高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

洞爺・青桐の家

2013-09-01 17:23:35 | 日記

本日は気分転換を兼ね、MRKさんとYKPとドライブ。

黒松内の道の駅で開催している野菜マルシェ、藤井さんのワゴンカフェにおじゃましてから、豊浦の道の駅へ、買い物食べ歩き。 洞爺湖の蕎麦屋は・・・構えはいいが、遠出した割には・・、U~~NNという感じ。

かつて体験活動の拠点としていた月浦の青桐の家へも訪れた。 もう、20年前になるでしょうか・・。2年ほど管理しておりました。宿泊体験活動を始また頃です。 ここは東京に住むオーナーから無償で借り受けていました。その後、虻田高校のバレー部が合宿所として使っていた時期もあったようですが、今は廃屋になっています。屋根やベランダも壊れてしまっていました。 背後の木々が大きくなり、森と化して来ていました。

この拠点でもいろいろと経験を積み重ね、ノウハウを作っていったなあ。 来ていた子ども達にはもう30歳になる連中もいます。  古びてしまっている建物を見て、思わず、ありがとうと言いました。

 

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4 コメント

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青桐の家 (あっちゃん)
2016-10-01 14:58:22
35年くらい昔、幼児教育科の学生だった私は、保谷の学習塾「青桐学園」1F「こどものほんのあおぎり」に入り浸っていました。
書店の主だったH先生の奥様から可愛がっていただいていたのに…。
「北海道に子供のための施設を作る」と引っ越されたころまで親交があったのですが、当時の私は仕事、結婚、育児(障害のある子でかかりきりでした)に追われ、「いつか連絡を取ろう」「いつか尋ねてみよう」と思ったまま年月はこんなにも経ってしまいました。

このたび、新聞の中に懐かしい「青桐学園」の名前を見つけ、やっとアクションを起こしたのですが、先生ご夫妻はすでに亡くなられたことを知り、茫然としています。

何か手掛かりはないかとネット徘徊していてこのブログを見つけました。
写真ありがとうございました。
ここなんだな。ここで頑張られておられたんだな。
今は、先生方の夢も廃屋なんだ…。先生ご夫妻も、もういらっしゃらないんだ…。
35年の月日をしみじみと思いました。

ありがとうございました。
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こんにちは (高木)
2016-10-07 17:42:56
コメントありがとうございます。高木と申します。H先生とはこの施設の管理を2年間し、それを(辞退2000年前後)したあと、お会いどころか音信もしておりませんでした。
その後、虻田高校のバレー部の合宿所の時代もあったようですが、今は利用者もなく、ベランダに大きな木が生えてちたり、屋根も朽ちてゆく状態でした。 この施設をお借りしたおかげで、私のその後の仕事のイメージも広がり、今に至っております。 そのことを一度もH先生に報告すらできなかったことが悔やまれます。 そうですか、お亡くなりになられていましたか・・・・・。 合掌。

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ありがとうございます (りゅうさわ)
2017-03-15 15:55:00
小学6年生の途中まで、学習塾青桐学園に通い、物心ついた時から1階の本屋さんに入り浸っていた近所の子供でした。北海道に移ること、そして中川越さんという方が『砂に立つこどもたち ~消えた学習塾の証言』という本で取り上げられ、親がその本を買ってきて以来、30年が経ち、何気なくふと思い出してネット検索したらここにたどり着きました。先生もお亡くなりになっているんですね。お陰様でいろいろと思い返すことができました。どうもありがとうございました。
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りゅうさわ様 (高木)
2017-03-25 12:29:36
こんにちは。ご投稿をありがとうございます。H先生に関わりのある方々がこのブログに到達してくださって、私も嬉しい限りです。子ども達の成長を祈って活動されていた先生の御意志をついで私も頑張ってゆきたいと思いをあらたにしました。ありがとうございます。
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