高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

また降りました。

2018-11-30 12:51:09 | 日記

また、降りました。 この時期は目まぐるしいよなあ。積雪は5cmほどでしょうか・・。どんよりした空なので まだ降るでしょうかね。 心身が冬仕様になっていないので、妙に寒く感じますよね。

週末は土日は、ぶなの森自然学校同窓会を開催します。スタッフを経験した人を中心に30人、子弟も含めて40人くらいが集合し、にぎやかになります。 自然学校は設立準備年から数えて20年、来年度は事業開始20周年となります。 NPOねおすと違って、毎年のようにスタッフの顔ぶれが2,3年で一新するような運営を続けてきました。 メーンの事業の夏の長期村も、「同じメンバーで次年度もできたら、よりバージョンアップするよなあ」と思い続けて20年。 そのノウハウは高木自身しかたまらない・・が、自然学校としてのノウハウがあるから、スタッフが変わってもやり続けてきた。

来年度は、ぶな森事業開始の20周年だ。 順調過疎地域にあって、地域での役割も見直して事業再構築が必要な時にある。過去のスタッフも集まる中で、次への考えをまとめてゆきたい・・・。

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根雪ならず。

2018-11-26 14:00:48 | 日記

陽が照って、大気音はひとケタでしょうが、日だまりはプラス22度もあります。 根雪とはなりませんでした。ホっとしているというのが、素直な気持ち。

雪が溶けたスキに薪割り機を外のピザ窯の薪ストック場に運んで、割ってない玉切りの材を割る作業場にして置くかな・・。思った時が吉日、運び出そう・・、裏の雪も消えたかな・・・。

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なぜ、逃げてはいけないの?

2018-11-25 11:11:06 | コラム風味

「なぜ、逃げてはいけないのか」 中学生の新聞投稿に目がとまった。

「動物は本能的に逃げて生き延びるのに、人間は逃げると怒られるのはなぜ?」という問いかけ・・・。 そんなことは、考えてもみなかったが、逃げるという行為には ネガティブ、後ろ向きなプレッシャーがあることは確かだな。児童期から思春期に入る子ども達には周囲からつきつけられる圧力であろうな。 この時期に、「立ち向かうか、逃げるか」の対処方法を学んでおかないと、大人になって困難にあった時に生き延びれなくなってしまうだろう・・。

 同じ質問を面と向かってされたらどう答えるだろうか・・・。

結論は、「逃げてもいい」というか、自分の身を守ることは攻めだけではないということだと思うが、この文章を書いている子は、「逃げ場」がない、逃げることを許してくれる環境がまわりにない、と感じているのかな・・。 それは不幸なことだ。

というよりも、社会全体が逃げ場を用意していない、逃げた者は脱落者でなまけものだというレッテルを貼る傾向にあるのだと思う。 自分の心身を痛めるような状況からは逃げてもいいのだ、と教える必要があるだろう。

 一方、がんばることも必要だ。私たちは、子ども達のココロの安心の領域を広げることを活動の大きな目標にしている。これは少しずつ、子どもが新しいことに挑戦する気持ちを広げてあげようという試みだ。いつもと違うことする、いつもと違う場所にゆく、いつもと違う人に出会わせてあげることでそれは育まれてゆく。それはちょっと勇気が必要なことでもあるが、その体験を達成すると、自信もつく。その体験は相手に反応を与えることもある、感動を与えることにもある、自分の為したことが、相手に影響を与えることに気づくことにもなる自己効力感を得ることにもつながり、さらにはそんなことができた自分を肯定することにもなってゆく。 自分の前にある困難を乗り越える力の源泉にもなるのだ。

こういった練習を子どもの頃にはたくさんした方がいい。 鬼ごっこや隠れんぼは、逃げ通せた、捕まえた、隠れられた、見つけたという単純な行為ではあるが、子どもの発達段階にはとても重要な遊びだと思う。

動物には知識を知恵としてゆく行動ができなから、弱者は強者から逃げることで命を守ることになる。しかし、人間は困難に立ち向かうために、知識や技術の獲得、そのうえでの知恵や技術の開発が可能な能力も有している。逃げるだけでない、命を守る方策も得ることができるのだ。 逃げるが立ち向かうかの選択もできるわけだ。 大人になるということは、その選択を自ら判断してよりよい方向に迎えるようになるということだと思う。

逃げてはいけないと詰め寄る大人だけに囲まれて生きる子どもは辛いね、不幸だね・・。

こう書いた、ココロの気持ちを表現した子には、まわりの大人は、ちゃんと寄り添ってあげないといけないね。

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老朽化

2018-11-24 12:08:16 | 日記

先月の地震停電の前日には台風の倒木で断線しての停電もありました。 北電や電気工事屋さんが来て復旧はされたのですが、その復旧時に大きな電流だか電圧がかかって、校舎の暖房の集中制御盤が壊れてしまいました。そのため各部屋の暖房機が稼働しないという事態になっています。つまり復旧しないまま、冬に突入状態なのです。ストーブ本体は石油燃料ですが電気がないと点火しない、それもかなり古いものなのです。 制御盤も部品が廃番になっていて調達ができない・・・。 他の廃校舎から持ってきて応急処置をし、ストーブも徐々に交換するという方針はたったのですが・・・、なんと年明けまでかかるというとう肯定!!!

その間、主催フォーラムやらの催事、冬休みの子ども事業もある・・・、ポータブルストーブをかき集めて 乗り切るしかないなあ・・。

            

厨房機器ももう老朽化していて、調子が悪いし・・、なにもかもが老朽化状態・・・。 現状下では、行政が大改修してくれるあてもなし・・・、数年前に屋根や体育館の窓枠などの改修の大工事がありましたが、そろそろ本体自体も危うい・・、それらも含めて、黒松内ぶなの森自然学校はどうあるべきか・・・、来年度は創立20周年なのですが・・、その後の中長期計画の根本に関わりますがなあ・・・・。

まっ、私自身も老朽化していますがね・・・。

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連休の来訪者

2018-11-23 18:45:06 | 来訪者

巷は三連休なのですね。 黒松内ぶなの森自然学校のメンバーは、いぶり自然学校、札幌まるやま自然学校、大雪山自然学校との合同事業で白老のポロトキャンプ場に泊りがけで、私はひとりお留守番をしています。

いろいろと抱えている悩みがなかなか脱却、方向性が見えないのを心配して、兄貴であり茶飲み親友で師匠である三木さんが雪の道路を「清水さんの舞台から飛び降りる」というたいそうな決意で訪ねてくださいました。 三木さんはお酒をあまりお飲みにはならないので、勤労感謝の休日は、薪ストーブを囲んでぬくぬくと、お互いの老後のありようをエンカウンターカウンセリングをしておりました。 私は論理だった会話も雑談も実は苦手でして長々と御話をすることができないのですが、三木さんとだけは、ながながと、時にはどーでもないことも含めて「おしゃべり」ということができる唯一無二の貴重な、友人とは呼びきれない大切なお方であります。 ありがとう三木さん。

三木さんと話しているうちに、次女家族が訪れて来て賑やかとなり、三木さんが貴札されると、東川の鳥羽さん一家も訪ねてくれました。

              

 こうして、訪ね先となっていることは、とても嬉しいことです。 「Myいなかづくり実践研究所 所長」という、お遊びな肩書き名刺も持っているのですが、「死ぬまで、ここに居ること」が我がミッションであるなあと、想いを新たにする初雪が根雪になるような日でした。

 みんなありがとう。

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黒松内新名跡

2018-11-23 15:24:13 | 日記

立派な土台基礎の上に電柱看板が立ちました。 なんだが史跡の碑のようにそそり立っております・・・。

雪も降りました。このまま根雪になってしまうのでしょうか・・。

 黒松内スタッフは、白老ポロトキャンプ場で他の自然学校と協働開催の子ども活動へ出ている連休です。 私はお留守番。 先輩であり、兄貴であり、自然学校の運営副委員長の三木師匠が心配されて・・、ご来松するので、待っております。

 

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降りました

2018-11-22 19:07:36 | 日記

待っていたわけではありませんが、やっと初雪が降りました。 なんでも、こんなに遅いのは100年以上ぶりらしいです。

たしか昨冬は雪は早かったけれど、その後12月は降らずに 年始も除雪をほとんどせずに過ごせたような・・・。 今冬は、これからはたしていかなるようになるんでしょ・・・。

来年度に向けて、町のいろいろな方々と御話をしています。人口が3000人を切り、順調に過疎化が進んでいる黒松内町。このままでは、自然学校もたちゆかなくなるんじゃあないかと危機感を募らせています。 即効薬的な処方はないですが、3年くらいのスパンを持ってこれからを考えないことには・・、と思っとります。

      

カヌー達も所在無く、体育館に整列し、片付けられる冬眠を待っています。

君らにとっても出番がある楽しい夏を来年もつくりだしたいね・・・。

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看板移設

2018-11-21 14:25:33 | 日記

移設看板が立ち上がりました。立派な土台に乗ったのですが、元あったところから5.6m内側に入ってしまいました。

道路からはすぐに確認ができません・・。校門柱も撤去されたのでますますわかりにくい。すでに近所の人も車で通り過ぎてから戻って来ています。 これから歩道拡張と側溝移動もあるので、来年工事完成してから、手作りで見つけやすい看板を作らないといけないな。 

キャラクターのまっくろ黒松内助の旗でも作るかなあ・・。

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歩道拡張工事

2018-11-20 15:12:03 | 日記

なんとまあ、また投稿に日が開いてしまった・・。 当然に閲覧アクセス数は順調に落ちてしまったのですが、それでも毎日、私のブログをのぞいてくださる方々がにはたいへんにもうしわけありません。 facebookは日に、2,3度は投稿を続けているのですが、日々のできごとが表面的レポートになってしまいます・・・。 ブログは考えながら書き込みますので、自分の記録にもなります。もうちょっと以前のように日々投稿を心がけたいと思います・・。

さて、自然学校の前の道道(どうどう・他府県なら 県道となりますね)の歩道拡張工事が実施されることとなり、並行して走る排水路も同時にずらさなければならないのです。その測量はすでに春先までに終わっていました。水路には傾斜をつけたノリ面幅もあるので、現在の道路柵が3mほど敷地内に入り込むことになります。 そのため、小学校時代の門柱、現在の自然学校の看板柱、門柱横の樹木は移動、白樺並木は伐採することになっています。 けっこう大工事となり大型重機も入っています。 この拡張のために住宅の一部かかり、近所では建て替えもあるようなのですが、当地のニワトリ小屋や納屋はギリギリ用地にかからず残置されることになりました。 う~んnnnm...建て替えのチャンスだったのに残念。

地面を掘って電柱を使って自作で建てた自然学校の看板はそのまま移設となるのですが、基礎はコンクリートの立派なものになるようですが、そもそも敷地が道路より低いので、さらに目立たない看板になってしまいそうです・・。 新しい歩道と側溝が完成してから位置を決めたかったなあ・・・。

霙が降ってきました。 もう誰もいないと思っていたのですが、ブルーシートに覆われた基礎工事部分からポンプが動いているような音がする。水でもでたのかなと思い覗いてみると、工事のおじさんがひとり、コンクリートの整地をしており、お互いに鉢合わせしてビックリしましたがあ・・。 あと、4,5日かかるとか・・・。

 

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日本環境教育フォーラム清里ミーティング

2018-11-19 14:21:48 | 日記

11月16-18日は山梨県清里で開催された日本環境教育フォーラム(JEEF)の清里ミーティングに参加しました。毎年開催される環境教育をキーワードにした全国大会なのですが、もう32回目の開催なのだそうです。初期の頃には生まれていなかった若者も大勢参加していました。 私が参加したのは、4.5回目の大会からでしょうか・・・。 北海道自然体験学校NEOSと称して活動をしていたころでした。 最初は、環境教育という言葉すら知りませんでした。

 NEOSを立ち上げた頃とほぼ同時に、札幌で丸山博子さんも独立して活動を始めていて、彼女のオフィスにご挨拶に伺ったおりに、「今、名刺を印刷するわ」とプリンターからトォッ・トォッ・トォッ・トォッとプリントされて出てきた名刺(カレンダーの裏紙を使用したもので、それまでサラリーマンだった私は、そのこともビックリした)の綴りを,目の前でハサミで切って渡してくれたのが、「丸山環境教育事務所」でした。「この名前、カタイかしらぁ!」なんて聞かれて、戸惑った覚えがあります。これが、環境教育という言葉にまともに出合った初めてじゃあないかなあ・・。

札幌の中高年齢者を対象に自然散策し山岳ガイドをしていて4,5年・・、今後の展開に悩んでいた頃に、環境教育をテーマにした大きな全国大会があるということを(たぶん丸山さんから)知り、清里へでかけてゆきました。 清里の初期は、自然保護や日本野鳥の会をはじめとする自然観察系の参加者が多く、初日のオープニングの全大会に足を踏み入れた瞬間のアウェイ感はハンパなく、「くるべき場所でなかった」と思い、ひるんで会場内に一歩踏み出せなかった思い出があります。

その時、会場の遠くから・・、 「あっ、来た!来た! 北海道の高木さん でしょ!?」と大声で前方から声をかけてくれた人物がいました。 それが国際自然大学校NOTSを創設した佐藤初男さんでした。 嬉しかったなあ・・、初対面でしたが、野外・自然教育を生業として一歩先にあったNOTSのことは知っていたので、ホっとしました。 この大会でのスペシャルゲストは、アメリカのヨセミテ公園でインタープリター(当時はその名称も役割も知らなかった)を職業としているアン・ロベッタさんでした。彼女の物語を演じるストーリーテーリングという手法には驚きました。 環境教育といういかめしい名前の活動には様々な手法があるのだ!!!

3日間の大会でさまざまな刺激を受けました。 そして、自然への旅、子どもの野外活動も環境教育活動であり、多くの人々が参加体験しやすい活動なのだと確信するにいたりました。それから、私たちのやっているネイチャーツアーや子どもの自然体験活動を「自然体験型環境教育」と自称し、それは、啓発性がたかい大きな環境教育活動の領域なのだと胸をはって標榜するようになりました。

あれから30年もたったんだなあ。 さまざまな手法で自然体験型環境教育に傾注し、自然学校という活動ジャンルを作り出し、私もJEEFの理事の仲間入りもしました。それが、時代をへて、当時からの仲間達は還暦を越えるようになってきました。 若手より経営者側にいるような年寄りが増えてきたJEEFの清里ミーティングにちょっと違和感を覚えるようにもなり、55歳になったら清里にはゆかないという自己目標??を立てて、しばらくご無沙汰もしました。 そして、JEEFが公益財団に変身する際には利害関係があるような自然学校の経営者は理事も去ることになりました。 

3年前でしょうか、JEEF設立30周年を機会に清里ミーティングに「過去の人々」にお呼びがかかり、再登場をしました。 まだまだ年寄りも多くて、参加者からは「常連の集まりのようだ」という若い人が入りにくいというような感想もでたりしていました。

そして、ESD持続可能な社会への教育が時代のキーワードになり、そのゴール目標をまとめたSDGsが大きなテーマになり、ミーティングの雰囲気がここ2、3年で変わって来たように今年は感じました。 60歳になって再登場した3年前は、音楽好きの理事のバンド演奏があったりで、わざわざと山梨まで来ての、ワクワク感が得られませんでした。まあ、歳をとって感性が鈍くなったせいもあるでしょうが、「ここから何かが変わる」という期待が持てなかった・・・。

ところが・・・、今年は Transformationがキーワードと、初回から3回目くらいの参加者、若い人が増え、何かが変わってゆきつつあるという確かな期待感が持てました。 30代の若手が話す内容にSDGsを咀嚼して、環境教育に取り込んでゆく姿が見えました。正直言って、私にはついてゆきない分かりにくいこともありましたが、新しい胎動が始まっている感が持てました。

爺婦(JEEF)と自嘲していますが、同窓会的古株参加も少なくなってきたなあ・・・。

新しい取り組み事例を聞いてワクワク期待感も持てましたが、一方では、なにかSDGsがうわっ滑りしている感も否めなかった。 幸せに暮らすとは? いのちとは? コミュニケーションとは? といった泥臭い部分が希薄になっている感じもありました。

「年寄りの冷や水」なんて言われない程度に、この泥臭い部分はやってゆかねばならいない、それが ジジババの役割だろう??とも思った三日間でした・・・。

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