尾形光琳・乾山兄弟は同じ六月二日に没されており、
MOA美術館では小西家文書に基づき光琳屋敷を
復元され、昭和六十年から茶会と忌茶会が、そして
平成十六年からは京都嵯峨野の広沢池の畔で、
会場案内図
『光琳乾山忌茶会』として開催されており、
念願が叶い昨日の二日に、伺うことが出来ました。
會記を紹介します。
中の茶屋(席主:正木美術館)と下の茶屋(大阪美術青年会)
始
上の茶屋(席主:7MOA美術館)
駐車場から、研修センター下の茶屋にある会場受付に。
センター内にある下の茶屋の大阪美術青年会の薄茶の会場へ
三好木屑(也二)が砂張を漆の変わり塗で表現した
菓子器、花入、瓢形莨入
砂張の持つ青みがかった金属質の冷ややかな質感に
菓子器を手に取った時の軽やかさと温みの意外性に出会え
足の痛さを忘れました。
同じ会場にある点心席(京都吉兆)
写真にはありませんが、
先取り鱧の煮物椀、お出汁最高でした。
ワゴン車に乗り、中の茶屋の濃茶席へ
広沢池を眺めながら、
抜けるような青空と緑を目に
風が心地よい外待合
後ろ髪引かれる思いで本席へ
竺田悟心の墨蹟、700年もの時を経て
この炭色、美しい和紙
「中巌円月送別偈」
茶室の自然光の元で見せて頂き感激でした。
古天明の菊霰真形釜の下から除く灰は鱗灰でした。
主菓子が樫舎の葛焼で京都で奈良のお馴染みと出会え
嬉しくなりました。
MOAの薄茶席では光琳の「寒山拾得図」
乾山の蓋置「糸巻」に出会え・・・6月2日
MOA美術館では小西家文書に基づき光琳屋敷を
復元され、昭和六十年から茶会と忌茶会が、そして
平成十六年からは京都嵯峨野の広沢池の畔で、
会場案内図
『光琳乾山忌茶会』として開催されており、
念願が叶い昨日の二日に、伺うことが出来ました。
會記を紹介します。
中の茶屋(席主:正木美術館)と下の茶屋(大阪美術青年会)
始
上の茶屋(席主:7MOA美術館)
駐車場から、研修センター下の茶屋にある会場受付に。
センター内にある下の茶屋の大阪美術青年会の薄茶の会場へ
三好木屑(也二)が砂張を漆の変わり塗で表現した
菓子器、花入、瓢形莨入
砂張の持つ青みがかった金属質の冷ややかな質感に
菓子器を手に取った時の軽やかさと温みの意外性に出会え
足の痛さを忘れました。
同じ会場にある点心席(京都吉兆)
写真にはありませんが、
先取り鱧の煮物椀、お出汁最高でした。
ワゴン車に乗り、中の茶屋の濃茶席へ
広沢池を眺めながら、
抜けるような青空と緑を目に
風が心地よい外待合
後ろ髪引かれる思いで本席へ
竺田悟心の墨蹟、700年もの時を経て
この炭色、美しい和紙
「中巌円月送別偈」
茶室の自然光の元で見せて頂き感激でした。
古天明の菊霰真形釜の下から除く灰は鱗灰でした。
主菓子が樫舎の葛焼で京都で奈良のお馴染みと出会え
嬉しくなりました。
MOAの薄茶席では光琳の「寒山拾得図」
乾山の蓋置「糸巻」に出会え・・・6月2日
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