イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

生まれる☆・・・ (断念と再生 4/10)

2011-03-05 | 第七章「光と復活体」

 孫娘がたまたま来ていて、いっしょに遊んでいると、人の誕生というのは不思議なものだとつくづく思う。ほんの2-3年前は影も形もなかったのに、今こうしている不思議さである。ありがたさも感じる。

 男女が巡り合い子供が生まれるというのは、何という不思議さだろう。それが、何千、何万の世代を引き継がれている。私がこうして生まれるという確率は、恐らく無限に小さいのだろう。それが、こうして生きているのだ。そして、同じように生まれた孫と楽しんでいる。

 生まれること。特に自分が生まれたことについては、私も幼いころから随分考え、その時どきにいろいろ解釈をしてきた。小学生のころは、誕生会などがあって、周りの人からお祝いされたりで、生まれることは祝福されることとして、こころに刻み込まれた。

 しかし、思春期、青年期となると、暗く解釈することも覚える。

 今思い出すのは、高校生の時に読んだ、芥川龍之介の≪河童≫である。河童のお産について書かれていて、生まれてくる時に、父親が≪生まれてくるか≫どうかを尋ねるのだ。胎児に判断をゆだねる。そんな奇怪なお話にショックを受けた。思春期に子供が良くいうセリフ。≪私なんか生まれなければよかった≫。私も、一度や二度親に言ったことがある。

 今は生まれたことを明るく解釈し、感謝している。いろいろな誕生会にはお祝いし、還暦も祝う(今月!)。

 生き甲斐の心理学に書かれて、皆そんなものかと納得することで、ゲーテが70余年の生涯を振り返り、その大半の感情が暗く、明るい感情(幸福感)はせいぜい、集めて一ヶ月程度だったことだ。生きることは、そんなものだと思う。でも、その中で、如何に外見は悲惨に見えても、明るく悔いのない人生を歩むこともできる。それは、その人の解釈如何である。

 暗く解釈する場合は、どうも自分中心に考える時であり、明るく解釈できる場合は、私以外を中心に(他人では頼りないこともあるので、神仏とかSomething Great中心に)考えるのが良いようだ。ただ、この視点の変化は、普通に生活しているとなかなか難しい。

 自分が生まれたこと、それは死ぬことの前提でもあるが、それをどう解釈するか、自分中心の考え方をどう断念するか。難しいことであるが、自分の人生で一番大事な課題だと思う。

  断念と再生 4/10

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