2019年9月山梨県道志村のキャンプ場で女児が行方不明になった事件で、2022年4月23日付近の山中で子供の後頭部とみられる人骨が発見され、4月26日複数の部位の人骨のほか、失踪当時女児が身に着けていたものと特徴が一致する運動靴・靴下・ハイネックシャツなどが相次いで発見されました。
5月12日の最初に発見された後頭部とみられる人骨のミトコンドリアDNA鑑定で、母親との間に「母系の親族関係が存在することに矛盾はない」とされ、5月14日には肩甲骨とみられる骨について染色体DNA鑑定を行った結果、検出されたDNA型が女児のDNAと一致することが確認されました。
通常DNA鑑定というと染色体DNAの鑑定を指すので、ミトコンドリアDNA鑑定での「母系の親族関係が存在することに矛盾はない」とはどういうことなのかお分かりでない方が多かったと思われます。
生物の教科書に載っているミトコンドリア
ミトコンドリアは真核生物の細胞内にあって、エネルギーを産生して細胞の活発な活動を支える役目をしており、核のDNAは両親から受け継ぎますが、ミトコンドリアのDNAは卵子に入った精子のミトコンドリアが選択的に排除されるため、ミトコンドリアDNAは母親からしか子孫へ遺伝しません。
母親が娘を生み、その娘が女児を生まない限り、男子を何人産んでも母親のミトコンドリアDNAはそこで途切れてしまいます。同じ母系の人はまったく同じミトコンドリアDNAを持つので、他の母系の人とは鑑別ができますが、同じ母系の人同士の個人鑑別はできません。
ミトコンドリアは1細胞あたり100個から2,000個程度含まれ、生体は運動をする際に筋肉を収縮させるための多くのエネルギーを必要としますが、このエネルギーの大部分がミトコンドリアによる有酸素性エネルギー代謝により作り出されます。いろいろな運動でトレーニングを続けると骨格筋や心筋のミトコンドリアが適応して、エネルギーの更なる供給や疲労耐性を向上します。
犯罪の現場で毛髪が見つかっても自然に落ちた毛髪では、染色体DNA鑑定のできる組織が残っていないことがありますが、ミトコンドリアDNAのサイズは1万6千塩基対ほどで、30億塩基対もの核DNAと比べると格段に小さく、ミトコンドリアDNA鑑定が可能なことがあります。古い人骨にもミトコンドリアDNAはたくさん残っていて復元が可能なので、1980年代からミトコンドリアDNAによる人類集団の系統解析が行われてきました。
核DNAによる人類集団の系統解析も行われてきましたが、日本やアメリカなどの研究機関が参加した「ヒトゲノム計画」で、2003年に核DNAの解読が終了したと発表されたにも関わらず、実はゲノムを構成する塩基配列30億対のうち、およそ8%は正確な解読ができていませんでした。
2022年3月31日アメリカの国立ヒトゲノム研究所をはじめ大規模な研究グループが、これまで技術的に解読困難だった部分も含め、完全な遺伝情報のデータベースを作成した論文を科学雑誌「サイエンス」に発表、20年遅れでやっと完全に解読されたため、今後、各方面の研究に大いに役立つと思われます。
これまでのミトコンドリアDNA と核DNAの分析を組み合わせた人類の系統解析の例として、南アメリカのコロンビア人のミトコンドリアDNAはほぼすべての人がモンゴロイド系の特徴を持っていましたが、Y染色体はほぼすべてがヨーロッパ系コーカソイド(特にスペイン人)に特徴的なタイプのみでした。
逆に東ヨーロッパの諸民族のミトコンドリアDNAはほぼすべてコーカソイド系でしたが、Y染色体及び核DNAにはモンゴロイド系の特徴を持っている人々が少なからず発見されました。これらは征服者の男性と被征服者の女性の混血によることを意味します。
人類が最初に「出アフリカ」を果たした時から、約5万年にも及ぶ人類の移動経路を明らかにするために、Y染色体やミトコンドリアDNAなどの遺伝子データを用いた研究が続けられていて、興味ある結果が蓄積されつつあります。
日本列島の旧人類の歴史は12万年前まで遡れますが、現生人類が現れたのは4万年から3.5万年前です。「縄文時代」は1万6,500年前から3,000年前までで、北海道から琉球列島までの日本列島の縄文人は遺伝子解析で均一な集団で、他の30の人類集団と比較して日本列島人としての特異性を示します。
北海道縄文人・北海道続縄文人・東北縄文人のミトコンドリアDNAの解析で、北海道縄文人で観察されたハプロタイプは4種類だけで、N9bと呼ばれるタイプが64%を占めますが、現代の本土の日本人で観察されるハプロタイプは10種類以上になります。
日本人のハプログループの割合
東北縄文人のD4は現代日本人では高頻度に出て来ますが、北海道縄文人ではまったく出てきません。北海道で見られるG1bは東北では見つかっていません。関東縄文人は北海道縄文人と東北縄文人の多くが占めていたN9bとM7aを低頻度に保有していて、この縄文の3集団にはN9bとM7aが共通するDNAとして観察されます。
N9bとM7aはアムール川下流域のシベリア原住民に多く、日本人より高頻度です。琉球ではM7aが25%の高頻度で見られ、8%から10%の本土とは際立った特徴を示し、沖縄での頻度が世界一高いのですが、台湾先住民族にはまったく見られません。
この遺伝子型が地球上に出現したのは2万2千年位前とされますが、縄文時代前期の青森県東道の遺跡で確認されていて、N9bとM7aは縄文前期までに北海道を通って東北まできていたと考えられます。
アムール川下流域での最大勢力はY1で、この頻度が一番高いのはニブフと呼ばれる人たちで3人に2人が持っています。現代のシベリア先住民を代表するA、C遺伝子型は不思議なことに北海道、東北の縄文人にはまったく見られず、Y1、A、Cは現代の日本人には低頻度に見られますが、Y1の頻度が日本列島現代人の中で最も高いのがアイヌです。ちなみに、このY1、A、Cといったタイプは縄文時代以後にユーラシア大陸北東部で勢力を広げていました。
N9bが誕生したのは2万2千年くらい前で最終氷河極相期の少し手前の年代です。北海道縄文人、東北縄文人は遅くとも縄文の前期までには大陸から流入して、北海道、東北に濃密に分布し、関東地方にも低頻度に分布したことが分かっていて、ユーラシア大陸北東部の旧石器時代人の遺伝子型を色濃く保持したまま、北海道に隔離されてしまった旧石器時代人の子孫と考えられます。
関東地方まで南下している以上、北方系の細石刃を持った人たちがシベリアから北海道に入り本州まで南下し、そのまま北海道、東北地方の縄文人の主体を成したのではないかと想像されますが、在地のナイフ形石器群を持っていた人たちが当然いたわけですから、そうした人たちと混血しながら後世の日本人を形成していった可能性があります。
その在地型日本人の遺伝子型の1つが M7aです。M7aの分布は琉球で世界一の高頻度です。現代人について頻度を調べた結果では、沖縄から北に行くに従ってだんだん頻度が下がってきます。この遺伝子型は南方から日本列島に流入し、南から北に向かって分布範囲を広げていったことが想像されますが、縄文人3集団の中でM7aの頻度が一番高いのは東北地方縄文人で、関東地方縄文人よりも頻度が高く、台湾先住民や中国南部の人々にM7aがまったく見られないことから、簡単に南から日本列島に流入し、北に向かって勢力を広げたとは云い切れません。
縄文時代の3集団はN9bとM7aを共有しています。北海道と東北はD10を共有し、東北と関東は D4を共有しています。しかし北海道と関東ではN9bとM7a以外に共有する遺伝子型はないのです。各地域の縄文人は地域ごとにある程度の遺伝子型を共有しながら、距離が離れるに従って遺伝的にも少しずつ疎遠になっている傾向があるのかもしれません。
結論として、北海道、東北地方はユーラシア大陸北東部の辺縁であって、北海道、東北地方の縄文人は日本列島に渡ってきたユーラシア大陸北東部の旧石器時代人の子孫です。稲作をもたらした人びとが日本列島の縄文人と混血して、本州、四国、九州が大和民族となったのが弥生時代ですが、北海道には弥生時代はなく、縄文時代から続縄文時代に移行します。
日本列島の縄文人がオホーツク文化を持ち込んだ人びとと混血したのは5世紀以後です。アイヌ人の父系系譜を示すY染色体ハプログループの構成比では、日本列島固有のハプログループD1a2aが87.5%と大半を占めますが、これは琉球民族で50%弱、大和民族で30%ほどです。アイヌは北方シベリアから樺太を経て南下してきたと考えられるC2を12.5%持っています。
母系の系統を表すミトコンドリアDNAの系統解析では、北海道縄文人にはN9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されています。このうちN9bの頻度分布は64.8%と非常に高く、N9bはアムール川下流域の先住民に高頻度で保持されています。またD10はアムール川下流域の先住民ウリチにみられます。G1bは主に北東アジアにみられるハプログループGのサブグループで、カムチャッカ半島先住民に高頻度にみられます。
以上の遺伝子解析の結果から、大和民族は弥生時代に渡来して米作を広めた人びとが日本列島古来の縄文人と混血して成立しますが、北海道では縄文時代から続縄文時代に移行していて弥生時代がありません。北海道から琉球列島までの日本列島の縄文人は均一な集団で、アイヌは5世紀以後にオホーツクから渡来した農作をしない人びとが列島古来の縄文人と混血して成立したものです。
2008年(平成20年)アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議案が国会で可決されましたが、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に単に追従しただけで科学的根拠に基づくものではなく、アイヌは我が国の先住民族ではありません。
日本人の祖先については強い関心がもたれていますが、遺伝子解析では1万6,500年前の我が国の縄文人が他の30の人類集団との比較で、日本列島人としての特異性を示すことが分かっていますから、我が国の紀元を神話によって僅か二千七百年に限るわけにはいかないでしょう。
大阪大学の岡田随象教授(遺伝統計学)の研究グループは、日本人集団15万人のミトコンドリアゲノムの情報を用いて、疾患、臨床検査値、食生活習慣などの99の形質との関連を調べ、筋逸脱酵素、腎機能、肝逸脱酵素、バセドウ病といった形質とミトコンドリアゲノムの配列が関係していることが判明しました。今後ミトコンドリアと疾患との関わりなどの解明が加速していくと考えられます。