カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

「評価する」に微妙な変化が

2021年04月30日 08時55分40秒 | 似た言葉

広辞苑第六版では

評価する

    1. 品物の価格を定めること。また評定した価格。
    2. 善悪・美醜・優劣などの価値を判じ定めること。特に、高く価値を定めること

としています。

価値を定めること

だけでなく

「評価する」は、最近「高く評価する」という意味で使われることもある

というのです。


こんな例も見られます。

ひょう‐か【評価】 の解説[名](スル)

1 品物の価格を決めること。また、その価格。ねぶみ。
2 事物や人物の善悪・美醜などの価値を判断して決めること。
3 ある事物や人物について、その意義・価値を認めること。
4 「教育評価」の略

「価値を認める」のは、「高く評価する」、少なくとも「価値がある、低い評価ではない」、ということなんでしょう。どの程度「高く」かは別として・・・・

これは

高く評価する」と言うのが邪魔くさくて「評価する」と言語衰退したのか

それとも次の疑問が残ります。

低く評価する」ことが少なくなったのか、または別の言い方があるのか。ないとすれば「(公平に)評価」する意味では「評価」が使いにくくなったのか・・・・

「判断する」も

判断する」の使い方が多くなり、やがて「評価する」と同じ運命をたどるのか。

同じような意味で

「理解する」「とらえる」「結論付ける」「把握する」「知る」「会得する」「推論する」「察する」

などがあり、決して「どうでもいい」ことのように思えませんが。

英語の場合

evaluateestimateappraise  には、「評価する」意味のほかに「高く評価する」が加わったのかどうか。

NHKでは・・・・


結果を出して評価する

・・・・最近スポーツ選手の発言などで「結果が出せてうれしいです」という表現をよく耳にします。

「結果」は原因があって出てくるもので、この選手のように「期待したとおりの結果」「良い結果」を省略した使い方は比較的新しい表現です。

また、結果は「出る」もので「出す」ものではなさそうです。

辞書には「結果」〈-する〉とあり、〈-させる〉もありそうですが、「ある行為が終わりになること」を意味しますから、他動詞のように使うのは無理がありそうです。

『小学館新選国語辞典第8版』は「できあがったことがら」として「結果を出す 努力の成果をはっきりと示す。」という説明をのせています。新しい動きをとらえた辞書でしょう。

良い「結果」の類語としては「成果」があります。こちらは明らかに「その目的にそった良い結果」という意味があります。

「結果」に似た例として「評価」があります。

「善悪・美醜・優劣などの価値を判じ定めること」と『広辞苑第5版』にあります。

「評価」は良くも悪くもできるものですが、最近は「評価する」が「高い評価をすること」を指すことが多いとも『広辞苑』は述べています多くの辞書も類似の注意を記載しています。

熟語となった場合も「再評価」は「評価しなおすこと。再び評価作業をする」のではなく「以前よりもく評価する」意味が強くなっています。「資産評価」「環境影響評価」「行政評価」「教育評価」などは「価値や価格をある基準によって決めること」の意味が強く残っています。けっして「良く評価する」わけではありません。それでも「資産」「行政」などはく評価されたいのかもしれません。

「結果」の変化については、努力に基づく結実を性急に望む、最近のいそがしい世の中を反映しているのかもしれません。また、期待する「結果」は常に「良いもの」である必要があるかもしれません。

「結果が出せなかった」は「期待するほどの良い結果ではなかった」ということになるのでしょう。「悪い結果」は「結果」ではないのでしょうか。良い成績だけが「結果」であるとすれば、反省や批判は縁遠いものとなりはしないでしょうか。

望んだものだけを手にしようとするのではなく、期待に反した「結果」でも有効に使うような柔軟性が世の中に少なくなっているという、目先の「結果」でなければよいのですが。(メディア研究部・放送用語 柴田 実):nhk 2002.04.01


「結果」は

自然と出てくるもの、または運も絡んで出るものであり、「出せるもの」ではないのに、まるで意図したかのように「(期待された高い)結果を出せた」とすることがあります。

つまり「他動詞のように使う」のは無理としているものの、しばしば聞きくけれども多くなったとまでは言っておりません。

しかし「評価」の場合

高く評価」のほうがむしろ多くなったと言っております。

いずれも

2~3年の問題ではなく、20~30年の問題でしょう。やや古いながら問題提起する次第です。

行政側は

常に「高く」が望まれており、またそんな言葉を使いたがります。

その意味で「高結果」「高評価」を使うことには、留意したいものです。

尤も、その人が、行政か、上司か、世間評価か「何にヨイショ」しているかにもよります。

さてさて、皆様はどう思われますか。


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