デルフト焼2006.(アムステルダムにて)
「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」
ー明恵上人の言葉をヒントに仏教を考えるー
東大寺(教学執事)持宝院住職の上司永照さんのお話で、
はじめは、無上甚深微妙法 百千万功難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義
終わりは、願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道
読経の声はさすがに、部屋の中に響き渡ります。
癒されました。
明恵上人は、以前触れた宇治の萬福寺の前にある駒蹄影園碑
「栂山の 尾上の茶の 木分け植ゑて
あとぞ生ふべし 駒の足影」
和歌にもたけておられ、秀逸なのは、
「あかあかや あかあかあかや あかあかや
あかあかあかや あかあかや月」
子供のような澄んだ心と最後の月が表すように
大人のユーモア溢れた和歌になっておりますが、
上人の厳しい生き方からは、求道一途、
人のあるべき姿を詠っておられるそうで、
法然上人の専修念仏批判(摧邪輪)や
51篇からなる「栂尾明恵上人遺訓」からも
そのことが伺えます。
特に下巻にある
「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」は
万葉かなで、漢字には意味はありません。
「人は阿留辺畿夜宇和と云う七文字を持つべきなり。
僧は僧のあるべき様、
俗は俗のあるべき様なり。乃至、
帝王は帝王のあるべき様、
臣下は臣下のあるべき様なり。
此のあるべき様を背く故に、 一切悪しきなり。」
河合隼雄先生の著書『明恵 夢を生きる』も
引き合いに出され、きわめて実在的な生き方を
提唱されているのではないでしょうか?
昨日のBS-TBSの番組と今朝のこの講座と
二日続けての上人様の名前を耳にして
鳥獣戯画や日本最古の茶園として知られる
京都栂ノ尾、高山寺に伺わなければいけません。
上人の命日は1月19日で、法要は終わった後、
残念ですね。
「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」
ー明恵上人の言葉をヒントに仏教を考えるー
東大寺(教学執事)持宝院住職の上司永照さんのお話で、
はじめは、無上甚深微妙法 百千万功難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義
終わりは、願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道
読経の声はさすがに、部屋の中に響き渡ります。
癒されました。
明恵上人は、以前触れた宇治の萬福寺の前にある駒蹄影園碑
「栂山の 尾上の茶の 木分け植ゑて
あとぞ生ふべし 駒の足影」
和歌にもたけておられ、秀逸なのは、
「あかあかや あかあかあかや あかあかや
あかあかあかや あかあかや月」
子供のような澄んだ心と最後の月が表すように
大人のユーモア溢れた和歌になっておりますが、
上人の厳しい生き方からは、求道一途、
人のあるべき姿を詠っておられるそうで、
法然上人の専修念仏批判(摧邪輪)や
51篇からなる「栂尾明恵上人遺訓」からも
そのことが伺えます。
特に下巻にある
「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」は
万葉かなで、漢字には意味はありません。
「人は阿留辺畿夜宇和と云う七文字を持つべきなり。
僧は僧のあるべき様、
俗は俗のあるべき様なり。乃至、
帝王は帝王のあるべき様、
臣下は臣下のあるべき様なり。
此のあるべき様を背く故に、 一切悪しきなり。」
河合隼雄先生の著書『明恵 夢を生きる』も
引き合いに出され、きわめて実在的な生き方を
提唱されているのではないでしょうか?
昨日のBS-TBSの番組と今朝のこの講座と
二日続けての上人様の名前を耳にして
鳥獣戯画や日本最古の茶園として知られる
京都栂ノ尾、高山寺に伺わなければいけません。
上人の命日は1月19日で、法要は終わった後、
残念ですね。
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