秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

鉄で発色した青いガラスの腕輪

2012-09-26 | 古代史のミステリー
日本で初めて完全な形で出土した青いガラスの腕輪
釧・くしろ というらしい。
なんと2000年近く前の弥生後期後半の大風呂南1号墳から出土しました。

ほぼ円形で、直径9.8/内径5.8/厚さ1.8cm、深い青色で中に気泡が見えます。
被葬者が左腕にはめていたそうです。

大風呂南1号墳は、天橋立や阿蘇海(あそのうみ)を見下ろす標高59,5mの尾根上に立地。

平成10年携帯電話受信基地を建設するための事前調査で、
弥生時代後期後半につくられた一号墓と、その北側に周溝を共有する形で同後期末の二号墓が発見されました。



京都府与謝郡岩滝町から大内峠を通り大宮町の小野小町温泉へ行ったことは先に記事にしました。
その高台にあった三坂神社を調べていて、三坂神社墳墓群を知り、
そのつながりで、この神秘的な青いガラス釧にたどりつきました。


文化庁:国指定文化財等データベースよると
大風呂南墳墓群の出土品総数は412点。
これらのうち、第一主体部から出土したガラス釧は透明度の高い青色の優品で、遺存状態も極めて良い。
ガラス釧は、本遺跡に近い京都府丹後大宮町で一点(半欠品)、
福岡県飯塚市から破片二箇分が出土しているのみであり、全形がうかがえるのは、本例を措いて他にない。



大風呂敷南1号墳の釧は、奈良国立文化財研究所が行った成分分析の結果から、
中国産のアルカリ珪酸塩ガラス(カリガラス)製である可能性が高い。
中国で原料となる鉱石を溶解した後日本に運び込まれ丹後で加工された?
青色のガラスは通常、銅かコバルトを使って発色するが、ガラス釧には鉄が使われていた。
鉄で着色したカリガラス製品は、奈良県・藤ノ木古墳で見つかった「なつめ玉」などわずかしか確認されていない。




三坂神社墳墓群出土品は京都府指定文化財の指定を受けています。

広報きょうたんご(2006年度/平成19年3月)で次のように紹介されています。

三坂神社墳墓群は、弥生時代後期初頭(約2000年前)につくられたお墓です。
大宮ふれあい工房や国民年金健康センター丹後おおみやが建つ、北部マスターズビレッジ造成に先立って、大宮町教育委員会が平成4年に発掘調査を行いました。
この墳墓群は、丘陵尾根線上の高い部分を削り出した六つの平坦面を墓域としています。
各平坦面には、有力者とその家族が合計39人埋葬されていました。
大半は、木の棺(木棺)に寝かせた状態で土葬されています。
しかし、乳幼児は、大きめの土器の中に葬られていたようです。

木棺を埋葬施設とするものは、遺体を埋葬し、棺にふたをしたときに、土器を意図的に割ってばらまく葬送儀礼を行っています。
これは「墓壙内破砕土器供献(ぼこうないはさいどききょうけん)」と呼ばれる儀式で、丹後・但馬・丹波北部を中心に弥生時代後期に行われているものです。

墳墓群の中で最も大きな3号墓第10主体部と呼んでいる埋葬施設(墓穴)には、
ガラス管玉でつくられた、ヘアーバンドやガラス勾玉・小玉と水晶玉の耳飾りで飾られた有力者が葬られていました。

この埋葬施設からは、朝鮮半島からもたらされた鉄製のやりがんなや、素環頭鉄刀(そかんとうてっとう)が出土しています。
このほかの埋葬施設にも、ガラス小玉のネックレスや手玉を装着した有力者とその家族が葬られていました。

墳墓群全体からは、墓壙内破砕土器供献された弥生土器63点のほか、当時はたいへん貴重であったガラスでつくられた勾玉・管玉・小玉が3000点あまりと、鉄製品が出土しました。
これらの資料からは、海を越えて交易を行っていた丹後地域の有力者の姿が浮かび上がります。

以上のように、三坂神社墳墓群出土品は、弥生時代後期の丹後地域における墓制の初源段階の資料であり、その特徴をよく示す資料であることから、
平成12年3月17日付けで京都府指定文化財(考古資料)に指定されています。
墳墓群自体は、その後、消滅しましたが、三号墓のあったあたりに説明看板を立てています。




全体の出土遺物にはガラス勾玉、ガラス管玉、ガラス小玉、碧玉管玉などの玉類、武器、農具などの鉄製品、土器などで、ガラス勾玉は鉛バリウムガラス。
ガラス小玉は総数2930個を数える。

弥栄町溝谷の奈具岡遺跡では、弥生時代中期約2000年前の玉作り工房跡が発見されました。
水晶の原石、玉製品の生産工程における各段階を示す未製品や、加工に使われた工具などが多数出土しています。
生産された水晶玉は、小玉・そろばん玉・なつめ玉・管玉。
原石から製品まで一貫した玉作りが行われており、国内でも有数の規模と年代を誇ります。
鉄製工具類なども大量に見つかり、九州北部よりも先に鉄加工の技術が伝来していた可能性を示すものとして注目されています。




三坂神社3号墓第10主体部がこの墳墓群の盟主の墓で、
素環頭鉄刀(そかんとうてっとう)、やりがんな、水晶玉16個など弥生時代後期の豪華な鉄製品の副葬は注目されています。

峠道で結ばれている岩滝町の大風呂南遺跡は、
ガラスの釧の他に、全国最多の11本の鉄剣が出土し「鉄」の遺跡としても非常に貴重な存在です。
その内9本は柄がなく最初から鉄製品を作るための素材だった可能性もあるそうだ。

大宮町の三坂神社・左坂両墳墓群(弥生後期)にも鉄刀が副葬されていて、
さらに北へ10kmほど行った弥栄町の奈具岡遺跡(弥生中期)や、
北西側の峰山町扇谷(おうぎだに)遺跡(弥生前期末)・途中が丘遺跡(弥生時代前期末~後期)等々鉄材や鉄器加工の痕跡が残されています。

邪馬台国の前の時代に、すでに丹後半島に鉄の文化ができあがってたのですね。

大阪で開催されたエキスポ70(1970年)の時、高2でした。
あの時代に習った日本史からすると、とんでもない展開にワクワクします。

10 コメント

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ワクワクしますネ♪ (mari)
2012-09-27 07:48:26
エキスポ70の時には…もう子持ちでした
でも、早い子持ちです…おマセと言われました

青いガラスの腕輪、ロマンがいっぱいです。
おざさ7さんの商品かと思うほど、綺麗ですネ。

2000年以上前に作られて、有力者の家族がが左腕にはめていた…色白の美人がはめていたような色ですネ。
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Unknown (くるみのママ)
2012-09-27 11:20:15
お誕生日おめでとう。

映画、いつでも1000円まであと一年。

年を重ねるのもまんざら悪いものでもありません。
この1年も、面白い愉しいことがたくさんありますように。

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Unknown (TM)
2012-09-27 20:37:17
透き通ったブルーの腕輪、どんな人が見につけていたんでしょう。お洒落ですね~。古代の人がとっても身近に感じられます。
京都といえば、京都市内とその近郊だけを思ってしまうんですが、京都府は日本海にも面しているんですね。これまでほとんど関心なかったのですが、この間出雲に行って来てからは、日本海側にも目を向けるようになりました。

これからも工事現場からいろいろな発見があることでしょう。
そのたびに歴史が見直されますね。楽しみです。
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mariさんへ (おざさ)
2012-09-27 23:48:44
mari さんのブログ拝見してると同年代もしくは私よりお若く感じます。
それだけ瑞々しい感性をおもちなんでしょう。

2000年も前に、こんなにきれいな発色で円形のガラス製品を作る技術ってすばらしいですよね~
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くるみのママさんへ (おざさ)
2012-09-27 23:50:38
ありがとうございます。
いつでも1,000円で見れる映画、これはいいねぇ~
ちょっと楽しみになってきました。
昨日はねんきん定期便が届いていました。
来年の誕生日過ぎたらすぐに手続き行く予定です。
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TMさんへ (おざさ)
2012-09-28 00:00:11
今までは伊根までの通過点でしかなかったのでした。
舞鶴道ができてだいぶましになりましたが、それでも丹後半島は遠い!

去年、籠神社の奥宮真奈井神社に初めてお参りできました。
そして富田林市の美具久留御魂神社で、由緒に丹波の氷上という地名がでてきますし、背後の山は真奈井。
丹後半島と繋がってるらしいことがわかりました。

藤原不比等の時代に変えられてしまったという日本歴史。
日本の成り立ち、正確なところが知りたいもんです。
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ランキングで (りひと)
2017-12-25 08:54:02
今ガラスにハマってますそれも関東の田園調布から武蔵小杉の間の多摩川沿いの古墳です。
普通にガラス出ているんです。で一番気になるのは碧玉管玉も出るんで碧石というと出雲と思うけど管玉なんですよね。穴あけないといけないので相当道具と知恵も必要です。

確かカンナも出ていたような昨日結構調べてみたんですけど。木を削る物だったかな?

でこれはタイミングだけなんですけど大田区神奈川方面の古墳がこちらと関係ないのかなあ?と。
ちょっと深読みしています。

人間ウォッチでは、この辺りから関東に移動っていう方にお会いした事もあります。材料と技術の両方を手に入れられるのはおそらく中国との接点もないわけはないでしょう。

ただクシロというと、本来は貝の腕輪への羨望も感じますので貝輪は赤の民で青の腕輪は技術集団の成果でしょうし面白いなあ。

実際どちらも川や海での船での移動がまずないとお互いに接点もないしその後の発展もない。
両方ともにいる海の民やクナト系やトリ系は外せないでしょう。凄い技術の遺物が全国に行っているのも人も関わっていたはずですね。

貴重な物を空から落とすわけもないし、遠くに投げる事もしない。人が運んでいるのは確かですね。

そう木棺好きです。で子供は土器とか甕とかそういう葬送をする事もちょっと気になりますね。エジプトとも関係しそう。クレモナでしたっけ?あの辺りと交流してたら面白いですね。ブルージュのブルーまで繋がるか?Googleマップで確認してみます。ポー川から東西でそこから北上しないと、どんな川かな?3998
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りひとさんへ (ulala)
2017-12-27 16:12:20
多摩川沿いの古墳でガラスや碧玉管玉出土してるのですか。
現代の私たちが想像する以上に、日本国土狭しと移動してますね。
12/3の秩父神社の祭りに、友人が子供のころから生で見たいという夢がかなったと現地から写メール届いてました。
秩父って多摩川ですよね?
その秩父神社は天御中主神を祀ってるようですね。
クリスマスに参拝した葛城一言主神社の一言主神はご自分の宣託なのか、それともどなたの一言を宣べられるんだろう、なんて思い始めてました。
そしたら葛城山金剛山の間の水越峠が国道309号線なんですが、一言主神社奈良側で、大阪側に建水分神社があります。
その水分神社の祀る神は天御中主神なんですよね~
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人間の概念なんて気になさらずで (りひと)
2018-01-06 12:31:46
所詮神の名前って本人が名乗ってるわけでもなく、って名乗ってるかな?まあいいや。神は自然なのでその土地にずっと変わらずいます。なので概念どうこうではなくその土地の自然と直でダイレクトに縁を持てればいいのではないか?と思いますよ。おまけにあそこの神社の方がとても素敵な方で、一生懸命調べたら熱心なんですよ。でその姿勢がまた自然を受け入れているようにも思うんですよね。固定観念に固執しないで立場とか職種でじゃない自然体の人間の神職さんが関わっていらっしゃるのも素敵なんです。で自分を着飾らず自然な感じで圧力もないし。多分そういう方が自然と人間の間には必要だと思いますよ。お会い出来て嬉しかったです。

太陽がどこの山から出るのか?沈むのか?そこがとても気になってますけど聞いてしまうのももったいないので自分で調べようと思い早一ヶ月以上経っちゃうかも?人がどんな偉い人でも聞いて信じるより自分で調べて感じる方が実になるように思いますね。

で仰る通り私もグレーで黒い方もいるかもしれないんですけどどうも時の権力者にも関係しているとするとそのベースには根源の神がいるのは確かだと思います。明らかに海系だけど白や青(石)でない赤気質はあるのでバランスによりブレる事もあるのだとも人間的な神と思っていいかもしれませんね。ただ人間にちかいんで知恵は得られるはずです。

地形的な物も自然の絶対的な高低ともう一つ地質的な物を考える事も大事ですし、同じ山を奈良側か大阪側かで区別自然にしちゃう癖も当時はなかったと思いますね。管理しやすいようにとの目的がそもそも人間の概念ですからね。そに土地の立地や利用の仕方の方が大事だと思います。冬至におまもりは明らかに埋もれかけている古代からの文化の継承されてますので安心ですよ。

で本題関東の件ですが、多摩川は御嶽の方に行くんでどうかな?と地図みたら秩父は長瀞の川下りの地なのですが荒川のようです。埼玉は確かに荒川のイメージです。で秩父の地図見ていたら鉾の付く山と神流川だったかな?その部分に目が行ってしまいました。
秩父は大阪と縁がありそうな予感です。

全く考えてませんでしたけど荒川と多摩川の川の周りの集落と民族と風習の違いも面白いそうですね。荒川は千葉よりの方で青も赤もミックス感あります。多摩川も狛江と調布だけでも赤と青で御嶽はお犬さまですから白か?いや黒か?蔵王権現だから青もあるけど夕陽や木は赤っぽいし。

ただ思うのはわんわんは青にも赤にも厳しいんです、青の側のいるんですけど青を堕落させないし、赤の無秩序も許さない。ムゲツ氏絡んでいると面白くなりますね。

そううらら様へ少しヒントになればですが、昔からいた犬は埴輪でいくと尾っぽが丸いんですよね。でテレビで秋田犬の事やっていて尻尾がクルって丸まっているのが意味ありそうに思いましたよ。なので高尾って各地にあるけど高+尾だと初期高尾張の方とか高安氏とか+白い犬の民族(高安犬も入るかな?)

尾が付くのはムゲツ氏か犬養氏かからんでいそうに思います。で信念としてどんな命も大事に出来る事。

この前加藤清正の関係のお寺に行ったんですけど円が寺の紋でも清正あるんですよね。あの丸って犬の尾っぽかなぁ?なんて。

昨日妖怪ウォッチの映画では和が大事なんてキャラが言ってましたし、妖怪と人間の協調もテーマに感じましたよ。多摩川でいくと近江、荒川でいくと大阪で奈良で和になるのかな?多摩川のテーマで日野氏というのもいぬのイメージで女性は怖いけど男性は信念あるかな?なんて思ったりしていたら映画の監督が日野さんでした。

各分野すべき事をしているようで安心です。アニメ作る方は相当勉強していますのでそこも参考にして自分でどう思うか?が大事に思いますね。

母を見ていると固定観念の塊なのでうららさまのように頭がとても柔らかいのは本当若さの秘訣ですし、育ちの良さも感じてしまいます。

秩父注目してみますね。私若干怖くて銅やムカデ好きですけど行けてません。白いお守りも三鳥居も気になりますね。

最近、神社仏閣がえー?そっちに傾くの?やばくない?って思う所が多くなりつつあるので本来の土地の歴史と自然の土地のパワーをダイレクトにっまた素直の受け取ればいいではないかな?と。
それを感じれるのもそこに関係する方をみて感じる事を今後の素直に表現出来る世のまんまだといいですね。和にしなきゃだと強制で自然とそうだよね?そういう考えもあるよね?で自然と和が現れるのは日本だけだと思いますので。自立しているってことですね。依存の方は大変ですよ、これからは。9511

宇宙人も人間の頭には忖度しているように思います。AIのベースも人間の思考の集積と経験から。ならば人間しかできない、自然にも神にも出来ない事ありそうですよ。漢字も出てこない頭になってますので劣化されないように注意しましょうね。9068
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青の自己主張 (りひと)
2018-07-31 15:13:34
赤と青いの息子を持った気分。そのどちらかに行くとどちらかに傾くような感覚。明らかに赤と青のしがらみでてんやわんやでして、病気やトラブルもいっぱい。今は赤に偏り過ぎたんで青が自己主張はじめてるようにも。で人間のコツとしては対角と接点持つとどうもいい方向にいくように思いますよ。常識違うんで努力と相手へのリスペクトがないと出来ないので。

青はガラスとの接点と鉄ですね。古墳時代は青強くなってきてたから自己主張も凄い。日本での鉄の起源が気になりますね。奈良では手に入れられなかった物でどこから来たか?それも研究分野として研究している方もいますので安心です。

どっちがどうではなく、単純に役割分担で争わず相手の仕事やテリトリーを侵害しない姿勢が古代に欲しかったですね。なんせ出来ない事をやりたいってボスになっても結局出来なくて困るのは自分ですから。

東奈良遺跡コメントに出てましたね。この辺りは大事ですよ。カジノとかで外国人のおもてなしになんかされたくない地です。日本の職人さんたちの聖地になるといいのに。見本市はいいいですよね。

ガラス+鉄も鉄なければ使わないはず、あったんですよね。試すほど近い所に。
で赤の方は銅で作りたては赤でその後は青(緑)になる。どうもベースは同じように思って来ましたね。

なぜ別れたか?そこは人間の権力欲の派閥としがらみだけ。
けど争って消耗した後の人生より、最初から分野に合わせて任せて役割分担させていくのが一番人間も命を守り楽しく生きれるのにと。

青も暴走ばかりでなく少し周りが信念を持つと安心です。赤は結構穏やかで呑気。歴史上の評価は逆にされてるのでうまく変化してくるといいですね。1851 田村麻呂も戦い好んでたのか?そこが知りたいですね。正義感強すぎてそんな流れになってないかな?機会があればお喋りしたいです。
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