散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

ロシア革命におけるレーニンと古儀式派(2)~感想;三國氏のコメント~

2013年05月13日 | 政治理論
昨日の記事に対し、三國さんからコメントがあった。色々なことが頭に浮かび、その収拾をつけるために、本稿を書いた。回答というより、自分の頭の整理だ。

そのコメントは『しかし、このウィキ「古儀式派」ではソ連成立後も弾圧されたとあります。レーニン夫人は、「富裕階級との闘いは即ち古儀式派との闘いである」とまでアジっているし」』としてリンクが張られている。

その「古儀式派」には右側にワシーリー・スリコフ画「貴族夫人モローゾヴァ」が掲載され、「彼女の掲げる2本指で十字を画く姿勢は古儀式派の主要な特徴」と解説がある。
  
この絵に関して、下斗米教授は昨日記事にしたトークショーにおいて、有名な絵として紹介し、モスクワは古儀式派の都と書いている。

この顔つきを見ながら、全く判らないながらも古儀式派に思いを馳せ、トークショーとウィキとを繋げてみるとどうなるのか?それが頭に湧いてきたことだ。

昨日の引用の中に古儀式派は「ロシア帝国とソ連帝国が終わって初めて見えたこと」になっている。ウィキにある様にロシア時代は勿論、ソ連時代も迫害を受けていたのだ。そこで、レーニンが援助を受けたことも含めて隠されていたと推測できる。

そう考えると、下斗米氏の新著「ロシアとソ連 歴史に消された者たち」の題名の意味が判る。古儀式派はロシアとソ連の歴史の中で消されていたのだ。ロシア革命期に反ロシアの立場から歴史を変える役割を担ったが、革命後は共産主義とは相容れることは、当然無く、草の根的な存在として活動し、1991年のソ連崩壊の時、再浮上したというストーリーか。

ここまで考えると、プーチンの顔、その目つきが貴族夫人モローゾヴァの目つきと、どこか似ているような気がしてきた。おそらく、現在のロシア的精神の源泉は正教ではなく、古儀式派にあるのではなかろうか?

     

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