高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

いつもの場所へ

2019-05-31 18:02:15 | 日記

5月31日

宿のすぐちかくからリムジンバスでインチョン空港へ。ギリギリではありませんでしたが、お土産を物色する時間もなく、しかし、帰りの飛行機も順調に千歳に夕方に到着し、とみたくんの出迎えを受けて、いつもの場所に帰りつきました。

ちょうど車が黒松内に入り、自然学校への直線道路に入る交差点を曲がった時に、買い求めた平魚泳さんのCDから、「私はここで生きてゆく」という唄が掛かりました。

う~ん、タイミングよく感動したのでありました。 自然学校スタッフが皆あつまって、ひさしぶりのマリコ飯。 

幸せだァ。

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5/30 2019地球市民終了

2019-05-30 17:40:14 | 日記

2019東アジア地球市民村はDMZオプションツアーの全日程を終えて解散です。 平和への祈りを込めたメッセージの木を作りました。 みんな バイバイ、来年は中国昆明ね!! アタシも頑張って参加したいです。

                 

最寄りの駅まで送ってもらい、鉄道でソウルへでました。同行していた韓国人にアテンドしてもらったので、ソウルの安ゲストハウスも順調に見つかりましたが、その後市内を歩いて案内してくれることになり、大造像のある大通り、シティホール、図書館、大型本屋、オーガニック食材店と歩き回り、DMZツアーよりたいへんでした・・・。

夜は、観光客が行かないような裏路地(ゲストハウス横で便利でもあったし、豪華な作りの店よりジモティご愛用なようなお店が好みですので)にある、待ちに待った韓国焼肉を堪能しました。

                 

        

         

 

 

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サンマウル山村高等学校

2019-05-29 17:17:50 | 国際交流

5月29日の宿泊場所は、サンマウル高校でした。ここは中山間集落にあるフリースクールの高校でした。宿舎は集落内の大きな一軒家を二棟借りました。 全寮制で60人ほどの生徒が在籍しているのですが、私たちが利用するために宿泊研修で他へ泊まりかけででかけているとのことでした。 寮といってもいくつもの戸建てが小さな路地に建っており、学校というよりもここ自体が村のようでした。

全体が教室という感じの野外テラスの学習場。

鉄工所並みの道具もありました。

アンケンソン校長によると、設立から20年で10年前にこの土地に建物を構えたとのこと。しかし、ここは政府より補助金を受けているフリースクールなので、構造物・カリキュラムなどが全て自由度が十分にあるわけではないそうですが、畑も田んぼもあり、大きなソラーパネルも設置されていました。できるだけEcoに自給型を目指しているとのこと。 転換・人生・暮らしが大きなテーマ。自然を大切にしたコミュニティの大切さ・自立を伝えたいとのことでした。学費は一般の私立高校と同じプラス寮費だそうです。

なんでも韓国には、旅行学校もそうですが、多様なフリースクールが存在しているらしい。

この日は最終日前夜とあって、ビールもマッコリもたんまりとありました。宿舎に帰っても夜中3時くらいまで話し込んでおりました。

さかなクンの「世界は信じられるかい」の唄歌詞が、すべて「世界」ではなくて、「正解」も含まれていることを知り、その唄の深さに感心したのでありました。

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5/29 今日もDMZを巡礼す。

2019-05-29 16:48:40 | 国際交流

5月29日

昨夜のライブは最後だった。 日本からの参加者のミュージッシャン平魚泳さんが作曲歌う、♫世界は信じられるかな♫は、最高だった。みんなとの大合唱にはまりましたがな。頭の中でリフレインし続けています。

芸術村をバスで出発し小一時間ほどした金浦市の国境付近の小山に登る。この当たりには北からの脅威に備えた城壁がめぐらされていた。時間も限られていたので登頂ならず。(まっ、いずれにしても私は下で待っていましたが・・・)

その後バス移動。山間道を抜けて、水路沿いに鉄条網(針ではなくてカミソリ刃がついているタイプ)フェンスが続く田園のコンクリート農道を5kmほどあるき、昔の高貴な方の邸宅跡の展望台着。ここが今回のウォークの終了地点でした。

     

     

暑かったなあ。

     

舞踏の講師が先についていて、簡単なふりの平和を願う輪踊りをみんなでしました。

 

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5/29 アーティスト村

2019-05-28 16:21:47 | 国際交流

5/28のお泊まり場所は、Pajuという場所のアーティスト村。村と言ってもおしゃれなカフェや雑貨屋さんもあり、宿泊場所もおしゃれな別荘のような場所でした。(記録写真がほとんどなし・・。あまり興味がなかったということでしょう)

オーナーといういう通訳解説だったが、たぶんこの村というよりも街の不動産開発にお金を投じた人で、今も店舗の大家さんかもしれないご老人、チョンホゲンさんは、なんでも韓国でも有名なファッションブランドを創りあげた成功者らしい。ショッピングモールもあり(遠くなのでのぞきに行かなかった)、田畑芸術学校という専門学校なのか、カルチャー教室なのか、そういったことが実施される三階経ての長いビル校舎も遠望された。ただ、話を聞いていると・・・、

「農家の目で芸術をし、芸術家の目で農業をしています」「最高のデザインは種をまいて、育てて実る」「農業をして生命と一体となる」「農業は瞑想だ、周りの生命と一緒になる農業は平和だ」「本当の美しさは田舎にある」「この土地のオーナーはモグラであると気が付いてからは農業がうまくいった」「普通にあるものが大事なものだ」などとはレクチャーではおしゃっているが、建物は散策も意識しているようなおしゃれで体裁もいいが、屋上にあるというオーガニックな畑は貧相なものだったなあ。農的なことをファッションとして見ていて、土や作物とはお話している感じではなかったな・・。(辛口)

 

食事は、同行している旅行学校の学生さんがボランティアでキッチン係でした。何食べても辛いといいながら御満悦の三木師匠。

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5/28 太陽と土と水農場

2019-05-28 14:21:15 | 国際交流

5月28日

昨夜の宿はとある集落(たぶん、柳村里)の公民館の板の間でした。爺さんにはだんだんと辛くなっておりますが、まあ、睡眠はとれています。 

       

昨日、到着後一度見にいったオーガニック農場でしたが、朝に農場主と共に再訪しました。

「太陽と土と水農場」 ヨンチョンという場所かなあ・・。 農場主は松山千春風貌の ryosok Hongさん。この人は大地と生きてきたと感じる存在感が多大でした。 有機農法を展開しているのですが、作物の植え方もとてもユニークに見とれました。 畑の小路のすぐ脇の幅3,40cmの帯状の場所にカボチャが植えてある、ツルが伸び出したらどう処理をするのだろう・・?、葉物の密植・・・。 最初は、日本の有機農法の大師匠である、福岡さんや川口さんの翻訳本を一生懸命読んで実践していたそうだが、そのうち、作物と話せるようになり、「お水が欲しいのか、もっと別の場所に植えて欲しいか」など、作物が、教えてくれる、どうして欲しいかわかるようになったとのことでした。

サイン帳にメッセージが欲しいとお願いしたら、ハングルで、

「壮大な友達、自然と共に幸せになるように・・!!」と書いてくださいました。

本日の歩行距離も4kmほどで楽勝でした。昨日とは別の鉄道路線の国境駅へ。ドランゴ?駅かな。南北開通を目指して近代的な駅舎は新幹線も来そうな感じでした。ここがつながると、シベリア鉄道にも接続され、ソウルからヨーロッパまで鉄道でゆけるらしいです。

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5/28 国境を歩く

2019-05-28 13:34:47 | 日記

5月28日 DMZウォーキング

今日もイムジン河を左手に見ながら高低のある小道を1時間くらい歩きました。 毎日15kmは歩くという事前情報でしたが、全体日程が押せ押せになったり、アタシみたいにゆっくりとしか歩けない人もいるので、短い距離になり私にとってはラッキーではありましたが、歩き足りない人もいただろうなあ。

これはこの日の昼食でなかったかもしれませんが、韓国庶民食堂らしくてとても印象に残っているので、ここに掲載。

第三トンネルという北朝鮮が兵士や工作者を南側に送り込むために作ったトンネル(高さ1,7mほど)を見学。もちろん北側までは行けませんが・・、今の南北問題を象徴するような緊張感を体感させられました。

 

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農場を訪ね歩きながら

2019-05-27 13:56:09 | 日記

5月27日

Pocheanの平和木農場。 DMZツアーの出発点のひとつとなっている。バイオダイナミック農法、韓国有機農法の発祥地だと自負している(今の農場主の2代前から着手)。特別に宿泊施設はなかったが、泊り客が現れすこしずつ手作りで施設を作ってきたとのことでした。で、ここでも雑魚寝泊でした。 (・・・、この農場と宿泊場所がいっしょだったのか、メモにも残っていないし、記憶が曖昧なのですが・・・)

営農面積2ha, 牛25頭、ヤギ20頭、豚?頭、養蜂、やさい60種を家族夫婦とスタッフ一人で経営している。(通訳を介しているので、この数字にちょっと??ですが、私のメモより)、太陽光発電パネルも大きい、バイオ発電も目指しているとのこと。

 

そこからバスでさらに1時間ほどゆき、白馬台へ。ここは軍人の監視団も駐留しており、南の鉄路の終着点でもあった。

北への線路は続いていない・・・。

南北分断の悲劇があるだろうということは、頭では理解していても、心から理解できたとは言えない自分を感じた。

We want be back on track.の文字が南北分断を表していて、物悲しい・・・。

参加者で祈りの輪を作り、ここから、小雨も降る中、イムジン河そいのトレッキング約6kmがスタートした。

 

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本大会閉会

2019-05-26 13:31:22 | 日記

5月26日

本大会の閉会。来年度開催地は中国昆明にしようと合議されました。時期については、COP20生物多様性世界会議に合わせて秋にするか、これまでとおりに5月末にするかは、今後の中国側の実行委員会がたちあがってからの話になるでしょう。

オプションのDMZ(Desmilitarized 非武装中立地帯)ツアーに午後から出発。途中でバスの故障がありパーキングでだいぶんと待たされて、夕方に今夜の宿泊地の農場着。 DMZについての説明があった。

日本人は朝鮮半島の南北は北緯38度線でくっくりと区切られていると思っている人がほとんでだろう。 太平洋戦争終結後に起こった朝鮮戦争は、日本にとっては軍需特需となり戦後復興に多いに景気を潤したのだが、半島ではそうとう多くの戦争犠牲者がでた。アメリカとロシアの代理戦争というよりは、アメリカと中共との代理戦争であったとわかった。その歴史上延長に今の韓国があり、北朝鮮があり、アメリカ、中国が関与しているのだな・・・。 東アジアの近代史をしっかりと勉強せんといけないなあと感じました。

 また、休戦協定が模索されている最中もここかしこで領土獲得のための戦闘が続き、休戦ラインはかなりクネクネとしたおり、その南と北に2km幅でDMZが設けられている。一部はまったく人手がはいっていない状態が80年も続いており、貴重な生物多様性な地帯となっているらしい。我々がトレキングするのは、その韓国側のDMZラインの外側であり、鉄条網を上に配したフェンスが至るところで並行して続いている道を歩くことになっていることがわかりました。

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サンサリ

2019-05-25 12:35:43 | 国際交流

5月25日

昨夜は映画を見にゆかなかった人たちは会場の野外でライブがありました。東京三鷹からの大友さんグループのライブを最後だけ堪能できました。 私より先輩の大友さんのシャウトはすてきです!! その後は、焚き火を囲んでマッコリパーティもあったようですが、私は失礼して就寝。 深夜2時ころだろうか、引けてきた人たちが焚き火くさい匂いをさせて帰ってきて、話はするわ、すぐに大いびきをかく人ありで、12人の大部屋雑魚寝は、まあ、眠れんかった・・。 先に寝ていた三木さんが翌日に曰く・・

「平和を語り、祈っている連中が、こんなことではイカン。 まるで地球温暖化で沈むツバルの住人のような気持ちを味わあったワイ」

早朝は、韓国のヨガ?の先生のプログラムに参加。ゆっくりと寝不足の身体を起こした。 今日は暑そうだ。なんでも北海道が日本で一番暑かったようで30度越え続出、オホーツクでは40度近くまであがったとか・・・。 この時期に正しく地球温暖化、異常だね!!

AMは、昨日のサンサリ集落のサード基地入口のゲートまで散策。サードはもう配備されてしまったので、第一ゲートには反対派のテントはあるものの、物々しさはなかった。のんびりとした中山間地だった。 この村は円仏教の二代目の太師様の生家があるそうで、その後そこを訪ねるグループもあったが、アタシは売店の縁側に地元爺さんに誘われて、韓国焼酎をごちそうになりましたが、昼食に家族が連れに来て先に帰ってしまったので、みんなが帰ってきた時にはバツが悪かったなあ・・・。

会場の寺に戻り、13;30-15:30までは、私も分科会を持って、日本の自然学校と足ものとの黒松内ぶなの森自然学校の照会。15名ほどさんかしてくれました。旅行学校の学生さんが数人参加。フリースクールと混同しながらもの質問を受けて、有意義な時間を過ごせました。

15:30-17:30 は、2020の生物多様性会議が北京で開催されるので、(コノ後、中国昆明開催決定の報が入った)それに対して、地球市民村は何ができるかという坂田さん主宰の分科会に勉強のために参加。国際会議へのNGOとしての参画という、一般的には雲の上のできごと企画でもあるので、アイディア出しはちょっと難しかったなあ・・。  しかし、この東アジア地球市民村自体が、生物多様性の人間の暮らし・文化、そのものであるので、来年の市民村の開催地を昆明としてCOOP20のサブイベントの位置づけにしたらどうでしょうという・・、という提案を大会最終日に行うことになりました。

討論は、同時通訳イヤホンが配られるのですが、日本語でしゃべって中国、韓国語に翻訳される。韓国語を日本語ができる韓国通訳が話し、日本語ができる通訳が中国語にするなど、通訳ボランティアもたいへんなご苦労です。 翻訳機械ポケトークの性能があがっているらしいが、そんな遠くない未来には、イヤホーンみたいに耳に装着して、同時通訳的に会話ができるようになるんじゃあないかな。

夕食後はふたたびサンサリ集落に全員で移動して野外ライブ。 寛平さんや韓国ミュージッシャンも良かったけれど、旅行学校の皆さんのダンスとドラムライブはかなりのクオリティでした。ドラムは20人以上のエネルギーあふれるパワフルなライブとなり、全員で踊りまくりました。その中心にいたドラマー、私はクレイジードラマーと彼をのちのち呼んでいましたが、ずっと学生と思っていましたが、先生でした。それもびっくりだったなあ。

「時には生徒が先生、私たちが生徒」と言っていました。 そのフラットな関係性がすてきでした。

本日も12人での雑魚寝・・・。

 

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