高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

閑な老人⇒オモシロガリスト

2022-03-24 14:25:46 | 日記

小林さんの追悼フォーラムに参加するために久しぶりに札幌へ行った。 ひと晩泊まって、翌日は観たい映画もあったので札幌をぶらついた。 大きな本屋さんにも久しぶりにはいった。 この頃は、Kindleやアマゾンで本を買うので、はたまたコロナもあって都会の本屋にゆく機会もなかったので、書棚に並ぶ多種多様の本の背づらを見て回るだけでも楽しい。で、気になったタイトルの文庫本を購入。「閑な老人」・・・

まさしく、吾のことか・・・。 著者の文筆家尾崎さんの老後のエッセイ集なのだが、川端康成の掌(たなごころ)小説のようでおもしろく、これがまた身につまされる内容で、気に入った。 帯にあるような「生きているだけでおもしろい。」という境地に私も達したいものだ。 尾崎さんが自称する「怠惰」な性分であるアタシであるが、そのなかでも感性あらば、見るもの聞くもの、感じるチカラがあれば、生きているだけでおもしがれる。まあ、その素養は多少アタシにもあるので、(誰かが言っていた)オモシロガリストにアタシもなろう・・・。

宇垣剛士さんが出演・演出もしているのかな、トアノアイという舞台劇の実写版の映画もシアターキノで観た。自分の肉親がアイヌであったことを知らずに生きてきた若者が、母の郷里にゆき、アイヌの血筋であることに気づき、その地に生きるアイヌと共感し合ったゆくいうストーリーなのですが、劇中でアイヌの男女による勇壮な輪踊りが演じられて時には、心身が震え涙がでた。 もう30年くらい前に、故萱野茂さんの講演を聴いたときに氏がユーカラを唸りだしたときに、慟哭しそうにからだが震えたことを思い出した。その時と同じ感覚におそわれた・・。

私は典型的な和人ではあるけれど、その祖はかなり古いと感じていて、縄文系な人間だと思っています。 アメリカンインディアンの太鼓音の方が和太鼓より身体・心に響くのはもう遺伝子レベルの振動同調なのだと自覚しております。

徒然に書き続けると・・、

アイヌは明らかに北海道や北方諸島の先住民であって、縄文人ともつながりがあるでしょう。 ウクライナへのロシア進撃で日本がロシアへの制裁に加担すると、北方領土返還に停滞を来らすという論調もありますが、北方諸島・樺太の先住民もアイヌやアイヌ民族と同系譜と言われるニブヒなど他の北方民族がそれらの地の先住民であって、それを和人(日本)やロシアが武力で領土化した歴史も事実です。  日本が日米安保条約を破棄しない限り、ロシアは北方諸島返還を本気で考えるわけがない・・・、 なので、大いに理想論ではありますが・・、 北方四島はアイヌの中立自治領土にすべきではないかと考えています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林薫信さんの追悼フォーラム

2022-03-22 11:08:45 | いろいろシゴト

2022.3.20は、NPO活動の師、小林薫信さんの追悼フォーラムであった。 追悼は思いで話だけなく、小林さんの功績を偲んで「NPO・ほんものの協働を考える」というようなフォーラムもしようと、二部構成とした。 一部では私も登壇させて頂き御話をさせていただいた。 二部では会場からのひとことスピーチもした。コロナ禍ではあるが、リアル対面式の会場にはさまざまな活動分野の多数の方々が参加された。そのおひとりおひとりが、百人百様に思い出と感謝を述べられていて、今更ながらに小林さんの偉業を知ることができた。 私の追悼要旨は、せっかくなのでブログに残しておこう・・。以下・・・

***

  • チャンバラ剣志な小林さんに学んだ私・・。

 

ご紹介を頂きました、黒松内町にて廃校舎を利用して自然学校なる子ども向けの自然体験活動や大人向けの自然ツアーや研修活動をしている 黒松内ぶなの森自然学校の高木と申します。 5年ほど前までNPO法人ねおすを経営して、体験活動をする拠点づくりや関わる人材育成をやっていましたが、北海道各地に拠点ができて、それぞれの地域課題に向き合うことも多くなり、全体として統率していても経営リスクマネージメントがままならないので、5箇所をそれぞれ独立させてNPOねおすは解散して、私自身は現在、黒松内の自然学校の責任者をしております。というものの、実質的な経営権は次世代に委譲しているので、ここのところは半隠居状態でありますが・・、

 

1990年頃かな、子どもの自然体験活動と大人向けの登山・ネイチャーツアーを実施する任意団体北海道自然体験学校NEOSを立ちあげて活動を始めました。当時、阪神淡路大震災があり、その支援活動にさまざまな民間支援団体が被災地に入り活躍したのをひとつの大きな契機となりNPO法人に関わる法律が成立したという歴史だったと思います。

当時のNEOSはとある企業活動の一部門として存在していて、会社の都合もあり被災者支援には直接参画できませんでした。同時期に環境系映画「ガイアシンフォニー、地球交響曲」というドキュメント映画があって、その自主上映活動をしていましたので、その売り上げを自然体験活動の仲間たちが被災地で活動している拠点へ寄付しました。 一方で、NPO法人の法制化を目指す、北海道NPO推進会議が立ち上がりました。 当時、私は私自身の活動がNPO活動だとは思っていなかったのですが、その活動を見ていらっしゃったと思うのでうが、シアターキノの中島さんからお声がけがあり、その推進会議のミーティングに参加しました。

 

北12条あたりかな、炭労会館というのがあってその一室でした。 部屋に入ると、ちょっと暗いなかで10人くらいの人たちの視線がいっせいに刺さりました。ちょっとひよってしまって、「あっ、アタシが来るべきところではなかったぁ!失敗したぁ」と、正直思いました。

 その奥の方から、ちょっといかつい私より先輩と思われるおじさんが「あっ、キタキタ、高木さんでしょ、ここに座んなさい」とお声をかけてくださったのが、小林さんでした。

 

 それから会議にも参画し、NPOとはなんたるものかを小林さんや佐藤さん等諸先輩から学習して,あたしの活動もNPOなのだと確認、自己認識してゆき、法人制度が出来申請が始まった、初日に小林さんの提案で、サポセンと富良野演劇工房とねおすの三者で記者会見まで設定して全国でも一番早くNPO法人申請をしたのでした。

 

法人格を得たあとも、当時は若かったNPO経営者として、いろいろと事件・壁がありました。著作権侵害や食中毒騒動で訴えられそうになった時、「銀行で金が借りられず年が越せないNPO」と新聞ニュースになった時、年度末の理事の伸長規定が定款になくて、法人格取り消しになりそうだった時などなど、その時々に的確なアドバイスを頂きながら NPOねおすは生き延びられました。 ほんとうに感謝しています。

 

今日のフォーラムは「協働」を考えることがひとつのテーマだと思うのですが、協働は単に仲良く仕事をすることではないと思います。時にはパートナーとなる行政や他団体と激しく論議する必要があると思います。アイヌ語では「ちゃらんけ」、和人としては、「チャランバラ」をすることも大切です。 相手を致命傷になるほどに傷つけないが真剣に渡り合うことです。 この言葉を私もよく使って実際にしていましたが、チャンバラなる言葉と対処も小林さんから知ったのかもしれない・・。

 

私の世代は、いわゆる学生が中心となった社会闘争の弟世代です。私は千葉の出身で高校には過激な闘士がいると言われていた高校でした。入学当時は2年先輩には竹槍や火炎瓶をもって「成田空港建設反対の成田闘争」にでかけている先輩が大勢いました。私は山岳部だったのですが、その文化祭の展示テーマが「成田闘争」で、文化祭の時には部室には、野営をしたテントやらを展示しました。お兄ちゃん世代は、大学を封鎖し「新宿騒乱」なんて語り継がれる暴力デモなんかで、社会変革を目指して、ほんとうに若い命を落とす人もいた時代でした。 そのおかげで、それがひと段落した私ら弟格は、学生が集まらいように、高校の卒業式も大学の入学式も卒業式もない、管理教育の元で過ごしました。

一方のお兄ちゃん等は、社会人になると、社会改革なんて忘れてしまったように、高度成長時代をつっぱしり。あげくの果ては経済バブルを弾けさせて、失われた30年とも言われるような今の日本を作ってしまいました。

 

その中にあって、小林さんは同じく私のお兄ちゃん世代にも関わらずに、ずっーと、社会変革を目指して、真の市民社会の実現に向けて、もちろん暴力なしで邁進した方でした。

尊敬する兄貴格でありました。

 

ちょっといかつい感じもある兄貴でしたが、「人と人、組織と組織を紡ぎ」続けた人だと痛感、感謝します。

 

今、私はNPOは、それぞれの活動が自分の足元だけの蛸壺化していないか、もっと原点に帰って、「ヒトの幸せとは何か」といったそもそも論をすべきだと思っています。小林さんのように「死ぬまで」行動・活動はできないですが、今改めて、自分が何ができるかを考えるフォーラムと偲ぶ会になることを願っています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シュワルツェネッガーのメッセージ

2022-03-19 14:15:12 | 日記

映画俳優のシュワルツネッガーさんが、動画でロシア人向けのメッセージをアップしたそうで、その内容は英語の教材になっても良いくらいにわかりやすいと、どなたかが言っていて、その翻訳共有したので、私もシェアさせて頂きます。

以下、翻訳文

*****

皆さんこんにちは、この動画を見てくれてありがとう。

ロシア人の友人たちやウクライナで活動しているロシア人兵士にこのメッセージを伝えたい。

君たちにこのメッセージを贈るのは、君たちが知るべき酷い出来事があるからだ。

厳しい現実をお伝えする前に、私のヒーローであるロシア人について話そう。

1961年、私が14歳の時、友人と一緒にウィーンに重量挙げの世界大会を見に行ったんだ。

その時私は観客の一人として、ユーリ・ウラソフが人類史上初めて200kgを持ち上げて優勝したのを見たんだ。

競技が終わった後、私は地球上で最も強い男に会いに行った。

信じられなかったよ。

彼は握手をしようと手を伸ばしてくれた。

彼の手は大きく、少年の私の手をすっぽりと覆ったんだ。

彼はとても親切で、私に微笑んでくれた。

あの日のことは決して忘れないよ。

その後、私は刺激を貰う為に彼の写真をベッドの上に飾り、私自身も重量挙げを始めたんだ。

父はその写真を剥がして、ドイツかオーストリアの英雄を探せと私に怒鳴った。

父は怒りっぽくて、私たちは常に喧嘩をしていた。

父は第二次世界大戦の経験者でロシア人が大嫌いだった。

父はレニングラード近郊で負傷し、彼が従軍していたナチス軍はその都市やその住人たちに取り返しのつかない損害を与えた。

そんな父の主張にも負けず、私はその写真を壁に貼り続けた。

ウラソフ(ロシアの軍人)がどちらの国の旗の下で戦ったかなんて私にはどうでもいいのだ。

ところで、私とロシアとの繋がりはそれだけじゃない。

ボディビルや映画の撮影でロシアに行き、ロシアのファンに会うと更にその絆は深まった。

そしてその中でユーリ・ウラソフとも再会したんだ。

アメリカ映画で初めて赤の広場(モスクワにある広場)での撮影許可を得た映画『レッドブル』(原題:RedHeat)の撮影のためだ。

彼と私は一日中共に過ごした。

彼はとても思慮深く、親切で、頭が良く、そしてもちろん気前が良かった。

彼は私に美しいブルーのカップをくれて、私は今でも毎朝そのカップでコーヒーを飲んでいる。

私は14歳の時から、ロシア人に愛情と尊敬の念を抱いてきた。

ロシア人の強さと優しさはいつも私に勇気を与えてくれたんだ。

だからこそ、ウクライナでの戦争とそこで起こっている真実について語ることを許してほしい。

自分の政府に対する批判を聞きたがる人はいない。

それはわかっている。

しかし君たちロシア国民の友人として、私が話すことを聞いてほしい。

アメリカ政府を転覆させようと群衆が国会議事堂を襲撃した2021年1月6日について、私はアメリカ国民に心からの懸念を持って話をしたことを思い出してほしい。

決して黙っていられない間違った瞬間というものがある。

それは君たちの政府に関しても同じだ。

君たちの政府は、この戦争がウクライナの非武装化の為だと言っているのは知っている。

ウクライナのネオナチ化だって?

そんな事ある訳ない。

ウクライナの大統領はユダヤ系で、彼の父親は兄弟をナチスに殺されたんだ。

ウクライナがこの戦争を始めた訳じゃない。

ナチスやレイシストが始めたのでもない。

クレムリン(ロシアの大統領官邸)の権力者たちが始めたのだ。

これはロシアの人々の戦争ではありません。

それは決して違う。

事実を教えてあげよう。

先週、国連の141カ国はロシアを侵略者と認めロシア軍の即時撤退を要求する投票を行った。

全世界のうち、ロシアに賛同したのは4カ国だけだ。

世界はウクライナでのロシアの行動によって、ロシアにNoを突き付けたんだ。

病院や産院を含む近隣地域全体がロシアの砲撃や爆撃で破壊されている。

女性や子ども、高齢者を中心とした300万人近いウクライナ難民が国を離れた。

更に多くの人々が去ろうとしている。

これは人道的危機である。

その蛮行によって、ロシアは今世界から孤立している。

更にこの戦争がロシアにどのような結果をもたらすのか、君たちは真実を知らされていないのだ。

何千人ものロシア人兵士が犠牲になったことを、哀悼の意を表してお伝えす」る。

彼らは祖国のために戦うウクライナ人兵士と、侵略のために戦うロシア人指導者の間に立たされたのだ。

罪のない人々に向けて投下されたロシアの爆弾は、史上最悪の世界的経済制裁が課されるほど世界を怒らせたんだ。

戦争ではあらゆる人々が苦しむことになる。

ロシア政府は国民だけでなく、兵士にも嘘をつく。

ある兵士はナチスと戦うと言われ、ある兵士はただ演習に行くだけと言われ、ある兵士はウクライナにいるロシア人を守る為に戦うと言われた。

自分たちが戦争に行くことすら知らなかった兵士もいた。

これらは全て嘘だ。

今ロシア兵は、国や家族を守ろうとするウクライナ人の必死の抵抗に遭っている。

これが事実だ。

小さな子供たちが廃墟から引きずり出される様子を見ていると、私は第二次世界大戦の惨状を描いたドキュメンタリーを見ているような気持ちになる。

私の父がレニングラードに到着した時、彼は政府から嘘を吹き込まれていた。

そして彼がレニングラードから去る時、肉体的にも精神的にも壊れてしまった。

彼は残りの人生を痛みとともに過ごした。

背中の骨折や榴散弾による痛みはいつも彼にあの恐ろしい時代を思い出させた。

罪悪感からくる痛みだ。

これを聞いているロシア兵の皆は、私が話している真実の殆どを既に知っているだろう。

自分の目で見てきたはずだ。

私の父のように、君たちには壊れてほしくない。

これは君たちの祖父や曾祖父が戦ったような、ロシアを守るための戦争ではない。

これは違法な戦争なのだ。

全世界から非難される無意味な戦争のために、君たちの命や、手足、未来が犠牲になっているのだ。

クレムリンにいる権力者たちに問いたい。

何故お前たちの野望のために、若者が犠牲にならなければいけないのだ?

私の話を聞いている兵士たちは、1100万人のロシア人の親族がウクライナにいることを思い出してほしい。

君たちが撃った弾丸は全て誰かの兄弟や姉妹に当たる。

空から降ってくる爆弾や爆薬は全て敵ではなく、誰かの兄弟や姉妹がいる学校や病院や誰かの家に落ちてくる。

ロシア国民は、今何が起こっているのか分かっていないことを知っている。

私はウクライナのロシア国民とロシア兵に、ロシア政府が言う事は全てプロパガンダと偽情報であることを理解して欲しい。

そしてこの真実を広めることに協力してほしい。

自国の同胞にウクライナで起きている破滅的な状況を伝えてください。

そして、プーチン大統領へ。

これは君が始めた戦争で、君が先導している戦争で、君が止めることができる戦争だ。

最後に、反戦を唱えている全てのロシア人にメッセージを贈るよ。

世界は君たちの勇気を目撃した。

我々は君たちがその勇敢な行動の結果、苦しんでいる事を知っている。

拘束され、投獄され、殴られ傷付いている人もいるだろう。

君たちは私のヒーローだ。

ユーリ・ウラソフにも負けない力強さを持った君たちこそ、ロシアの真の心だ。

親愛なるロシアの友人たちよ、君たちに神のご加護があらんことを。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Peace

2022-03-17 12:07:08 | 日記

3月も後半へ。世の中落ち着かないままなるも、雪解けは進んではいますが、見渡す限りの95%はまだ白いけれど・・、春は間違いなく来る気配の黒松内です。

冒頭の写真は、3年前?いやもう4,5年前かなあ・・。 「東アジア地球市民村」の大会を韓国で開催して、参加者100名近くと、北朝鮮都の国共地帯を平和ウィークした折のひとコマ。どこだか地名は忘れたけれど、ところどころに監視塔がある鉄条網壁で仕切られたのどかな田園地帯を訪れた最終ゴールの高台です。あちらがわが北朝鮮だったんじゃなかったかな。

コロナ禍で、この大会も2年開催中止となっている、この韓国大会の次は中国西部の昆明大会が予定地で楽しみにしていたのだけれどなあ・・。 2020は開催ができるかなあ。 この大会は、日中台韓の市民活動をしている人たちの大きな集会です。 「我らは漢字とお箸文化圏のモンゴロイドだ!」 「いろいろ国際政治的には課題はあるけれど、市民同士は交流し連帯しよう!」をメーンメッセージに、年に一回、上海、日本、韓国とそれぞれの国で実行委員会を作り持ちまわりで開催をして来ました。 直接的に、中国や韓国の今を体感できる貴重な体験で、私は初回からずっと参加をしてきました。

今は、政治ではなくて、コロナがヒトの往来を分断してしまっている・・・。 早い収束を願うばかりだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出番は終わりかな

2022-03-13 13:05:58 | 自然学校の日常

今日は薄日がさしています。 朝は、子供時代を過ごした千葉県船橋市の真冬の朝な感じだったなあ。(雪融け)水溜りに薄氷が張っているような。。  除雪機がちょっと所在なさげに小屋に鎮座ましましていました。 もう出番はないかなあ。 3月春分のころには結構な冬の終わりの大嵐がやってくるという印象があります。

もう40年以上前の学生時代に、私は十勝のオプタテシケ山へ登山に行きました。 出発前日に知床へ行くという北大山岳部の友人に大学構内で偶然に会いました。 北海道全体が大荒れの連休となり、彼らは知床で帰らぬ人となりました。そのパーティには、大学学部研究室の同期のHと、高校山岳部の後輩であったEが居て、二人とも亡くなった悲しい思い出があります。 この時期になると春分春山が心配な私です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

探検・巡検

2022-03-11 11:22:46 | 黒松内・寿都
3月10日
国道229の岩内から寿都の海岸線沿いに雷電温泉がありますが、随分前に閉鎖されて廃屋になっています。大きなガラス張りの展望大浴場があります。今も国道から見上げることができるのですが、その「内部が植物が繁茂していてジャングルのようになっている」との噂情報があるので、三木師匠と確認にゆきました。

が・・・。


大きな展望ガラスは、割れていて(心無い輩が破壊したのだろう)て、廃墟化しているだけで植物はなかった。 隣接する加藤旅館の露天風呂も同様にガラスが破壊されていて、露店風呂は凍っていました。でも、内風呂には地下水にしてはちょっと温かいかなと感じる冷泉がまだ吹き出していましたが、植物はありませんでした。  あとあと友人のINR情報によると、この加藤温泉の廃業後と思われる写真がツイッターに出されており、それは苔らしき緑が繁茂していた幻想的な写真だったらしいとのこと。 ガラスが割れて冬の寒風極寒のためにコケ類さえ消滅してしまったのかもしれないな。 夏に覗きにゆけば緑もあるかもしれない。
 
そして、もう一箇所、伝聞情報だけだった、岩内にあるという大仏さんを拝みに足を延ばした。 観光協会へまず行って聞くと、それは 帰厚院というお寺であるそうで、さっそく探しにゆきました。 バカナビに振り回されてクルクルと市街地を徘徊しましたが、そのお寺を見つけました。
 
あった!!
なかなか立派なお大仏様でした。 なんでも鎌倉以北で最大であるらしいです。 御本尊のお釈迦様はこの大仏様のおなかのなかに奉納されているとのことでした。 このお寺さんは今でもコミュニティ性が高く、地域向けのいろいろなイベントを定期的に、たとえば、カレーライスの日、駄菓子屋の日など、開催をしているとのことです。
 
夏目漱石が岩内に戸籍をおいたという話も聞きました。(1892年・明治25年4月5日~1914年・大正3年6月2日までの22年間も岩内郡民であった) このお寺ではないのですが、当時の北海道はまだまだ和人が押し寄せていた開拓時代で、北海道戸籍の若者は徴兵を逃れることができたらしい。(食糧生産、資源開発のため)・・、そのためという説もあるらしい・・、しかし、実際には移住し住んだことはなくて、東京で新聞社に勤めたり、ヨーロッパへ留学もしていたという事実があります。徴兵制度が解除されて再び戸籍を東京に戻しました。 常時戦時下みたいな時代に簡単に戸籍の移動はできなかっただろうに、岩内在住の三井財閥系の御用商人に紹介を繋げてもらったらしい。 著名な誠実文豪というイメージがくずれてしまうようなエピソードだなあ・・。
 
その戸籍を作った港に近いその地番には、近年の建立であるが記念碑が建っているらしいので、これも伝聞ではなくて、この目で確かめに行ってこようと思う。
 
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徒然に・・・

2022-03-08 11:17:26 | 日記
面白そうな本を見つけました。 漫画家の本庄さんによる劇画化もコミック誌で進んでいるようです。
まずは、Kindle版で小説を入手しました。
 
 
今年も雪融けクイズをはじめましたが、facebookのお節介昨日で、3年前の同じ各度からの学校の教室窓したの写真がアップされました。それによると、この雪山(屋根からの落雪たまり)は、もう溶けていて、土手の土が見えていました。そうとうに雪の量が違うと今更ながら、今年の雪にびっくりしています。
 


昨夜の夢も面白かった。 CD(キャビンアテンダンス)さんから森のインタープリター(ガイド)に転職者を募り当校の研修生になるという、その入学の日のできごと騒動でありました。 入学式は午後からで、その朝には仲間と山登りにゆくというのが第一幕。 出発にあたって、買って用意していた装備を店に預けたままだったので、それを取りにゆく場面の騒動からスタートしました。 第二幕が入学式でした。 既存スタッフとの対面式でのアタシの挨拶はなかなか素晴らしいものでした(これぞ自画自賛)。 式は終了したが、式次第で飛ばした次第があったので再招集し、宮本専務理事の挨拶が始まるところで目が覚めた・・・チャンチャン。
 
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォーラムつづき

2022-03-07 16:52:30 | プログラム 研修、講演等

直接抱えている仕事が少なくなったので、年度末感が薄いのは、良いことなのか、寂しいことなのかのか、我が身の日々は大きな変化もなく続いていることは、世界情勢からみれば、それだけで、実に平和なことなのだなあ・・、と感じています。

とはいえ、3月には規模の大きなフォーラムに3つ関わっています。 3月5-6日は、北海道自然体験推進協議会(通称:えぞCONE)と環境教育学会北海道支部との合同フォーラムを、まず第一弾として無事終えました。 幼児の自然保育と環境教育・ESDをテーマにして、自然体験活動の実践者と教育関係者が中心の集まりをZOOMで行いました。100名近くが発表・視聴参加してくださいました。 事前申込みはもっと多かったのですが、当日に繋いでくださった方は減ってしまいましたが・・。 Zoom配信は無料参加設定だったこともあるのもその一因なのかなあ・・。 かくゆう私も参加申込みをしていて当日は繋がないで終わってしまったというようなZOOM集まりもあるからな。 参加が手軽になったぶんに、モチベーションが希薄化しているのかもなあ・・。 とはいえ、ひとつテーマでリアルでも100人規模のフォーラムやミーティングを開催するのはコロナ前でも難しくなっていたので、 100人も集まれば上出来だな。 開催事務局の中心だった、当自然学校のチコちゃんの仕切りが素晴らしく、余は満足じゃ。

さて、次は北海道メジャーグループフォーラムなるものが 3月13日にあります。

北海道メジャーグループプロジェクト2021 
全体ミーティング <オンライン開催>

「北海道メジャーグループ・プロジェクト2021」(主幹団体:北海道地方ESD活動支援センター、さっぽろ自由学校「遊」)では、北海道において、持続可能な社会づくりのために「誰一人取り残さない」ことを目指し、3つの問いについて対話を行ってきました。昨年は未来に対する具体的なアクションやビジョンが見えず苦労した場面もあり、今年は昨年の宿題から取り掛かり始めました。まずは未来を描けるようになるためにシナリオプランニング勉強会としてキックオフミーティングを行いました。
 その後各グループでグループミーティングを実施し、今に至ります。私たちも打ち合わせやグループミーティングを行う中で、「生活に結び付く深刻な課題」や「同じ立場なのに起きる断絶」「未来に対する言い知れない不安」など、様々なことを感じてきました。グループだけでも10もあり、共通言語も違いますが、よりよい未来を一緒に考えたいという気持ちは同じです。
 全体ミーティングでは、それぞれのグループミーティングで話されたことを発表します。
 あなたとは違う属性から見た世界を覗いて、迎えたい未来について考えてみませんか。
 もしよかったら来年、プロジェクトに参加しませんか。
 今年は昨年のプロジェクトからパワーアップして合計10グループの発表があります。
 それぞれの立場から見えること、感じていること、切実な課題などについて話を聞くことで、「誰一人」について考えてみませんか。

[日 程] 3月13日(日) 13:30~16:15
[対 象] メジャーグループプロジェクトに参加したことのある方、興味のある方
[参加費] 無料
[申し込み] こちらのフォームよりお申し込みください
https://forms.gle/sHUcGhqPesNN5ZFC6
[開催方法] オンライン(Web会議システム「Zoom」を使用)
[プログラム]
■各グループからの発表 ※()書きは発表者
・企業(清水誓幸) ・協同組合(石本依子)
・NPO/NGO(桑名智子) ・地域コミュニティ(本井祐太)
・研究者(山中康裕) ・農民(荒谷明子)
・先住民族(結城陸) ・ユース(長谷川友子)
・女性(久世ののか) ・障害者(小谷晴子)
■参加者間の話合いと共有

[主 催] チーム「北海道メジャーグループプロジェクト2021」、
     北海道地方ESD活動支援センター、さっぽろ自由学校「遊」

◆ そして、もうひとつは、NPO活動の先駆者であった 故小林薫重さんを偲ぶフォーラムです。北海道NPOサポートセンターが主催します。

その追悼フォーラム「NPOの今と未来、改めて協働を考える」をテーマに開催します。(ZOOM&リアル)、 ぜひ、今を担うみなさんにも参加して欲しいので、ご案内します。 詳細、お申し込みは下記HPより⇒

 
よろしくお願い致します。
--
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワイパー

2022-03-05 18:32:40 | 日記

今日は吹雪いてはいないけれど、嵐のような風でした。 これが春一番になればいいのになあ・・・

雪国では車を(長く)駐車するときにワイパーを上げます。  これは、車を止めた時にはフロントガラスが暖気であったまっているのですが、そのままだと凍ってしまい、ワイパーがガラスに張り付いてしまい、翌日に無理やり剥がそうとすると、ワイパーのゴムがちぎれてしまうことを防ぐためです。 ワイパーには冬用と夏用があり、毎度交換をしています。タイヤばかりではなくて、北国は車も費用がかかります。 ウィンドワッシャーも 零下20度、30度対応のものを使用するのであります・・・。

はーやく、はるよぉ~ こい!!

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お雛様

2022-03-04 14:19:53 | 日記

週一回、黒松内教委で開催している英会話教室に通っています。フィリッピン人の先生なのですが、けっこう楽しく受講しています。 その中で、「What's your hobby?」で会話をするレッスンがあって、そう問いかけられると「。。。?」すぐに応えられないアタシに気づいてしまいました。 まぁ、若い頃は明らかにMountineering・山登り」でしたが、最近は健康のために時たまスノーシューで周辺を歩いているだけだしな・・・、と、ちょっと思案して、「あっ、writingかもしれない・・」と気づいたのでした。 で、Facebookでは毎日のように書き込みをしているのですが、どうもブログが滞り気味だなあと反省しているわけです・・。  で、今日はお雛様話題。

我が家には亡くなったお袋から引き継いだお雛様飾りがあります。弟しかいない家庭ですので、長男のアタシがもう20年近く前に引き取りました。 お雛様は、たぶん明治大正期のお顔立ちで、左右大臣、三人官女、五人囃子も揃っている5,6段飾りの立派なものなのですが、雛壇は壊れてしまって、皆さんを段飾りすることはできません。 細かな持ちものも古いものなので、無くなったり壊れたりもしていますが、まあまあ立派なお雛様です。 お姫様の髪は人毛なのか、白髪が現れたと戰いたこともありました・・・。  この節句でも出そう、出そうと思うだけで日が過ぎてしまいました。なんと3年間も幽閉したままです。 3年前に飾った時も3年ぶりだと当時のブログにありました。 虫除け剤の交換をしないことになったので、大丈夫かなあ・・・。

うちの家系はどうも女性が現れにくいのですが、(というものの、我が子は1男2女であった・・)次女一家のところに一昨年前に初孫娘が誕生しました。大きな一軒家に住んでいるので、引き継ごうとしましたが、断られてしまいました。 連れ合い方の実家から今風のお姿お顔立ちのお雛様とお内裏様のケース入りのお飾りが贈られたようでした・・・。 いわゆる「外孫」にだから仕方がないな・・・。

お箱も古びてきているけれど、たぶんいいものだと思うので、お二人だけでもケースでも作って納めてあげるかなあ・・。 それとも、供養するか、寄付するか・・。  房総の方に古いお雛様を引き取ってくださるお寺があるとも聞いたが・・。 いずれにしても こんな可愛そうな扱いをしていては、そのうちに罰が当たるかな・・。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする