秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

えべっさんと大黒さん

2009-01-11 | 日々是好日
毎年商売繁盛祈願でえべっさんにお参りに行きますが
例年は平日の店を閉めた7時出発で夜のお参りでした。
そのあとの新年会「てっちり」が心の奥底のほんとの目的だったりしますが。

2006年も2007年も、福をもらいに行って記事に残しています。
  → こちらから

今年は「残り戎」が日曜日なので昼前に出発、同じ場所も昼は夜とは違った別世界を見た感じでした。

 

私の前で賽銭箱に小切手を投げ込む人がいて、
金額をみると、29,451
後でよく考えてみたら、フクヨコイの語呂合わせ?

地下鉄堺筋線の恵比寿駅まで行くと通天閣の新世界がすぐそこ。
 

いつもどおりここで初ふぐを食べて、今年は時間の余裕があるので、まだ次いくところがありました。

大国町(だいこくちょう)の地名の起因にもなっている神社です。
江戸期の十日戎では「戎大黒、両社詣でて本参り」と、
木津の大国さんは江戸時代からの参詣風習が根強く残っているそうなんです。

場所は、地下鉄大国町駅北200m、国道沿いにあります。

大国神社で検索すると、全国各地に同じ名前の神社があまりにもたくさんあって驚きました。
ココには敷津松之宮と二つの神社が境内を共有する相殿です。
国道沿いの鳥居から入ると正面が大国主神社、
南側の鳥居から入ると正面が敷津松之宮、
両神社の社殿と参道はクロスする形になっています。

 

 

大国神社と思って検索してもヒットしましたが、ほんとは大国主神社だった。
宗教法人としては敷津松之宮で登録されており大国主神社は摂社。
正式には「日出大国社」と呼ばれ、1744年のご神託で創建されたようです。

 

神功皇后が三韓征伐から凱旋の時、住吉浜に社を定めて住吉大神を祀り、さらに浜に沿って大阪湾を北上し敷津浜を通りかかった際に、松を3本植えて、そこに素盞鳴尊を祭るように指示したのが始まりといわれています。

遣唐使が唐に渡る際には、住吉大社と並んでこの敷津松之宮でも荒波が静まるように航海安全を必ず祈願したという。

その後876年、円如が播磨国から牛頭天王を京都の八坂神社に勧請する際、この敷津松之宮に立ち寄り、素盞嗚尊と牛頭天王が同神であると伝えらるので、明治時代までの敷津松之宮は、八坂神社や木津祇園宮と呼ばれていたようです。

 

敷津松之宮の本殿屋根の紋が二つ重なっているのが不思議でした。
  
   

2 コメント

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住吉&恵比寿 (いやさかの木)
2009-01-12 22:35:50
こんにちは。
参道が十字にクロスする神社って、珍しいですね~。
なにやらワケがありそうな・・・。
住吉大社は、海神ファンにはメッカなとこなんですが、まだ行く機会にめぐまれません。
敷津松之宮といっしょに、ブログの写真でお参りさせていただきました!

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いやさかの木さんへ (おざさ)
2009-01-13 08:53:40
参道がクロスしていたり、紋が二つ重なっていたり不思議ですね。

はじめていやさかの木さんのブログ訪問したのは、
住吉大社で検索していてたどり着きました。
ほんとはもっと書きたいことはあるのですが、
このブログにはマニアックすぎるかなと思い、差しさわりのないことだけにしました。

子供の頃と違って、ある程度知識を持って訪れたので興味深くお参りできましたよ。

じつは石切さんも先週いったのですが、記事内容で思案中です。
そのうちアップしますので、また見てください。
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