よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

「真田丸」効果-和歌山県九度山町

2016年05月06日 | 和歌山
Kudoyama Town, Wakayama Pref.

さてさて、和歌山県九度山町にやって来たワタクシは、世界遺産の慈尊院と丹生官省符神社を訪ねた後は
町の風景を楽しむことにしようと、まずは南海電鉄の九度山駅に向かいました


あらあら、もう駅が「真田丸」しているじゃああーりませんか。赤地に六文銭…やりますなぁ


駅から北に向かうと「真田のみち」と名づけられた商店街があるんですよ。
これは今回の大河ドラマに関係なく、以前からこの名前でありました


町中の民家の軒先には、このような提灯が掛けられてありました。町が「真田丸」一色のような状態です。
ワタクシ、数年前に「龍馬伝」が放映されていた時に長崎に行ったのですが、長崎は龍馬が亀山社中を設立し、
ゆかりの深い土地でした。長崎のいたる場所が「龍馬ゆかりの土地」を宣伝しておりました。
また、京都の伏見に行ったときには、「寺田屋事件」の寺田屋などは長蛇の列が出来ておりまして、
大混雑しておりました。この時にワタクシは、大河ドラマの経済効果の大きさを実感したのです


あらあら、「真田十勇士」もずいぶん可愛いイラストになっていますね。
真田十勇士の大半は架空の人物ですが、実在の人物だと思っている人も多いようですね


「子供の日」が近いということもあり、鎧兜を飾っているお家も見受けられました。これも真田仕様なんですね


九度山の町には古い歴史を感じる町並みが、残っている一画もあるんです


この町で真田昌幸と信繁親子が暮らしていた時、二人の胸の内にはどのような思いがあったのでしょうね


特に流人生活によって気力体力が衰え、病気がちになった昌幸は忸怩たる思いでこの地で暮らしていたのでしょう


真田昌幸・信繁親子は全国的に人気は高いようですが、特に関西では九度山にゆかりがあるということと、
大坂冬の陣と夏の陣で信繁が獅子奮迅の働きで豊臣家に忠誠を尽くしたということもあり、人気が高いですね

使用したカメラ:FUJIFILM X-T1


中学校の時に友人がこんなことを言ったんですよ。「なあ、あと1000年もしたら歴史の教科書ってこれからのことが
どんどん書かれるわけやろ。ほんだら教科書が今の二倍くらいになるやん。覚えなあかんことが増えるから大変やな」と。
1000年後の歴史教科書に、平成の時代ってどう書かれているのでしょうね



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