気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

「さかい待庵」のさかい利晶の杜へ

2017-03-25 18:27:50 | 美術館・博物館
朝から急なことですが、長男が大阪堺市へ用事で行くと聞き、
二年前に開館され一度伺いたかった「さかい利晶の杜」に、

旧暦2月28日は利休忌ですので遺徳を偲ぶことが出来ます。
相乗りして11時過ぎ、「さかい利晶の杜」に車から降りますと
奈良より2~3度は暖かいのです。アリガタイ
表 
内部にはボランティアガイドさんが、ジオラマで戦前の
堺の紹介を懇切丁寧にされております。
  
受付で、「さかい待庵」の特別観覧をお願いすると、
呈茶を含め千円でセット券の午後1時が空いておりました。
それまでどうしましょう。
まず、道路向かい側にある「千利休屋敷跡」へ
 
屋敷跡には椿の井戸が残り、椿の炭を底に沈めていたとされ、
井戸屋形は利休縁の大徳寺山門の古い部材で建てられています。 
 

午後1時になり、土壁で服が汚れ防止?のため専用の法被を着て  

最初に国宝待庵の問題点、4尺の床と1寸3寸4分の炉との
食い違う様態を、さかい待庵の床の様態に決定するまでの
過程の説明を受けます。
真の茶室とされる紹鷗四畳半図、
ヒノキの角柱に鳥の子紙の貼付け壁で、宗易は北側から南側へ、
晴れ(非日常)の茶を目指す転機に、炉は1尺4寸
紹鷗四畳半図
国宝、妙喜庵「待庵」、四畳半の真の茶室に対し、二帖の草庵
利休作で唯一残る茶室、炉は1尺3寸4分角、隅丸炉に
妙喜庵「待庵」
宗旦筆の待庵図
炉の寸法は、1尺3寸4分

関白様の二帖敷図
待庵の狭い炉はなぜかという答えが・・・

国宝待庵の隅炉と床廻りでは、
床を4尺5寸幅と縮小すると、床柱にかからず、
1寸4尺の炉が切れます。

さあ、『さかい待庵』へ(写真禁止)
内部に座らせていただきました。

床柱は桐材の丸太になり、土壁は中塗り仕上げで、
苆を表面に浮だたせ、煤で黒く燻りをつけており、
窓も、竹剤を一筋だけつかわれており、
腰紙も、裏側にした江戸時代の暦になります。
暗い中にも、障子紙を通した光が、心を穏やかに。
そして
軸は『老古錐』、
今は利休居士の号の由来とされる
「利心、休せよ」(才能におぼれずに老古錐の境地を目指せ)
と考えられているなかからです。
躙り口は大きなものになっておりました。

側面と屋根側です。
 
全体の外観です。

最後にもう一つ、観たかった茶室が、『無一庵』
豊臣秀吉の北野大茶湯にて、利休居士が作ったとされる
四畳半を復元されたものです。
茶会で使われており、残念で再行ですね。

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