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死刑判決の責任を擦り付けていたが

2017-03-20 | ニュース

 2014年神戸市長田区で、小1女児が殺害された事件で、殺人・死体遺棄やわいせつ目的誘拐罪などの罪に問われた被告の控訴審の判決公判が大阪高裁であり、裁判長は一審神戸地裁の裁判員裁判の死刑判決を破棄し無期懲役に減刑した。被害者1人の殺人事件で裁判員裁判の死刑判決が控訴審で破棄されるのは3例目だそうで、これは最高裁の15年2月の決定で、死刑の適用には慎重さと公平性の検討が必要で裁判員裁判でも過去の量刑判断とのバランスに配慮するよう求めた事も大きいようです

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 まあそうなるだろうなと思っていた通りの結果になっているのでしょう。日本の裁判員制度自体が、そもそも従来の裁判のあり方を変えるものにはなっていないからです。第一審のみが裁判員の参加する裁判なのですが、日本は三審制ですから第一審の判決が覆ることも当然ある訳です。

 どんなに残虐な殺し方であっても杓子定規に「1人殺しただけだから死刑にはしない」「初犯だから死刑にしない」といった、市民感情と大きくかけ離れた判決が出ていた状況に対して市民感情を入れるという目的で導入されたもの。裁判員制度の導入当初は第一審の判決を尊重していましたが、それもほとぼりが冷めてきたのでプロの裁判官だけで決める傾向が出てきたようですね。

 この一連の流れで一番思うのは、裁判員制度が導入された時の報道ぶりです。冒頭の神戸市小1女児殺人事件でも、死刑判決後に裁判員の記者会見であたかも死刑にした責任が裁判員にあるかのような質問ぶりや記事の書き方だった。政府のやる事には批判するというやり方の一環で、そういう質問や記事の書き方をやっているのがみえみえでおかしいなと感じました。

 どうせ裁判員の意見が確定判決に関係が薄いのなら、せめてもっと素直な裁判員の気持ちを第一審に出せるような環境を作った方がいい様な気が個人的にはします。

コメント
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