高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

5月25日

2021-05-25 08:43:53 | 日記

Facebookのサービス昨日で「過去のこの日」というのが勝手に時々アップされるのですが、過去の今日を振り返ってみる……、

2019  韓国で開催された東アジア地球市民村フォーラムに参加中。 大邱郊外の韓国食堂で昼食後に小さな村のフリースクールを視察

あれ、もう数年さがのぼって表示があったんですが・・、消えた。

***

渡辺さんの農場の開拓で伐採したタラノキと持ってきて水差しをしていたのですが、ちょうど食べごろなタラの芽になってきた。 このまま、挿し木で植えてみるかなあ・・。

午前中はワラビ採りにも行ってきました。午後は霧雨状態ですが、MRKさんに追い立てられて・・・、ウドを採りに行ってきます。

 
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えぞ接骨院

2021-05-24 05:18:03 | 日記

専門学校の経営をしていた頃の卒業教え子がふたり、札幌で整体師をしているので、年に2,3回は彼らにお世話になって身体調整をしてもらっていたのですが、昨今のコロナ禍で、札幌へは行けないので、娘が紹介してくれた倶知安町に評判がいい、新規開業の「えぞ接骨院」に診療を受けに行きました。 

私の身体状況については数日前のブログに書きましたが、首が痛くて自由に回せないほどでありましたが、おかげさまでちょっとすっきりしました。背骨が固くなっているそうで、けっこう痛くもありましたが・・、よい先生であったので 引き続き通ってみることにして次の予約も入れました。 慢性疾患なので健康保険対象にはなりませんでした。 札幌では急性期扱いしてもらったんですが・・ね。 

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仲良し

2021-05-23 10:59:13 | 自然学校の日常
自然学校で飼われているニワトリは代々ボイスブラウンという品種でした。(写真の茶色)いつも、10羽前後を瀬棚の養鶏家からあまり卵を産まなくなった婆さん鶏と譲ってもらっていました。キツネやらイタチにやられて、そのたびに小屋を補強してきて、今の集団は3,4代目でしょうか。 しかし、小屋の中は鉄網柵で補強したりで万全だったのですが、冬の期間にイタチであろう(まりこさんが茶色で細長った動物を目視)動物に久しぶりに侵入されてブラウンの生き残りは数羽となってしまいました。


そこへたまたま、町内の農家でニワトリを手放したいという話があって譲り受けることになりました。にしては、ブラウンチームが多いので三羽ばかり捌いてスタッフと来校中のボランティアさんと食っちまいましたが・・。そして、10羽ばかりの新人チームが加わりました。 彼女らはカラスのように黒い鶏です。(自然学校ではカラスを飼い始めたのか?と見学に来るひともいました)図鑑で調べるとヨーロッパ系の品種らしきなのですが、元飼い主によると北海道で改良された北海地鶏ということでした。
 
ブラウンは二羽しか残っていないのですが、ゲージの中では争いもなく融合でき、新たな混成コケッツとなりました。ブラウンは人に対して警戒心が薄く(もしかしたら、他者に対してなので、殺られてしまうのかなあ・・)人に懐く(なつく)のですが、ブラックはそうでもない。 ゲージの外に出してもあちこちと出歩かないのですが、ブラウンは、特にそのうちのいち羽(背中にハート形の白い羽があるのでハートさんとMRKさんは呼んでいる)は、ゲージの網を潜り抜けることを覚えた賢さがあります。
 そして、相棒とは仲良くいつも散歩をしています。
 
アタシの仲良しのMKNさんはお元気かなあ・・。
 
もうひとり、MGCさんと三匹の爺さんでまた旅にでたいなあ・・、と思うのでした。
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腰痛話題

2021-05-20 16:04:30 | 日記

倶知安に親切丁寧施術の整骨院があるということを知り、電話をしたところ、評判通りのご繁盛でなかなか希望日と合わなかったのですが、なんとか来週月曜日に予約を入れました。

ちょっと畑仕事をすると腰が痛くなり、肩が張って首を回すにもイテテ、イテテで、ちょっと歩けば息切れしてしまう状況なアタシである。

私の腰痛との付き合いについての以下・・、どうでもいいような長話しです・・・が、関心のある方はご参考に・・。。

 小学5年生の時、教室で机飛びが流行りました。 二列並んでいる机の間を飛んでできるだけ前の両側の机に手をついて、その勢いでどのくらい先へ着地するかを競う遊びでした。 私はけっこうトップクラスで頑張っておりましたが、ある時、飛んで手を付いて勢いをつけた拍子に腰がガクッとしてイテテとなりました。 そして全速力で走れなくなりました。それは中学まで続いて・・・、ついには親に申し出て整形外科病院を受診させてもらいました。 診察結果は、第五腰椎すべり症なることでした。分離までいっていないので、日常生活には支障ないので手術も必要なしとの診断。ではこれからどうしてゆけばいいのかと問えば・・、「腹筋背筋を鍛えて脊椎を支えなさい」というものでした。

高校大学では重い荷物を背負っての山岳生活に明け暮れていましたが、大きな再発もなく過ごし、社会人になってもしばらくは山岳ガイドで30歳中半くらいまでは重い荷物を担いでおりましたが、大過はありませんでした。

そして・・、小林峻ちゃんがぶなの森自然学校のチーフディレクターをしていた時だったので、もう10年くらい前かなあ、始めてギックリ腰を経験しました。 その夏は春先からいつになく一生懸命に草刈をしました。そして、それなりに腹筋背筋を鍛える運動をしてもいました。 夏終盤のプログラムは後志利別川の川下りでした。岩場もありカヌーのポーティング(カヌーを降りて手で運ぶ)箇所も多いということで、私は沿線を車でサポート役になりました。で、待ち時間も多いので、腹筋背筋トレーニングなんかをしていたのでした。 無事プログラムは終了し、カヌーをワゴン車に積んで自然学校に戻り、積み下ろしかたずけに入りました。 子どもたちは何も手伝わずにいたもんだから、「おまえらぁ!! ライフジャケットくらいは片付けろ!」と言いながら、左手で足元にあったジャケットを取り上げた瞬間に魔女の一撃をくらい、その場に崩れ落ちました。ともかくも立ったまま痛くて一歩も動けない初めてのギックリ腰体験でした。その時は、4,5日で動けるようになりました。

次の年の夏。前年の体験があるので、それなりに用心しつつも、仕方がないので草刈は多少作業していましたが、夏本番ではあまり無理なことをせずにおりました。 無事に乗りきった夏終盤、家の犬小屋のそばにある椅子に座って私はホっとして休んでおりました。 ふと足元をみると 愛犬のう○こが目に入りました。かたずけなければと、地面にあった小さなスコップを左手で取ると・・、来ました一撃が。その場で崩れ落ちました。 この時は2,3日たってもちっとも快方しないので、病院にも運んでもらいました・・が、「安静、ジッとしてなさい」という診断。 普通に歩けるようになるのに10日間ほどかかりました。

この二回の体験をもって・・、私の身体は左手を動かした時に腰に負担がかかるらしい、それが危険だと悟りました。 そう思って自分の生活を冷静にみてみると、左手で取って右手に持ち帰る動作が多いと気づきました。例えば、テーブルの上の醤油さしをとる時も、左手でとって右手に持ち変える二段階動作をするのです。 子どもの頃から首は右側に傾けている癖もあります・・。小学生の時、後ろに座っている女の子に「たかぎくんは、どうしていつも首をかしげているのぉ」と言われ、クラス中の女子からマネされいじらました。つまり利き腕でないのに左手の可動範囲が大きくしている・・・。

話は戻して・・・、そして、その後の一年は無事に過ごしたと思うのですが、たぶんその翌年のこと。

 この夏の終盤プログラムも野外にも出ずに事務所本部で待機サポートをしました・・・が、プログラム最終日に緊急SOSが飛び込んで来ました。近くの川原で炊事中に「お湯を沸かしていた鍋をひっくり返して子供が脚に大やけどをした」というのです。慌てて飛んでゆきました。すでに川の水で冷やしたというのですが、明らかに冷やし足りないと判断した私は、当時小4の女の子だったかな・・、その子を横抱きかかえて数m先の深場の川にその子の脚をつけに川原石の中を走りました。 (太腿の半分くらいの広範囲の火傷だったのですが、その後の手当は、たまたま自然学校のキャンプ場にお医者さんパーティがキャンプに来ていたので、応急処置も適切にでき、その後の後遺跡はほとんで残りませんでした・・・。)

その後、腰に激痛がはしるようになってしまいました。 これは整形外科にさすがにゆきました。脱出性ヘルニア診断でした。あまりにも痛さが続くので、手術も考え、セカンドオピニオンをもらおうと別の病院へ行きました。そこで良い先生に出会いました。「手術しても必ず治ることはないよ。何ヶ月たったの?(その時は2ヶ月くらいでした) じゃあ、もう少し、半年くらいは安静を心がけて様子をみませんか、できるだけジッとしていなさい。ヘルニアは白血球が作用して収まることがありますよ」とのことでなんの処方もしてくれませんでした。「ジッとしているだけで本当なのかぁ!!」 その年秋には、中国への長期出張もあり杖をついて歯を食いしばってでかけました。(中国で国家機密級という湿布薬を手に入れましたが、この話はさらに長くなるので止めます・・)

そして、先生がおっしゃったように年があけて二月になり、杖なしでも歩けるように回復しました。

そして、さらに二年おいたくらいかなあ。 なんと、交通事故に合いました。 経緯は別として、ともかくもうつ伏せに倒れた私の背中にゆっくりとバックしてきたワゴン車が通過して、何かをひっかけたと気づいた運転手が、私を乗り越えたあとにまた前進して二度轢かれてしまいました。 ゆっくりと通過するもんですから、背骨がバキバキと折れる音が自分でも聞こえました。 救急車で運ばれ診断は、多発性骨折、脊椎や肺にも損傷がある重症でした。 CPU(違ったか?)にも入る大きな手術を受けて、背中にはたくさんのビス、板やチューブみたいのが埋め込まれました。

おまけに、3か月前には狭心症診断で、心臓の血管を膨らませるステンとやらも埋め込みました。という身体が今のアタシなワケです。 体幹どころか全体がギクシャクしたままここ10年ばかりを生きておるのです。

で、新たな出会いの整体、接骨院の先生に期待しているところです。 

 

 

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初夏のようね・・徒然に・・。

2021-05-20 11:52:53 | 日記

ケキョケキョと練習していたウグイスがホーと前奏が入り始めました。でも、カッコウはまだ鳴いていない。 オオジシギがこの辺りには2、3年前から渡ってこなくなって寂しくあるのだけど、まさか、カッコウまで現れなくなることはないよな・・・。

黒松内の奥の院のカタクリ群落は盛を終えて、オオバナノエンレイソウが咲いていました。



今日は気温が20度近くあがっていると思うのですが、畑にいると小さな虫がたくさん飛んで肌にまとわりつくのでむずいです。(最近の若者言葉のむずいは、むずかしいということらしいが・・、私の意味はわずらわしい、むずむずとする・・)  おろし大根という品種名のダイコンとハツカダイコンの種伏せだけして本日の作業リタイア・・。
 
腰が痛くて、肩周りの固まって痛くて首を回せない・・。 倶知安にある「えぞ整骨院」の評判がいいとのことで予約をした。来週月曜日に行って来ようと思います。
 
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ただ今の旬な花

2021-05-19 15:32:03 | 日記
我が住処のただ今の旬な花は、西洋梨です。 千なり梨ともいうのかな、ひょうたん型の固い実がなります。 自然学校前の道道(どうどう・ 北海道ですから、県道ではない・・)街道筋の家にわりとたくさん見られます。 明治の頃に余市より先に果樹栽培の話があったそうで、その頃の名残なのか、はたまた花が綺麗なので各農家で流行したのか。 一輪が桜より大ぶりで白く鮮やかになり目を楽しませてくれています。

もう一樹は、八重桜です。

これらが終わり、本格的な初夏到来となります。 世の中はコロナ禍でたいへんですが、自然の移ろいはいつもと変わりなくやって来ています。 
なにか不思議なるも、それは当たり前だろと感じる令和三年五月であります。
 
 
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活断層の露頭

2021-05-18 11:25:43 | 震災支援・脱原発・環境問題
ここか??

あまり公に書きたくないことなんですが・・、事実だから・・。
当地は黒松内低地帯と地勢的には呼ばれているところで黒松内・寿都町の町域です。 北海道全体の地図を思い浮かべてもらうと・・、道南のエビの腰がキュット曲がったような場所です。 ここに活断層帯があります。調査があったのですが、ひび割れたように5km、10kmという断層がたくさんあることが確認されています。 断層は地下にありますから、目視することができないのですが、露頭している箇所があるということで、観に行ってきました。
 
露出部分はわずかなのですが、これだなという場所が確認できました。 この細切れの断層帯は積丹(泊まり原発があり、断層があるのかないのかで再稼働係争中)から、黒松内低地帯を通り、噴火湾(内浦湾)を横切って函館まで続いているのはないかという調査研究もあります。  そもそも、こんな場所に原発施設・核ゴミ施設を造る事自体が地質学的にみて有り得ないことなのです!!
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サファリパーク

2021-05-17 13:52:56 | 日記

昭和感ある看板だなあ。 町内であちらこちらで見かけます。

もうすでに閉園しているんでしょうが、 昭和の頃に、こういう動物テーマパークというものが全国にいたるところにありましたよね。 確か、北海道でも美瑛の白金温泉にゆく途中に タイガーパークというのがあった記憶が・・。

閉園したあとに、虎が見捨てられたような飼い方されていて問題になったような・・。

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ほんとに漁港なのかぁ??

2021-05-17 12:36:01 | 震災支援・脱原発・環境問題

寿都湾の浜中キャンプ場に風車通りから入る右手で大規模な掘削土木工事が行われている。 まるで運河でも造っているようだ。 気になって仕方がないので、3ヶ月ほど前に工事現場事務所を見つけた。そこには、漁港工事との看板が立っていた。

令和3年2月11日までとなっているが、今も続いている。寿都漁港とあるが、ここの場所は寿都漁港から直線距離で3,4kmは離れている。顔見知りの漁師さんや町議に聞いてみても・・、知らないという・・。 奇っ怪なり。

開発局に問い合せても看板に書いていること以上の回答はないだろう。 アタシは穿っている・・・。

これは、今は北海道開発庁や農水省予算で漁港づくりを装っているが、ゆくゆくは貨物船港にするんじゃあないかと・・。 核ゴミ積んでくる貨物船港になるのではないかと・・・。

そして、工事継続しているので、再度工事看板を探しに行ったが、見つからない・・・。現場事務所のようなプレハブも撤去されていた・・。ますます あ や し い ・・・。

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隔世遺伝

2021-05-17 12:24:33 | 日記

ブログやfacebookに家族のことを書くと嫌がれるのですが・・、

息子のHKTが大物DIYの大工仕事に来ているのですが、その合間にチャチャチャとテーブルと椅子を作りました。孫たちもいたので、いっしょにそれらにシイタケの菌を植え付けました。 テーブル&椅子は日陰より日向におきたいので、カサが開かないかもしれないけれど、にょきにょき生えてきたら、それはそれで楽しみだな・・。

それにしても、アタシはこういう大工仕事は苦手なのであります。仕組み・システムとコンピューターでないカタチのない人のソフトづくりは得意なのですが、カタチのあるものはてんでダメ・・。 アタシの父親(彼の祖父)は、得意な方だったので、これは隔世遺伝というやつだな。 音楽素養は、アタシの母親の兄弟がバンドを家族でするほどでしたが、この方面は、アタシも父親もダメなのですが、ヤツは得意なのです。母方の隔世遺伝か・・・。 

物づくりも楽器演奏も 歳をとって趣味として技をもっていると、どんなにも余生が楽しめるものかと・・、うらやましいね。

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