「江戸切子」(えどきりこ)は江戸時代半ばから生産されたガラス細工で、透明な鉛ガラスに手作業で切子細工を加えたものです。色ガラスの層が薄く鮮やかなのが特徴で、文様としては矢来・菊・麻の葉模様など身近な和の文様を繊細に切子しています。江戸切子は震災・戦災など幾多の困難を経て、途絶えることなく今日まで続いてきました。
様々なカットが施された江戸切子
「薩摩切子」(さつまきりこ)は薩摩藩が幕末から明治初頭に生産したカットグラスです。長崎伝来の外国のガラス製造書を元に、江戸のガラス職人を招いた薩摩藩主島津斉興によって始められ、斉彬の集成館事業(洋式産業)の下で薩摩切子を保護しました。
江戸切子と対照的に厚い色ガラスを重ねた色被せ(いろきせ)ガラスを用いたもので明治期に消滅し、色被せガラスの技法は薩摩の職人や海外の技術を導入した江戸切子が継承しています。
薩摩切子の冷酒グラス
現存する薩摩切子は大変に少なく200点程と云われます。1985年(昭和60年)代に復刻が試みられ、現在は現存する薩摩切子を忠実に再現した復刻物や新デザインの創作品が生産されています。
カットグラスの起源は明らかではありませんが、ヘレニズム、ローマ時代に発達してパルティアやササン朝ペルシアに伝わり、ガラスの主要な装飾技法となりました。正倉院蔵の円形切子白瑠璃碗(るりわん)は典形的な例です。
ステンドグラスは着色ガラスの小片を鉛のリムを用いて結合し絵や模様を表現したもので、多くのキリスト教の教会で用いられ、外部からの透過光で非常に美しく映ります。原型を留める最古のステンドグラスはドイツバイエルン州のアウクスブルク大聖堂の12世紀初頭の作品と考えられています。
ゴシック様式の教会にはステンドグラスが欠かせず、教会堂は光あふれる空間となりました。12世紀の代表的なステンドグラスはパリの南西90kmのシャルトル大聖堂のもので、西正面と南北の入り口上部にあるプレート・トリサリー形式のバラ窓など、176ものステンドグラスを誇ります。
クリスタルガラスは透明度の高いガラスで高級洋食器・グラス・トロフィー・シャンデリア・ジュエリー・ビーズなどがつくられています。「クリスタル」は本来二酸化ケイ素が結晶してできた石英を指すのですが、日本硝子製品工業会の「クリスタルガラス」の定義は、高い透明度と屈折率が1.520以上で光沢、澄んだ音色で特徴付けられる非結晶ガラスです。
「バカラ」は高級クリスタル食器ブランドで、グラス、花瓶、シャンデリアなどからジュエリーにも進出、ロシア皇室が愛用したことで知られます。1764年フランス王ルイ15世によりロレーヌ地方のバカラ村にガラス工場設立が許可され、1816年初めてクリスタルガラスを製造しました。
ルイ18世を皮切りにフランス王室・イギリス王室・ロシア皇室などヨーロッパの王室や日本の皇室もバカラを注文しています。製品はテーブルウェア(各種グラス・デキャンタなど)はもちろん、アクセサリー・花瓶・香水瓶・置物・シャンデリアなどに及びます。2018年中国の「フォーチュン・ファウンテン・キャピタル」が1億6,400万ユーロ(約210億円)でバカラを買収しました。
「スワロフスキー」は1895年の設立で、クリスタルのカットと研磨を行う世界初の機械を発明し、業界に革命をもたらしました。スワロフスキー・クリスタルはココ・シャネルやクリスチャン・ディオールといったジュエラーやクチュリエに絶賛され、20世紀の美術品に欠かせない素材となりました。
スワロフスキー・クリスタルは通常のクリスタルガラス(酸化鉛の含有量24%)に比べて酸化鉛が最低32%と多く含まれ、スワロフスキーはファッション・ジュエリーの代表的ブランドです。
ガラスの用途は板ガラス、瓶・管球などのガラス製品、ガラス繊維の3分野に大別されます。板ガラスの製造は設備・装置に莫大な資金を要するため我が国でもヨーロッパでも大企業の寡占状態で、2019年の板ガラスの世界シェアは「AGC」(旧旭硝子)、フランスの「サンゴバン」「日本板硝子」がトップ争いをしていて、液晶用ガラスも米国「コーニング」に次ぎAGCが世界2位、「日本電気硝子」が3位のシェアを誇ります。
ガラス繊維分野は1950年代から「AGC」、ユニチカなど数社で長繊維、短繊維が生産されるようになり、長繊維はFRP(繊維強化プラスチック)の素材や工業用材料に使われて小型船舶が木製からFRP製となり、短繊維はグラスウールとして住宅用断熱材や保温、保冷、吸音材として使用されて土壁が消えました。
1990年代に入ると光学領域で光ファイバー、マイクロレンズ、光導波路、エレクトロニクス用にはICフォトマスク、ガラス磁気ディスク、ディスプレー用基板ガラスなどが、精密機械領域では高純度石英ガラス、ゼロ膨張結晶化ガラス、プレス成形非球面レンズなど、これまでのイメージをはるかに超えた高機能ガラス群が出現しました。
2002年の統計で日本だけでも建築用に3,900億円、車両用に1,700億円、生活用品に3,000億円、電気製品等に8,300億円分のガラスが出荷されています。
2007年(平成19年)まで我が国のガラス業界で収益を挙げていたのは、日本独自の技術のテレビの液晶ディスプレイや自動車ガラスの世界的需要でしたが、2008年のリーマンショックで大きな打撃を受けました。
ガラスの市場には1990年代に韓国、台湾、2000年代に中国メーカーが本格的に参入してきましたが、世界有数のガラスメーカーを複数持つ我が国は今でも世界で一流の座を護っています。