高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

ビックシップ

2018-11-05 17:13:52 | 日記

懐かしい写真だ。 保存を兼ねてアップしておこう。

8年かなあ、大学を卒業したあとに新卒で就職した貿易商社で社長とぶつかってしまい、やめる決心をした。辞めても次の当てがあるわけでなかったので、1,2ヶ月はぶらぶらしてゆっくりと考えるかあと思っていたが、当時の銀行から出向していた上司の部長がとある不動産会社の社長に引き合わせたのが、辞めて3日後くらいだった。 務めるもなにも考えていなかったが、それは事実上の面接で、面談が終わるやいなや、「ここで待ってろ」と事務スペースに連れてゆかれた。 そして、そのまま翌日からその会社に通うことになってしまった。 それが事業開発部だった。 拝命した名刺には、ゴルフ場開業準備室だった。 半年ばかりはそんな仕事を手伝っていたが、次に拝命したのが、この健康ランドビックシップの開業準備であったのだ。

建物は最初から舟型の設計ではなかったのだが、当時の札幌は、バブル景気の真っ只中、クア施設開業流行りで、テルメ、黎明薬湯、ジャスマックプラザなどの同業がそれぞれ開業準備をしていた。 基本設計・積算もしていた建物が特徴がないと不満だった社長が、設計事務所がゼネコンが同席する会議で突然に、「土地の形が船みたいだなあ、よし、船型の建物を造ろう!!」と思いつき発想がそのまま現実化したのだ。

ベルリンの壁がなくなる時代だった。 担当役員とスタッフ3人だけの開業準備室は大忙しだった。なにもかもが初体験だった。建設費用はともかく、内部に収まるありとあらゆる品物の積算をした・・、家具調度品、レストランに必要な什器、厨房施設、浴場関連資材、ランドリー機械、ユニホーム、人員数と人件費、猛烈に忙しかった。開業に向けてスタッフも増え続け、そのためのヘッドハンティングもした。 1年後の開業は、昭和天皇のご病状悪化で世間は自粛ムードが漂い、予定開業日を延期した。亡くならないで欲しいと願おうのは、開業準備が間に合わないからだった。

そして、ついに12月だったか開業。 4人で始めた開業準備は、オープン時はパート、アルバイトを含め500名近い規模だった。 まあ、目論みはあたり、猛烈に忙しかった。複合レジャー施設であるから、実にいろいろな職種があった。 1年近くは私も現場のフロアー責任者(4階のスポーツコーナー)をまかされた。 そんなバブリー経済まっ只中にいた。

その後、景気も絞まり、2年後はリストラ計画も立てて断行した・・・。 不動産仕事が陰りを見せてきたのを頃合に再び転職し、専門学校の仕事を始めた。 (スポーツクラブとして求人側にあったが、そのインストラクターを養成する専門学校へ転職。スポーツクラブ担当中に子どもの自然体験キャンプ事業を開始したのだが、景気悪化で事業中止を申し渡されていたが、それを継続したがためだった) そこで、北海道自然体験学校NEOSを創立したのであった。

と、まあ、思い出満載、仕事の仕方をたくさん学んだ職場だった。  その後、経営者が2,3回変わりながらのも経営をつづけたビックシップは、3、4年前姿を消したのであった。

       

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