ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の始まり(3)

2018-07-21 20:36:57 | 水戸

写真は、望月安雄著の「泉町物語」にある活動写真館・泉館の場所を示す図です。

 

営業写真家
 明治5年に宇佐美竹城が、神応寺道向かいあたりに写真館を開業したそうです。当時300円もした英国製レンズを買うために、常陸太田の実家や土地を売ったそうです。その後何人も館主はかわったそうですが、戦災まで写真館の営業は続いたそうです。

 

西洋料理
  明治20年に水戸中学校の校長として水戸に来た渡瀬寅次郎が、欧米文化を知るには料理がよいと、コックを東京から呼んで西洋料理店を開かせ、調理法の普及をはかったそうです。渡瀬は札幌農学校の1期生で、クラーク博士の薫陶を受けてクリスチャンとなり、明治18年にはロンドン万博事務官としてイギリスへ行ったそうです。二十世紀梨の命名者でもあるそうです。

 

活動写真の常設館(映画館)
 それまであった、勧工場(かんこうば 今のデパートのようなもの)・水戸館のあとに活動写真常設館の「泉館」が建てられたそうです。場所は水戸京成百貨店の道向かいで、大正3年か4年だったようです(上の写真では大正5年になっています)。大正5年の三の丸小学校の日誌に「教育活動写真を希望者に観覧させる。サンフランシスコの夜景、インド象の材木運搬、ジャンヌダークなどが上映」とあるそうです。その後その地は、水戸庶民金庫、水戸京成百貨店になり、百貨店は道向かいに移ったそうです。

 

自動車学校
 陸軍自動車隊陸軍自動車学校の教官をしていた河原田巌が、昭和3年に堀原練兵場(今の堀原運動公園)の南側に開校したそうです。茨城県内の第1号だそうです。昭和2年の水戸市内では、乗合業8名、貸切業42名、貨物業45名だったそうです。昭和14年、吉沢町に茨城県自動車学校ができたために廃業したそうですが、河原田巌は昭和21年には衆議院議員になっているそうです。

 

女優
 泉町2にあった耳鼻科の山県医院の娘、山県直代は水戸で初めての女優になったそうです。脇役としての番付上位にランクされていたそうで、昭和13年、山本嘉次郎演出の「藤十郎の恋」では主演女優入江たか子の次にランクされていたそうです。

水戸の始まり(2)

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