どーも、プーカプカです。
なんですか、全然関係ない記事として上げた、全裸旅行記とか台風しか登場しない旅行記が人気で←自分で云うな
シレっと旅カテゴリーを追加しました(笑)
またしばらく仕事ヒ~ってなって記事数減ると思うので、一番悲惨な事になったマレーシア建国記念日(8月31日)滞在記で、しばし、お愉しみ?下さいませ。
まず、前提として。
「マレーシアの空港で殺されるかと思った」
「マレーシアのホテルで死ぬところだった」
というのは、旅人のあいだではよく聞かれるセリフです。
それほど 冷房ガンガンガン ってことね
真夜中に到着したので、空港隣接のホテルに宿泊した初日。
その部屋がどのくらい広いかったかというと、バスルームは軽く六畳ほど・・・。
そして悪夢は起こったのでした。
かなりのグレードのこのお部屋、全然使ってなかったみたいなのね。
最初に部屋に入った時、トイレが流れるか、お湯が出るかを必ず確認する、怠りない旅人プカも、さすがにお風呂が排水できるか、まではチェックしませんでした。
そうだ、自分が悪いのだ <違うような気もするが
深夜二時、六畳ほどもあるバスルームに洪水のように溢れ出るお湯を前に、ボー然とする。
当然、入浴直後で素っ裸<いやん
いくらお湯が押し寄せたところで、ムダに広い浴室はツンドラのように寒いデス。
しかもハダカに近い格好から、身支度してホテルスタッフを呼ぶとなれば、寝るのは何時になるのでしょうか。
そんな時、グレードの高い部屋はステキです。
だって部屋にはタオルが八枚もあるんだもん。
バスローブも予備を入れて三着。
それらを浴室に敷き詰めると、なんとかお湯が単体で存在する状態は脱しました。
つまりこの惨状を通報せずにそのまま寝たワケです。わははは。
充分に冷え切ったカラダで、これまたムダに広い部屋の、ムダにデカいベッドは、ちっとも全然いつまでたっても暖まりません。
寒いっちゅーねん!
そして見事に風邪引きました。ありがとう。
移動した先のホテルでも、ずっと闘病してました。むなしいデス、ハイ。
ずっと闘病してたと、先ほどは書きましたが、かなりアクティブ闘病です。
えーと、まず朝8時、冷え切ったカラダを熱い浴槽に浸して、再び冷めないウチに急いでカフェに行く。
10時半にカフェの朝食が終わるまで、中庭を望むテラス席に陣取って、暖まりながら、お粥をすする。(他民族国家なので、メニューにお粥がある)
12時頃まで、中庭の反対側にあるプールサイドで暖まる。本当は部屋に戻って寝たいが、寒すぎるので戻れない。
13時、紅茶の国・マレーシアのおいしいお茶をポットで作り、現地の伊勢丹で仕入れたチューブ入り生姜をドボっと入れて、ガンガン飲む。一発で体温が上がる。スバラシイ。
それだけでは胃を痛めるので、ルームサービスでとったクラブハウスサンドイッチを解体して、卵とトーストを飴のようにしゃぶる。
夕方、だいたい熱が少し下がる時間帯なので、タクシーで伊勢丹まで飛ばして、生姜と紅茶を仕入れる(笑)
周囲の中華料理カフェみたいなところで、野菜たまごラーメンみたいなの(どの店にも有る)を、麺無しでテイクアウト容器に入れて貰うのをテラスに座って待つ。店内はエアコンが寒すぎて入れない~
タクシーすっ飛ばしてホテルへ戻り(日本のオークラのような格式高いホテル…)、一晩中、熱と闘いながら、中華スープをすする。
と、このようなムダな休日を過ごしておりました。あうぅっ
そして、この時、マレーシアは建国記念日を迎えようとしており、街じゅうがお祝い騒ぎでした。
国旗だらけ。
宗教的にはイスラムが国教です。
なんてことない公共施設の造形も、美しいイスラミック。
実際には中国系、インド系もかなりの人口が居ます。
イスラムといっても、寛容な雰囲気で、よく女性が全身を布で覆っていますが、アレが全身ヒョウ柄だったり、ショッキングピンクだったりオシャレ度も高いし、そういった民族衣装ではナイ男女のほうが多く、企業や商業施設でも普通に女性が活躍していました。
まぁ、旅行者はそんなにイスラム色に緊張せずに過ごせるというか。
ところで、建国記念日前夜、ウトウトしかけた頃に、爆発音が鳴りました。
実はマレーシア都市部を旅するきっかけとなったのは、本来の目的地であったフィリピン・マレーシア海域で、イスラム原理主義活動が活発化し、20名以上の観光客が誘拐され、アメリカ国籍の二名が死体で見つかった、という事件のせいです。
その夏は、アンダマン海域での滞在をあきらめて、クアラルンプールの銀座ともいうべき場所に泊まっていた為、爆発音で最初に考えたのが、テロでした。
目の前のホテルは、この春までヒルトンだった建物です。
世界各国で、テロの標的されるホテルでも名前が出やすいホテルです。
スリランカでもヒルトンを使ってましたが、自爆テロで60名以上が無くなった事があります。
なので、なるべく滞在先ではヒルトンを外していました。
窓の外を見ると、旧ヒルトンの屋上からモウモウと煙が立ちこめ、空が見えません。
続いてバーンっという発砲音も聞こえてきました。路上では人が大勢、走っています。
その瞬間、思ったこと
↓
逃げるならマユ毛を書かないとっ!!
窓に背を向けた瞬間、、閃光に包まれました。
外を見ると、煙りがやや薄らいで、光の玉が雪のように旧ヒルトンへと降り注ぎます・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
花火を上げるなら、郊外にしてっ!!
※建国を祝う、大花火大会
どうしても12時の時報と共に打ち上げたいんだったら、周辺ホテルの宿泊客に事前通知してよぉ(泣)
ステキすぎる後日談
風邪じゃなかった。
日本で取り込んだウイルスによって、旅行期間と合わせて半月会社を休み、半月の午前勤務ののち、やっと復帰いたしました。
そういえば、マレーシア出発前、同僚たちと壮行会と称して、おばばの店で宴会を。
その時に、馬の刺身と、鹿の刺身を、餞別として1切れずつ食べさせて頂きました…
馬と鹿の呪いかぁぁぁぁぁ
さらに後日談
イスラム原理主義活動家がクアラルンプールに潜入し、合衆国へ向かおうとしている、という情報を掴んだアメリカ政府は、マレーシア政府に対して、テロが起こる可能性を指唆し、出入国の管理強化を依頼しました。
自分がマレーシアに入った前月の出来事です。
帰国時、アメリカ藉の飛行機だけが、搭乗ゲート前から異様な厳戒体制をとっており、出国審査も済んでるというのに、ゲート前にて金属探知機やら、X線検査、ボディ・チェック、パスポートの確認(計3回)という状態で、やっと機内に入るコトができました。
自分の帰国数日後、イスラム原理主義活動家たちは無事に合衆国へ入国し、あの9.11アタックを起したのだそうです。
と、熱にうなされながら病床で読んだニューズ・ウィークに書かれていました。
そういう大事なコトは、渡航者にも云ってくれ、合衆国政府
そして、良い子の皆さんは、馬肉と鹿肉は、一度に一緒に食べないように